第9話 頼れる男さん、いらっしゃい
人間は時として、何も企んでいない者より、企みを隠そうとする者のほうが目立つ。
周防祐介がその好例である。
栄子へ声をかけることすらできなかった少年は、自分を「頼れる男」に見せるため、偶然を装うことにした。
人間の求愛について、吾輩はまだ学ぶべきことが多い。
だが、これだけは断言できる。
偶然には、作戦説明など必要ないのである。
◇
放課後のポピーで、祐実はいつものようにパンを選んでいた。
「栄子さん、これも1つください」
「ありがとう、祐実ちゃん」
栄子は半透明の手袋を着け、焼き上がったパンを籠へ並べている。
梅雨の合間の晴れで、店の入口は開け放たれていた。吾輩は隣家との境にある塀の上で、店内から流れてくる香りを楽しんでいた。
祐実のスマートフォンが震える。
送ってきたのは、通りの少し先から店をうかがっている祐介である。
『今日、栄子さんいる?』
『いるけど、変なことしないでよ』
前日に交わされたのと同じような内容であった。
祐介から、すぐに返事が届く。
『大丈夫』
続けて、もう1通。
『今日は自然に、頼れる男だと印象づけるだけだ』
祐実は画面を見たまま、しばらく動かなかった。
「その時点で、もう自然じゃない……」
もっともな意見である。
祐介はどうやら、妹から聞き出した情報を利用するつもりらしい。
毎日16時ごろ、茜が店の外へ包装資材の箱を出す。
そこへ祐介が偶然通りかかる。
重そうな箱を見つけ、さりげなく手を貸す。
それを栄子が目撃し、祐介を頼れる男だと思う。
実に見事な計画である。
計画どおりに進めば、という条件を除けば。
◇
ポピーへ向かう祐介は、歩きながらスマートフォンへ音声を吹き込んでいた。
妹に作戦の詳細を伝えているのである。
「祐実、作戦を説明するぞ」
祐介は真剣な顔で話し始めた。
「午後4時ごろ、茜さんが店の外へ資材の箱を出す。そこへ俺が偶然通りかかり、さりげなく運ぶ」
誰にも聞かれていないのに、一度立ち止まり、ネクタイまで整える。
「栄子さんは俺を見て、頼れる男だと思う。成功確率は78パーセントだ」
残りの22パーセントが何であるのか、吾輩には分からない。
祐介にも分かっていなかったであろう。
作戦を語り終えた祐介は、満足そうに送信ボタンを押した。
そして、画面を見たまま固まった。
送信先には、こう表示されていた。
『ベーカリー・ポピー ご予約・お問い合わせ』
「…………終わった」
取り消そうと慌てて画面を触る。
しかし、すでに既読となっていた。
人間は尻尾を持たないため、驚いた時の感情が分かりにくい。
だが、この時の祐介に限っては、尻尾がなくとも十分に分かった。
◇
店内の予約確認用端末から、祐介の声が流れていた。
『栄子さんは俺を見て、頼れる男だと思う。成功確率は78パーセントだ』
端末を持っているのは茜である。
その隣で、祐実が両手で顔を覆っていた。
「へえ……。頼れる男、ねえ」
茜は楽しそうに画面を眺めた。
「これ、あなたのお兄さんよね?」
「知りません」
「そう。じゃあ、知らない人が来るまで一緒に待ちましょうか」
「ごめんなさい。兄です」
祐実は、あっさり兄を差し出した。
猫の世界でも、自分が助かるために同腹のきょうだいを見捨てることはある。
賢明な判断である。
幸い、栄子は工房で次に焼くパンの準備をしていた。端末の音声は聞こえていない。
茜は端末を伏せると、祐実へ微笑んだ。
「祐実ちゃん。ちょっと手伝ってくれる?」
その笑顔を見た祐実の顔から、さらに血の気が引いた。
◇
16時。
祐介はポピーの少し手前で立ち止まり、店の様子をうかがっていた。
茜と祐実が、店の前で並んで待っている。
箱はまだ出されていない。
栄子の姿もない。
祐介は危険を察知した。
人間としては、なかなか鋭い。
何事もなかったように向きを変え、来た道を戻ろうとする。
「お待ちしてました」
茜の声が飛んだ。
祐介の足が止まる。
「頼れる男さん」
祐介は振り返らない。
祐実が先回りし、兄の前へ立った。
「逃げたら、茜さんが家まで行くって」
「それだけはやめてくれ」
ようやく振り返った祐介へ、茜が端末を向けた。
『そこへ俺が偶然通りかかり――』
「もう消してください!」
通りに響くほどの声であった。
茜は足元に置いていた小さな資材箱を持ち上げた。
「私、あなたの恋愛作戦の小道具にされていたのね」
「申し訳ありませんでした!」
祐介は深々と頭を下げる。
茜は笑顔のままである。
「まだ、何について謝っているのか聞いてないけど?」
「…………」
追い詰めた獲物をすぐには仕留めない。
吾輩は茜に、猫と同じものを感じた。
「では、第1問」
茜が箱を脇へ置き、腕を組む。
「私が16時に資材を運ぶと、どうして知っていたの?」
祐介は無言で祐実を見た。
「ちょっと、お兄ちゃん!」
祐実が声を上げる。
「そこは黙る約束でしょ!」
茜は祐実の肩へ手を置いた。
「共犯者も確保、と」
「私は時間を教えただけです!」
「では、第2問」
茜は祐介へ向き直る。
「偶然を装う人の、どこが頼れる男なの?」
「……頼れません」
「では、第3問」
端末を指で軽く叩く。
「成功確率78パーセントの根拠は?」
祐実が兄を凝視した。
「そんなことまで言ったの!?」
「そこはもう忘れてください!」
「私は、そこが一番気になってるのよ」
茜はたいそう楽しそうであった。
◇
尋問が終わると、茜はポピー脇の搬入口を開けた。
中には紙袋や包装資材の入った箱が積まれている。
「ちょうどよかったわ。本当に資材が届いているの」
祐介の顔が青ざめた。
音声を聞かれた時よりも、明らかに深刻な顔である。
「これを全部ですか?」
「頼れる男なんでしょう?」
茜は最初の箱を祐介へ渡した。
「成功確率78パーセントで運んでちょうだい」
続いて、祐実にも箱を渡す。
「どうして私まで!?」
「情報を流した共犯者だから」
兄妹はそろって箱を抱え、搬入口と倉庫の間を往復し始めた。
「だから変なことしないでって言ったでしょ!」
「お前が16時だと教えなければ!」
「人のせいにしないで!」
茜が手を叩いた。
「はい。しゃべる元気があるなら、あと5箱」
「まだあるの!?」
兄妹の声がきれいに重なった。
普段は言い合っていても、こういう時には息が合うらしい。
◇
すべての資材を運び終えた頃には、祐介も祐実も店先で疲れ切っていた。
そこへ、工房から栄子が出てきた。
「祐介くん、祐実ちゃん。荷物を運んでくれたの?」
祐介は一瞬で背筋を伸ばした。
「は、はい! このくらい、全然平気です!」
「さっきまで死にそうな顔してたくせに……」
祐実が小声で呟く。
栄子はパンの入った紙袋を2人へ差し出した。
「本当に助かったわ。2人で食べてね」
「ありがとうございます!」
祐介は両手で袋を受け取った。
その顔は、つい先ほどまでの疲れを忘れたかのように明るい。
栄子が店内へ戻ると、茜が祐介へ顔を寄せた。
「音声メッセージのことは、栄子には言ってないから」
「……茜さん」
祐介は救われたような顔をした。
茜は人の恋心に気づくのが早い。
だが、それを本人の許しなく栄子へ伝えるつもりはないらしい。
「私も、そこまで意地悪じゃないわよ」
茜は一呼吸置いた。
「今のところはね」
「やっぱり怖い……」
祐介の顔から、再び血の気が引いた。
◇
店先で、兄妹は栄子からもらったパンを分けた。
茜が祐介の顔をのぞき込む。
「それで? 栄子との距離は縮まった?」
祐介は紙袋を大切そうに抱え、少し照れながら答えた。
「……少しは」
祐実がパンを食べながら言う。
「お兄ちゃんの尊厳は、だいぶ小さくなったけどね」
その時、茜が搬入口の横を指差した。
そこには、まだ畳まれていない段ボールが積まれている。
「頼れる男さん」
「はい?」
「最後に、あれを全部片づけておいて」
「まだ働くんですか!?」
茜は楽しそうに笑った。
「あなたの作戦どおり、偶然よ」
吾輩は塀の上で、栄子からもらえるかもしれないパンの切れ端を待ちながら考えた。
祐介の計画は成功したのであろうか。
頼れる男と思われる前に、頼りない作戦のすべてを茜と祐実に知られた。
だが、栄子と話し、名前を呼ばれ、礼まで言われたのである。
ならば成功率は、0ではない。
78パーセントかどうかは、吾輩にも分からぬが。




