知らない事
街で迎えるいつもの朝。
新しい出会いと初めての仕事を通じて、リュカは少しずつこの街での暮らしに馴染み始める。
けれど、彼女が知らないところで、北の森を巡る不穏な影は、静かにその輪郭を現し始めていた。
今朝の街は、昨日よりも穏やかだった。
通りには荷車の車輪が転がる音が響き、店先では商人や店主達が店の立ち上げ作業を行っていて、まだ開いてるお店は少なかった。
そんな街の一角に、香ばしい匂いが漂っていた。
「おう、来たな。」
串焼きの屋台から顔を上げたガルドが、リュカを見つけて声をかける。
「……どうも。」
リュカは小さく会釈をして、屋台の前で足を止めた。
「今朝は随分早起きだったんだな。よく寝れたか?」
「……大丈夫。」
「そうか、それならいい。新しい肉の仕込みがもうすぐ終わるからよ。ちょっと待っててくれ。」
こくん、とリュカは頷いてガルドの作業台に目を移す。
流石の手捌き、と言った感じでガルドは肉の塊を手際よく捌いていき、串に通していっていた。
リュカも野宿の時、肉を処理しようとした事があるがボロボロの肉塊にしてしまった事を思い出して少し苦い顔をした。
「ん?どうした?」
そんなリュカの顔を見て、作業をしながら声をかける。
「…なんでもない。凄く上手だなと思って。」
「ハッハッハ!この道20年だからな!やって慣れただけだよ。」
リュカの言葉に豪快な笑いで返し、また作業台に目を落とす。
程なくして、炭が焚かれた焼き台の上に肉たちが並べられていった。
香ばしい香りと上質な油の匂い、そして希少肉ならではの甘い香りがリュカの鼻をくすぐる。
待ちきれません、と言わんばかりに揺れそうになる尻尾を両手で抑えながらリュカは焼けるのを待っていた。
「よし!できたぞ!」
出来上がった串をリュカの前に差し出し、ニコニコと笑つガルド。
「…美味しそう。」
「これは美味いぞ。なんたってこの季節にしか入ってこねぇ貴重な肉だからな。」
「…楽しみ。いくら?」
「本当なら1本銀貨1枚なんだが…2本で銀貨1枚。どうだ?」
「…いいの?」
「おう!昨日食べさせてやれなかった分もあるからな!
沢山食ってくれ。」
「……じゃあ、4本。」
「ハッハッハ!了解!金はそこの入れ物に入れといてくれ!取り敢えず1本な!残りも今から焼くからよ!」
リュカは言われた通りお金を入れ、串を受け取ると、早速一口かじりついた。
香ばしく焼かれた肉の旨味が口いっぱいに広がる。
甘い肉汁が口の中に溢れ出す。
筋っぽさもなく、ふわっと柔らかい身は噛んだら溶けて消えるようだった。
その美味しさに、思わず耳がぴんと立った。
「おっ、いい反応だな。」
「……おいしい。」
ガルドは串を焼きながら、リュカの反応を見てまた笑った。
ゆっくりと味わいながら食べている間に1本、また1本と焼き上がる。
それに合わせるように、リュカは1本、また1本と食べ終えては次の串に手を伸ばした。
そんなリュカを見て、ガルドはリュカに意地悪そうな笑顔を向けた。
「それにしてもお前、朝からよく食うな。……来た時よりちょっと丸くなったんじゃねえか?」
リュカの耳が、ぴくりと動く。
尻尾が、ぶん、ぶん、と左右に揺れた。
「……食べるの、好きだから。太ってもいい。」
返事は淡々としていた。
しかしガルドを見る目が半分くらいに細くなってじとっとしている。
尻尾の動きも明らかにぶんぶんと速くなっている。
「おっと、怒っちまったか?」
「……別に。」
「悪い悪い。冗談だよ。」
ガルドは楽しそうに笑った。
リュカはそれ以上何も言わず、串焼きを食べ進める。
ただし、耳はしばらく横に倒れたままだった。
「……ご馳走様。」
串焼きを食べ終え、口を拭いながらリュカはぺこりと頭を下げる。
ガルドは串を片付けながらよく食ったな。と笑い、焼き台の横の棚に手を伸ばして袋に入った端肉を取り出した。
「これ、持ってけよ。」
「え……?」
「端肉、取っといてやるって約束だろ。煮るなり焼くなりして好きに食ってくれ。日持ちはしないから早めに食えよ。」
「……ありがとう……。」
「いいよいいよ。不用品を押し付けてるだけだからよ。」
ガルドの優しさに、表情が柔らかくなるリュカ。
大事に両手で受け取ると、リュックの中に端肉を仕舞う。
「じゃあ……わたしはこれで。……お肉、ありがとう。美味しかった。」
「なんて事ねえよ!今日も頑張れよ!」
手を挙げ、リュカに別れを告げるガルド。
それに対し、またリュカも手を挙げて答え、ガルドの店を後にした。
ギルドに到着すると、受付のリリはおらず、違う女性が座っていた。
「おはようございます。えっと……リュカさんですね。」
「あ……うん。あの…いつもの人は…?」
「リリさんは今お忙しいので、私が代わりに受付をしております。」
「そう……。じゃあ、今日の依頼を……。」
言いかけたところで、奥の部屋からリリが出てきた。
リュカを見つけると、受付の女性に何やら耳打ちをして、リリは受付の女性と入れ替わった。
「リュカちゃん。おはよう。ごめんなさいね、少しバタバタしていて。」
「あ……えっと、わたしは別に……。大丈夫…?」
「ええ。ある程度落ち着いたから大丈夫。リュカちゃんは今日の仕事を探しに来たのよね?」
リュカは静かに頷く。
リリはニコッと笑うと、したからとある1冊の本を取り出した。
「依頼を受けてもらう前に、時間もあるし今日はリュカちゃんに冒険者としての講習を受けてもらうね。」
「講習……?」
「そう、冒険者になってまだ4日目だし、分からないことも多いでしょ?初心者冒険者には皆受けて貰ってるものだから、受けて行って。」
「……分かった。」
「これが教本ね。これを元にやって行くから、後々の為にも大事に持っておいてね。」
リュカは頷くと、リリから教本といわれた本を受け取った。
そのままリリに促されるまま、受付を後にし2階の教室のような部屋に連れて来られた。
用意されていたのは小さな机と椅子だけ。
リュカは椅子に座り、登壇したリリに目を向ける。
「さて、じゃあ講習を始めていくわね。」
「……うん。」
リリは壁に吊るされた黒板にカースト表のようなものを書き出し、こちらを向き直った。
「まず、冒険者の位について。3級、2級、1級、特級、超級の順番で上がっていくようになってるわ。」
リリは指を一本ずつ立てながら説明した。
「3級は駆け出しの冒険者。2級、1級と上がるにつれて、実績や実力が認められていくの。特級や超級ともなると、かなり限られた人しか到達できない領域よ。」
「……へえ。」
「もちろん、依頼をこなした数だけで決まるわけじゃないよ。依頼の難易度や達成状況、戦闘能力なんかも評価されるの。」
リュカは説明を聞きながら、頭の中で自分のことを考えていた。
つまり、自分は3級冒険者ということか。
できることも少ないし、知らないことも多い。
「それから、魔物にも同じように級があってね。」
リリは続けた。
「これも下から3級、2級、1級、絶級、天災級。この順番で危険度が上がっていくわ。」
「……冒険者と、同じ感じ。」
「そう。だから自分の級を比べれば、相手が今の自分にとってどれくらい危険なのかを判断する目安になるの。」
チョークを置き、リリはさらに続ける。
「たとえば、3級の冒険者が3級の魔物と戦うなら、基本的には同程度の実力を想定する。だけど、相性や魔物の特性によっては、同じ級でも危険度は変わってくる。」
「……じゃあ、2級の冒険者が1級の魔物と戦ったら…。」
「察しの通りよ。格上との戦いになる。勝てる可能性がないわけじゃないけど、無理をすれば命に関わるわ。、」
リリの声が少しだけ真剣になる。
「特級の冒険者でも絶級の魔物には苦戦するかもしれないし、超級だからって天災級に勝てるとは限らない。級はあくまで目安。自分の実力を過信しないことが大切なの。」
リュカはその言葉を、静かに胸に刻んだ。
自分の実力を過信しない。
それなら、自分は大丈夫だと思った。
そもそも、自分に大した力があるとは思っていない。
できることを少しずつ増やしていけばいい。
「……分かった。」
「うん。リュカちゃんは今、3級として登録されているからね。まずは自分にできる依頼を確実にこなしていこう。」
「……うん。」
リリは優しく微笑んだ。
「焦らなくていいんだよ。冒険者は、無事に帰ってくることも大切なお仕事だから。」
その言葉に、リュカは小さく頷いた。
「さて、それじゃあ最後に冒険者としての職業の話。」
「職業……?串焼き屋さんとか……?」
ガルドの事を思い出しながら問うリュカに、リリはううん、そうじゃなくてね、と笑いながら答える。
「お店の店主っていうのはあくまで街での職業。
冒険者としての職業っていうのは、簡単に言うとどの戦闘スタイルを得意スタイルにするか、という事よ。」
「戦闘……戦わないとダメ?」
少し不安そうにするリュカに、リリは少し考えて答えた。
「戦わないとダメってことはないけど…例えばリュカちゃんが経験したように薬草採取のような簡単な依頼をこなしてる最中でも、魔物に出会って戦闘に巻き込まれるかもしれないでしょう?」
「あ……。」
「周りに誰か頼れる人がいない時は、リュカちゃんが自分で自分を守らなければいけない。そういう意味でもある程度は戦えるようになってた方がいいわ。」
「……そっか……。」
リリの話に納得はしたが、やはり不安が拭えない。
戦闘経験がない訳では無い。が、別に自分は特別戦いに長けているわけではない。
それはリュカが一番よく分かっていた。
不安そうに俯くリュカの頭を、リリは慰めるように優しく撫でてくれた。
リュカの不安そうな目が、リリに向けられる。
「皆、初めは怖いものよ。私だってそうだった。リュカちゃんくらい若い女の子だと当たり前よね。」
リュカを撫でながら、リリは続ける。
「でも、訓練をしっかり受けて技を身に付ければいずれそれが自信に変わってくる。自信がつくと、不安もなくなる。だから、今は怖いかも知れないけど、頑張ろう?」
リリの言葉と撫でてくれる手の温かさに、リュカは少し安堵した。
こくん、と頷き、講習を聞く意思を見せる。
よし、とリリが立ち上がり、また教壇へと戻る。
「じゃあ、職業の説明をするね。自分がどの職業になりたいか、よく聞いて選んでね。……と言っても、主に2つに絞られると思うけど。」
リリはいつの間に準備していたのか、教壇の下から木製で出来た数々の武器を取り出して、リュカの前に並べた。
「まずは剣士。一般的な職業ね。双剣使いや大剣使いもいるけど、基本この単剣を使って戦う人が多いわね。」
「……剣士……。」
真面目に教本とリリを交互に見ながら学ぶリュカに微笑みを向け、リリは続ける。
「次に弓士。この弓を使って遠距離から中距離の攻撃を得意とする。最初は弓の扱いが難しいけど、慣れればどうって事ないわ。後、弓士には仲間の援護に長けてる人が多いわね。私もこの資格を持ってるの。」
「……弓士……。」
「で、次が賢者。これはかなり珍しい職業よ。今セレスタには居ない。魔物が持つ魔法を使う力を自らに取り込んで、この杖を介して魔法を使う職業ね。」
「……わたしには無理……。」
リュカの呟きに、クスッと笑ってリリはさらに続けた。
「最後に、従獣士。武器はないけれど、魔物や猛獣を手懐けて、一緒に戦う戦闘スタイルよ。昔は獣人の中でかなり多かったみたいだけど…今は居ないみたいね。」
「獣人の中で多かったなら…わたしも出来るのかな。」
「うーん…どうだろう。とある獣人の種族の中には魔物と意思疎通が出来る人も居たみたいで、その人たちが主だったみたいだけど…その種族はもう皆居ないらしいからね…。」
「……そっか……。」
自分にも出来るかも、と思ったがそんな限られた才能なのであれば難しそうだ。
初めにリリが2つに絞られると言った意味が分かった。
今のリュカには、2つしか選べない。
少し悩んだ末、リュカは答えをリリに出す。
「……わたし、弓士になる。」
「弓士…。そう、良いと思う。」
ニコッと笑ってリリが答える。
味方の援護、遠距離から中距離の攻撃範囲。
表立って戦闘をするスタイルが自分には不向きだと判断して出した答えだった。
「じゃあ、職業は弓士に決定ね。下で職業登録をして、今日の講習は終了するわ。明日からは主に戦闘訓練になるから、朝10時までにギルドに来てね。」
リリの言葉に頷き、リュカは共に教室を後にした。
生きるための狩りは旅の途中で何度もやったが、戦闘と呼べるようなものは今までやった事はない。
一抹の不安を覚えながら、リリの後に着いて受付へと戻った。
そのまま受付で職業登録を済ませたリュカはふと、森での出来事を思い出した。
───あの声。
誰かが呼んでいるような、不思議な響き。
「……あの。」
「ん? どうしたの?」
「……昨日、言いそびれたことがあって。森のこと…。」
リュカの言葉に、リリの顔が真剣な顔に変わった。
「…何があったの?」
「…森で……声が聞こえた。」
リリの表情がまた変わった。
「…声?」
「……うん。上手くは聞き取れなかったけど…く、な…って。誰かに向けて話してるみたいな。でも、姿は見えなかった。」
リュカは言葉を選びながら、あの日のことを説明した。
声が聞こえた場所。
そのとき感じた違和感。
そして、何かに呼ばれているような感覚。
リリは途中で口を挟まず、最後まで話を聞いた。
「……そっか。」
やがて、彼女は少し考え込むように視線を落とした。
「その話、ギルド長にも伝えておこう。森のことなら、私たちだけで判断しない方がいいから。」
リュカは頷いた。
───ギルド長との話し合いは、思ったよりも慎重なものになった。
リュカの話を聞いたギルド長は、しばらく黙って考え込んでいた。
「……森で声が聞こえた、か。」
「……うん。」
「…声の主は恐らくだが想像がつく。…実はあの森にはあの日、君しか向かってないんだ。リュカくん。」
「……わたし、だけ……?」
「森に不穏な噂がある。君も聞いた事あるだろう?」
その言葉に、リュカは初日の男たちの会話とガルドの歯切れの悪い言葉を思い出した。
森に、絶級の魔物が居る。
とても強く、親衛も歯が立たない。
「…あの、親衛隊って…何級?」
リュカは、リリに向き直って質問をなげる。
「…1級冒険者以上の集まりよ。」
リリは即答した。
つまり、その親衛隊たちで歯が立たない=絶級と判断したということか。
しかし、誰かが戦闘を見ている訳でもない。
何故歯が立たないと言い張れるんだろう?考え込むリュカに、ギルド長が口を開いた。
「…リュカくん。君が聞いたのは恐らくセレスタの先遣隊の声だろう。実は数日前、先遣隊が森に入ってから消息を絶っていてね。親衛隊も向かったんだが…ことごとく消息を絶っている。」
ギルド長は机の上で指を組んだ。
「明らかに武器も持たない3級の君を危険から遠ざけるため、どこからか君を察知した先遣隊員が来るな、と叫んだのでは無いかな。と僕はみる。」
眉間に皺を寄せながら、ギルド長は続けた。
「……魔物が巣食うところで大声を出すなど、自分の居場所を魔物に知らせるようなものだ。命を賭して、君を遠ざけ君を守ってくれた先遣隊の無念は、晴らしてやらねばな……。」
「……。」
ギルド長の話に、俯くリュカ。
そんなリュカを隣で立っていたリリはそっと撫でる。
そんな2人に、ギルド長は淡々と続けた。
「…しばらくの間、森に関係する依頼は受けないようにしてくれ。」
リュカはわずかに目を伏せた。
「……分かった。」
「…何かあってからでは遅いからな。」
その言葉に、リュカは小さく頷いた。
森に行けないのは残念だった。
もう一度行けば、またなにか分かるかもしれないという気持ちがあった。
けれど、ギルド長の言うことも理解できる。
自分には、まだ知らないことが多すぎる。
戦闘経験も全くない。
そんな自分が今飛び込めば、死にに行くようなものだ。
それは理解している。
ただ…あの声の正体。
それだけは自分で確かめたいと、微かに思った。
──森に関係する依頼を受けられないとなると、仕事の選択肢は少し狭まった。
お昼過ぎ、リュカは受付の前に立ちリリが新しく渡してくれた依頼書を一枚ずつ確認していく。
時間も時間で、依頼書はあまり残っていなかった。
南の川沿いの採集依頼。
街の外れでの荷物運び。
商店の手伝い。
その中で、1枚の依頼書にリュカの目が止まった。
『荷物運搬の手伝い』
指定場所 南街ヴァルゼン武器店
指定された荷物を倉庫に入れるだけの簡単な仕事。
初心者冒険者向け。
これなら街中でここからも近いし、今からでも間に合うかもしれない。
依頼書を手に取ると、受付にいたリリが顔を上げた。
「……これにする。」
「その依頼を受けるの?」
「……うん。」
リリは依頼書に目を落とし、ほんの少し眉を寄せた。
「この依頼……依頼主はヴァルゼン・クロイツかぁ…。あんまりリュカちゃんにはオススメはしないけど……。」
「……どうして?」
キョトンとした顔をしているリュカに、苦虫を噛み潰したような顔でリリが続ける。
「……武器商人なんだけど、とにかく口が悪いの。相手が誰でもお構いなし。腕の立つ冒険者にだって、平気で嫌味を言って追い返したりするのよ。」
「…性格悪い?」
「…そうねぇ、だからこの時間まで依頼書が残ってたんじゃないかしら?」
はぁ、とため息をつくリリ。
リュカはじっと依頼書を見つめた。
初心者向けと書いてあるし、3級冒険者に寄り添う心優しい人、ではないのかな。と。
「……仕事は、仕事だから。わたしは受ける。」
「まあ、そうなんだけどね……。」
リリは困ったように笑った。
「無理だと思ったら、ちゃんと言うのよ?」
「……分かった。」
リュカは依頼書を受け取り、指定された場所へと向かった。
武器商人ヴァルゼン・クロイツの店は、南街の商業区にあった。
店先には剣や槍、盾などが並び、奥には武器の手入れをするための作業場も見える。
「……依頼を受けた、リュカ。」
店に入って名乗ると、カウンターの向こうにいた男が顔を上げた。
「……ようやく来たか。」
鋭い目つき。
整った身なり。
そして、こちらを値踏みするような視線。
男はリュカを頭から足元まで眺めた。
「……ずいぶんと小さいな。荷物運びが務まるのか?」
「……やる。」
「ふん。…まあいい。」
ヴァルゼンはそう言うと、店の奥へと歩いていく。
リュカもそれについて奥へと入っていった。
そこには木箱がいくつも積み上がっていた。
「まずはこれを倉庫まで運べ。中身は武器の部品だ。落とすなよ。」
言われた通り、リュカは木箱に手をかけた。
思ったより重い。
両腕に力を込め、なんとか持ち上げる。
「……っ」
足元に注意しながら、ゆっくりと運び始めた。
一箱。
二箱。
三箱。
何度も往復するうちに、腕が重くなっていく。
それでも、リュカは黙々と仕事を続けた。
ヴァルゼンはその様子を、ときおり作業の手を止めて眺めていた。
「おい、そこの箱もだ。」
「……これも?」
「見れば分かるだろう。運べと言っている」
追加された箱は、これまでのものより大きかった。
リュカは少しだけ耳を伏せた。
けれど、何も言わずに箱を抱え上げる。
「……よいしょ」
小さな声とともに、なんとか持ち上げた。
ヴァルゼンの視線が、リュカの頭にある灰色の髪へと一瞬向けられた。
ほんのわずかな間だった。
彼はすぐに視線を戻し、何事もなかったかのように言った。
「遅いぞ。日が暮れる前に終わらせろ。」
「……うん。」
リュカは再び歩き出した。
かなり疲れていた。
腕も、足も、もうずいぶん重い。
それでも、途中で投げ出したくはなかった。
自分で受けた依頼なのだから、最後までやり遂げたい。
ただ、それだけだった。
───夕方。
最後の箱を倉庫に置き終えた頃には、リュカの腕はすっかり疲れ切っていた。
「……終わった。」
「そうか。」
ヴァルゼンは帳面に目を落としたまま、短く答えた。
「報酬はギルドで貰え。」
リュカは小さく頷いた。
「……分かった。」
店を出る直前、彼女は一度だけ振り返った。
ヴァルゼンはすでに別の仕事に取りかかっていた。
まるで、リュカのことなど最初から気にしていなかったかのように。
けれど、彼の目には、ほんのわずかな疑問が残っていた。
あの灰色の毛色。
そして、身体に不釣り合いな筋力。
指定した木箱の中は金属部品が大半を締めていた。
重さにすれば、数十kgはあっただろうに。
小柄な少女にしては、妙なところがあった。
「……まさかな。」
ヴァルゼンは小さく呟き、再び手元の作業へと意識を戻した。
リュカがギルドへ戻る頃には、街の灯りがぽつぽつと点き始めていた。
リュカは昼ご飯を食べ損ねたことを思い出し、鳴るお腹を抑えながらよろよろとギルドへ入った。
その時、受付の近くで、ガルドとリリが話しているのを見つけた。
「おっ、リュカ。お疲れさん」
ガルドが手を振る。
「……うん。」
リュカは二人のそばまで歩いていった。
リリは彼女の様子を見て、すぐに気づいた。
「ヴァルゼンの依頼、疲れたでしょ?」
「……うん。」
「やっぱり……。」
リュカは少し考えたあと、こくりと頷いた。
「……ちょっとだけ。」
ガルドが苦笑する。
「いやいや、その顔でちょっとは無理があるだろ。相当疲れたんじゃないか?」
リュカは自分の腕を見下ろした。
「……うん。」
素直な返事に、リリはふっと笑った。
「初めてのヴァルゼンの依頼を最後までちゃんとやり遂げたんだもの。十分頑張ったわ。」
「……そうかな。」
「そうよ。」
リリは迷いなく答えた。
「大変な依頼でも、ちゃんと最後までやった。それは立派な事よ。」
リュカは返事をせず、少しだけ視線を落とした。
褒められることには、まだ慣れていない。
自分がやったことは、ただ荷物を運んだだけだ。
それでも、リリの言葉は不思議と胸に残った。
「よし、今日は3人で飯にしようぜ。」
ガルドがぱん、と手を叩いた。
「疲れたときは誰かと飯食うのが一番だ。付き合ってやる。」
「賛成!リュカちゃん、いい?」
「……いいの?」
「おいおい、聞いてるのはこっちだぞ?」
「……。」
疲れきった顔から、少しだけ表情を柔らかくしたリュカの尻尾がほんの少しだけ揺れた。
それをいいよという意味と受け取り、リュカ、ガルド、リリの三人は街の食事処へ向かった。
温かい料理を前にして、リュカはゆっくりと食べ始めた。
ガルドは今日の仕事について、あれこれと尋ねた。
リュカは短い言葉で答え、ときどき頷いた。
リリも無理に話を聞き出そうとはせず、彼女のペースに合わせて会話を続けた。
気づけば、張り詰めていた肩の力が少し抜けていた。
「明日も仕事、探すの?」
リリが尋ねる。
「……ううん、弓の訓練を受けようと思う。」
「そう。いい事だと思うわ。頑張ってね。」
リュカは静かに、リリに目を向ける。
「……あなたも、弓士って言ってた。…わたしに、戦い方を教えてくれる?」
「……そうね。約束。」
静かに答え、リリは笑った。
リュカは食事を口に運びながら、静かに頷いた。
まだ知らないことは多い。
自分にできないことだって、たくさんある。
それでも、今日ひとつの仕事を終えられた。
そして、帰ってきた場所には、自分を気にかけてくれる人たちがいた。
それは、昨日までのリュカが知らなかった感覚だった。
食事を終え、店を出る。
またな、と帰路につくガルドとリリを見送り、リュカは宿を探しにまた歩を進めた。
夜風が、銀灰色の髪をそっと揺らした。
リュカは街の灯りを見上げた。
「……明日も、頑張ろう。」
小さな呟きは、夜の喧騒に溶けていった。
けれど、その言葉は確かに、彼女自身の胸に残っていた。
リュカに見送られ、2人で帰路につくガルドとリリ。
「…言わなくていいのか。」
「…はい。」
「……気をつけろよ。」
「…大丈夫ですよ。」
2人の会話は、そこで途切れた。
───夜のギルドにて
ギルドの裏広場に集められた無骨な装備の人たちが、ギルド長を前に整列している。
集められた冒険者達の種族は人間、獣人などバラバラで、身につけている武器もまた、大剣や槍弓、大太刀など様々だった。
だが、その顔つきには共通するものがあった。
数多の試練を乗り越えてきた、歴戦の風格。
それだけで彼らがベテランの冒険者たちであることが見て取れる。
整列した冒険者たちの前で、ギルド長は静かに口を開いた。
「先日、配布した北の森探索の依頼書を受けてくれた諸君。集まってくれた事に感謝する。」
ギルド長は一人ひとりの顔を見渡し、深く頭を下げた。
それに応えるように、冒険者達が小さく頷く。
「諸君らも知る通り、北の森では今絶級規模の魔物の生態が噂されている。現に今、ギルド管轄の先遣隊と親衛隊が森に入り消息を絶っている。」
その言葉に、広場の空気が静かに揺れる。
まじかよ…。
噂は本当だったのか。
囁くような声が、あちこちから漏れた。
絶級の魔物。先遣隊や親衛隊も歯が立たない強大な存在。
それが、現実となって現れているのかもしれない。
その声をかき消すかのように、ギルド長が叫んだ。
「静粛に!!!」
その言葉で、シン、と静まり返る。
それを見てまた、ギルド長は続けた。
「消息を絶ったとされていた部隊だが、本日新たな情報が入った。…新米冒険者が森で来るなという声を聞いた、と。」
「何だって?」
誰かが思わず声を上げた。
ギルド長は静かに頷く。
「…その時に森にいたのはその冒険者1人。すなわち…先遣隊か親衛隊のどちらかが、この冒険者に対して危険だからこちらに来るなと伝えていたのではないか、とみている。」
一度言葉を切ると、冒険者達を見渡しギルド長はさらに続ける。
「消息も途絶え、死んだと思っていた我らなの仲間が生きているかもしれない。今ここに捜索隊を結成し、生存者の救助に向かおうと思う。」
沈黙。
無理もない。
今森に入ることは死地に自ら赴くことを意味する。
それでも、怖気付く者は恐らく一人もいなかった。
「魔物についての詳細は不明。かなりの危険がつきまとう任務となる。それでも諸君は、我らの仲間のために命を賭して着いてきてくれるか?」
言い終わるやいなや、
当たり前ですよ!!!
俺らが行かなきゃ誰が行くんだ!!!
やってやろうぜ!!!
と、声が飛び交った。
拳を突き上げ、叫ぶ者も居た。
恐怖が無いわけではない。
それでも、仲間を救うという思いだけが、彼らの背中を押してくれていた。
満足そうにギルド長は頷く。
「ありがとう。諸君。」
その表情には、安堵と、それ以上に深い覚悟が滲んでいた。
「それでは早速だが今からこの軍で森に向かう。部隊編成や作戦についての説明はギルド直属の者より道中で行うとする。良いか?」
冒険者たちの顔に緊張が戻る。
それでも誰一人として、騒ぎ立てる者は居なかった。
「それではこれより、先遣隊並びに親衛隊の救助作戦を行う!!!30分の準備時間の後、正門前に各自集合!!!諸君の健闘を祈る!!!行け!!!!」
はい!という力強い返事が、広場に響く。
その声と共に、冒険者達は一気に正門前へと走り出した。
ギルド長は、静かに彼らの背中を見送り、中へと戻っていった。
「…彼らを、頼んだぞ。」
自身が発した声の方向には目を向けることなく、裏口に待機していた人物に静かに告げる。
そこに居たのは、巨大な大弓を背負ったリリ。
リリは何も言わず頷き、ギルドから走り去った。




