50 藪を突いてエビが出た
前回のあらすじ
徹夜するボドウィン
泣き崩れるヒューバット
経営破綻のベルトッシュ
山田は一人満足
ヒューバットの策略に嵌まり、樹海で魔獣の調査をしていたシャジィルは、地面を蹴り付け全力で逃走していた。
「まったく、魔獣の類かと思ったら、まさかの魔物とはね。ヒューバットの奴、戻ったら酒の一杯や二杯じゃすまないよ」
「姉御!来やすぜ!」
部下の言葉通り、それは周辺の木々を薙ぎ払い、明け方の薄暗い樹海の奥からその巨大な姿を現した。
岩の様な頑丈な外殻と大きな鋏、黒一色の目玉を持った頭部が二つ。いうなれば双頭のエビだった。
それがやたら多い歩脚をわしゃわしゃ動かし、頭部に二本づつ計四本の鋏を振り回しながら、トラック二台分の質量をもって大地を駆けている。
「ちっ、ヒューバットが逃げ切れたと言うから甘く見てたが、随分速いじゃ無いか」
「これじゃ街に向かった奴らが戻るまでには、振りきれそうも有りませんね」
報告と移動用の足の確保の為に分けた、保険代わりの別動隊だったが、状況はその保険を当てにする事態に成りつつあった。
「取り敢えず樹海を出るよ、コイツが外でどの程度動けるか見てやろうじゃないか」
「了解っす」
樹海に住む生き物達はその適合領域から出ると、その力を減じる傾向にある。
中層の餓狼の場合だと、表層で弱体化、樹海外だと更に弱体化をする事になる。
故に深層の魔物なら樹海から出る頃には、大きな弱体化が起こる可能性もあった。
シャジィルとその部下達はそこに期待を掛けると、樹海の外を目指して走り続けた。
ベルトッシュを乗せた馬車は数騎の護衛と共に、樹海を遠くに眺めながら、明け方の街道をひたすら駆けていた。
金を持って逃げた従業員には、腹が立って仕方なかったが、背に腹は代えられず、命惜しさに今は別の街へ向け逃げ出していた。
街が遠ざかるにつれ、ベルトッシュの心情は恐怖から怒りへ変わっていく。
「ぐぬぅ、絶対許さんからな、ヤマダも儂を裏切った従業員も傭兵も、全員いずれ地獄へ送ってくれるわ!」
そう馬車の中で一人怒りを燃やしていると、御者席に繋がる小窓が開かれ、雇われたガラの悪い御者が顔を覗かせた。
「旦那、前方で傭兵が何か騒いでますぜ」
「あ? なんだ一体、こっちは急いでおると言うのに」
不満を漏らしながら側面の窓から顔を出して前方を伺ってみると、此方へ向かい手を振っている数人の傭兵が遠くに見える。
前方から駆けて来る傭兵達は、何やら大声で怒鳴っている様だが、遠くてよく聞こえない。
そのまま移動を続けると両者の位置は瞬く間に近づき、その顔までも判別できる距離になるとベルトッシュが目を見開いた。
「なっ!あれはシャジィル! まさかここで網を張っていたのか!」
山田と繋がりのある傭兵の出現に、最悪の展開を予想し顔を青褪めさせて居ると、御者が再度小窓から顔を覗かせる。
「何かあるみたいなんで、一旦止まりましょうか」
「と、止まるな! 止まれば皆殺しにされるぞ!」
「は?! どうして?!」
「説明している時間は無い!いいから押し通れ!」
御者はベルトッシュの剣幕に押され、馬に鞭を当てると、速度を増して一気に傭兵の脇を通り抜ける。
「引き返せ―――!死ぬ―――!」
その際、鬼の形相で傭兵が何か叫ぶが、御者は小さく悲鳴を上げそれを振り切った。
ベルトッシュは背後に置き去りになったシャジィルを見て、小さく安堵の息を吐く。
「そ、早々に捕まってたまるか、遠くの地で又再建を果たして見せるわい」
そう引きつった笑いを浮かべるベルトッシュの視界の端で、遠くに見える樹海の際が弾けた。
「は?」
思わず視線を向けた先には、木々を薙ぎ払いながら樹海から姿を現す、巨大な化け物の姿が見えた。
その遠くに見える化け物は、シャジィルを追って暫し直進したかと思うと、不意にその片方の頭が馬車へと向いた。
「おい・・・こっちを見るんじゃない」
走る馬車の中から遠ざかりつつある化け物へ、祈る様な呟きが漏れる。
しかしそんな願いも空しく、もう片方に頭も此方を向くと、数回シャジィルと馬車を見比べて、その視線は馬車へと固定された。
「「ギシャーーーーー!」」
そして奇声を上げた化け物は、ちっぽけな傭兵より興味を引いた馬車の方を、凄まじい勢いで追いかけ始めるのだった。
「なんじゃとーーーー!」
焦ったベルトッシュは、周囲の護衛を化け物の足止めに使う事にした。
「お前らは奴の気を引き時間を稼げ!」
しかし馬に乗って追従していた筈の、数名の護衛の姿が忽然と消えている。
「な、なんで居らん!」
首を巡らし前方を伺うと、全力で遠ざかる騎馬の背中が見える。
「も、戻らんか!このクソ共がぁぁぁ!」
「まじか、てめーら!」
ベルトッシュと取り残された御者が声高に叫ぶが、逃げ出した護衛の意思は固く、その背は次第に小さくなっていった。
「えぇい!走れ、とにかく全力で走れ!」
「わかってますよぉ!」
言われるまでも無く、御者は全力で馬車を走らせるが、状況は非常に厳しかった。
荷物を積んだ馬車を引く馬と、邪魔な木々の無い平地を走るエビでは、その速度に明確な格差を有し、両者の距離は瞬く間に詰まって行く。
「何をしておるか!速く、もっと速く走らせんか!」
「む、むりですよ、これで限界でさぁ!」
ベルトッシュが子供の駄々の様に、御者へ喚き散らすが、物理的な限界がそこにある。
ドンドン大きくなるエビに、恐慌を拗らせたベルトッシュ、近くに有った杖を拾うと御者へと振り上げた。
「急げと言っておるのが分からぬか!このグズが!この!この!このぉぉぉ!」
「がっ!や、やめて、下さ、あがが!」
恐怖を怒りに転化したベルトッシュは、興奮に顔を紅潮させながら杖を振り続けた。
「急げ急がんか!このグズが!なぜ儂の言う事が聞けんのだ!」
「わ、わかりやした・・・馬の速度を上げまさぁ」
「そうだ!さっさと上げれば良いのだ!このノロマめ!」
その言葉と共に振るわれた一撃を機に、御者は手綱を手繰ると御者台から立ち上がり、軽い身のこなしで馬へと飛び移る。
元々手癖の悪い生活をしていた彼は、小器用に裸馬の上で姿勢を整えると、背後のベルトッシュへと振り返った。
「では、かっ飛ばしますぜ」
「う、うむ」
御者の奇行に困惑した様にベルトッシュが返事を返すと、男は馬の顔を覗き込み、馬もわずかに首を捻り男を見上げる。
―――荷物、重い。
―――まかせとけ。
交差した視線を通じ二人は心を通じ合わせると、男はその手にナイフを、馬は足に力を溜める。
一呼吸後、男が馬の固定紐を全部切るのと、馬の馬力が爆発するのは同時だった。
「え?」
人馬一体の動きを見せ、一瞬で遠ざかる御者と馬を目にしたベルトッシュの口から、間の抜けた声が漏れる。
状況を理解し怒声が喉元を掛け上げるが、その言葉が口から飛び出る前に車体が地面を擦り、ガタガタと盛大に振動を始めた。
「あがががぁぁあ!」
激しく揺れる馬車は車体を軋ませながらも次第に速度を落とし、最後にはゆっくり横転するとその動きを停止した。
ベルトッシュは打ち付けた頭を押さえ、横転した車内で視界を上げると、出入りする為の扉が頭上に見える。
「に、逃げなくては!」
急ぎ扉に手を伸ばそうとすると、バキバキと音を立てて頭上の扉が、馬車の側面ごと巨大な鋏で切り取られて行く。
「ひっひぃぃぃ!」
腰を抜かしたベルトッシュが、車内から青空となった頭上を見上げて居ると、巨大な黒い目玉がぬっと覗き込んで来る。
「あひゃあ!あやややや!」
情けない悲鳴を上げベルトッシュは逃げ出そうとするが、四方を壁に囲まれ、それもままならない。
あわあわ言いながら車内で身を縮こまらせるて居ると、大きな鋏が周囲の壁板を押し壊しながら、強引にベルトッシュへと近づいてくる。
「来るな!やめないか、あぎゃ!は、はなせ!ぎひぃぃぃ!」
遂にベルトッシュへは腕を鋏に捕らえられると、ベキベキと骨を砕かれながら、ゆっくりと車外へと持ち上げられて行く。
そのまま腕一本で吊り上げられ二頭の眼前に晒されると、言葉の通じぬ魔物に対し悲鳴と懇願をひたすらに繰り返した。
「いひゃい!いひゃい!や、やめてぐれー!」
「ギィギィ」
エビは騒ぐベルトッシュを四つの目玉でギョロギョロと眺めて居たが、おもむろに一頭が鋏を使い彼の足を口元に運んだ。
「や、やめ! だれか!だれか助けてくれー!」
その動きに慌てたベルトッシュが盛大に抵抗するも、その爪先は軽々と頭部の割に小さな口で齧られる。
「ぎゃぁぁぁ!あしぎゃぁ!ぐわれるぅぅ!」
一かじり一かじり、サイズが違えばハムスターの咀嚼の様の動きで、ベルトッシュの体を齧り取って行く。
見ていた残りの頭も加わり、二頭のエビは競う様に小さな口をもぐもぐ動かし食事を楽しむ。
「ぎゃひぃぃぃ!ぐわれるだずげでーーー!ぐわれぎひひひぃぃぃ!いぎゃーねがいやめでーーー!」
ベルトッシュの助けを求める大きな叫びは、誰の耳のも届かず。
二頭の捕食者の行動に、なんの影響も与える事も無く。
結局その意識が消えるその瞬間まで、彼の絶叫は辺りに響き続いていた。
「ばかな事を・・・」
シャジィルは視線の先、警告も聞かず魔物の視界にその身を晒した愚かな馬車に、一言言葉を零す。
遥か遠くに見えるエビは馬車を襲った後、暫く周囲を見渡し他の得物が見つから無いとなると、来る時とは打って変わってゆったりした動きで樹海へ帰っていく。
「どうやら樹海を離れる気配は無いようだね」
街へ向かう懸念が消えて安心したシャジィルの言葉に、部下もほっと胸を撫で下ろす。
「なら当面の危険は無さそうっすね」
「あぁ、だがゆっくりとはしてられないよ。直ぐにギルド長へ報告して、対策を検討しないとね」
「おおごとに成りそうっすね、傭兵ギルドで大きな討伐隊が組まれるかも」
「それ処か領主も動くだろうよ」
「うへぇ、貴族様とお仕事って嫌なんすけど」
「ぼやくな、その分実入りも良いんだからな。・・・さぁ急いで戻るぞ」
休憩も終わりだと部下の尻を叩き、街への帰還を促すと再度樹海を振り返り、シャジィルその目を哀し気に細める。
「十年ぶりの魔物だな・・・・・・おやじ」
囁く様に零れたその声は、誰に聞かれる事も無く流れる風に溶けて行った。




