新たな幕開け
リュカが退院し、森での任務遂行の為の訓練が始まる。
戦闘能力の向上と、獣神化の取得。
この二つの目的を果たすため、リュカの新たな一日が始まっていく───。
退院祝いの日から、1週間程過ぎたある日。
この間、リュカはリリの家で寝食を共にしていた。
当初はリリからの提案で怪我が完全に回復するまでの間だけという話だった。
けれど身体が回復してからも、リュカは以前から利用していた宿へ戻ることなくリリの家で過ごしていた。
その理由は、退院から数日経ったある日のこと。
夕食を終え、二人で食器を片付けていたときだった。
「ねえ、リュカちゃん。」
「……なに?」
リリは洗い終えた皿を布巾で拭きながら、何気ない様子で口を開いた。
「もう、ここに住んじゃえば?」
「…………え?」
あまりにも突然の提案に、リュカの手が止まった。
「……ここに……?」
「うん。宿屋に行く理由も特にないわよね?」
「……え、でも……。」
リュカは少し困ったように視線を落とした。
「……リリさんに、迷惑かける……。」
「迷惑?」
リリは不思議そうに首を傾げた。
「……うん。ご飯も、お部屋も……色々。」
「…ふふっ。そんなこと気にしてたの?」
リリは手に持っていた皿を置くと、リュカを優しい目で見つめた。
「私は一人暮らしだし、今リュカちゃんが使ってる部屋も空き部屋だったの。それに、二人で暮らした方が何かと便利だと思うんだよね。」
「……でも……。」
「それにね」
リリの目が、優しく細められる。
「私も、一人で暮らすよりリュカちゃんと一緒にいた方が楽しいかなって。」
「…………。」
「だから、遠慮しなくていいんだよ?」
そう言って微笑むリリ。
リュカはしばらく黙っていた。
誰かの家にお世話になるなんて、今まで一人で生きてきたリュカにとっては簡単に受け入れられることではなかった。
けれど、目の前のリリは嘘でもなんでもなく、心から自分の事を想ってくれている気がした。
「……邪魔じゃない?」
「もちろん!」
「……じゃあ……」
リュカは少しだけ顔を上げた。
「……お世話に、なる……。」
「ほんと!やった!」
リュカの返事に、喜んで抱きつくリリ。
抱き締められたリュカは、その心地良さに目を細めながら、リリに見えないところで静かに微笑んでいた。
こうして、二人の共同生活が始まっていたのだった。
そして現在。
朝の柔らかな日差しが、窓から差し込んでいた。
小さな家の中には、焼きたてのパンの香りが漂っている。
「リュカちゃーん。朝ご飯できたよー。」
「……ん……。」
寝室から、眠たそうな返事が返ってくる。
しばらくして、銀灰色の髪を少し乱した少女が姿を現す。
灰色の狼耳は少し垂れ、尻尾も普段より元気がない。
「おはよう、リュカちゃん。」
「……おはよう……。」
「ふふっ。まだ眠そうだね」
「……うん。」
「顔を洗っておいで。すぐに食べられるから」
「……わかった。」
リュカは重い足取りで洗面所へ向かった。
その後ろ姿を見送りながら、リリは小さく笑う。
こうして朝を一緒に過ごすことにも、少しずつ慣れてきた。
最初の頃は、何をするにも遠慮がちだったリュカも、最近では食事の準備を手伝ったり、洗濯物を畳んだりするようになっていた。
もっとも、まだまだ慣れないことも多い。
例えば、料理の手伝いを頼むと、包丁を握りしめて必要以上に真剣な顔で食材と向き合っていたりする。
自分のローブを畳むよう言った時も、畳み方が分からずシワだらけにしてしまう事もあった。
でも、その様子がリリにはただただ微笑ましかった。
洗面所から戻ってきたリュカをダイニングに促し、二人で朝食を挟んで座る。
もさもさも寝ぼけ眼でパンを頬張っているリュカを暖かい目で見ながら、リリも朝食に手を付け始めた。
「……リリさん。」
「ん?」
ふと、食べている手を止めリュカが話しかける。
「……今日から始まる訓練は、どこでするの?」
「ああ、今日はギルドの訓練場を使わせてもらう予定よ。」
「……そうなんだ。」
「うん。ガルドさんも来るからね。」
リュカの耳が、ぴくりと動いた。
「……今日から?」
「そうよ。何かあった?」
「…………。」
リュカは少しだけ表情を引き締めた。
先日、ガルドから訓練を見てもらえると聞いたときは、素直に嬉しかった。
けれど、いざ当日を迎えると、少し緊張してしまう。
何しろ、相手は元特級冒険者らしい。
自分とは経験も実力も比べものにならない。
真剣な目でパンを見つめ続けるリュカに、リリは笑いかけた。
「大丈夫よ。最初からそんなに難しいことをするわけじゃないから。」
「……うん。」
「それに、私も一緒だからね。」
「……そっか。」
「ええ。弓のことなら任せて!」
リリは胸を張って笑った。
その表情を見て、リュカの尻尾が少しだけ揺れた。
「……よろしく。」
「うん!こちらこそ。」
顔を見合せて笑うリリと表情を緩めるリュカ。
朝食を済ませ、準備を整えた二人は家を出た。
セレスタの街は、いつも通りの賑わいを見せている。
そんな街並みを眺めながら、リュカはリリの隣を歩いていた。
「……そういえば。」
「なあに?」
「……ガルドさんのお店は?」
「ああ、串焼き屋さん?」
「……うん。お店、どうするのかな。」
「ああ。リュカちゃんは聞いてなかったのね。」
リリは納得したように頷いた。
「その辺は大丈夫みたいだよ。」
「……そう?」
「お店は奥さんに任せているんだって。」
「……奥さん?」
「うん。ガルドさんの奥さん。」
リュカは少し驚いたように目を丸くした。
「……そういえば……。」
「ふふっ。知らなかった?」
「……ううん。言ってたような…気がする。」
「まあ、私も詳しくは知らないけど、普段からお店を手伝っているみたよ。だから、ガルドさんが留守にしても問題ないんだって。」
「……そっか。」
リュカもまた、納得したように頷いた。
「でも、ガルドさんの奥さんってどんな人なんだろうね?」
「……ガルドさんみたいな人?」
「それはどういう意味で?」
「……大きい。」
「あははっ!」
リリは思わず笑ってしまった。
「リュカちゃん、面白いわね。」
そんな他愛のない会話を交わしながら、二人は訓練場へと向かっていった。
───ギルドに併設された訓練場。
冒険者たちが日々の鍛錬に利用する場所であり、木製の武器や的などが整然と並べられている。
その一角に、見覚えのある大柄な男が立っていた。
「おう!来たか!」
ガルドだった。
いつものように見せる気さくな笑顔は変わらない。
しかし、今日は普段の仕事着とは違い、動きやすい軽装備に身を包んでいた。
「おはようございます、ガルドさん。」
「……おはよう。」
「おう、おはよう!よく眠れたか?」
「……うん。」
「よし!寝不足じゃ良くねぇからな!」
ガルドは豪快に笑った。
「さて、それじゃあ早速始めるとするか。」
「……うん。」
リュカは返事をしたはいいものの、どこか緊張した様子だった。
それを見たガルドは、少しだけ表情を緩めた。
「そんなに気張るな。今日はお前の実力を確認するだけだ。」
「……確認?」
「ああ。今のお前がどれくらい動けるのか、何ができて、何ができないのか。それを見てから今後の訓練内容を決める。」
「……そっか。」
「ま、ありのままのお前を見せてくれたらいい。変に良く見せようなんてしなくていいからよ。」
ガルドはリュカの頭に大きな手を置いた。
わしゃわしゃと髪を撫でられ、リュカの狼耳がぺたりと伏せる。
「……髪が。」
「はははっ!悪い悪い!」
リリは二人その様子を微笑ましそうに眺めていた。
が、私以外に撫でられたこと無かったのにと、内心は少し穏やかではなかったかもしれない。
ガルドからの指示で、最初は基礎的な身体能力の確認から始めることになった。
訓練場の周囲を一定の時間走り続けた後、続いて簡単な反復運動や瞬発運動を行うシンプルなものだ。
「よし、まずは走ってみろ。無理に速度を出す必要はねえ。今のお前の体力を見たいだけだ。」
「……うん。」
リュカは軽く身体をほぐすと、走り始めた。
小柄な身体ながら、足取りは軽い。
魔力の影響と言われた並外れた脚力もあり、かなり速度で走り続けるリュカ。
しかし、数分程走った辺りで次第に呼吸が乱れ始める。
足取りもどこか重くなっていき、大きく振られていた腕も次第に振り幅が小さくなっていった。
「……はっ…はぁっ……!」
「おう、そこまでだ!」
ガルドが声をかけた。
リュカは足を止め、膝に手をつく。
「……はぁっ……はぁっ……!」
「ははっ。大分切れてんな。大丈夫か?」
ガルドは腕を組み、リュカの様子を観察した。
「……身体能力自体はかなりのもんだな。ただ、持久力が全然足りねえな。」
「……そう……。」
「持久力ってのは大事だ。魔物との戦いは一瞬で終わるとは限らねえ。長引けば長引くほど、体力がものを言う。」
「……うん。」
「それに、疲れた状態でも正確に動けるようにならなきゃならねえ。」
リュカは、走っている最中の自分の身体の動かし方を振り返った。
初めは軽快に動いていた足も膝が上がらなくなり、振っていた腕も重く動かせなくなっていく。
フォームが崩れる事で、体力を消費するスピードも上がってしまう。
ガルドの言う持久力の大切さを痛感した。
息の整ってきたリュカを見て、ガルドが次の指示を出す。
「さて、次は身体の使い方だ。言う通りに動いてみろ。」
簡単な動作をいくつか提示され、リュカはそれに従い、動く。
踏み込み、方向転換、回避行動。
跳躍、受け身。等
動作そのものはかなりの速さだった。
だが。
「……なるほどな。」
ガルドは顎に手を当てた。
「速さはある。だが、動きに無駄が多くて隙だらけだ。」
「……無駄?」
「例えば……お前の回避行動。重心が一度左に振られて右に跳ぶまでに一拍遅れたろ。」
「……あ。」
はっと気づいた様子のリュカに、ガルドが頷く。
「その一拍の遅れが大きな隙になる。一級や絶級の魔物なら、狩られてるぞ。」
「……そっか。」
「まあ、こればかりは反復だな。」
ガルドは腰に手を当てて、淡々と続ける。
「身体の基礎は、毎日少しずつ積み重ねていく。これが一番大事だ。」
「……わかった。」
「よし。じゃあ次は弓術だな。」
そう言って、ガルドはリリの方を見た。
「頼むぜ、先生。」
「はい。分かりました。」
リリはにこやかに頷いた。
訓練場の一角には、弓術の練習に使う的が並べられていた。
リュカは自分の弓を手に取り、矢筒を背負う。
ガルドは的の脇へ待機し、リュカの横へはリリが着いていく。
「じゃあ、まずは基本的な射撃を見せてもらおうかな。」
「……うん。」
「いつも通りで大丈夫。構えや動きを確認したいだけだからね。」
リリは優しく声をかけた。
リュカは的の前方に立ち、弓を構える。
矢を番え、キリキリという音を立てて、ゆっくりと弦が引き絞られていく。
その動作は決して悪くない。
しかし、いつもと違う環境に加え、ガルドが後ろから見ていることもあってか、リュカの表情は少し硬かった。
「………。」
「大丈夫だよ。ゆっくり狙ってね。」
「……うん……。」
リュカは的を見据えた。
そして、矢を放つ。
ヒュンッ!!と音を立て、矢は勢いよく飛び出した。
だが。
的の延長線上を大きく外れ、ぐんぐん横へと逸れていく。
その先には、腕を組んで射撃を見守っていたガルドの姿があった。
ヒュンッ!!
矢が、ガルドの頭のすぐ横を掠めた。
「…………あっ……。」
リュカの口から、小さな声が漏れる。
訓練場に、一瞬の沈黙が訪れた。
ガルドはゆっくりと、自分の頭の横を通り過ぎていった矢の方を見た。
そして、見開いていた目でゆっくりとリュカへ視線を戻す。
「…………おい。」
「…………。」
「お前、マジか。」
「……今のは違う……。」
「何が違うんだよ。」
「……もう一回。」
「いや、先に謝れ!!」
ガルドの声が訓練場に響き渡った。
つかつかと一目散にリュカの方に歩み寄ってくる。
「……あう……。」
「どこ狙ったらこっちにくるんだ!危ねえだろうが!」
「……ちゃんと狙った……。」
「俺か!?俺を狙ったのか!?」
流石に恐怖を感じたのであろう、少し顔を青ざめさせながら叫ぶガルド。
リュカの隣では、リリが口元を押さえている。
「ふっ……くくっ……!」
「おい、リリ!笑ってねえでお前も何とか言え!!」
「ご、ごめんなさい……でもリュカちゃんも悪気は…くっ……ふふっ……!」
「悪気があったら大問題だろうが!」
リュカは、真剣な目でガルドを見据えて言い放つ。
「……ごめんなさい……次は当てる。」
「何にだ!?俺にか!?」
「……ガルドさんが的になるの……?」
「何を言ってんだお前は?!」
首を傾げるリュカに、ガルドは深いため息をついた。
どうやら、今日の修行は思っていた以上に大変なものになりそうだった。
リュカの隣では、堪えきれなくなったリリがお腹を抑えて蹲っていた。
「───さて、落ち着いたところでもう一度確認しましょう。」
散々笑い終えたリリが、リュカの隣に戻ってくる。
リリの後ろでは、ガルドが腕を組んで睨みつけるような目を二人に向けていた。
「リュカちゃん。今の射撃だけど、少し力が入りすぎていたかな。」
「……やっぱり……。」
「うん。弦を引く腕に力が入っていたし、狙いを定めるときも身体が揺れてたわ。」
「……そうだった?」
「ただ緊張してただけだと思うけどね。ガルドさんが見えてたからかな?」
リュカはちらりとガルドを見た。
ガルドはまだ少し不満そうな顔をしている。
「……うん。」
「やっぱり。でも大丈夫。誰だって緊張するわ。」
リリはリュカの肩に手を添えた。
「一度、私がお手本を見せるね。」
そう言うと、リリは自分の弓を手に取った。
金の装飾で、いかにも重厚そうな見た目をした大弓。
リリの身体の3分の2はあろうという巨大な体躯は、矢を放つ前からその攻撃力の高さを醸し出していた。
弓を携えて、的からかなり離れた位置に立つ。
すっ―と構えられた弓。何処にも余計な力が入っている様子はない。
矢を番え、弦を引く。
リュカの弓とは違う、ギリっという重い音が鳴った。
そのリリの一連の動作は見蕩れてしまうほど滑らかなもので、無駄な動きが一切ない事を物語っていた。
───ビュッ!!
放たれた矢が、凄まじい勢いで飛んでいく。
そして。
───バガンッ!!!!
矢は中心に吸い込まれるように当たり、的を粉々に粉砕してしまった。
「…………っ。」
リュカは目を見開いた。
「……すごい。」
「まあ、こんな感じね。」
リリは何事もなかったかのように弓を下ろした。
「……現場にはあまり出てないと聞いたが…衰え知らずだな。」
ガルドが感心したように頷く。
「いえ、全盛期程の力はありませんよ。」
「謙遜するな。お前はセレスタで唯一の特級弓士だろ。」
ガルドは肩をすくめた。
ガルドが冒険者だった頃と同じ特級の称号を持つリリの弓術は、冒険者の中でも最高峰と評されるほどのものだった。
射撃の精度だけではない。
リリにしか扱えない大弓の存在は言わずもがな。
風向きや高低差など、あらゆる状況を瞬時に判断し、最適な一射を放つことができる類稀なる状況判断力。
それらはリリの才能と、度重なる戦闘による経験と研鑽によって培われたものだった。
「…弓はね、ただ真っ直ぐ的に当てればいいというものじゃないんだよ。」
リリは的を見つめ、弓を構える。
「どんな状況でも、自分が狙った場所に矢を届けられること。それが大切なの。」
「……どんな状況でも。」
「そう、例えば……」
矢を番え、引き絞る。
今度は的のかなり右側に体を向けていた。
先程リュカが誤って矢を放った方向だった。
「……的の前に、何かしらの障害物があるとして。ここから1歩も動かずに射ることが出来たら。」
狙いを定めたリリ。
ふっ……と引き絞る手が離される。
───ヒュンッ!!!
甲高い音を立て放たれた矢は的の右側に一直線に飛んだ。
と、思った次の瞬間。
矢がククッと左へと曲がり始める。そして。
───バガァン!!!
凄まじい音を立てて、的が破壊される。
見事な曲線を描いた矢は、横方向から的の真ん中を射抜いていた。
「…うん。」
満足そうに弓を下ろすリリ。
「……す、ごい……。」
「……ああ、大したもんだな。」
目を見開いて驚きを隠せないリュカ。
ガルドもまた、リリの弓術の高さに感嘆の声を上げる。
「これは曲射って言ってね、障害物に身を隠して相手を射つやり方なの。こういった事が出来るようになれば戦闘の幅が一気に広がるわ。」
「……難しそう……。」
「あははっ!最初からできる人は居ないよ。」
リリは笑いながら、リュカに向き直った。
「でも、リュカちゃんはまず基礎を固めるところから。一緒に頑張ろうね。」
「……うん。」
リュカの表情に少しだけ明るさが戻った。
リュカの表情を見て、リリが優しく微笑む。
そんな二人の様子を、ガルドもまた微笑ましそうに眺めていた。
弓術の確認を終えると、今度は実戦を想定した訓練に移ることになった。
「さて、次は俺と少し手合わせしてみるか。」
ガルドが木剣を手に取った。
「……ガルドさんと?」
「ああ。お前が実際にどれくらい戦えるのか見ておきたい。」
「……でも、弓は危ない。」
「茶化してんのか?お前が今からやるのは近接戦闘だ。」
ヒュッ、とガルドから木剣が放られる。
急に飛んできた武器に少し慌てながらも、リュカは何とかキャッチした。
「まあ、お前の弓くらい避けるのはなんてこたねぇが…それじゃ意味ねえからな。おら、構えろ。」
片手に木剣をもち、脱力した構えを見せるガルド。
それを見て、リュカもまたぎこちなく剣を構え、ガルドと向かい合った。
「遠慮はいらねえぞ。好きに攻めてこい。」
「……本気で?」
「もちろん。一度でも当てたら合格だ。」
ガルドは軽く笑った。
リュカは一度、深く息を吸った。
静かに相手を見据える。
ガルドは、まだ脱力したままだ。
一気に懐に飛び込んでしまえばいけるかもしれない。
「……ふっ。」
少し身を沈ませたリュカは、一気に地面を蹴った。
土埃が舞い上がり、凄まじいスピードで距離を詰め、木剣を横に薙ぎ払った。
しかし。
───ガッ。
ガルドは片手で持った木剣を、くるんと手元で回転させただけ。
それだけでリュカの攻撃はあっさりと受け止められる。
「……っ!?」
リュカはすぐに跳躍し、距離を取った。
目の前から行くのは流石に浅はかだったかと。
今度は右へ角度を変えて踏み込み、低い位置から剣を上に振り上げた。
「………。」
───ガゴッ!
ガルドは、リュカを一瞥もすること無く、正確にリュカの剣に合わせ剣を当ててくる。
「……なら、次は……っ!」
角度を変え、速度を変え、方向を変え。
リュカは何度も踏み込んでいく。
木剣が衝突する鈍い音が、何度も訓練所に響く。
何度攻めても、ガルドの身体には届かない。
それどころか、ガルドはほとんどその場から動いてすらいなかった。
「どうした!まだいけるだろ!」
「……っ!」
リュカは再び踏み込んだ。
真っ直ぐに懐へ飛び込み、剣を振り下ろす。
ガルドがそれに合わせ、剣を下げて振り上げようとした瞬間。
リュカは瞬時に横に跳躍し、隙の出来た脇へと入り込んだ。
タイミングは完璧。
ガルドの手は身体の前にある。
しかし、ガルドはその動きを見逃していなかった。
リュカが着地した瞬間に、ガルドの目だけはリュカを捉えていた。
ガルドと目が合い、ゾッとしたリュカは攻撃を急いてしまう。
リュカの足は再度地面を踏み込もうとしたが、それよりも速くガルドの木剣が進路を塞ぐ。
「……えっ……?」
「甘ぇよ。」
───コツン。
動きを止めることは間に合わず、前に飛び出したリュカの額に木剣の先端が軽く触れた。
「おら、一回だ。」
「…………っ。」
リュカはその場で固まった。
「……もし本物の武器だったらどうなってたと思う?」
「……死ん……でた。」
「そうだな。今お前は死んだ。」
ガルドは木剣を下ろした。
「お前は速い。動きも悪くねえ。だが、攻撃当てることに意識が向きすぎてる。」
「……。」
「相手がどう動くか、次に何をしてくるか。そこを考えながら戦わなきゃならねえ。」
リュカは自分の額に触れた。
先ほどの一撃は、ガルドが木剣を振るったのではない。
攻撃の速さに合わせて、わざと隙を作る。
目を合わせることで、リュカの攻撃への焦りを引き出す。
焦ったリュカの踏み込みが止まらないその瞬間を狙って。
木剣に、飛び込まされた。
「さて、続けるか。……せめて十回は死ぬんじゃねえぞ?」
その後も、何度も何度もガルドとの手合わせを繰り返した。
結果は、ほとんど変わらなかった。
リュカの攻撃はガルドに届かず、ガルドの攻撃は何度もリュカに届く。
力の差はもちろんだが、それ以上に経験の差が大き過ぎた。
リュカが次の行動を考えている間に、ガルドはすでにその先を読んでいる。
攻撃を防ぐだけではない。
リュカが動きやすい方向を塞ぎ、自然と不利な位置へ追い込んでいく。
まるで、リュカの動きがすべて見えているかのようだった。
「……はぁっ……はぁっ……!」
やがて限界を迎えたリュカは膝から崩れ落ち、その場に手をついて蹲ってしまった。
「よし。ここまでだな。」
ガルドも静かに木剣を下ろす。
体力の限界を超えていたリュカに対し、ガルドは息一つ切らさず平然と立っていた。
「どうだ?自分の実力が少しは分かったか?」
「……うん。」
リュカは悔しそうに唇を結んだ。
「……一回も当たらなかった。」
「はははっ!まだまだだったな。」
ガルドは豪快に笑った。
「まあ、お前にはまだまだ伸びしろがあるってことだ。そう気を落とすな。」
ガルドはリュカの頭を軽く撫でた。
「焦らず、一つずつ身につけていこうぜ。」
「……うん。」
リュカは小さく頷いた。
その後、三人は訓練場の端に移動し、今後の訓練について話し合っていた。
「まずは基礎体力だな。」
ガルドが腕を組んだ。
「お前は身体能力こそ悪くねえが長時間戦い続けるには体力が足らなさすぎる。それに、戦ってみて思ったが疲れたときの動きも雑になりすぎだ。」
「……うん。」
「毎日、訓練前に走り込め。無理のない範囲でな。」
リュカは素直に頷いた。
それを見て、ガルドはまた続ける。
「次に、実戦での立ち回りだ。敵の動きをよく見ること。攻撃することだけを考えるんじゃなくて、自分がどう動けば生き残れるかを考えろ。」
「……わかった。」
「弓については、私が担当ね。」
ガルドに代わり、リリが話し始める。
「まずは基本をもう一度確認して、正確に狙う練習から始めましょう。慣れてきたら、移動しながらの射撃や、動く相手への射撃も練習していこうね。」
「……わかった。」
「一緒にがんばりましょう。」
優しく微笑むリリと、素直に真剣な目で二人の話を聞くリュカ。
強くなりたいというリュカの想いが、その目に溢れていた。
ガルドは二人を見て、満足そうに頷いた。
「それから、もう一つだ。」
「……?」
「獣神化についてだな。これも並行して習得方法を探していくぞ。」
リュカの耳が少しだけ動いた。
「獣神化の力でお前の身体能力をさらに引き上げられた上に、戦闘能力も身につけることが出来れば……牙狼にも太刀打ちできるようになるかもしれねえな。」
「……。」
「そのためにも、普段のお前自身が強くならなきゃならねえ。どんな状況でも、自分の力で判断して戦えるようにな。」
ガルドは真っ直ぐにリュカを見つめた。
「獣神化を使わなくても、立派に戦える冒険者になる。それがまずは目標だ。」
リュカは少しの間、黙っていた。
森で牙狼と遭遇したときのことを思い出す。
圧倒的な力の差。
何もできず、ただ傷ついていく自分。
あのときの恐怖は、今でもはっきりと覚えている。
けれど、もう同じ思いはしたくなかった。
誰かに心配をかけるのも嫌だった。
自分の力で、大切な人たちを守れるようになりたい。
そして、もう一度、森へ行きたい。
牙狼の真意を暴くために。
「……強くなりたい。」
リュカは小さく呟いた。
「ああ。」
「……もっと、強く。」
その言葉を聞いたガルドは、にっと笑った。
「よし!とことん付き合ってやるからな!」
リリも優しく微笑む。
「私も、ね。」
「……うん。」
リュカは二人を見上げ、力強く頷いた。
───気がつけば、空は夕暮れの色に染まっていた。
今日の訓練は、これで終了となった。
「いやあ、なかなか面白い一日だったな!」
ガルドは大きく伸びをした。
「……疲れた。」
リュカは少し離れた場所で、地面に座り込んでいた。
「はははっ!そりゃあ、あれだけ動けば疲れるだろ!」
「……ガルドさんは疲れてないの?」
「ん?まあ、まだまだ余裕だな!」
「……すごい。」
「だろ?」
ガルドは得意げに胸を張った。
「でも、今日はよく頑張ったね。リュカちゃん。」
リリがリュカの隣にしゃがみ込む。
「……うん。」
「弓の方も、最初は少し緊張していたみたいだけど、後半は落ち着いて射ててたよ。」
「……ほんと?」
「ええ。明日からもいっぱい練習しようね。」
「……うん。」
リュカは立ち上がり、身体についた土を払った。
リリもまた、リュカの尻尾に着いた砂埃をパンパンと払ってあげた。
「よし!じゃあ、今日はここまでだな。」
ガルドが訓練場を見渡した。
「明日からも頼むぜ。リリ、リュカ。」
「はい!」
「……こちらこそ。」
「じゃあ、また明日な!」
ガルドは大きな手を振ると、二人に背を向けて歩き出した。
「……ガルドさん。」
「あん?」
「……ありがとう。」
リュカの言葉に、ガルドは一瞬だけ足を止めた。
そして、振り返るといつもの豪快な笑顔を向けてくれた。
「ははっ!礼を言うのはまだ早えよ。これからが本番だからな!」
「……うん。」
「それじゃあな!」
ガルドは再び歩き出した。
その背中を見送りながら、リリは小さく笑った。
「明日も頑張ろうね、リュカちゃん。」
「……うん。」
リリの家に戻る頃には、すっかり日が暮れていた。
「ただいまーっと。」
「……ただいま。」
二人で家に入る。
リリは荷物を置くと、すぐに夕食の準備を始めた。
「リュカちゃん、先に身体を洗っておいで。汗もかいただろうし。」
「……うん。」
「着替えとタオルは用意しておくからね。」
「……わかった。」
頷くと、リュカは浴室へと向かった。
何度も入ってるけど、やはり他人の家のお風呂場というのは少しむずむずして慣れないものがあった。
リュカはそそくさと服を脱ぎ、籠に入れて浴室へと入った。
シャワーを頭に浴びながら、今日の訓練を思い出す。
自分の弱さが痛感できた訓練だった。
そして、今思えばこの実力で単独で森に入った事がとても恥ずかしく思えた。
全ての邪念を洗い流すかのように、リュカはしばらくシャワーを浴び続けた。
着替えを持って来たリリも、そんなリュカの雰囲気に扉越しに気づいていたが何も声はかけなかった。
しばらくして、身支度を整えたリュカが戻ってくると、食卓には温かな料理が並べられていた。
パンとスープに、肉のフライのようなもの。
色彩を考え綺麗に盛り付けられたサラダ。
スフレのようなふわふわの卵料理。
並べられた料理はどれもが美味しそうな輝きを放っていた。
「おかえり。今日は少し頑張って作ってみたよ。」
「……おいしそう……。」
「ふふっ。たくさん食べてね。」
二人は向かい合って席についた。
「「いただきます」」
リュカは料理を口に運んだ。
「……おいしい。」
「本当?よかった。」
リリは嬉しそうに微笑んだ。
疲れきった身体に染み込ませるように、リュカはがつがつと料理を頬張った。
しばらくは、食器の音だけが静かに響いていた。
やがて、リリが口を開く。
「今日の修行はどうだった?」
「………疲れた。」
「あはは。そうだろうね。」
「……ガルドさん、すごく強かった。」
「まあ、元とはいえ特級だもんね。」
「……全然、攻撃、当たらなかった。」
「ぜーんぶ止められてたね。」
「……弓も、上手く出来なかった。」
リュカは少し悔しそうに眉を寄せた。
「……もっと頑張らないと。」
「ふふっ。そうね。でも、一日で全部できるようになるわけじゃないわ。」
「……うん。」
「焦らなくていいの。毎日一個でいい。出来ることを確実に増やしていくの。」
リュカは頷き、再び料理を口に運んだ。
その後、弓の練習についても話題になった。
「……リリの弓、すごかった。」
「え?」
「……あんなに簡単そうに、真ん中に。」
「あはは。まあ……私は弓一筋だしね。」
「……私も、あんな風になれる?」
リリは少し考えた。
そして、穏やかに微笑む。
「んー……なれるかどうかは、これからのリュカちゃん次第かな。」
「……そっか。」
「でも、私は楽しみにしてるよ。リュカちゃんがどんな弓士になっていくのか。」
「……頑張る。」
「うん。応援してるからね。」
リュカの尻尾が、嬉しそうに小さく揺れた。
そこからは他愛のない話をしながら、二人は食事を楽しんだ。
あんなにあった料理も、気づけば全て二人の胃袋へと消えていった。
夕食を終え、二人で食器を片付ける。
リュカはかなり疲れているはずなのに、今日もまた自分から進んで手伝おうとする。
「…リュカちゃん、今日はもう休んでいてもいいんだよ?」
「……手伝う。」
「でも……。」
「……わたしも、何かしたい。」
「…分かった。ありがとうリュカちゃん。」
二人で並んで皿を洗い、拭き、棚へ戻していく。
そんな何気ない時間も、リュカにとっては少しずつ当たり前になりつつあった。
片付けを終えると、ソファで突っ伏しているリュカにリリは温かい飲み物を用意してくれた。
「リュカちゃん。紅茶飲める?」
「……飲んだ事ない。」
「これ、美味しいの。良かったら飲んで。」
リュカは紅茶を受け取り、リリはリュカの横に並んで座った。
窓の外には、夜の街並みが広がっている。
遠くから冒険者たちの話し声が聞こえてくるが、家の中は静かで穏やかだった。
「……リリさん。」
「なあに?」
「……セレスタ。いい街だね。」
リリは少し驚いたように目を瞬かせた。
「そう?」
「……うん。」
リュカは手元のカップを見つめながら続けた。
「ご飯もおいしいし……皆優しい。」
「ふふっ。そう言ってもらえると嬉しいな。」
リリはリュカの頭にそっと手を伸ばした。
そして、灰色の狼耳に触れないように気をつけながら、優しく髪を撫でる。
「これからも、よろしくね。リュカちゃん。」
「……うん。よろしく。」
二人は顔を見合わせて笑った。
自分にはまだまだ足りないものばかりだ。
できないことも、知らないことも、沢山ある。
それでも。
自分を支えてくれる人たちがいる。
一緒に歩いてくれる人たちがいる。
だから、きっと大丈夫。
こうして、獣人少女の新しい日々が始まった。
それは強くなるための毎日であり。
そして、少しずつ自分の居場所を見つけていく毎日でもあった。
夜空に小さな星が二つ、並んで静かに輝いていた。




