知らない存在
リュカが無事に目覚め、また新たな日常が幕を開ける。
ダリウスの残した、灰狼族という種族の存在。
その灰狼族であろうリュカと、牙狼の関係。
そして、リュカの中に眠る魔力。
深まる謎が増える中、また新たな来訪者が───。
リュカが目覚めてから一週間ほどの時が流れた。
セレスタの街には、今日も変わらぬ朝が訪れていた。
冒険者ギルドには依頼を求める冒険者たちが集まり、通りには露店商の威勢のいい声が響いている。
そんな街の一角にある、医療棟の病室。
「………暇。」
ベッドの上で、リュカさ天井を見つめながら呟いた。
頭にはまだ包帯が巻かれ、腕や身体にもいくつかの包帯が残っている。
森で負った傷は、概ね半分程は回復していた。
身体に残っていた痛みも以前ほどではなくなり、身体を起こすことだってできる。食事も普段ぐらいの量を食べられるようになった。
ただし、まだ完全に回復したわけではない。
医師からは安静にするよう言われているし、リリからも口を酸っぱくして同じことを言われていた。
それでも。
「……やる事ない。」
もう一度、リュカは呟いた。
窓の外では、小鳥が枝から枝へと飛び移っている。
遠くから聞こえる街の喧騒。
誰かの楽しそうな笑い声。
どこからともなく漂ってくる、おいしそうな匂い。
どれもこれも、今のリュカには羨ましかった。
何しろここ一週間、ほとんど病室から出られていないのだ。
食べて、眠って、傷の具合を確認してもらって、また眠る。
ただそれだけを繰り返されるだけの日々。
毎日リリはお見舞いに来てくれるし、ガルドも顔を出してくれるけど。
それでも。
「……そろそろ、いいかな…。」
リュカは、そっと上半身を起こした。
身体に痛みはない。
彼女はベッドの端に腰かけ、そーっと床へと足を下ろし始めた。
あと少し。
あと少しで、床に足が届く。
「よし……。」
退屈な病床生活から逃げ出してやろうと、片足を床につけた。
その瞬間。
「リュ〜カ〜ちゃ〜ん〜?」
「ひぃっ!?」
急に背後から声がした。
恐る恐る振り返ると、病室の入口にリリが立っていた。
両手には食事の載ったトレイ。
その顔には、にこやかな笑みが浮かんでいる。
ただし、目は笑っていなかったけど。
「……何をしているのかなぁ?」
「……え、えっと……。」
「もしかして…ベッドから降りようとしていたのかな?」
「……あの、その……。」
どんどんリュカに詰め寄るリリ。
普段の温厚な笑顔はどこへやら。
凄まじい威圧感を放つリリの顔に、リュカはすっかり怯えきってしまっていた。
ぺたんと伏せられた耳と丸められた尻尾を震わせながら、リュカはしどろもどろに答える。
「……お、お散歩…行こうと…」
「駄目。」
即答だった。
「…まだ、してない…。」
「してたらとっ捕まえてたわよ。」
「うっ……。」
上目遣いで、リリを見上げるリュカ。
「…もう、動いていいと思う…。」
「駄目。」
「…で、でも、ずっと寝てるのも身体によくない…」
「駄目って言ってるでしょ。」
「……なんで…。」
リリはトレイを近くの台に置くと、リュカの肩をそっと支えてベッドへ戻した。
そして、掛け布団を整える。
まるで、少しでも目を離したらどこかへ逃げていく子供を相手にしているようだった。
実際、リュカは逃げ出そうとしていた訳だから、間違ってはいないが。
「まったく、もう……。」
リリは小さくため息をついた。
「一週間前、あんなにひどい怪我してたのよ?動き回って良い訳がないでしょう?」
「……分かってる。」
「本当に?」
「……。」
リュカはぶすっと僅かに頬を膨らませた。
そんな彼女を見て、リリの表情が少しだけ緩む。
「ほら、もう少し大人しくしてて。」
「……分かった。」
不満げな返事だった。
リリは苦笑しながら椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「はい、朝ご飯。食べられそう?」
「……!…食べる。」
先ほどまでの不満は、どこへやら。
リュカの耳が、ぴんと立った。
そのあまりにも分かりやすい変化に、リリは思わず吹き出した。
「ふふっ。…元気そうでよかった。」
「……?」
「ううん、何でもない。」
リリは笑いながら、食事をリュカの前に置いた。
さっそく匙を手に取る。
そして、食事を口に運びながら、ちらりとリリを見た。
「……リリさん。」
「なあに?」
「……わたし、いつになったら外に出られるの?」
「もう少し回復したらね。」
「……その『もう少し』って、いつ?」
「許可が下りたらね。」
「……それ、昨日も聞いた。」
「昨日も同じことを言ったもの。」
「……うぅ…。」
リュカの尻尾が、布団の下で不満げに揺れた。
リリはそれを見て、また笑った。
こうして言い合いができるようになったこと自体、回復している証拠なのだろう。
少なくとも、リリにとってはそうだった。
あの日、血まみれの姿のリュカを見たときのことは、今でも鮮明に覚えている。
呼びかけても、目を覚まさなかった。
いつもなら元気に動いている耳も、尻尾も、力なく垂れ下がっていた。
あの時の光景を思い出すと、今でも胸の奥が冷たくなる。
だからこそ。
「……リュカちゃん。」
「……?」
「何かあったら、ちゃんと教えてね。痛いところがあったり、気分が悪くなったりしたら、我慢しないこと。」
「……わかった。」
「本当に?」
「…わかった。」
リュカは少しだけ声を大きくした。
それから、気まずそうに視線を逸らす。
「……心配してくれてるの、分かってる、から……。」
小さな声だった。
リリは一瞬、目を丸くした。
けれど、すぐに優しく微笑んだ。
「……うん。」
それ以上、何も言わなかった。
リュカも、それ以上は何も言わず、食事を続けた。
病室には、匙が皿に触れる小さな音だけが響いていた。
やがて、リュカが顔を上げる。
「……無くなった。」
「え?」
「……足らない。」
「…えぇぇ…?」
「……まだ、ある?」
さっきまでのしんみりした空気は、あっという間に消え去った。
リリは苦笑いしながら立ち上がり、追加のパンを取りに向かった。
その背中を見送りながら、リュカは尻尾をゆらゆらと揺らしていた───。
「おーい、リュカ!元気にしてるか!」
昼過ぎ。
病室の扉を勢いよく開けて現れたのは、ガルドだった。
「……ガルドさん…!」
リュカの顔が少し明るくなる。
「おう!どうだ、具合は!」
「……もう大丈夫……だと思う。」
「おいおい、最後の一言が怪しいな。」
ガルドは豪快に笑いながら、籠を台の上に置いた。
「ほら、見舞いだ。」
「…食べ物?」
「おう。ウチの串焼き屋の特製……とまではいかねえが、腹の足しになるもん持ってきたぞ!」
籠の中から、香ばしい匂いが漂ってくる。
リュカの鼻が、ぴくりと動いた。
耳が立ち、尻尾が揺れる。
そして、彼女の視線が籠に釘付けになった。
「……おいしそうな匂い。」
「だろ?」
「…食べていいの?」
「おう!食え食え!」
「……やった…… 。」
リュカが尻尾をぶんぶんと振りながら籠に手を伸ばしたその時。
「……リュカちゃん?」
また入口の方から、冷たい声が飛んできた。
ぴたり。とリュカの動きが止まる。
ゆっくりと振り向いたそこに、いつの間にか戻ってきていたリリが立っていた。
「……リリさん……。」
「何を食べようとしているのかな?」
「……えっと……ガルドさんが、お見舞いに……。」
「それは見れば分かるわ。」
リリは籠を覗き込む。
それから、ガルドへと視線を向けた。
「ガルドさん。お気持ちは嬉しいんですけど、まだ脂っこいものはリュカちゃんのお腹に優しくないと思うの。」
「お、おう……そうか。」
子供を守る保護者のような凄まじい圧を目線から感じ取ったガルドは、リリの言葉に反論すること無く籠を自らの腕の中に下げていった。
「……!?」
リュカが勢いよく顔を上げた。
「……ガルドさん、今、食べていいって……。」
「そんな裏切り者を見るような目をするな!」
「……だって…。」
「こら。リュカちゃん。ちゃんと横になって。」
リリが間に入る。
ガルドは困ったように頭を掻いた。
「すまんすまん。もう何でも食べられるもんだと思っちまってな。」
「……じゃあ、食べられる物ならいい?」
リュカが、そろりと尋ねる。
「え?」
「……脂っこくなければいい?」
「まあ、そうだけど……」
「……じゃあ、あれは?」
リュカが籠の中の小さく切られた焼き芋を指差す。
ガルドが持ってきた差し入れの一つだった。
「おっ、これなら大丈夫じゃねえか?」
ガルドがリリを見る。
リリは少し考え、頷いた。
「……少しだけね。」
「……やった。」
リュカは尻尾を振って喜んだ。
その姿を見て、ガルドは腹を抱えて笑った。
「はははっ!食い物の話になると元気になるじゃねえか!」
「……食べるの、大事。」
「違いねえな!」
二人は顔を見合わせて笑った。
リリも呆れたように微笑む。
ガルドから受け取った焼き芋を一口食べたリュカは、満足そうに頬を緩めた。
「……おいしい……。」
「だろ?店の仕込みのついでに焼いてきてな。」
「……ガルドさんのお店、色々あるね。」
「まあな。串焼きだけじゃ飽きるだろ?」
「……毎日でもいい。」
「お前、そんなこと言ってたらマジで毎日串焼きしか食わなくなるぞ。」
「……いい。」
「よくねえよ!」
ガルドが即座に突っ込む。
リリはとうとう声を出して笑った。
久しぶりに、病室が賑やかになった。
リュカが食べ終わると、ガルドは椅子を引き寄せ腰を下ろした。
「そういや、リュカ。外の様子は気になるか?」
「……うん。」
「だろうなぁ。」
ガルドは窓の外を見た。
「……良くも悪くも、街はいつも通りだ。冒険者たちは依頼に出て、店は変わらず商売をして、酒場じゃ相変わらずくだらねえことで喧嘩してる。」
「……森は?」
「…いつも通りだと。」
「……そっか……。」
リュカは窓の外へ目を向けた。
この一週間の間、森への依頼は完全に封鎖されている事をリリから聞いた。
その甲斐あってか犠牲者は0になっているが、それが解決を意味することでは無いのはリュカにも分かっていた。
「……早く、行きたい。」
ぽつりと呟く。
ガルドは、その言葉に小さく笑った。
「…もう少しの辛抱だ。焦る必要はねえよ。」
「……うん。」
「まあ、退院したら店に顔を出せ。美味いもん、腹一杯食わせてやるからよ。」
「……本当?」
「おう!」
「……約束。」
「分かった分かった!」
リュカの尻尾が、ぶんぶんと揺れた。
その様子を見て、リリが小さく溜息をついた。
「はぁ…食べ物の話ばかりね。」
「いいじゃねぇか!」
「よくないですよ。退院しても、すぐに無理しちゃダメよ?リュカちゃん。」
「……うん。」
リュカはしゅんと耳を伏せた。
ガルドは笑いながら、リュカの頭を撫でようと手を伸ばす。
が、触れる直前で手を止め、代わりに肩をぽんと叩いた。
「ま、今はしっかり休め。元気になったら、嫌でも忙しくなるからよ。」
「……うん。…ありがとう。」
「おう!」
ガルドは満足そうに頷いた。
しばらく三人で他愛もない話をしていると、ガルドがふと思い出したように口を開いた。
「そういや、リュカ。弓の具合はどうだった?」
「……弓?」
「ああ。ヴァルゼンの。」
リュカは一瞬、言葉に詰まった。
森での出来事が脳裏をよぎる。
訓練で得た技術も、自身の能力も。
何一つ敵わなかった事実がリュカの胸を抉った。
「……弓は、良かった、と思う。」
「そうか。」
「……でも、もっと練習しないと……。」
リュカは、自分の手を見つめた。
「……今のままじゃ…全然……。」
言いかけて、口を閉じる。
ガルドは、そんなリュカをじっと見て、いつもの調子でニッと笑った。
「まあ、焦るな。強くなるのは、これからだろ?」
「……うん。」
「お前には仲間がいるだろ。イヴだっているし、リリもいる。分からねえことがあったら、何でも聞けばいいんだ。」
「……うん。」
リュカは顔を上げた。
先ほどまでの曇った表情は、少しだけ晴れていた。
リリも、その様子を見て優しく微笑む。
病室には、穏やかな時間が流れていた。
──日も傾き、赤い光が部屋に差し始める頃。
ガルドが店へ戻り、リリもまた仕事へ戻って暫く経った。
病室には、再び静けさが戻っていて、リュカはまた退屈に殺されそうになっていた。
ベッドの上で、窓の外を眺めてみる。
街の景色は、少しも変わらない。
自分だけが、あの日からずっと取り残されているような気がした。
牙狼の、あの圧倒的な力。
そして、意識を失う直前に感じた、身体の奥底から湧き上がる何か。
「……あれは…何だったのかな…。」
小さく呟く。
答えは出ない。
思い返そうとすると、頭の奥が少し痛んだ。
「……。」
リュカは首を振った。
今は考えても仕方がない。
そう思い、布団へ身体を預けた、そのときだった。
病室の扉が、無造作に開かれた。
「……っ…?」
リュカが顔を向ける。
そこに立っていた人物を見て、リュカは目を見開いた。
「……あなた、は……。」
立っていたのは、ヴァルゼン・クロイツ。
彼は、病室の入口に立ったまま、リュカを見つめていた。
「……元気そうだな。」
「…?…うん。」
リュカは少し戸惑いながら答えた。
ヴァルゼンが、なぜここへ来たのか分からなかった。
最後に会ったのは、森へ向かう直前。
自身の手で、矢筒を届けてくれたあの日。
自分が倒れている間、ギルドで彼が取り調べを受けたという話もリリから聞いた。
彼は自分に全く興味が無いのだと思っていたけど。
「……何か用……?」
「伝えておく事がある。」
ヴァルゼンは短く答えた。
「……伝えておく事??」
「ああ。」
彼は病室へ入り、扉を閉めた。
その様子を見て、リュカは少しだけ身構える。
「……わたしに?」
「お前以外に誰がいる。」
「……そうだけど……。」
リュカは困ったように耳を伏せた。
ヴァルゼンは、そんな彼女を気にする様子もなく、部屋の中を見渡した。
そして、ヴァルゼンはベッド横の椅子に腰を下ろした。
しばらくの沈黙。
ジロジロと身体を舐め回されるような視線を向けられるリュカ。
自分から聞きたいことがあると訪ねてきたのに、何故黙っているのか。
何を話せばいいのか分からず、リュカは視線を泳がせる。
「……あの……。」
「何だ。」
「……何を見てるの……?」
ヴァルゼンはふっ、と目を閉じ、小さく息を吐いた。
「…お前。魔力を使ったな。」
唐突なヴァルゼンの言葉に、リュカの耳がピクっと動いた。
思い出す、身体の奥底から何かが溢れ出した感覚。
「……どうして、それを。」
「いいから答えろ。」
「……。」
リュカは、しばらく黙っていた。
それをヴァルゼンは急かさなかった。
ただ、彼女の言葉を待っていた。
「……分からない。」
やがて、リュカはぽつりと呟いた。
「……あれが、魔力だとしても、わたしは使おうとした訳じゃないから。」
彼女の尻尾が、わずかに揺れた。
「……もう、使いたくない。」
その声は、小さかった。
耳が徐々に伏せられていく。
ヴァルゼンは何も言わなかった。
「……でも。」
リュカは、ゆっくりと顔を上げた。
「……使いこなせれば、強くなる、のかな…。」
「もういい。」
唐突に、ヴァルゼンが切る。
リュカは黙って耳を伏せたまま目を向けた。
「…灰狼族については、ダリウスから聞いてるな。」
「……なんで知ってる、の…?」
「聞いたんだな。」
ダリウスから灰狼族について聞いたのは一週間前のことだ。
それも、ダリウスの調査で分かったことの一つにすぎない。
なぜヴァルゼンがその名前を知っているのか。
リュカには分からなかった。
ヴァルゼンは、彼女の反応を見て小さく頷いた。
彼は椅子に座り直し、リュカを見据えた。
「お前は、灰狼族をただの獣人族だと思うか?」
「それは……。」
リュカは答えに詰まった。
そもそも、灰狼族について知っていることが少なすぎる。
ダリウスから聞いた話も、まだ断片的なものだった。
そんな彼女の代わりに、病室の入口から声が響いた。
「なんだ、ヴァルゼン。何を知ってる。」
いつの間にか、ガルドがきていた。
ガルドはヴァルゼンの姿を見て、わずかに表情を硬くしていた。
その後ろから、リリも姿を表す。
「…あんた。この期に及んでまだリュカちゃんに何を…。」
敵に向けられる、攻撃的な目。
ガルドからも、いつもの陽気さが消えていた。
ヴァルゼンは二人を一瞥した。
そして、何でもないことのように答えた。
「私はこいつと話している。」
「それをやめろと言ってるのよ。」
「何故だ?」
「───っ、あんたねぇ…自分がした事分かってるの?」
つかつか、とリリがヴァルゼンに詰め寄る。
ガルドは制止する素振りも見せず、腕を組んでそれを見ていた。
「あんたの下らない価値観のせいで、リュカちゃんが危ない目に遭ったの…忘れた訳じゃないわよね?」
「それがどうした?」
「そんな事する奴をリュカちゃんに近付けさせる訳ないでしょう?」
「……下らん。まるで保護者だな。」
「何ですって……!?」
思わずヴァルゼンの胸倉に手が伸びる。
が、その手は後ろから来たガルドによって止められた。
その様子に、どうすればいいのか分からずリュカはオロオロとしながら見ている事しか出来なかった。
「……医療棟の方に向かうお前が見えたからリリと後をつけてみれば…。」
溜息を吐きながら、リュカは静かにリリの手を離してヴァルゼンに向き直った。
リリは変わらず、ヴァルゼンを静かに睨みつけている。
「…まあいい。で?お前は何を知ってんだ。」
「……。」
「話さなくても、リュカから後で聞くだけだぞ。」
「……そうだな。」
面倒臭そうに溜息をつき、ヴァルゼンはまたリュカの方に目を向けた。
「…もう一度聞こう。お前たちは灰狼族をただの獣人だと思うか?」
その問いに、ガルドが答える。
「…獣人は獣人だろ。獣人が人には無い特異能力を持ってるなんて、珍しい話じゃねえ。」
その答えに、ヴァルゼンがまた小さく溜息をつく。
「…魔物と会話ができる上に、体内に魔力を有する一族が、ただの凡夫な獣人な訳がないだろう。」
「……どういう事?」
リリの表情が強張った。
ガルドも、眉をひそめる。
魔物と会話ができる。
体内に魔力を持っている。
確かにどちらも、一般的な獣人族の特徴として知られているものではない。
ヴァルゼンは、彼らの反応を確かめるように一度だけ視線を巡らせた。
「灰狼族は、魔族と獣人の間にある特異な存在───」
そこで一拍、言葉を切る。
「『魔獣人族』だ。」
病室に、沈黙が落ちた。
「……魔獣人族……?」
リュカは、聞き慣れない言葉を繰り返した。
自分のことを話しているはずなのに、知らないことばかりだった。
「魔族と獣人の間にある、って……どういう事?」
リリが尋ねた。
「言葉通りだ。少なくとも、私が知る灰狼族は魔獣人族として生きていた。」
「……そんなの聞いた事ねえぞ?」
ガルドが聞き返す。
「そうだろうな。」
ヴァルゼンは淡々と答えた。
「表向きはただの獣人として生きてきた奴らだ。知らないのも無理はない。」
「……なんで、あんたはそれを……?」
リリが尋ねた。
文献にも、記録にも残っていない事実。
もしそれが本当だとするならば、なぜこの男はそれを知っていて今ここで話をしているのか。
「そんなことはどうでもいい。」
スパッと、ヴァルゼンが言い放つ。
「問題は、この小娘がその種族であるという事だ。」
「……何が問題なの?」
「分からんのか。」
ヴァルゼンが静かに二人に目を向ける。
「…私は、こいつが灰狼族だと知った時、一つの可能性に気づいた。」
「……可能性?」
「この小娘が、森の牙狼を連れてきたという可能性だ。」
ヴァルゼンの言葉に、リリとリュカが、目を見開いた。
「……そ、そんな事……してない……。」
震える声で、リュカが否定する。
ただ、話の筋は通っている。
意思疎通ができるリュカが、牙狼を森に潜ませ、異変を起こしているという可能性。
リュカが灰狼族であるならば、不可能な話ではない。
「……だが、その可能性も砕かれた。」
ヴァルゼンが静かに眉をひそめた。
ガルドが静かに頷く。
「リュカが連れてきたってんなら、その牙狼にリュカがやられて帰ってくるのはおかしな話だからな。」
「……そういう事だ。」
ホッとした顔で、リュカとリリが息を吐く。
対象的に、ガルドは険しい目でヴァルゼン見ていた。
「……お前、まさかその為に。」
「…どうだかな。」
静かに目を伏せるヴァルゼン。
ガルドは口を開きかけたが、何も言わずに息を吐いた。
ヴァルゼンはリュカに目を向け、淡々と言葉を並べていく。
「魔獣人族である灰狼族の生き残り…それがこの小娘だとするならば、森の牙狼を収められるのはこの小娘しかおらん。」
「そうだろうな。現にダリウスもリュカをまた森に向かわせる気だ。」
「奴ならそうするだろう。ただ…お前も分かってるはずだ、ガルド。」
「……ああ。」
静かにガルドが目を伏せる。
そう、分かっていた。
今のリュカが森に戻ったところで、何も変わらない。
結局は牙狼に退けられて終わりだ。と。
「受付の女。」
不意に、ヴァルゼンの視線がリリの方へ向く。
「……何よ。」
「お前はどう思う。」
「……。」
ヴァルゼンの言葉に、眉を顰める。
自分にも言わせたいのだろう。無理だ、と。
「……一人じゃ無理だと思う。…でも。」
リリは、静かにリュカの手を握った。
目を伏せていたリュカが、リリを見上げる。
「次は、私も居る。同じ過ちは繰り返さない。」
「……そうか。」
ダリウスはそれ以上何も言わなかった。
それは、彼なりの優しさだったのかも知れない。
少しの静寂。
その後、口を開いたのはリュカだった。
「……あの……。」
「……何だ。」
「……わたしに魔力があるなら…魔法、使える?」
魔物から魔力を取り込み、魔法を扱う。
それがこの世界において、魔法を使う為の唯一の手段。
魔力を有するリュカならば、魔法を使って闘うこともできるのではないか、という至極真っ当な疑問。
「……魔法、使えたら、強くなれる?」
何かに縋るような、頼りの無い目。
リュカの問に、ヴァルゼンは首を振って答えた。
「…灰狼族は、魔法は使えん。」
「……え?」
「体内にある魔力は、魔物のそれと構造そのものが違う。魔法を使うのには向かん。」
「……そっか……。」
自分が強くなって安心させられるようになれば、リリやガルドにあんな顔をさせずに済むと思ったけど。
どうやらそう簡単にはいかないようだ。
落ち込むリュカに、ヴァルゼンが言葉を続ける。
「…その代わりに、魔力を用いて己の身体能力を格段に向上させることができる者がいた。」
ヴァルゼンは、まるで当然の事実を説明するかのように続けた。
「筋力、敏捷性、反応速度。そういったものを身体の限界域を超えて引き上げる。単なる身体強化とは、根本から異なるものだったらしい。」
「……そんなことが……?」
リリが息を呑む。
魔力を放出して魔法を使うのではなく、魔力そのものを己の肉体へと取り込み、作用させる。
そんな力が本当に存在するのなら、灰狼族が普通の獣人族とは異なる存在だという話にも説明がつく。
「……とんでもねえな…。」
ガルドも、思わず呟いた。
「……ただ。」
驚きを隠せない二人をよそに、ヴァルゼンはリュカの目を見て告げた。
「その力は、限られた灰狼族にしか発現しない。…灰狼族がただの獣人として認識されていた理由の一つだ。」
静かに話を聞いていたリュカは、胸の奥の記憶を辿っていた。
牙狼に追い詰められた時。
身体の奥底から、何かが溢れ出した。
あの時、自分の身体は確かに普段とは違っていた。
ただ怖かっただけではない。
ただ傷ついただけでもない。
身体の内側から、何かが目覚めようとしていたような。
「……そうだ。」
そんなリュカを見て、ヴァルゼンが口を開いた。
「小娘、お前にはその才がある。」
「……わたしに……?」
「……なんで、そう思うの?」
リリがヴァルゼンに問う。
ヴァルゼンはリリを一瞥し、続けた。
「異常な身体能力の高さだ。」
「え……?」
「疑問に思ったのは初めて小娘と会った時だ。」
「……あの、依頼の時?」
「そうだ。」
ヴァルゼンは、思い出すように目を伏せて続けた。
「その時私は、小娘の異常な筋力と平衡感覚に気づいた。…だが、それは疑問に終わるのみで確信には至らなかった。」
「じゃあどこで確信に変わったんだ?」
「…ガルド。お前と小娘が私の店に来た時だ。」
ヴァルゼンは淡々と続ける。
「あの短期間で戦闘訓練を修了したと聞いて、どんな甘い教官が着いたのかと思ったが…あのイヴが教官と聞いた。奴は手を抜くような真似はせん。」
「……そういう事か。」
ガルドの呟きに、ヴァルゼンが頷く。
「……私の記憶にある、灰狼族の姿。それに酷似した小娘。そして並外れた身体能力。結論に辿り着くのは容易だった。」
ちらり、と目線が二人へ向けられる。
「お前達も気づいているんじゃないのか。通常の獣人とかけ離れた、小娘の身体能力の高さに。」
ガルドは静かに思い出す。
イヴの言っていた、言葉。
『あの子、やっぱり異常よ。普通の獣人のそれじゃない。身体能力も反射神経も、戦闘に対するIQもずば抜けてる。』
リリもまた、リュカの戦闘訓練を修了するまでの異常な早さを思い出していた。
「…覚えがあるようだな。」
静かに立ち上がったヴァルゼンが、二人の方へ向き直る。
「小娘の異常な身体能力は、内にある魔力が強大すぎて、常に身体へ影響を及ぼしている結果だ。」
「…つまり?」
「扱いを覚えれば、かつての灰狼族が有した能力を扱えるようになる可能性は高い。」
ヴァルゼンは、リュカをじっと見つめた。
リュカの瞳に、一筋の光が見えた。
「戦いの最中、お前の身体で起きた事を全てを断定することはできん。だが、一番可能性が高いのはその能力の断片的な暴走だろう。」
「……わたしが……。」
リュカは自分の手を見つめた。
もしそれが本当なら。
自分が強くなる方法があるのなら。
あまり使いたくなかった力が、リュカにとってたった一つの希望の欠片に変わっていく。
「……どう、すればいい?」
リュカは呟いた。
「…どうしたら、使えるようになる?」
「発動条件は私も知らん。」
ヴァルゼンは即座に答えた。
リリとガルドは、言葉を失っていた。
リュカの身体から溢れ出した魔力。
限られた灰狼族にしか発現しない、特異な能力。
その才能が、リュカにあると。
「…わたしに、出来るのかな…。」
希望に見えたその力が、不安なものへと変わる。
その能力を使えるようになれば、もう二人を不安にさせる事はなくなるかもしれない。
でも、使えなければ、ずっと弱いままかもしれない。
前みたいに、暴走してしまったら。
自分が自分で無くなるような、あの感覚。
あれはもう、味わいたくない。
深い葛藤が、リュカを襲う。
「…発動条件は分からんが、能力名だけは教えてやろう。調べれば、何かが分かるやもしれん。」
ヴァルゼンは、そんなリュカを静かに見つめていた。
そして、最後に告げる。
「──その能力の名は、『獣神化』と言う。」




