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【土御門晴親の苦悩】〜怪体新書録〜  作者: kawa


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2/3

 弟子たちによる五色の重注連が完成し、周囲三百歩が外界より切り離された。

  

 懐から六枚の呪符を抜き放ち宙に散らす。

 

 両手の印を結ぶ。


 紙面から白い燐光(りんこう)が溢れ出る。

 

 符に封じられし式。

 「狐火」「水龍」「鉄甲」「飛燕」「地蔵」「雷鼓」の六体が、確たる重みを持ち顕現した。

 

 弟子たちもまた式を織り、師の背後に陣を敷く。


 精鋭たちが織り成す幾重もの術式の網。


 その数、六十。――万全の、布陣


 *


 夜気は、凪いでいた。


 老いた目が、闇に漂う気の流れの――その一筋の綻びを、捉える。


 目を凝らさねば判らぬ。

 糸目ほどの、ほつれであった。


 されど、ほつれは見るうちにも口を広げてゆく。


 あてどなき気の流れが、いつしか向きを揃え、一点へ、一点へと吸い寄せられてゆく。


 流れはやがて勢いを得、濁流となりて虚空の一処へ押し寄せた。

 

 渦を巻きながらり、凝りながら固まりて、ついには一個の塊と化す。


 塊は、いつしか(こぶ)のごとく膨れ上がり――そして、弾けた。


 闇が、裂ける。


 裂け目より、猿の頭部が、ぬっと、覗く。

 

 否――猿に似て、猿にあらざるもの。


 赤い、双つ(ふたつ)の瞳。


 瞳孔は、人のそれにあらず。

 縦に、細く、一線に裂けている蛇のもの。


 背を、悪寒が這うた。


 血の、濁る心地。骨の髄より冷えてゆく。


 そして――声。


 裂け目の奥より、細く、長く、尾を引いて一声が滑り出た。


 鳥のごとく、人のごとく、しかしそのいずれでもない。


 凪いでいたはずの夜気が、その一声に、ことごとく濁った。


 裂け目より、太き前脚が突き出る。


 虎の脚であった。


 爪は人の指ほどに反り返り、その先より、黒き膿が糸を引いて滴る。


 膿の落ちし石畳は、じゅう、と音を立てて爛れ、爛れた石より、瘴気が細く立ちのぼる。


 先の夜気の濁りが、いまや目に見ゆる毒となりて、地を這いはじめた。


 巨虎の脚が、地を踏む。


 もう一脚。


 さらに一脚――異形は、おのれの重みを闇より引きずり出すようにして、ついに総身を露わにした。


 背後にひと筋、太きものがうねっている。


 尾――否、尾の長さに伸びた、一匹の蛇であった。

 

 鎌首をもたげ、別の生き物のごとく、それ自身が闇を舐めている。


 その身の丈、三丈余り。


 異形が、おのが重さのすべてを地に預けたとき――羅城門の跡地が、跳ね上がった。


 *

  

 黒雲がにわかに渦を巻き幾筋もの紫電が(ほとばし)る。


 それは、鵺が喉を鳴らすたびに雷霆(らいてい)となりて地に降り注いだ。


 


 ――轟雷(ごうらい)



 

 弟子の一人が、悲鳴すら上げず黒焦げとなりて崩れ落ちた。

 

 刹那の、出来事。


 それぞれの顔から、人の色が消え失せてゆく。

 

 「――気反(きたん)の法。魂を泥に落としてはならぬぞっ」


 裂帛の気合いを放ち士気を繋ぎ止める。

 

 温存など、できぬ。

 

 両手の指を絡め合わせ、五行の相克を為す『反閇(へんばい)』を、地を割らんばかりに踏み鳴らす。

 

 「――急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう。陣頭。鉄甲、玄武の盾、成れ」

 

 鉄壁と武を司る式。


 名を鉄甲。


 巨大な亀が、鉄の鎧を纏い鵺の正面に立ち塞がる。

 

 鵺が、のそりと動く――。


 虎の前脚が、無造作に鉄甲へと振り下ろされた。

 

 山塊が激突したかのような轟音。


 鋼の甲羅が火花を散らす。

 

 ――堪えた、か。

 

 亀裂の入る音が、聞こえた。


 虎の爪がゆっくりと沈み込み、めりめりと音を立てながら甲羅がひしゃげていく。

 

 そして、断末魔の悲鳴。

 

 鉄甲が、朱砂(しゅさ)を吐き出しながら紙片となり散る。

 

 ――だが、その光景に戦慄する暇すらない。


 すかさず結び手を解き、印を水火の離へと結ぶ。

 

 「狐火、水龍、離宮より出でて双牙と化せ」

 

 鉄甲が散った間隙を突き、青白い炎が鵺の視界を奪う。その死角から迫るは、水龍。


 ふと、猿の顔が、煩わしげな表情を浮かべたように、見えた。

 

 刹那――


 暴風が巻き起こり瓦礫が吹き飛んできた。

 

 咄嗟に顔を庇う。

 

 女の泣き声のような残響が耳朶(じだ)を打つ。

 

 ――何が、起きた。

 

 鵺の周囲には、深い溝が刻まれていた。


 その尾、先端の大蛇の牙には朱に染まった紙片が張り付いている。

 

 尾を、振るったのか。


 一撫で。

 

 目で追うことすら叶わず、2体の式が消え去った。

 

 何も、感じてはならぬ。

 臆してもならぬ。

 進め。

 

 「飛燕、天網を敷け。雷鼓――」

 

 猿の口が、ゆっくりと裂け開いた。


 その喉の奥では、赤黒い光が脈動している。

 

 ――不味い。

 

 式への命令と鵺の咆哮は、同時。


 耳を、塞ぐ。

 

 赤子の喉を引き伸ばし、笛に仕立てたかのような妖音が耳を(つんざ)く。


 聴くものを狂わせる絶叫が、場を圧するように響き渡った。 


 五色の重注連――赤と白の縄が、弾け飛ぶ。  


 式たちは踊り狂うように絡み合いながら、地に落ちた。

 

 「がっ……」


 視界が霞み、胃の中身が喉元まで迫る。

 

 崩れ落ちるように膝をついた。

 

 左耳の奥で何かが弾け、血が滴り落ちる。 


 ぽたぽたと。

 地面に赤い斑点が広がってゆく。

 

 顔を、上げる。

 それだけの動作が苦しい。

 

 辺りを、見渡す。

 

 ――地獄絵図。

 右翼、左翼の弟子たちが、耳と目から血を流し地に伏していた。

 

 老いた膝が、震える。


 死を、悟っていたはずであった。

 

 「……ひっ」


 唇から、情ない音が漏れる。


 五十余年の戦の中にて、一度も口にせぬ響き。

  

 猿が、再び口を開ける。


 また、あれがくるのか。

 

 怖い。怖い。

 

 ――「師様っ」

 

 誰、だ。

 

 符を両手に掲げ此方に走って来る者がいた。


 名は、思い出せぬ。

 

 いや、知っていた。


 不器用だが真面目な若者。たしか――

 

 轟音。

 

 若者が、木の葉のごとく宙を舞う。


 くるくると鮮血を散らす様を、ただ呆然と、見つめていた。

 

 己は。


 まだ、生きていた。

 

 ああ、そうか。


 ――地蔵。


 最後に残った式が両手を広げ、己を庇い立てていた。

 

 守りのためだけに存在する盾の式。


 若き日に手探りで作り上げた最初の式神であった。

 

 巨大な影が、地蔵を覆い隠す。


 幼子の如き顔が、ゆっくりと、此方を振り向く。


 その目からは朱が溢れ、まるで――すまぬ、とでも言うように。

 

 胴には、深々と爪が突き刺さっていた。


 そして、真横へと薙ぎ払われる。

 

 朱に染まった紙片の一部が、顔に、びたりと張り付いた。

 

 ――全て、散った。


 もはや、何も、なかった。

 

 ふと、胸のあたりがざわつき、懐を弄る。

 

 取り出したのは呪符ですらない。


 文箱から出し忘れた、孫娘への手紙。

 

 そうか、出し忘れておった。

 

 ――否。


 出せなかったのだ。

 

 「……すまぬ」


 誰に詫びているのか、己でも分からず。

 

 巨大な死が、地を揺らしながらゆっくりと、眼前に立つ。

 

 巨木の如き前脚を、高く、高く、振り上げてゆく。

 

 暴風が、頬を撫でた。

 

 目を、静かに閉じる。

 

 孫娘の笑った顔が瞼の裏に浮かぶ。

 『じいじの描く式神はへたくそだねぇ』

 

 ――ああ。 


 本当に、へたくそであった。

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