知らない森
町で迎える、新しい朝。
まだ知らないことばかりの世界で、リュカは少しずつ自分の居場所を探し始める。
けれど、穏やかな日常のすぐそばには、誰も知らない森の秘密が静かに息を潜めていた。
朝の光が、宿屋の窓からカーテンの隙間を抜けて差し込んでいた。
リュカはゆっくりと目を開けると、ベッドの上で小さく伸びをする。
慣れない場所で迎える朝。それでも、昨日よりは幾分か落ち着いた気持ちでいられた。
自分の為に、優しくしてくれたガルドとリリの存在のおかげなのか、はたまた昨日よりふかふかのベッドで寝れたおかげなのか。
どちらにせよ、リュカの寝覚めは昨日に比べてかなり良く見えた。
と、その時。
「お客さん!起きてます?もう退室時間過ぎてますよ!」
ドンドンッ!と扉を叩く音と男の大きな声。
───どうやら、寝覚めがいいのは昨日より深く長く眠れたからだけなのかもしれない。
「あっ……ご、ごめんなさい、すぐに……っ!」
わたわたと急いでいつもの服で身を包み、ローブを羽織る。ペンダントも忘れずに。
バタバタと部屋を後にして階段を降りると、腕を組んだ若い男が受付に立っていた。
「随分よく眠れたみたいですね。」
嫌味のような言葉を言いつつ、リュカへちらりと目をやる男。
「ご、ごめんなさい……気づかなくて……。」
「まぁ、いいですよ。次からは気をつけてくださいね。」
ふと、リュカが時計に目をやるともう既に正午を回ったところだった。
9時に退室予定だったから、3時間も寝坊したということになる。それは確かにこんな態度をされてもおかしくないかもしれない。
リュカはぺこり、と男に頭を下げ、ばたばたと宿屋を後にした。
外へ出ると、町はすでに活気に満ちていた。
昼食の時間だからだろう、商店街にある飯屋はどこも沢山の人で溢れていて、楽しそうに食事をする人達が目に見えた。
そんな光景を眺めながら、リュカは小さく息を吐いた。
──今日も、頑張ろう。
一昨日、登録したばかりの冒険者ギルド。まだわからない事しかないが少しずつ仕事を覚えていけばいい。
そう考えながら彼女はまずは腹ごしらえだと、ガルドの店へと足を向けた。
昨日食べた端肉の美味しさが忘れられない。
それに今日はちゃんと支払うお金がある。
端肉じゃなくて、しっかりとした赤身肉の焼き串はどんなに美味しいだろうかと期待に胸を膨らませ、尻尾をゆらゆらと揺らしながら少し小走りで店へ向かった。
ガルドの店へ辿り着くと、昨日とはうって変わって沢山の人で溢れていた。大人から子供、男女問わずかなりの人数が並んでいる。
道行く人の会話を盗み聞きしたところ、どうやら近くの露店街で昼市があるらしい。
ガルドは焼き台のど真ん中で、忙しそうに手を動かしていた。
「……諦めようかな……。」
リュカはしゅんと耳を垂らし、仕方なくギルドの近くで見つけていたパン屋に向かう事にした。
並んでもいいのだが、あまり時間を取ると仕事をする時間が少なくなってしまう。
トボトボと、先程とは正反対で尻尾を引き摺るようにギルドへと歩みを始めた。
そんなリュカの姿をガルドは横目に見ていたのだが、目の前のお客さんを蔑ろにする訳にもいかず、仕方なく見て見ぬふりをするのであった…。
ギルド近くのパン屋で簡素な小麦パンを買い、もさもさと頬張りながらリュカはギルドに到着した。
時刻は既に13時半。
今からこなせる依頼はあるだろうかと心配な目を浮かべ、リリのいる受付へ向かった。
「あら、リュカちゃん。こんにちは。」
「……どうも。」
受付に着くと、リリは昨日と変わらぬ笑顔で迎えてくれたが、目の下に少しクマがあるように見えた。
「今日はどうする?昨日と同じ薬草採取?」
「うん……それにする。」
「OK。じゃあ、依頼書はこれね。……っと」
するり、と手渡された依頼書がリリの手をすり抜け地面に落ちる。
リュカは何も気にせず拾い上げ、リリの方を見つめる。
「……あまり、寝てない?」
「え?あはは…ちょっとね、色々あって。でも大丈夫。
ごめんね、依頼書落としちゃって。」
心配の目を向けるリュカに、リリは笑って平然を装った。
気にしてない。とリュカは首を横に振り、改めて依頼書に目を通す。
「……この薬草、昨日と同じ……?」
「そうそう、イルガ草。」
昨日と変わらぬ獲物。しかしリュカは依頼書に違和感を覚える。
「……でも、これ、報酬高くなってる。」
「ちょっと理由があってね…。それよりリュカちゃん、あなたに聞きたいことがあるんだけど。」
「……?」
いつになく真剣な目をしたリリに少し圧倒されながら、リュカは耳をリリへ向ける。
「……リュカちゃん、初めてこの街に来た日、魔物と交戦したわね?」
「っ……!えっと……。」
「隠さなくても大丈夫。知ってるから。あの時の泥はねは逃げて帰ってきたから……だったのね。」
じっと目を見つめられ、思わず目を背け俯くリュカ。
そんなリュカを見て、リリは優しく微笑んだ。
「……怒ってるわけじゃないわよ。」
「……え……?」
「知らない事だらけのはずだもの。魔物が出た時どうすればいいか、教えてない私が悪かったから…。ごめんなさいね。」
リリは目を伏せ、ぺこりとリリに謝罪した。
そんなリリを見て、リュカは慌てたように取り繕う。
「そんな、別に、あなたが悪い訳では……。」
「……ありがとう。リュカちゃん。」
リュカの言葉に笑顔を向け、リリは続けた。
「そこでね、1つ教えておきたいんだけど…。魔物と遭遇した時は、必ずギルドに報告する事。姿や形、タイプも出来たら言えるようになるといいわね。そして、まだリュカちゃんは魔物と戦うことは出来ないと思うから出会ったらすぐ逃げるの。わかった?」
「……うん、わかった。すぐに言う。」
あの時、逃げる事を選んだ自分が間違ってなかったと、リュカは安堵した。
ほっとした顔をで見つめるリュカを、リリはまた、優しい目で見つめ返す。
「引き止めてごめんね。さ、早くしないと日没になっちゃうわ。今日の宿代とか、余裕があるわけじゃないんでしょ?」
「……頑張る。」
「頑張ってね。行ってらっしゃい。」
リリに見送られ、リュカは町を出て森へ向かった。
森へ近づくにつれて、町の喧騒は少しずつ遠ざかっていった。
木々の間を抜ける風が顔をくすぐる。
土を踏む自分の足音はパキパキと小気味いい。
静かな森の空気は、どこか心地よかった。
森に着くと、入口付近の開けた場所でリュカはしゃがみ込み、依頼された薬草を探し始めた。
昨日と同様、葉の形を確かめ、根を傷つけないように丁寧に摘み取る。まだ慣れない作業に少し手間取りながらも、少しずつ籠の中に薬草が増えていった。
そのときだった。
『……来…………な……』
───不意に、声が聞こえた気がした。
リュカの手が止まる。
「……え?」
顔を上げ、周囲を見回す。
木々が立ち並ぶばかりで、人の姿はどこにもない。
聞き間違いだろうか。
風が葉を揺らし、ざわざわと音を立てている。
リュカは耳をぴんと立て、しばらく周囲の気配に気を配った。
けれど、先ほどの声はもう聞こえなかった。
「誰か、いるの……?」
返事はない。
森の奥には、木々の隙間から差し込む光が淡く揺れているだけだった。
……誰かが、森の奥で危ない目にあってる?
そんな考えが頭をよぎったものの、リュカはすぐに小さく首を振った。
今の自分は、まだこの森のことを何も知らない。むやみに奥へ進むのは危険だ。
ガルドやリリにも、入っては行けないと何度も言われている。
そう自分に言い聞かせ、彼女は再び薬草採取に取りかかった。
結局その日はそれ以上、声を聞くことはなかった。
必要な量の薬草を集め終えるころには、太陽はかなり低くなっていて、赤い光が射し込み始めていた。
リュカは籠の中身を確認し、街の方へと戻っていく。
帰り道、ふと足を止めた。
何気なく、森の奥を振り返る。
そこには、先ほどと変わらない静かな景色が広がっていた。
何かがいるようには見えない。
それでも、リュカはその場を動けなかった。
「……気のせいなのかな。」
しばらく森の奥をじっと見つめた後、リュカは身体を街の方へ向け直した。
「……ごめんなさい。わたしはまだ……。」
小さく呟き、今度こそ町へと歩き出した。
ギルドに戻ると、リリが受付から顔を上げた。
「あら、おかえり。成果はどうだった??」
「うん。今日も沢山。」
いつもと変わらぬ笑顔で迎えてくれるリリ。
リュカは籠から薬草を取り出し、受付台の上に並べた。
リリは一つひとつ状態を確かめると、怪訝そうにリュカに尋ねた。
「薬草は合ってるわね。ただ……。」
「……?」
「リュカちゃん、これはちゃんと入口の近くで?」
「……?うん。入口の辺りだけど……。」
「そう……。」
リュカの言葉にまた、考え込むリリ。
もしかして森の奥に入ってると疑われているのだろうか。
怪訝な顔で目を伏せるリリにを見て、何か話した方がいいのだろうか、と、沈黙に耐えかねたリュカが口を開いた。
「あの……。」
「……えっ?あ、ごめんなさい。考え込んじゃって…報酬よね。」
「えっと、それもそうなんだけど…森で気になった事があって。」
リュカの言葉に、リリは真剣な目を向ける。
「……どうしたの?」
「…静か、だった。凄く。」
「静かって……森が?」
「うん……昨日、うさぎがいるのを見たんだけど、今日はうさぎどころか鳥1羽も居なくて……何も音がしなかった。」
「それって……。っ!ごめん、リュカちゃん!これ報酬ね!また詳しく話を聞くから!」
リュカの言葉に、血相を変えたリリは、足早にリュカに報酬を渡すと、一目散に奥へと入って行ってしまった。
まだ、報告する事があったのだが。
きょとん、とその場に立ち尽くすリュカだったが、とりあえず目的は果たしたので街の方へ戻る事にした。
ギルドを出たリュカは、町の通りをゆっくりと歩いた。
すると、前から見知った顔が歩いてきた。
「お?リュカじゃねえか!奇遇だな!」
「あ……どうも。」
リュカを見つけたガルドは、ニカッと笑いリュカの元へ歩み寄ってきた。
片腕は大きな紙袋で埋まっていて、お疲れさんともう片方の手を挙げてリュカに挨拶をした。
「仕事終わりか?」
「うん……そう。…あなたは?」
「俺ぁ、買い出しだよ。嫁が買い物くらい行けって煩くてよ…っと、今のは嫁に言うんじゃねぇぞ?」
自分で言った言葉にハッとして、しーっとリュカにジェスチャーを送るガルム。
それが少し可笑しくて、くすっと少し笑みが零れた。
「お?笑ったか?可愛い笑顔してんじゃねえか!もっと笑えよ!」
「えっ?や、えっと……。」
急に自分を褒められ、顔を俯かせるリュカ。
ガハハ、と大声で笑うガルド。
旅を始めてから、何気ない会話が出来る相手など居なかったリュカにとって、この何の意味もない会話はすごく大切な時間に思えた。
「あの……。明日……。」
「ん?どうかしたか?」
「…明日は、買いに行く。」
「……?ああ、今日の昼のことか!すまねぇな、お前さんの事は見えてたんだけど手が離せなくてよ……。」
「いや、えっと、そんな、気にしないで。」
急に謝られるとびっくりする。
今日はよくごめんという言葉を聞いたり言ったりする日だな、とリュカは思った。
「明日、良いのが入る予定だからよ。楽しみに来てくれ。サービスするからよ!」
「……うん、分かった。」
またな!とガルドは片手を上げて帰っていった。
他人との約束なんていつぶりだろう。ただの口約束だけど、その事実がまた、リュカの胸を踊らせるのだった。
───夜。
夕食を簡単に済ませ、新しく借りた宿のベッドに腰掛けたリュカは、窓の外を眺めていた。
昼間の森で聞いた声が、ふと頭をよぎる。
『……来……な……』
あれは、本当に何の声だったのだろうか。
もしそうなら、誰が、何に向かって言ったのだろう。
自分に向けてだったのか。それとも、別の誰かに向けた言葉だったのか。
考えてみても、答えは出ない。
「……報告、しそびれちゃったな……。」
今はまだ、わからないことばかりだ。
明日も仕事を探さなければならないし、この町で覚えたいこともたくさんあるのに。
また新しい謎が、リュカを取り巻こうとしている。
「……明日また、ギルドで話せばいっか。」
リュカはそう考え、ベッドへと横になった。
窓の外では、夜風が木々を揺らしている。
その音に、灰色の耳がぴくり、と動いた。
けれど、今度は何も聞こえなかった。
ただ静かな夜が、町を包んでいた。




