三年生-17
最悪だ。
ここには騎士も、アンドレさんもいない。もし襲われたら学生の私たちでどう対応する? いやそれより貴族に手を出したことで裁判にかけられるかも。
張り詰めた空気の私たちとは対照に、伯爵は不思議そうに首を傾けた。
「おや、君たちは?」
「……私たちは、実習に来た者です」
「それはそれは」
まるで初めて会ったかのような目で見られた。一回会ってるよ。
アルベルト・フォーン伯爵は、くすくすと低く笑った。フランメの放つ魔法の炎が、彼の端正な横顔に不自然な影を落としている。その目は確かに私たちを捉えているはずなのに、焦点がどこか遠くを結んでいるように見えた。私たちがよく見る鋭く傲慢な貴族の眼光ではない。まるで子供のような、虚ろで、それでいて純粋な視線。
「伯爵……このような場所で、一体何をされているのですか?」
私は声が震えるのを必死に抑えながら、一歩前に出た。背後でリリーが私の服の裾をぐっと引っ張る。刺激するなという無言の合図だ。
「何、か。……ああ、そうだ。私は探しているのだよ」
伯爵は黒いマントを翻し、再び壁のほうを向いた。その手には、古びた、しかし不気味な文様が刻まれた掘削用のツルハシが握られていた。だが、私たちが見せてもらっていた物とは異なり、大槌のような形をしている。一撃で岩盤を粉砕するほどの魔力を帯びた武器だ。
「大切なものを、ここに隠したはずなのだ。だが、思い出せない。掘っても、掘っても、出てくるのはただの石ころばかりだ」
彼は狂気じみた手つきで、再び壁に大槌を打ち付け始めた。凄まじい破砕音とともに、鉱山全体が小刻みに揺れる。天井からパラパラと土砂が降ってきた。
……おかしい。アンドレさんや町の人が言う彼の姿とは程遠い存在が、私ちの目の前にはいる。彼は本当に「彼」なのか?
あの厨二病まみれの日記には、悪魔と友達になってみたい。という言葉があった。そしてオカルト本に書いていた悪魔召喚の魔法陣の試し書きも。
もしかしたら、もしかしたらだけど。
「ねえ、そこの君」
突然、伯爵がピタリと手を止め、振り返った。その視線は、私のすぐ後ろで身を固めているリリーへと真っ直ぐに向けられていた。
「君は、知っているね? 私が何を埋めたのか」
伯爵の目が、爛々と、獲物を見つけた肉食獣のように輝いた。ゆっくりと大槌を引きずりながら、彼は私たちの方へと歩を進めてくる。一歩、また一歩。
「ひっ……」
誰かの短い悲鳴が響いた。騎士も、アンドレさんもいない。暗闇の廃鉱山、退路は一本道。狂える貴族を前に、私たちは何ができるだろうか。
伯爵が狂気的な笑みを浮かべ、大槌を引きずりながら迫ってくる。
フランメの放つ炎が、伯爵の影を不自然に大きく壁に映し出した。
――影が、蠢いている?
伯爵自身の動きとは明らかに違う。彼の背後でのたうつ黒い影には、ぎょろりとした「第三の目」が浮かび上がっていた。
これは、間違いない。
「みんな! 伯爵に悪魔が取り憑いてる!」
私の叫びに、全員の目の色が変わった。相手が貴族なら今からすることは罪になる。だが、相手が魔物なら話は別だ。学生とはいえ、私たちは魔法が使える。やるべきことは一つしかない。
「下がって! 炎よ、道を照らせ!」
まずはフランメが、大気を焦がすほどの激しい魔力を解放した。眩い光と熱波が、伯爵の背後に潜む悪魔の影を色濃く炙り出す。光を嫌った悪魔が、伯爵の身体を乗っ取ったまま鋭い悲鳴を上げた。
「 凍らせよ!」
すかさず地面を凍らせる。伯爵の足元から一瞬で氷の刃が這い上がり、その両足を冷徹に縫い付けた。動きを完全に封じられた伯爵――いや、悪魔が激昂し、大槌を振り下ろそうとする。
「咲き誇れ!」
そこへリリーが応戦した。鉱山の硬い岩盤を突き破り、無数の頑強な蔦と大輪の花が咲き乱れる。蔦は伯爵の手首をがんじがらめに縛り上げ、大槌をその手から叩き落とした。
「リンダ、ゲイル! 」
「任せて! 穢れを流す清らかな水よ!」
「吹き荒べ、引き剥がす烈風!」
仕上げに動いたのは、リンダとゲイルだ。
リンダが放つ激しい高圧の水流が、伯爵の身体を優しく包み込みながら、悪魔の障気だけを浮かび上がらせる。そこへゲイルが、すべてを切り裂くような鋭い旋風を叩き込んだ。
激しい水と風の合体魔法が、伯爵の肉体から、ついに真っ黒な悪魔の本体をズズズ……と引き剥がしていく。
「グガァァァァッ!」
引き裂かれるような絶叫とともに、黒い影が伯爵の背中から完全に剥がれ落ちる。
フォーン伯爵の足元から、どす黒い魔力の奔流が噴き上がった。
それはただの魔力ではない。鉱山が何百年もかけて蓄積してきた、大地の怨念にも似た濁った魔力だった。
「がはっ……!? んあぁあああッ!」
伯爵の口から、人間のものではない咆哮が漏れる。
膨れ上がる魔圧に押され、ゲイルがたまらず後方へ飛び退いた。鉱山の壁がベキベキと音を立ててひび割れガタガタと激しく震え出す。
「はは、あはははは! すばらしい、すばらしいぞ! これがこの地の本当の力だ!」
ゲイルが進む伯爵の突進を紙一重でかわした。ごう、と風を切る凄まじい風圧。伯爵の振るった腕が壁を粉砕し、瓦礫が飛び散る。
正気を失った伯爵が、再びゲイルへ向けて跳躍する。
その瞬間、リリーがツタで絡め取ったツルハシを伯爵の影を断ち切るように投げつけた。
パキィン! と高い音が響き、伯爵の影が一瞬だけ、細く歪んだ。
「今よゲイル!」
「おっしゃあッ!」
ゲイルの身体が、弾かれたように地を滑る。
肉眼では捉えきれないほどの速度で放たれたつむじ風の一閃が、歪んだ伯爵の影を、地面のひび割れごと深く切り裂いた。
ブツン、と何かが千切れる精神的な音が室内に響き渡る。
「な……が、あ、あああぁぁあッ!?」
次の瞬間、フォーン伯爵の絶叫が上がった。
足元からの魔力供給を完全に断たれたことで、行き場を失った体内の過剰魔力が、一気に逆流を始めたのだ。悪魔が内側からの圧力に耐えかねて、パキパキと音を立てて砕け散っていく。
「我が力、我が、我が鉱山がァアッ!」
伯爵は床に崩れ落ち、激しく血を吐き出した。悪魔は引き剥がせたものの、その肉体はすでにボロボロで、立ち上がるどころか指一本動かすことすらできないようだった。
悪魔は断末魔の悲鳴とともにゲイルの風の檻の中に封じ込められ、鉱山内にようやく静寂が戻る。
「……終わった、のよね?」
フランメが明かりの魔法を小さく灯し直すと、そこには頭を押さえてよろよろと立ち上がるアルベルト・フォーン伯爵の姿があった。
「おや……? 私は一体ここで何を……。む、君たちは? 私は確か、新しい魔法陣の研究中で……」
伯爵はきょとんとした顔で、自分の泥だらけのマントを見つめている。どうやら悪魔に取り憑かれてからの記憶を綺麗さっぱり忘れているようだ。
そのことを考えると、彼はずいぶん前から悪魔に意識を奪われているみたいだ。
「フランメ、よかったね」
「え?」
「伯爵が犯人じゃなくて、よかったね」
リリーがフランメに笑いかける。姿は伯爵であれど、実際は悪魔が取り憑いて伯爵を操っていただけ。つまり、伯爵本人の意思でこの事件を引き起こしたわけではない。
その方面には明るくないのでわからないが、きっとそれほど重い罪は課されないだろう。
フランメの悲しそうな姿を見ていたので、私はそれがすごく嬉しかった。
意識を取り戻した伯爵は泥まみれの私たちを心配して魔法で綺麗にし、ついでに怪我も治してくれた。確かに平民にも優しい貴族である。
そうフランメに微笑みかけた。
暗がりでわからないが、フランメは先ほどから一点を見つめている。
視線の先を辿ると…………ゲイル?
もう一度フランメの顔を見る。顔が真っ赤だ。いや、炎が顔に映ってそう見えるだけかもしれない。
どうしたんだろう。
さて部屋に戻ろうと動き出した時、視界の端が歪んだ。
地面とやけに距離が近い。
ゲイルが名前を叫んでいるのが聞こえる。
空気がうまく吸えない。吸おうとしても喉が焼けるように痛い。
頭が誰かに揺さぶられているようで気持ち悪い。
一体なにが起きた。
視界が霞み始めたとき、石を蹴るような固い音が聞こえた。




