一年生-3
「ゲイル、そこ右! 右から冷気が漏れてるって!」
「分かってる分かってる!一ー集え大気の這う足よ、吹き荒べ。風!!」
放課後の地下特訓場。ゲイルが噛みそうになりながら呪文を唱えると、彼の指先から放たれた風の渦が、私の周囲から溢れ出そうとしていた藍色の冷気を強引に包み込んだ。
「……ふう! どうだ今の俺の風裁き! 我ながら完璧すぎて惚れ惚れしちゃうね!」
ゲイルが前髪をかき上げてニカッと笑うが、リリーはすかさず腕を組んでジト目を向けた。
「何言ってるの。今のはゲイルの風が遅かったから、リナの足元がちょっと凍っちやってる。ほら、そこ」
「けっ、本当だ! 靴の裏がガチガチになってるじゃん!」
慌てるゲイルを見て、思わずクスリと笑ってしまった。
初日の大暴走から一週間。私の強すぎる氷型の魔力を抑えるため、私たちは毎晩この地下室で特訓を重ねていた。リリーの鋭い勘で冷気の漏れを察知し、お調子者だけど器用なゲイルの風で冷気を一箇所に押し留める。
これが、居残り特訓の中で生まれた、三人だけの連携の第一歩だった。
「リナ、次は最初からネローの呪文の最後の音を、少し短く切って唱えてみろ」
「はい、やってみます!」
そしてそこにはなぜかロウガルド先生もいた。
地下室の使用許可をもらおうとしたところ、じゃあ俺も。と毎日の特訓に付き合ってくれている。
先生仕事しなくていいんですかと聞くと今やってる。と答えられてしまい結局何も言えずにいる。
教科書を握り直し、息を吸い込んだ、その時だった。
「あら、熱心ね。ネズミたちが薄汚い地下室で、一生懸命に呪文のお勉強?」
鉄格子の扉が開き、カツカツと高い靴音を響かせて入ってきたのは、燃えるような赤髪の少女一一フランメ・アリア・リュミヌーだった。
そのすぐ後ろには、美しいウェーブのかかった金髪を揺らした水型のリンダ・プロメッサ・クオーレが、袖口で鼻を覆いながら冷ややかな視線を向けている。
「リュミヌーにクオーレ……。お前らこんなカビ臭い地下室に何の用だよ?」
ゲイルがすっと私たちの前に立ち、お調子者な声を少し潜めて言った。
「用なんてないわよ。ただ、昼間の座学で平民用の安い教科書を必死に音読している姿が滑稽だったから、私たちが本物の魔法ってものを教えてあげに来たの」
「はあ? お前らも同じやつだろうが」
「たかが街娘が知ったような口聞かないでくれる?」
ゲイルとリリーが喧嘩腰で彼女を睨む。リュミヌーはカッと顔を赤くさせた。
「うるさいわね! 黙ってなさい! せっかく火型に生まれたっていうのに、家庭教師もつけられない下層の人間と同じ教室なんて、本当に反吐が出そうだわ。リンダ、見せてやってよ」
「ええ。小汚い村人さんたち、よく見ておくことね」
クオーレが美しい金の髪を靡かせる。彼女が紡ぐ呪文は、私たちのものとは比べ物にならないほど流暢で、歌うように美しかった。
「清き源流よ、集いて形を成せ。湧水」
私と同じ初級呪文。しかし、クオーレの放った魔法は、暴走することなく完璧な球体の水となって宙に浮かび、地下室のランタンの光を浴びてキラキラと輝いた。寸分の狂いもない、教科書通りの完璧な魔法。
「……すごい」
思わず息を呑んだ。自分が使えば大惨事になる呪文を、彼女は呼吸をするように扱ってみせたのだ。
「フン、これくらい水型なら基礎中の基礎よ。次は私の番ね」
リュミヌーが一歩前に出る。指にはめた大粒の魔石の指輪を見せつけるように突き出した瞬間、特訓場の空気が一気に跳ね上がった。
「燃え盛る赫き炎よ、我が敵を灰へ還せ。大爆炎!!」
轟音と共に、リュミヌーの放った巨大な炎の塊が、特訓場の的を木っ端微塵に吹き飛ばした。凄まじい熱風が私たちの髪を激しく揺らす。
圧倒的な火力。
ロスカ王国は魔力の扱いに長けた魔法使いが多いことで有名である。
「どう? 格の違いが分かった? セレネーレさん。あなたみたいに周囲を凍らせるしか脳のないお荷物は、さっさと荷物をまとめて村へ帰るべきよ」
リュミヌーが勝ち誇ったように笑う。クオーレも「泥汚れが移る前に、私たちは行きましょ」と、蔑むような目を向けた。
圧倒的な格差。言葉もないほどの挫折感が、胸を押し潰そうとした。
先生は腕を組んだまま何も言わない。私がどんな言葉を返すのかを見ているのだろうか。
悔しい。悔しい。何か言い返してやりたい。だめだ、このままだと二人は帰ってしまう。
「待ってよ!」
私は一歩前に踏み出し、リュミヌーの背中に向かって真っ直ぐに声を張り上げていた。
「確かに、今の私は魔法をうまく使えない。お荷物だし、迷惑ばかりかけてる。でも、だからって諦めるつもりはないんだから!」
二人が驚いたように振り返る。
「リュミヌーたちの魔法は凄い。でも、私も絶対に、自分の魔法を上手に使えるようになってみせるんだから!」
私の栗色の髪がまだ残る熱風で揺れる。
まさか言い返すとは思っていなかったのだろう。リュミヌーは一瞬、言葉を失った。
「……ふ、ふん! 言うじゃない。精々その安い雑巾を絞りながら、夜通し泣き言でも唱えていることね!」
リュミヌーはどこか調子を狂わされたように顔を赤くし、クオーレを促して、今度こそ足早に地下室から去っていった。
静まり返った地下特訓場。
「ーーぷっ、あははは! 見たかよ今の顔! 完全にテンパってたじゃん!」
ゲイルが耐えかねたように大爆笑する。
「リナ、よく言い返した。この調子なら普段の授業も安心だな」
先生がニヤリと笑って私の頭をガシガシと撫でてくれた。
そんな二人の様子を見ると、さっきまで冷え込みかけていた心が、不思議とあたたかくなっていた。




