(1)
「嵐が来るよ」
緋色の巻きスカートの裾を太腿まであげ、浅瀬に手を入れて何かを探っていたチャキアが浜へと戻ってきた。
黒と見紛うほど濃く深い緑色の髪が、午後の強い日差しと海の匂いがする風の中で舞う。
「嵐? チャキア、風は強いが良い天気だぞ?」
海の匂い。
それは、故郷にはなかった潮の香り。
「来るよ、みんなが言ってるもん」
「“みんな”かな。」
みんな。
チャキアの言う<みんな>の声は私には聞こえない。
風や雲の歌、木々のささやき。
私には感じることのできないそれらを、チャキアは<みんな>と言う。
「リューリック、ちょっとこれ持ってて」
「ッ!? か、かっ、貝ではなく、それを捕っていたのかっ!?」
チャキアは右手に持っていた物体を私に差し出した。
茹でる前のその物体の持つ独特の感触が未だに苦手な私だが、それを顔には出さずに受け取った。
……多分、顔には出てないはずだ。
多分、な。
「みんな、か。まぁ、お前がそう言うならば、そうなんだろう。……おい、チャキア!?」
サンダルを履いた少女が駆け出した砂浜は、幼い時に読んだ絵本の挿絵のような白い砂浜ではなく黒かった。
真っ黒なのではなく、濃い灰色の粗い砂粒が覆う黒い砂浜。
それはこの島が……天領と呼ばれているこの島が、火山島である証拠だった。
周りの囲む海は天候や時間帯によりその色を変化させ、見飽きること無い美しさで私を魅了した。
この島から眺める海はエメラルドグリーンやサファイアブルー、アクアマリンのような色に変わる日もあった。
母上の自慢だった数々の煌びやかな宝飾品も、この海の美しさの前では色褪せるのではないかとすら思える。
「リューリック! チャキアは村に行って来るね。村長さんに嵐が来るって教えてあげなきゃ」
「おい、チャキア! これはどうするんだ!? まさか私にこれを持って歩けとっ!?」
北の生まれである私も最も惹きつけるのは輝く海ではなく、眩しい陽でもなく。
突然現れた私を拾い、助けてくれたこの少女だった。
濃緑の髪と瞳を持つ、13歳の少女。
チャキアは不思議な娘だった。
島の植物や獣の“声”を聞いたり、数日後の天候の変動を言い当てたり……。
「チャキア! ……こら、待てっ!」
私はある出来事をきっかけに、親兄弟に醜い化け物だと、呪われた存在だと忌み嫌われ……憎まれた。
冷たく湿った地下牢に繋がれ果てようとしていた私を、この少女はその細い腕で抱きしめてくれた。
母親までもが汚らわしいと目を背けた、変わり果てた異形の姿の私を……。
チャキアは私を、ずっと待っていたと言った。
初めて会った私を「お帰りなさい」と、抱きしめてくれた。
私は故郷に帰る術を探そうとせず……する気が全く持てず。
チャキアと共に生きることを選んだ。
「待てと言っているだろーがっ! くっ……この猿っ子め!!」
この島で、私はこの少女と生きていく。
チャキアと共に、この島で。
「……!?」
チャキアを追おうとした私を引き止めるかのよう、手首を握る者がいた。
「………………」
見ると、蛸が絡み付いていた。
「ぐっ……いかん、鳥肌がたってきた!」
私は蛸を極力見ないように意識しながら、村へと走るチャキアの後を追いかけた。