知らない再会
久しぶりに戻ってきた、いつもの場所。
また会えると信じていた、大切な少女。
しかし、穏やかな再会を待っていたリリのもとに届いたのはあまりにも残酷な知らせだった。
誰も知らない真実を前に、物語は動き始める。
日が昇り、静かな風が吹き抜ける朝。
冒険者ギルドの扉が開いた。
「おはようございます。」
明るく響いた声に、受付にいた職員たちが顔を上げた。
入口に立っていたのは、いつもの制服に身を包んだリリだった。
「リリさん!もう大丈夫なんですか?」
「ええ。心配かけてごめんね。」
後輩職員の言葉に、リリはにこりと笑って答えた。
久しぶりに立つ、いつもの場所。
様々な情報が貼られた掲示板。冒険者たちが集まる談話スペース。受付の向こう側で慌ただしく動き回る職員たち。
何も変わっていない。
それが、なんだか少し嬉しかった。
「無理はしないでくださいね?まだ本調子じゃないんでしょうし…」
「ううん、もう大丈夫。ちゃんと元気だから。」
「本当かなぁ……。」
「本当だって。」
そんなやり取りに、周囲から小さな笑い声が上がる。
リリもつられて笑った。
自分がいない間、ここでどんなことがあったのか。
聞きたいことはたくさんある。
けれど、まずは仕事だ。
久しぶりの受付業務に気合いを入れ、リリがカウンターの内側へ入ろうとした、そのときだった。
「リリ!帰ってきたのね!」
声の主の方に目をやると、今まさにイヴが飛びついてきている所だった。
「わぁ!?」
「良かった…心配したんだから…。」
イヴに抱きしめられ、身動きが取れなくなるリリ。
そんなリリに構うことなく、イヴはりりを抱きしめ続けた。
「い、イヴ……いたいよ……。」
「あ、ご、ごめん!つい…。」
リリの言葉に慌てて離れるイヴ。
そんな彼女を見て、ふふっとリリは笑う。
「心配かけてごめんね。もう大丈夫だから。」
「ほんとよ!もうこれっきりにしてよね!」
ごめんごめん、と笑いながら答える。
自分の事を、こんなにも心配してくれる人達がいる事実に少し心が暖かくなった。
そんなリリを見て、イヴは得意気な顔をした。
「いない間に色々あったのよ。貴女が気にかけてたリュカって子、もう戦闘訓練も終えたんだから。」
「え……っ?は、早過ぎない?」
「あの子、凄いわね。才能だけなら貴女以上かも知れないわ。」
驚いた顔をしているリリに、笑って答えるイヴ。
「あれ、3ヶ月はかかるわよね…?」
「才能もあるけど…あの子、相当頑張ってたからね。貴女も褒めてあげてよね。」
まるで自分の事のように笑顔で語るその姿に、リリはリュカの居場所がまた1つ増えた事を感じて微笑身を浮かべた。
その横で、また後輩職員が何かを思い出したように声をかけた。
「あ、そういえばリリさん。」
「ん?何?」
「リュカちゃんも、リリさんの事心配してましたよ。」
「え…そうなの?」
「はい。リリさん、いつ戻ってくる?って。何度か聞かれましたよ。」
「そうそう!あたしも訓練中に聞かれたわ。」
「……そう、なんだ……。」
思わず、頬が緩んだ。
ギルドに居ない間、リュカも自分のことを気にかけてくれていたらしい。
そういえば自分が街に帰還したとき、出迎えてくれた群衆の中にリュカの姿を見た覚えがある。
まだ出会ってから、それほど長い時間が経ったわけではない。
それでも、あの少女が自分を心配してくれていたという事実は、素直に嬉しかった。
「そっか……。心配してくれてたんだ。」
「リリさんも、リュカちゃんに会いたいでしょう?」
「もちろん。早く会いたいわ。」
「お気に入りですよねえ……確かにあの子、可愛いです
けど。」
後輩の言葉に、リリの顔つきが変わった。
「可愛いなんてもんじゃないわ。あのもふもふな尻尾…大きな耳…自信の無さそうなあの顔…何より私に懐いてくれてる所…すっごく可愛いんだから。」
リリの真剣な目に、また笑いが起こる。
リリもまた、その空気につられて笑った。
「もし私が外してる時にギルドに来たら、もう大丈夫って事と、また顔を見せるねって伝えておいてもらえる?」
「はい、分かりました。」
「ありがとう。」
そう言って、リリは微笑んだ。
会ったら、何を話そう。
きっと、あの子は少し得意げな顔をして一生懸命に話をしてくれるのだろう。
そんな姿を想像すると、自然と頬が緩んだ。
「……あれ?」
ふと、思い出したように後輩が時計を見上げた。
「おかしいな…。」
「どうしたの?」
「いえ…リュカちゃん、いつもこの時間にはギルドに来て仕事を探すか訓練してるかなんですけど…まだ来ないですね。」
「そう…。寝坊してるのかしら?」
「うーん…まあ、きっとそうですよね。」
「頑張ってたってイヴも言ってたし。疲れてるのよ。」
リリはそう言って、受付に入った。
「じゃあ、久しぶりの仕事頑張って。あたしも訓練所に戻るとするわ。」
「ええ、ありがとうイヴ。またね。」
訓練所へと戻っていくイヴを見送って、受付の書類の山に目を向けるリリ。
その直後だった。
「報告します!」
勢いよくギルドの扉が開き、一人の冒険者が駆け込んできた。
息を切らし、額には汗が浮かんでいる。
ただ事ではない様子に、ギルド内のざわめきが少しずつ収まっていった。
「どうした?」
近くにいた職員が声をかける。
「街道で、冒険者が倒れているのを保護しました!」
「冒険者が?」
「はい!…獣人の少女です。意識がなく、容体もかなり危険な状態で……!」
その言葉に、周囲の空気が変わった。
「すぐに医療棟へ運んだのか?」
「はい。先に保護していた者たちが搬送しています。今、応急処置をしている所で…!」
「分かった。詳しい状況を報告してくれ。」
職員が冒険者を促す。
その様子を見ていたリリは、胸の奥に小さな不安を覚えた。
獣人の少女。
意識がない。
容体が危険。
ただの偶然だと、そう思いたかった。
けれど、嫌な予感が頭から離れなかった。
「……その子、どんな子なの?」
気づけば、リリは尋ねていた。
冒険者が振り向く。
「え?」
「保護した子です。どんな子だったんですか?」
自分でも、どうしてそんなことを聞いたのか分からなかった。
ただ、胸騒ぎがした。
冒険者は少し考えてから答えた。
「……灰色の髪をした、狼の耳と尻尾を持つ少女です。」
リリの顔から、すっと血の気が引いた。
「……え?」
聞き間違いだと思った。
そんなはずはない。
だって、ついさっきまで。
「……その子の名前は?」
引きつった笑みを浮かべながら、リリは問う。
体が、自然と受付からその冒険者の方へと向かっていた。
自分の声がひどく遠く聞こえた。
冒険者は答える前に、一度だけ息を整えた。
「…身元の確認は、これからですが……本人の所持品から、リュカ・グレイという名前が確認されています。」
「…………っ」
リリの表情から、完全に笑みが消えた。
「……リュカ、ちゃん?」
かすれた声が漏れる。
膝から力が抜けそうになった。
つい先ほどまで、また会えることを楽しみにしていた少女。
自分の帰りを待ってくれていたという、あの子。
リュカちゃんが。
街道で倒れていた?
意識がない?
「ど、どういうこと……?」
言葉がうまく出てこなかった。
冒険者に詰め寄り、リリが叫ぶ。
「医療棟のどこにいるの!?病室の番号は!?」
両手で彼女を制するようにして、冒険者が答える。
「落ち着いてください!集中治療室です!まだ処置の途中ですから……!」
その返事を聞くや否や、リリは駆け出した。
入口を出て、医療棟へと走る。
どうか、命だけは助かって。
それだけを祈りながら、リリは医療棟の門を駆け抜けた。
唖然とした冒険者達と、心配そうに目を向ける職員達がリリの行く末を眺めていた。
集中治療室。
医療部隊の静止を振り切り、扉を開けた瞬間リリは息を呑んだ。
「───っ!」
ベッドの上に、小さな少女が横たわっていた。
銀灰色の髪。
髪と同じ色をした大きな狼耳。
見慣れた尻尾。
間違いない。
リュカだった。
「……リュカ、ちゃん……?」
呼びかけても、返事はない。
リュカの身体には包帯が巻かれ、腕には点滴の管が繋がれている。呼吸を助けるための器具や、容体を確認するための医療器具も取り付けられていた。
頭にも、痛々しい包帯が巻かれている。
顔色はひどく悪く、唇からは血の気が失われていた。
そして、かすかに上下する胸。
「……っ、は……っ、はぁ……っ!」
苦しげな呼吸音が、医務室に響いていた。
それは、息をするだけでも精一杯だと言わんばかりの弱々しい音だった。
「……うそ……。」
リリの足が止まった。
目の前にいるのは、確かにリュカだ。
けれど、いつものリュカとはまるで違う。
嬉しいことがあれば尻尾を揺らし、悲しい事があると尻尾を丸める。少し恥ずかしいことがあれば耳を伏せる。
表情はあまり変わらないけど、耳や尻尾で感情を伝えてくれる可愛い女の子。
リリが知っているリュカはそんな子だった。
それなのに。
今のリュカは、ぴくりとも動かない。
「……リュカちゃん?」
もう一度、名前を呼んだ。
返事はない。
「ねえ……聞こえる?」
そっと近づき、顔を覗き込む。
目を閉じたまま、リュカは苦しげに息を繰り返していた。
「リュカちゃん……!」
思わず声が大きくなる。
けれど、反応はなかった。
リリは震える手で口元を覆った。
ついさっきまで、また会えると思っていたのに。
こんな事があっていいのか。
「……っ。」
喉の奥が詰まった。
目の前が滲みそうになる。
けれど、泣いている場合ではなかった。
今は、リュカがどうなっているのかを知らなければ。
リリは近くにいた担当の職員に、震える声で尋ねた。
「……リュカちゃんは……大丈夫、なんですか?」
職員は、すぐには答えなかった。
リリの表情を見てから、慎重に言葉を選ぶ。
「……現在、できる限りの処置を行っています。ただ、かなり危険な状態です。まだ、安心できる段階ではありません」
「……そんな……!」
「今は、容体が落ち着くことを祈るしかありません。」
リリは何も言えなかった。
まだ安心できない。
その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
リュカが。
あの、小さなリュカが。
命が危うい状態で、ここにいる。
どうして……?
リリは、ゆっくりと踵を返し、集中治療室を後にしようとした。
それでも、目の前の少女から目を離せなかった。
そこに、1人の職員が歩いてきた。
彼はリュカを一瞥し、眉をしかめた後、リリに向き直った。
「…リリさん。ギルド長がお呼びです。」
「……え?」
「今回の件について詳しい報告を受けると。同席して欲しいとの事です。」
「……そう……分かったわ。」
職員の言葉に、一瞬迷いながらも。
リリはギルドの方へ目を向け、歩き出した。
一方、ギルドでは、リュカを発見した冒険者から詳しい報告が行われていた。
報告の場にいたのは、発見者である冒険者、ギルド長のダリウス・エルグレン、数名の腕利きの冒険者、そして報告を補佐する職員たちだった。
リリが医務室へ向かったあと、ダリウスは彼女の様子を気にかけながらも、まずは事態の把握を優先していた。
普段は柔らかな物腰で、誰に対しても穏やかに接する男だ。
若くしてギルド長に抜擢された彼は、経験豊富な冒険者たちからも一目置かれている。
いつも深く被っている帽子の下からは、その目元を窺い知ることが難しい。
だが、今の彼はいつものような笑みを浮かべてはいなかった。
「……では、改めて確認しよう。彼女が発見されたのは、街道のどのあたりだ?」
「街の北側、森の入口のすぐ近くの場所でした。」
「周辺に魔物の姿は?」
「確認できませんでした。少なくとも、私たちが到着した時点では何も。」
「そうか……。」
ダリウスは腕を組み、しばらく考え込んだ。
街道は、街と周辺の集落を結ぶ重要な道だ。
冒険者や商人、旅人たちが頻繁に行き交う場所であり、定期的な巡回も行われている。
もちろん、魔物が絶対に出現しないというわけではない。
しかし、森の奥と比べれば危険は極端に少なく、普段から大規模な戦闘が起きるような場所でもなかった。
そんな場所で、冒険者の少女が瀕死の状態で発見された。
不自然と言うほかなかった。
「……妙だね。」
ダリウスが呟く。
冒険者達もそれに頷く。
「魔物の姿がなかったこともそうだけど、そもそもあの比較的安全な街道で何があったのか…?彼女は、何故あんな状態で倒れていた?」
その時、会議室のドアが静かに開いた。
そこに立っていたのは、医療棟から帰ってきたリリだった。
「やあ、おかえり。呼び出してすまないね。」
笑顔を向けながらダリウスは言う。
対照的に、リリには笑顔の欠片も無かった。
「……いえ。報告は?」
「今、再度確認しているところだよ。彼女がどこで倒れていたとか、周辺の状況からだね。」
「……分かりました。続きからお願いします。」
空いていた椅子に座り、報告をしていた冒険者に目を向けるリリ。
そのあまりにも鋭い目つきに、思わず冒険者から喉を鳴らす音が聞こえた。
「では、続きから……。」
「うん。宜しく。」
ダリウスの言葉に、冒険者は慎重に続けた。
「彼女が倒れていた場所の近くに、巨大な足跡が残されていました。」
その言葉に、場の空気が変わった。
「巨大な足跡?」
「はい。普通の獣のものとは考えにくい、大きな足跡です。あの大きさなら、相当な巨体の持ち主でしょう。」
腕利きの冒険者の一人が、低く唸った。
「……やはり牙狼か。」
「その可能性が高いかと。」
ダリウスは帽子のつばに指を添えた。
絶級の魔物、牙狼。
森に棲む、極めて危険な存在。
先遣隊と親衛隊を全滅させ、新たに派遣したリリたち捜索隊までをも一蹴して退ける存在。
その力は並の魔物とは一線を画し、遭遇すれば命の保証はないとされる。
そんな存在が、リュカの発見現場に関わっていたのだとすれば。
「牙狼が、彼女を襲ったのか…。」
一人の冒険者が呟いた。
別の冒険者も頷く。
「巨大な足跡が残っているなら少なくとも、あの場所に牙狼がいた可能性は高い。」
「だが、牙狼は何故街道まで出てきたんだ?今まで森の奥にずっと潜んでいたはずだろう?」
「さあな…。そもそも、森の奥でずっと潜んでた訳ではなく、時たま街道に出ていた可能性もある訳で…」
次々と意見が交わされる。
しかし、どれも推測の域を出なかった。
ダリウスは一同の話に耳を傾けながら、発見者の冒険者へ視線を向けた。
「そうだねぇ…。現場の状況について、他に気づいたことは?」
「はい。その場の痕跡についてまだ報告があります。」
冒険者は少し言いにくそうに眉を寄せた。
「…彼女が倒れていた場所にはその足跡だけで…戦闘による痕跡が何もなかったんです。」
「……何も?」
「はい。地面が大きく抉れていたわけでも、周囲の木々が折れていたわけでもありません。血痕も、彼女の身体から流れたものと思われるもの以外には、特に見つかりませんでした。」
その報告に、何人かが顔を見合わせた。
「戦闘の痕跡がない?」
「彼女はあれほどの重傷だったんだぞ。それなのに?」
「はい。ですから、別の場所で襲われたのかもしれません。」
冒険者はそう答えた。
ダリウスは顎に手を添え、考え込んだ。
確かに、別の場所で戦闘が起きたのなら、発見現場に痕跡がないことも説明できる。
だが、それならば、なぜリュカは街道にいたのか。
誰かが運んだのか。
それとも、自分で街道まで逃げてきたのか。
どちらにしても、まだ分からないことが多すぎる。
「……彼女の怪我の中に、牙狼がやったと確信できる傷は無かった?」
ダリウスが尋ねた。
「例えば…牙狼の爪痕や、噛みつかれたような傷は無かったのかな?」
「それが…その様な傷は全く見受けられませんでした。」
発見者は、はっきりと答えた。
「…ふむ。」
ダリウスは小さく呟いた。
その隣にいた冒険者が、眉間に皺を寄せる。
「…おかしいな。牙狼が彼女を殺そうとしたのなら、自らの牙や爪を使うはずだ。」
「ああ。それほどの巨体なら、わざわざ別の方法を取る必要もないだろう。」
「だが、実際にはその痕跡がないんだろう?」
沈黙が落ちた。
牙狼が関わっている可能性は高い。
巨大な足跡が、それを示している。
しかし、リュカの怪我には牙狼の牙や爪による痕跡がない。
発見現場にも、戦闘の跡がない。
あまりにも情報が噛み合わなかった。
別の冒険者が腕を組む。
「…初めから、仕留める気など無かったのか?捜索隊と交戦した時のように。」
「それも有り得るが…。牙狼が何らかの理由で攻撃を中断したのかもしれない。」
「……どちらにしても、不可解な点が多すぎるな。」
ダリウスは、黙って彼らの話を聞いていた。
どの推測にも、一応の筋は通っている。
しかし、決定的な証拠はない。
牙狼がリュカを襲ったという可能性はある。だが、それを断定するには情報があまりにも不足していた。
「……現時点では、牙狼が関わっている可能性が高いというところまでだね。」
ダリウスは静かに言った。
「憶測だけで結論を出すのは危険だ。ほかに分かったことがあるなら、すべて報告してくれ。」
「はい。実は、もう一つ……」
発見者の冒険者が、改めて口を開いた。
「今回の事件に…恐らく関与している人物が居まして。」
「…なんだと?」
「その前にまず、職員から聞いたのですが…今日、彼女が依頼を受けた記録は無かったそうです。」
その言葉に、ダリウスは顔を上げた。
「……記録がない?」
その言葉に、ギルド職員が説明を代わる。
「…はい。彼女は、依頼を受けて街の外へ出た訳ではないようで…。」
「…特に目撃者も居ないのかな?」
「調査は進めておりますが、今の所誰も…。」
「ということは…早朝か。」
ダリウスは、ゆっくりと息を吐いた。
リュカが、誰にも知られないように街を出ていたとするならば。
自分が街を出たことを隠さなければならない理由は。
その問いに自ずと答えが頭に浮かぶ。
───北の森に行ったのか。と。
「…禁止令を無視して、森に入ってしまったと見るのが1番可能性が高いかもしれないね。」
「そんな……っ!!」
ダリウスの出した答えに、リリが立ち上がる。
「リュカちゃんは、そんな危ない真似を一人で出来るような子じゃ…!!」
「リリ。」
鬼気迫る表情のリリを、ダリウスは静かに目で制する。
「…君の先入観はここでは不要だ。いくら君があの子の事を知っていようが、状況証拠と物的証拠を照らし合わせて答えを探さなければならない。」
「でも……!」
「それ以上言うなら、出ていってもらうよ。リリ。」
僅かに細められた、ダリウスの目。
その奥に潜む僅かな怒りに、リリは黙って座り直すしか無かった。
「……うん。さて、申し訳ない。それで、関与している人物が居るというのはどういう事かな?」
それを見て、ダリウスは僅かに微笑み、何事も無かったかのように続きを職員に促した。
「……それが。」
一度言葉を区切り、職員は続けた。
「彼女は矢を所持していたのですが…ギルドの保管庫にある矢は、一本たりとも減っていませんでした。」
「……ふむ?」
「彼女が所持していた矢が、ギルドの備品ではなかったということです。出達記録もなく、矢の持ち出し記録もない。そこで不審に思い、彼女の装備を調べたところ…。」
「…これが、所持品の中に。」
職員からの目線で、隣にいる冒険者が持参していた布袋を開いた。
中から取り出したのは、一つの矢筒だった。
それを見たダリウスが、わずかに眉を動かす。
「……この矢筒は。」
「彼女が持っていたものです。……ご存知ですよね。」
冒険者は矢筒をテーブルの上に置いた。
その表面には、見覚えのある店紋が刻まれていた。
街でも名の知られた武具職人の店だ。
その場にいた者たちの視線が、一斉に矢筒へと集まった。
「……ヴァルゼンの店紋か。」
ダリウスが呟いた。
「ということは……。」
一人の冒険者が、険しい顔で口を開く。
「ヴァルゼンが、彼女を森へ向かわせたのか?」
その言葉に、別の冒険者が首を横に振った。
「その線もある。だが、彼女が自らヴァルゼンのところへ行った可能性もあるだろう。」
「…確かに。矢筒が店のものだからといって、ヴァルゼンが彼女を向かわせたとは限らないな。」
「そもそも、彼女が何のために森へ入ったのかも分かっていない。」
議論は、再び振り出しに戻りかけていた。
牙狼が関わった可能性。
戦闘の痕跡がないこと。
牙や爪による傷がないこと。
出達記録の不在。
そして、ヴァルゼンの矢筒。
それぞれの情報は、何かを示しているようでいて、肝心なところを教えてくれない。
ただ一つ確かなのは、リュカが街道で瀕死の状態で発見され、今も意識を取り戻していないということだった。
「……とりあえず、ヴァルゼンから話を聞こう。」
ダリウスが口を開いた。
「警邏隊へ伝えてくれ。ヴァルゼンをギルドまで連れてきてもらおう。」
「承知しました!」
職員が一礼し、警邏隊を呼びに駆けていった。
それを見届けると、リリが椅子から立ち上がった。
「……私も行きます。」
その声には、抑えきれない感情が滲んでいた。
ダリウスは、彼女へ視線を向けた。
「……リリ。」
「ヴァルゼンが関わっているのなら、私も直接話を聞きたいです。」
リリの拳が、ぎゅっと握り締められる。
あの男が何を知っているのか。
今回の事件にどう関わっているのか。
問いただしたいことは、いくらでもあった。
けれど、ダリウスは穏やかに首を横に振った。
「…君は、彼女の傍にいてやりなさい。」
「っ……ですが!」
「久しく会っていなかったのだろう?」
リリは言葉に詰まった。
ダリウスは、いつもの柔らかな口調で続けた。
「目を覚ましてすぐ君の顔が見られたら、彼女も安心すると思うよ。」
「…………。」
「リリ。今は、君にしかできないことをする時だ。」
その言葉に、リリは唇を噛んだ。
出来るなら、今すぐにでもヴァルゼンの元へ行きたい。
あの男が何をしたのか、何を知っているのか。
問いただしたい。
怒りをぶつけたい。
けれど。
医務室のベッドで、意識を失ったまま横たわるリュカの姿が、脳裏に浮かんだ。
あの子は、まだ目を覚ましていない。
誰かがそばにいてあげなければ。
目を覚ましたとき、すぐ近くに誰かがいると分かれば少しは安心できるかもしれない。
「……分かりました。」
リリは、一度目を閉じた。
胸の奥で渦巻く感情を、ゆっくりと押し込める。
「リュカちゃんの傍にいます。」
「……うん。それでいい」
ダリウスは満足そうに頷いた。
「まあ、後は僕に任せてみなさい。」
その表情にはいつもの穏やかな笑みが戻っていた。
リリは小さく頭を下げ、医務室へ向った。
けれど、その胸の奥に生まれた怒りが消えたわけではなかった。
───ヴァルゼン・クロイツ
あの男が何を知っているのか。
必ず、確かめなければならない。
昼下がりの病室は不自然なくらい静かだった。
処置を終えたリュカは、ベッドの上に横たわっていた。
集中治療室の時と同様に、身体のあちこちに包帯が巻かれ、腕には点滴の管が繋がれている。
呼吸を補助する器具や、容体を確認するための医療器具も変わらず取り付けられていた。
布団から覗く腕は、あまりにも細かった。
あの小さな身体のどこに、これほどの傷を負う余地があったのだろう。
リリはベッドの横に椅子を寄せ、静かに腰を下ろした。
「……リュカちゃん。」
そっと名前を呼ぶ。
当たり前のように、返事はない。
リュカの胸が、かすかに上下する。
「……ねえ、リュカちゃん。聞こえる?」
もう一度、呼びかけてみた。
やはり、返事はなかった。
目を覚ます気配もない。
リリは膝の上で手を組み、俯いた。
せっかく、また会えると思っていたのに。
自分がいない間、リュカが心配してくれていたと聞いたとき、嬉しかった。
自分のことを気にかけてくれていたのだと知って、胸が温かくなった。
次に会ったときは、何を話そう。
最近はどんなふうに過ごしていたのか。
困ったことはなかったか。
聞きたいことが、たくさんあった。
戦闘訓練の修了も、褒めてあげたかった。
凄いね。
頑張ったね。と。
目の前に映る、小さな頭を撫でてあげたかった。
それなのに。
「……こんなの、って……。」
声が喉の奥で詰まった。
こんな再会になるなんて、思ってもいなかった。
リリは、リュカの顔を見つめた。
額から頭にかけて、白い包帯が巻かれている。
頬にも傷があり、普段は柔らかな表情を浮かべる口元も、今は固く閉ざされていた。
少しでも楽になってほしい。
せめて、そばにいる自分が何かしてあげたい。
そう思い、リリはそっと手を伸ばした。
怖い思いをしたね。
痛かったね。
もう大丈夫だよ。
そんな言葉を、ひとつひとつ手のひらに込めるように。
頭を撫でようと思ったけど。
「……っ」
伸ばした手が、途中で止まる。
リュカの頭に巻かれた包帯が、それを許さない。
そこがどれほど傷ついているのか、リリには分からない。
触れても大丈夫なのか。
自分の手が触れたことで、傷を悪化させてしまったら。
そんな考えが一瞬で頭を駆け巡った。
指先が、わずかに震える。
ほんの少し手を伸ばせば、届く距離にいる。
それなのに。
リリは、そっと手を引っ込めた。
「…………。」
膝の上に戻った手を見つめる。
何をしているのだろう、自分は。
頭を撫でてあげることすらできない。
何も難しいことではないはずなのに。
今まで、当たり前のようにできていたことなのに。
「……ごめんね。」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
自分が怪我をさせてしまったわけではない。
自分が何かを間違えたわけでもない。
それでも、謝らずにはいられなかった。
自分が知っているリュカなら、嫌なことがあればすぐに言ってくれる。
痛ければ、痛いと言ってくれる。
触られたくなければ、困った顔でこちらを見るだろう。
けれど今のリュカは何も言ってくれない。
リリは、また伸ばしかけた手を止めた。
そして、ゆっくりと膝の上に戻した。
「……なんで……。」
ぽつりと、声が漏れた。
「どうして、こんなことに……。」
答えは返ってこない。
病室には、医療器具の微かな作動音と、リュカの苦しげな呼吸音だけが響いている。
その音を聞くたび、胸が締めつけられた。
息をしている。
確かに、生きている。
それなのに、その呼吸ひとつさえ今のリュカにとっては苦しいものなのだと思うと、胸が張り裂けそうだった。
代わってあげたい。
自分が代わりに痛みを引き受けられるのなら。
自分が代わりに苦しめば、この子が少しでも楽になるのなら。
どんな痛みだって、引き受けてあげたい。
けれど、そんなことはできない。
自分はここに座っているだけ。
何もできず、ただ呼吸を繰り返すリュカを見つめているだけ。
それが、どうしようもなく悔しかった。
「……私、また……。」
言葉が途切れる。
自分がいない間、リュカが何をしていたのか。
どこへ行き、何を見て、何と戦ったのか。
私は、何も知らない。
その間に、この子は。
「……っ」
唇を噛みしめる。
目の奥が熱くなった。
泣いている場合ではない。
そんなことは分かっている。
今、自分が泣いたところで、リュカの傷が治るわけではない。
意識が戻るわけでもない。
泣いてはいけない。
そう思うほど、涙が込み上げてきた。
目を覚ましてほしい。
いつものように、こちらを見てほしい。
また、あの声で話しかけてほしい。
ただ、それだけなのに。
今のリリには、その願いさえ自分の力では叶えられなかった。
どうして、リュカがこんな目に遭わなければならなかったのだろう。
一体、誰が。
何が、この子をここまで追い詰めたのだろう。
その問いに、ひとつの名前が浮かぶ。
『ヴァルゼン・クロイツ』
矢筒に刻まれていた、あの店紋。
まだ、何があったのかは分からない。
あの男が何をしたのかも、確かなことは何ひとつ分かっていない。
リュカ自身が、あの男のもとを訪ねた可能性だってある。
それでも。
あの男の名前が浮かんだだけで、胸の奥が焼けるように熱くなった。
もし、関わっていたのだとしたら。
もし、この子が危険な目に遭うと分かっていながら、何もせずに送り出したのだとしたら。
もし───。
「…………。」
リリは、ゆっくりと顔を上げた。
目の前には、意識のないリュカ。
怒りをぶつける相手は、ここにはいない。
今は何も分からない。
だからこそ、確かめなければならない。
ヴァルゼンは何を知っているのか。
リリは、膝の上で握りしめていた手を、ゆっくりと開いた。
その手を、もう一度リュカへ伸ばす。
今度は怪我や器具に触れないよう、ベッドの上にそっと置いた。
言葉は交わせなくても。
私は帰ってきたよと、リュカに伝えるために。
「…ごめんね、リュカちゃん。」
小さく、囁いた。
「すぐ、戻ってくるから。」
返事はない。
リュカに柔らかな笑顔を向け、リリは静かに椅子から立ち上がった。
病室のドアに手をかけた時、その目からは光が消えていた。
悲しみも、悔しさも、胸の奥で渦巻く怒りも。
このまま何も知らなければ、消すことは出来ない。
確かギルド長は警邏隊と言っていた。
ならば話をするなら取調室しかない。
同席はさせて貰えないとしても、自分の耳で知るために。
リリは病室を後にして、ギルドへと歩を進めた。




