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(12)大切にするね

 今日は朝から雨が降っている。


 甲州市は降水量が少なく、日照時間が長いからブドウ栽培に適している。

 だけど四月はちゃんと雨が降ってもらわないと困る、とお父さんが言っていた。

 駅に向かう沿道のツツジがきれいに咲きそろって、朝の冷えこみも緩くなった。


 傘をさしていると走れないから、今日は少し早めに家を出てきた。


(昨日は少しハラハラしちゃったな…)


 ロングホームルームの後、陽菜ちゃんとナッちゃんが私の席に来て、後ろの結城君に衣装づくりを頼んでいた。


(結城君、かっこいいんだもん。)


 結城君はあまり目立つタイプではなくて、中学時代の女の子たちからの評判は「いい人そう」。

 こっそり片思いしている私からすると、ライバルはあまり多くなくて、安心していられたのだけど。


 大勢の人に結城君の魅力を知られるのは、嬉しいような、悲しいような、複雑な心境。


 昨日の結城君は、戦隊コスチュームにこだわる陽菜ちゃんに堂々と反論し、代わりのアイデアまで出して、陽菜ちゃんを納得させていた。


 結城君と陽菜ちゃんが視線を交わしていた時、私の胸はざわついていた。

 少し茶色がかった陽菜ちゃんの瞳は魅惑的で、仲のいい私でさえドギマギしてしまう。


(結城君が陽菜ちゃんに魅力を感じるのは当たり前として…)


 もしも陽菜ちゃんが結城君に恋をしてしまったら、私は素直に応援できるのかな、と不安になる。


(ううん、ダメダメ)


 結城君に少し親切にしてもらったからって、調子に乗っちゃいけない。


 きっと私は、恋に奥手で、臆病で、傷つきたくないタイプだと思う。

 中一の時に抱いた、小さな恋心を、胸の奥で大事に大事に育ててきたから、高校二年生になって急に彼との距離が縮まったことに戸惑っているだけ。


 期待なんかしちゃいけない。


 そう思っているのに、駅に着いた私は、もう結城君の姿を探し始めている。

 タン、タン、タン、とホームに降りる階段を下っていくと、電車を待つ人々の姿が見えてくる。


(結城君は…いた…)


 結城君、いつも電車を待つ列より、少し後ろに立っていた。


(なんか、元気がない…?)


 どことなく、背中に精気がないというか、疲れている様子というか…ゆらりと立っている感じ。


「結城君、おはよう。」


 声を掛けると、結城君は私のほうを振り返って、


「ああ、おはよ。」


と、いつも通りに挨拶を返してくれたけれど。

 やっぱり、目に力がない。


(どうしたの?体調悪いの?って聞いてあげたほうがいいのかな)


 だけど余計なお節介だったらいけないし、とためらっていたら、結城君は下を向いて、


「ふわああ」


と大きなあくびをして、それから小さな声で「ねむ」とつぶやいた。


(あ、眠たいだけ?)


 結城君が朝こんなに眠そうにしているのは珍しい。

 だけど体調がすぐれない、ということではないようだったから安心した。


(ふふっ…ちょっとかわいいかも…)


 結城君が、ゆるゆるの無防備になっている姿に、ちょっと和む。

 やがて電車がホームに入ってきたけど、私たちは列の最後尾だったから、空いている座席がなかった。

 いつも結城君がしてくれるみたいに、席を確保してあげたかったのに。


 結城君はドアの横の壁に寄りかかって、頭を垂れるように下を向いて目を閉じた。


(これって、あれだよね。)


 恋愛小説やドラマによくあるシーンだ。

 好きな人の寝顔を覗きこんでいたら、急にパッと目が開いて照れくさくなるパターン。


 たしかにいつもより顔が近くて、結城君は目を閉じていて。


(いつもは恥ずかしくて、じっと見られないけど…)


 チラッと見てみるくらいなら平気だよね。


 目立つような美形ではないし、特徴的なパーツがあるわけでもない。

 でも表情が柔らかで、いつも飄々と穏やかな結城君。

 外見には無頓着なようで、少し伸びた前髪が数本、瞼にかかっていた。

 今は頬や口元が力を失って、普段より子どもっぽく見える。

 もう少し近づいたら寝息が聞こえてきそう。


(あ、いけない。)


 いつの間にかじっと見ちゃってた。

 慌てて、視線を外す。


「あ」


と、結城君が小さな声を出した。見上げると薄目をあけて、それから手を肩から提げた通学バッグの中に入れた。

 その手が、ゆっくりした動作でバッグから出てくると、茶色の紙袋を持っていた。


「はい、これ。」


 紙袋を渡された。そのまま、結城君はまた目を閉じる。


(なんだろう…開けてもいいのかな…)


 紙袋は口の部分を折っただけで封をしていない。

 私はそっと紙袋の中を覗いてみた。

 透明のビニール袋に入った、茶色っぽい布のようなものが…


(えっ…まさか…)


 取り出すと、中身はビニール袋に包まれた巾着袋だった。

 この前、結城君が見せてくれた巾着と同じくらいの大きさで、色味の落ち着いた薄いオレンジ色の生地に、紫色の花が刺繍されている。

 真ん中に小さな黄色い花芯があって、その周りは濃い紫。五枚の花びらは先端に向かうにつれて、少しずつ紫色が淡くなっていた。

 花は一輪だけでなく、正面を向いた花と、横向きの花、濃い紫のつぼみが描かれている。

 刺繍なのに立体的な奥行きが感じられて、まるで絵画のよう…。

 閉じ口にはレモン色の紐が通されていて、品のいいアクセントになっている。

 そして三輪の花の下には、ローマ字で小さく「Shiori」と私の名前が刺繍されていた。


 大きな声を出しそうになって、慌てて口をつぐむ。


(だめ…泣いちゃいそう…)


 結城君が『氷見にも作ってやろうか?』と言ってくれたのは、一昨日の夕方だ。

 私は、結城君が見せてくれた巾着袋を見て『いいなあ』と言った。

 それは、普段使いの物を自分で作ることができるなんて、羨ましいな、と思ったから。


 けれど彼は、私の分も作ってくれる、と言った。

 遠慮するところだったのかもしれないけど、嬉しくてつい『いいの?』なんて言ってしまった。

 いつかそのうち、ってことだと思ったし、その言葉だけで充分嬉しかったのに。


(あっ、もしかして…それで眠たいの…?)


 昨日、結城君は「行くところがある」と言っていた。

 どこかに寄り道をして、帰ってから作業してくれたのかもしれない。


 それに、結城君は昨日、文化祭の衣装のアイデアも考えてみる、と話していた。

 そんな忙しい時に無理してくれなくてもよかったのに…。


(どうしよう…)


 結城君への想いが爆発して、どうかなっちゃいそう。

 私が急に抱きついたら、ビックリするだろうなあ…。


 その時、電車が山梨市駅に近づいて、少し揺れて、


 ゴンッ!――頭のてっぺんに衝撃を感じて、目から火花が飛んだ。


「あたっ!」


って変な声が出ちゃった。思わず、手で頭を押さえると、もらったばかりの巾着袋のビニールがカシャ、と音を立てた。


「いたた、ごめん、大丈夫か、氷見。」


 結城君も目の前でおでこの上を押さえている。

 眠くて頭がぐらついたのと、電車の揺れが重なって、結城君のおでこと私の頭がぶつかったみたい。


「う、うん、平気。」


「痛かったよな、あ、涙出てるぞ。」


 涙は痛かったからじゃないのだけど、なんだかこの「うまくいかない感じ」が、私らしいような、()()()らしいような、そんな気がして可笑しかった。

 結城君が不思議そうな顔をしていたから、きっと私は「えへへ」って笑っていたのだと思う。


 電車が山梨市駅に着くと、すぐ近くに座っていた乗客が下りていって、席が空いた。

 私は結城君のバッグの肩紐を無言で引っ張って、彼をその席に誘導して、座ってもらった。

 何か言ったら断られそうだったから。


 結城君は案外素直に、その席に座って、それからまた頭を垂れて目を閉じた。

 やっぱりまだ眠たそう。


「結城君、これ、ありがとう。とっても素敵。」


 寝ちゃったかな、と思ったけど結城君に聞こえたみたいで、彼は


「喜んでもらえたならよかった…」


と、寝言のように呟いて、それから


「あ、まちがえた」


って言った。何をどう間違えたのかわからなかったけれど、私が


「大切にするね。」


と言ったら、結城君は小さく微笑むように表情を緩めて、それから眠りの世界に沈みこむように脱力した。


 電車が春日居町駅の次に停車するのは石和温泉駅。


「おはよ。あれ、詩織が立ってるのか。」


 乗ってきたナッちゃんがさっそく挨拶してくれる。


「ナッちゃん、おはよう。うん、結城君、すごく眠そうだから、起こさないであげてね。」


 神谷君も眠たそうだけど、それはいつものことだから気にしないでおこうっと。


「わかった。それより、どうした?浮かれた顔して。」


 ナッちゃんはいつも鋭い。客商売の旅館の娘だからかな。

 私は、結城君がくれた巾着袋をナッちゃんに見せた。


「結城君にね、頼んだら作ってくれたの。」


「へえ。」


 ナッちゃん、しげしげと巾着袋を眺めて、


「詩織、これは、直人が詩織を一人の女性として認めているってことだな。」


と言った。


「え、そうかなあ。」


「ああ、だって詩織にプレゼントするんだったら、もっと可愛いものを選ぶのが普通じゃん?」


 そう言われてみれば、落ち着いた風合いといい、細やかな刺繍といい、大人びた雰囲気に思える。


「うーん、でもたぶん余った布とかで作ってくれたんだと思うし…。」


 それに「プレゼント」じゃない。


「で、それ何の花?」


 巾着に刺繍された紫色の花。とても綺麗で、だけど少し(はかな)げで、(たお)やか。


「えっと、わかんない。」


 ナッちゃん、スマホを取り出して、刺繍の花にかざして、慣れた手つきで操作する。


「あ、これだな、『桔梗(ききょう)』だって。ほら。」


 画像検索の結果の画面。たしかによく似た花の写真に「桔梗」と書かれていた。

 そういえば、うちの農園の片隅にも咲くことがある。

 ナッちゃんは、またスマホの画面を自分のほうに向けて、少し操作をして、


「えっ」


と、絶句したように動きを止めた。


「詩織、大変だよ、これ…」


 ナッちゃんの声が低くなって、私は不安になった。


(なんだろう…大変って…?)


 ナッちゃんが再び見せてくれたスマホの画面を覗きこんで、私も固まった。

 そこに書かれていたのは――


『桔梗の花言葉:永遠の愛、変わらぬ愛、誠実、気品』


(えっ…なっ…)


 体中の血液が沸騰したような、経験したことのないような熱が、全身を駆け巡って、言葉が出ない。


 その時、神谷君がナッちゃんの後頭部をチョップした。


「いてっ、なんだよ、翔真ぁ」


「ばかか、千夏。直人が花言葉なんて考えるかよ。」


「あはは、それもそうか。ごめんごめん、詩織ー。」


 そんな二人のやり取りのおかげで、私は気絶しないで立っていることができた。


(そうだよね、結城君がそんなことするわけないもん。)


 私は自分に言い聞かせるようにそう思った。

 がっかりしたような、ホッとしたような、不思議な気分…。


(陽菜ちゃんだったら、なんて言うかなぁ…)


 落ち着こうとしたけれど、心臓の鼓動はなかなか静まってくれなかった。

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