2学期のボクと、黒髪メイドと、あとひとり(10)
冴子さんは着席すると、
カバンを座席の横に置き、
中から一冊、取り出した。
『新課程 チャート式(赤チャート) 数学Ⅰ+A』(数研出版)
とんでもないのを引っ張り出してきた。
数学参考書の中でも最高峰と言われる、
難教材中の難教材。
ボク程度でもそのくらいのことは知っている。
それにしても、そんなの使いこなせる人は
初めて見た。
ボクはしばらく、彼女の様子を観察することにした。
別冊の〈解答編〉を取り出し、ページをめくる。
それを両手で持って、自分の目の高さまで持っていった。
「三角形ADCは、内角が30度、60度、90度の直角三角形であるから………」
かすかに、本当にかすかに彼女の声が聞こえる。
凄まじいスピードの『高速詠唱』だ。
ロボット物のアニメでしか聞いたことのないような詠唱。
現実にありうるのかと思った。
でも、かすかだが聞こえる。
本当に「かすか」なんだ。
以前、リコさんが言っていた言葉を思い出す。
「理解力は、処理速度で決まる。
勉強が圧倒的にできるヤツは
理解力が高いからそうなるが、
その理解力を支えているのは、
圧倒的な処理速度だ。
キミやアタシを含む多くの凡人は、
とにかく処理速度を高速化するしか
彼ら『宇宙人』に対抗する術はない。」
そのときはそんなものなのかと思っていたが、
目の前で実演されて、ようやく合点がいった。
学年1できる子が、
学年1の処理速度を見せつけている。
彼女のすぐ近くでは、誰も席をとっていないから、
彼女の周囲は完全にこの図書室では別空間のように
ポッカリと空白となっている。
彼女の『高速詠唱』は他の生徒の耳に入っているのか。
2~3問『詠唱』したあと、急に静寂となった。
いや、違う。
荒い、息遣い。
かすかだが、聞こえる。
ぜいぜい、はぁはぁといった、ひどく荒いものだ。
でも、本当にかすかだ。
ボクにしか聞こえていない?
周囲の生徒はまるで関心すらないかのように振舞っている。
誰?
息遣いの主は、冴子さんだった。
ひどく消耗しているように見える。
最近、彼女に関する噂、
『縦巻きロールの 赤い彗星』。
天才ともいわれる彼女は、
決して『楽』をしているわけではない。
圧倒的な『努力』が
彼女の実力を支えている?
あの子でさえ、そうだったんだ。




