三年生-18
次に目を覚ましたときは、白い天井とキラキラした照明が見えた。
しばらくぼーっとしていたが、先程まであったことが脳裏に蘇る。
がばりと勢いよく身体を起こそうとして、激しい目眩に襲われ、再びベッドに倒れ込んだ。
「おい、まだ動くなよ」
どこかで聞いたような声。横を見ると、東通りで薬屋を開いているあのコワモテの店主がいた。
周りを見ようと首を動かすとリリーやフランメ、リンダが気持ちよさそうに寝息を立てて眠っている。
「わたし、なにが……」
「お前ら黒絶華の胞子を吸っただろ。あのガキに感謝しろよ、あいつが無理やり俺を連れ出してきたんだからな」
店主は忌々しげに首の骨を鳴らし、手元にあるすり鉢で、強烈な刺激臭のする緑色の薬草をゴリゴリと潰し始めた。
「普通なら胞子が回って即死だ。だが、あのガキがお前らを抱えて俺の店に飛び込んできてここまで連れてきたんだよ。……まったく、老体に鞭打たせやがって」
その光景を想像し、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「あの、ゲイルは?」
「あそこでぐーすか寝てるよ」
店主が指を指す先には、ソファの上で鼻ちょうちんを膨らませているゲイルがいた。
服がめくれてお腹が見えている。
「それと騎士もだな。ここにいる全員をこの部屋まで運んでくれたからな」
「騎士って、エレーナさんですか?」
「誰だそいつ。いちいち顔なんか覚えてるか」
この人に聞いても無駄だ。
誰かはわからないが、私たちをここまで運んでくれたのもその人らしい。
まだいるかな。いるなら感謝を伝えなければ。
みんなを起こさないようにベッドから抜け出す。動くなっつってんだろと怒られたが、すぐ戻るので。と部屋から出た。
まだクラクラするし熱っぽい。壁づたいに歩いていくと、背後から声がした。振り返ると、アンドレさんが腕を組んでこちらを見下ろしている。
「あっ」
「君、もう体調は平気かい?」
「は、はい」
「全く、君たちの行動には驚かされるよ。夜中に鉱山に侵入するなんてな」
「すみません……」
「本当だよ。あの元王宮薬師がいなければ死んでいたかもしれないんだから」
もと王宮薬師? そんな人いたか?
私の顔で察したのか、アンドレさんはくすくす笑いながらこう言った。
「わからないか? 東通りの薬屋の店主だよ」
ーーあの、ボロボロで短気なおっさんのこと?
私の認識が間違っていなければそうだ。
王宮付きの職業なんて大陸中の優秀な人材のさらに優秀な人材でさえ就くのは難しい。
それほどまでに困難な職業なのだ。だからこそ、そこで働いている人は尊敬に値する。
ーーーーーー尊敬に、値する。
「うそおおお!!!」
実習一大きな声が出た。頭がとてつもなく痛んだ。
「なに? 大きな声が聞こえたけど」
「エレーナさん。彼女が目を覚ましましたよ」
「あら、おはよう。勇敢な魔女さん」
伯爵に話を聞き終えたらしいエレーナさんが戻ってきた。
もうすぐ帰るならこれだけは聞いておかなければ。
「あの、エレーナさんが私たちを運んでくれたんですか?」
「ん? 何のこと?」
さっきまでのことを話すと、エレーナさんが書斎にいる一人の男性を指さした。
「あなたたちを部屋まで運んでくれたのは彼よ。彼が倒れたあなたたちを最初に発見したの」
「あの人も、平民なんですか?」
「違うわよ。彼は公爵」
身体が固まった。公爵だって?
「騎士はね、国王陛下の前で自分の正義は誰のためのものかを宣言するの。もし王宮とか貴族関連のものだったら王宮騎士になって、それ以外だったら普通の騎士として各地に配置されるわ」
そうなんだ。全然知らなかった。
「彼はね、自分の正義は国民のためって言ったのよ」
その言葉を聞いて、目がパチパチと弾けたような気がした。
貴族はみんな平民には厳しいと思っていた。
学校でも実際そうだし。
貴族の騎士も平民には差別をすると信じ込んでいた。
でも、あの人は違う。
私は大きな勘違いをしていたみたいだ。
「感謝を伝えたいんでしょ? いってらっしゃい」
「え、え」
「早くしないと帰っちゃうわよ」
エレーナさんにグイグイと背中を押され、私はよろめいてその人の足にぶつかった。
うぅ、恥ずかしい。
「……大丈夫か?」
頭上から降ってきたのは、驚くほど低くて、心地よく鼓膜を揺らす声だった。
慌てて顔を跳ね上げると、すぐ目の前に端正な顔立ちがあった。切れ上がった涼やかな目元と、意思の強そうな薄い唇。騎士が羽織る黒い上着は、埃をかぶって少し汚れている。それが、彼がどれだけ必死に私たちを助けてくれたのかを物語っていた。
「あ、あの! ご、ごめんなさい……っ!」
心臓が早鐘を打つ。私は弾かれたように一歩下がり、勢いよく頭を下げた。ぶつかってしまった無礼と、さっきまで彼を平民だと思い込んでいた身勝手な偏見が混ざり合って、顔がカッと熱くなる。
「いや、怪我がないならいい」
彼は小さく息を吐くと、 すっと視線を下げて私と目を合わせた。その瞳には、学校の貴族生徒たちが平民に向けるような、あのゴミを見るような冷たさは微塵もなかった。ただ静かで、深い湖のような穏やかさがある。
「エレーナから聞いた。君たちが犯人を突き止めたそうだな。……よく頑張った」
その言葉に、胸の奥がツンと痛んだ。
小さい頃から、貴族は誰も助けてくれないと思っていた。平民の私たちが何を訴えたところで、高貴な身分の方々は鼻で笑って終わりなのだと、ずっと、そう諦めていたのに。
「あ……ありがとうございました」
絞り出すような声だった。でも、これだけは絶対に伝えなければいけなかった。
「私、たち……途中で倒れちゃって……。でも、あなたが助けてくれたって聞きました」
ぎゅっと拳を握りしめ、必死に言葉を紡ぐ。
「平民のために動いてくれる貴族様なんて、いないと思っていました。……本当に、ありがとうございました!」
もう一度、深く頭を下げる。視界が涙で少しだけ滲んだ。
静寂が部屋に満ちる。
お礼の言葉が、身分違いの無礼にあたらなかっただろうか。そんな不安が頭をよぎった瞬間、カサリ、と衣擦れの音がした。
驚いて顔を上げると、騎士の大きな手が、私の頭にそっと置かれていた。
「私はただ、自分の誓いに従っただけだ」
彼は少しだけ目元を和らげ、 酷く不器用そうに、でも優しく私の髪を撫でた。
「私の剣と正義は、理不尽に泣く者のためにある。君たちが平民だろうと、関係ない」
その手の温もりと、真っ直ぐな言葉が、凍りついていた私の心をじんわりと溶かしていく。この人は本物だ。国王陛下の前で「国民のために」と宣言した、その言葉に偽りはないのだと、確信できた。
「……さて」
騎士は手を離すと身を翻した。
「君たち傷が癒えるまでゆっくり休むといい。エレーナ、あとは頼んだぞ」
「ええ、任せてちょうだい。お疲れ、公爵様」
エレーナさんが頼もしく胸を叩く。騎士は最後に私をもう一度だけ振り返り、小さく頷いて部屋を後にした。カチリと扉が閉まる音が、妙に名残惜しく響く。
「……ふふ、完全に心臓を撃ち抜かれちゃった顔ね?」
背後からニヤニヤとしたエレーナさんの声が聞こえ、私は我に返って飛び上がった。
「な、何言ってるんですか、エレーナさん!?」
「だって、顔が真っ赤よ? まあ、あんなに格好良くて優しい騎士様だもの、無理もないわよね」
エレーナさんの言葉に、私の心臓が跳ねた。
あの騎士様の姿が、今もはっきりと浮かんでいる。視界がキラキラして、かっこよくて。一目惚れという感覚に近い気がする。
あの人みたいになりたい。
やりたいこともわからず、何のために魔法学校に入学したのかも考えようとしなかった私は、生まれて初めて「誰かの力になりたい」と強く願っていた。




