番外編 その⑧
番外編 その⑧
正しさとは主観によって変動する
三筆・橘朝臣逸勢
思えば長い付き合いだった。
私の祖父・橘諸兄の盟友、吉備真備様の付き人として
遣唐使に乗ることになったのだが、
この吉備朝臣様が船に乗る直前に一人の少年を連れてきた。
知り合いの寺の大僧都様からの紹介らしい。
この少年がのちの法印様──つまり空海様だったとはな。
縁とは不思議なものよな。
さて、その法印様。
当時はただの少年、佐伯という姓はあったが法名も持たない少年であったのだが………
やることが破天荒だった。いや、ほんとうに。
水を腐らせない秘術を使う。
星の動きを読んで目的地の方向を見つける。
船の上からなにやらごそごそしていたと思うと、魚が勝手に飛び込んでくる。
その飛び込んできた魚を開いたと思ったら、これまたなにやらかして
ひと月たっても食べられるようにする秘術。
嵐の時に「あっちに行け」「こっちに行け」と指示を出したと思ったら、
避けた方向に雷が落ちる。
などなど、あの頃からもう今の法印様のお力の一端が出ていたのよな。
そしてなにより、帰りの船で遭難してもうだめだと思った時に、
これまた少年があれこれして、結果として島までたどり着けた。
まさに命の恩人様なわけだ。ほんとに長い付き合いだよな。
私にはどうやってもそのような力が無い。
これはもう分かっているので、出来ることをひたすら丁寧にやる。
これしか取り柄が無い事。
なればこそ、しっかりと誠実にやるべきことをやる。
法印様の教えである。
そうして私も大人になり、参内して仕事をするようになり、
蔵人所で仕事をしていたら、法印様──当時は遍照金剛様か──
彼が指導員として派遣されてきた。
周りの人たちは法印様を恐れていたのか遠巻きに陰口を言ったり、
関わらないようにしたりと決していい場所ではなかった。
だから私も思うところがあり、法印様に話しかけたら──
へんじょー
「今、昔の友好にすがり橘……えっと、たちばなさんと友好を深めてしまうと
橘さんのこれから先が心配になります。
昔からの友好はいい、とても大事だ。
でもここは陛下のための場所。
なので、出来ることを誠実にやることが大事ですよ」
そう言われて、親しげに話しかけたり世間話をしたりすることは
断られてしまったのだよな。
本当に出来たお方だ。
出来ることを誠実にやる──これは確かに大事かもしれないけれども、
法印様は出来る事が多すぎる。
常人には出来ない事が出来るのである。
だから陛下は頼りにする。公家も頼りにする。
民衆も、豪族も、みなみなたよりにする。
でも、それは法印様の命を削っていると何故考えないっ。
そして法印様も、何故微笑んでいられるのだっ。
わからない。私には、わからない。
それからまた年月が過ぎた。
私は立場上、陛下への手紙を読んだり、
陛下からの手紙を代筆したり、
ほかの公卿の方の代筆をしたりする関係で、
法印様への手紙を知ることができていた。
そして──法印様の命の灯が消えた。
真言宗の者どもは「入定した、つまり死んではいない」などと言うが、
生きている我が会えない。言葉も交わせない。酒を飲めない。
なれば、死んでいるのと変わらないではないかっ。
体調が悪いから仕事を辞めて寺で静養する、と
何度法印様が言ったと思ってるのだっ。
そのたびに却下、却下、却下。
法印様の命をなんだと思ってるのだ。
あげく、自分だけ弟に皇位を譲って、
そのうえで楽な立場で上皇となる。
ふざけているのかっ。
法印様への扱いを考えてみろ。なんでそんな事ができるのだっ。
いちど法印様が「教皇SAGAめっ」とつぶやいていたのを聞いたことがある。
その時は意味はわからなかったが、今ならわかる。
上皇陛下などではない。教皇SAGAだ。やつはそうなんだ。
(ところで 教皇SAGAってなんなんだろうな 嵯峨は分かるが………)
だからと言って、何が出来るわけでも、何かをするわけでもないのだが……
法印様、申し訳ないです。
しばらくして………
教皇SAGAが死んだ。
やっとか。法印様の命を吸い上げてのうのうと生きていたバケモノめっ。
法印様に天の国で殴られるがよいわ。
と、一人祝杯をあげていたら──逮捕された。なぜ?
なんでも国家転覆を狙ったらしい。誰が? 我が?
現陛下のご子息の息子様の取り巻きが主犯らしい? 我も?
なんでも内裏に我の名が書いてある竹簡があったらしい?
そりゃあるだろ。だって我そこで仕事してるんだぞ?
拷問されて、自白強要されて、でも我なにもしらない。
知らないものは知らないとしか言えない。
取り調べをしてるのが藤原北家の者。つまり政敵か。
最初から「そうあるべし」と狙われていたと知り得たのは後の話。
出来ることを誠実に精一杯やってきた人生だったのだが、
何も残せなかったなぁ。
我はどうやら東国へ流罪になるらしい。
拷問のせいか体がつらい。
これは遠回しに「死ね」「京から出て行ってそこで死ね」と言われてるのだな。
精一杯、朝廷のため、陛下のため、頑張ってきたんだけどなぁ。
どうやらここまでのようだ。遠江というところらしい。
我の生きてきた理由ってなんだったのだろうか。
出来ることを精一杯誠実にやってきたつもりだったのだけどなぁ。
法印様、あなた様のようになれませんでした。
友であり、師であり、目標であったお人よ。
今一度どこかでお会いしたかった。心残りでございます。
ああ、もうだめか。
なんでだろうか。
何故だろうか。
どうしてだろうか。
くやしい、くやしい。
誰が悪いのか。我が悪いのか。藤原が悪いのか。
いや、教皇SAGA……あいつか。
おのれ教皇。おのれ。
呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる
呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる
呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる
呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる
──いっ……おいっ……たちばなさんっ。
ここはどこだ。われはなんだ。よぶのはだれだ。
「たちばなさん、たちばなさん。そんなに怒ってどうした? おなかでも痛いのか?」
そうよぶのは──ほういんさま。……ほういん様?………法印様!
「怨霊になっちゃうとはな~。心配になって迎えに来たぞ」
こんな我を迎えに来てくれるとは……いや、我にそんな資格なし。
我はなにも、何の価値もありませんゆえ。
「わが友、逸勢よ。そんな悲しい事言うなよ。
貴様が自分を価値が無いというてもな、見てる人は見てるぞ。
分かる人は分かるぞ。もちろん俺にもわかる。
誰が何を言う事があれど、俺は思う。
貴様の書は“あたたかい”と。
人の為に誠実に精一杯やってるのが伝わる暖かさだ。
上手い下手とか、価値があるとか価値が無いとか、
そういう次元の話じゃなくてな。
暖かさがある書──これは貴様だけど、貴様にしかできない。
さすが、わが友じゃな。
いいか逸勢よ。
これから先、貴様は“三筆”と呼ばれるであろう。
それは天下に三人しかいない書の偉人という称号だ。
まあ、ほかに我と、あの教皇SAGAもいるから、
いろいろ思うところはあると思うがな。
これから連れていく先で、しかと真実を見るがいい。
聞くがいい。感じるがいい。
ここで怨霊なんてやってるよりずっと楽しいぞ。
久しぶりに酒でも飲もうじゃないか。わが友よ」
我を──私を──名前で。
ありがとう、友よ。
ああ、名前、忘れてたとか知らなかったわけじゃないんですね。
「そそそそそ、あたりまえじゃないですかやだー」
こうして怨霊は、怨霊として被害が出る前に終わった。
番外編 その⑧
正しさとは主観によって変動する 終わり
真実とは、歴史とは。
見たくない現実を見なければいけないとき。
知りたくない現実を知らなければいけないとき。
人はその人の在り方が出る。
次回 番外編その⑨
答え合わせ
この次もさーびすさーびすー




