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Requiem  作者: みなと劉


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7/22

第七話「来訪者の名前と、彼女が知っていたこと」


◇◇◇◇


 翌朝、エーテル教授の予言は当たった。

 正確には予言ではなく、来そうな顔をしていた、という観察だったが、結果は同じだった。

 昨日と同じ時間帯に、昨日と同じ三回のノックがあった。

 今日はロンが一番近くにいたので、ロンが出た。

 扉の前に、くすんだ茶色のコートの人物が立っていた。

 昨日より少し顔色が悪い。

 眠れなかったのかもしれない。

「来た」とロンが言った。

「来ました」と彼女が言った。

「上がれ」

「ありがとうございます」

 ロンは扉を大きく開けて、脇に退いた。

 彼女が中に入った。

 コートを脱ごうとしたので、ロンが受け取った。

 彼女が軽く目を丸くした。

「どうぞ」

「……ありがとうございます」


◇◇◇◇


 居間に全員が揃った。

 ポワロが紅茶を淹れた。

 エーテル教授が図書室から来ていた。

 アーティは今日も階段の上にいた。

 気配だけが、うっすらと上から漂っている。

 彼女はソファに座って、紅茶のカップを両手で包んだ。

 昨日と同じ仕草だ。

「名前を聞いていなかった」とホームズが言った。

「あ」

 彼女は少し驚いた顔をした。

 それから小さく笑った。

「そうですね。昨日は聞かれなかったから、言いそびれました」

「今日は聞く」

「はい」

 彼女はカップを膝の上に置いた。

 少し背筋を伸ばした。

「ライラ・セノと言います」

「ライラ」とポワロが繰り返した。

「はい」

「封筒を渡した人物と、どういう関係だ」とホームズが続けた。

 ライラの表情が、少し変わった。

 変わった、というより、何かが浮かんできた。

 悲しみとも心配とも、うまく名前のつけられない何かだ。

「……父だと思います」


◇◇◇◇


「思います、というのは」

「確認できていないので」

 ロンが腕を組んだ。

「会っていないのか」

「八日前から、いなくなっています」

 部屋が静かになった。

 全員が同じことを考えていた。

 八日前。

 一番新しい記録の日付と、一致する。

「記録に書いてあった、姿を消した一人」とポワロが静かに言った。

「記録、というのは」とライラが訊いた。

 ホームズがテーブルの上の紙を示した。

 昨日持ち帰った記録だ。

「これを見てほしい」

 ライラが紙を受け取った。

 読み始めた。

 最初の数枚は静かに読んでいた。

 途中から、手が少し震え始めた。

 一番新しい記録を読んだとき、彼女は一度目を閉じた。

 長く息を吐いた。

 それから目を開けた。

「父です」

「確認できるか」

「この字です。子どもの頃から見ていました」

 ライラが紙をテーブルに戻した。

 手を膝の上に置いて、指を組んだ。

「父がここに鍵を持ってきたんですね」

「そうなる」

「私に、探してほしかったんだと思います」

「なぜ」

「三日前に封筒を渡した人物が、街で私に声をかけた、と言いましたよね」

「言っていた」

「その人物が渡してきたとき、一言だけ言ったんです」

 ライラは少し間を置いた。

「『お父さんがよろしくと言っていた』と」


◇◇◇◇


「つまり」とロンが言った。

「お父さんは生きている」とライラが答えた。

「消えたのではなく、隠れている」

「そう考えています」

「なぜ隠れる必要がある」

 ライラはカップを持ち直した。

 少し考えてから、答えた。

「それが、私にもわからないんです。でも」

「でも」

「父は昔から、調べてはいけないことを調べる人でした」

 ポワロが静かに相づちを打った。

「それで誰かに追われているとか」

「可能性はあると思っています。根拠はないんですけど」

「勘か」とロンが言った。

「そうかもしれません」

 ロンは少し黙った。

 それから、

「勘は大事だ」

 と言った。

 ポワロが小さく笑った。

 ライラも、少しだけ笑った。


◇◇◇◇


 ホームズが口を開いた。

「お父上は、この町で何を調べていた」

「詳しくは教えてもらえませんでした。でも」

 ライラはコートのポケットに手を入れた。

 小さな手帳を取り出した。

「これを、ずっと前に預かっていました。何かあったら開けなさい、と」

「何かあった」

「なくなったので、開けました」

 手帳を開いた。

 中には父親の字で、細かく何かが書かれている。

 ホームズに差し出した。

 ホームズが受け取って、読んだ。

 一ページ目。

 二ページ目。

 三ページ目。

 読む速度が、途中から落ちた。

「ホームズ」とロンが声をかけた。

 ホームズは答えなかった。

 最後のページまで読んで、手帳を閉じた。

「借りてもいいか」

「構いません」

 ホームズは手帳をコートのポケットに入れた。

 それからライラを見た。

「お父上が調べていたのは、この町の土地に関することだ」

「土地」

「正確には、今から二十年以上前に消えた区画と、その土地に関わった複数の人物についてだ」

 ライラが静かに息を飲んだ。

「知っていたか」とホームズが訊いた。

「少しだけ。父がよく、あの区画のことを話していたので」

「どんなことを」

「本当はあそこに、大切なものが埋まっているはずだ、と」


◇◇◇◇


「大切なもの」とポワロが繰り返した。

「父の言葉をそのまま言うと」

 ライラは少し考えた。

「この町の記憶が、あそこに眠っている、と」

「記憶」

「比喩なのか本当のことなのか、子どもの私にはわかりませんでした。でも今は」

 彼女は昨日持ってきた地図を見た。

 テーブルの上に広げたままになっている。

×印が、静かにそこにある。

「本当のことだったんじゃないかと思っています」

 エーテル教授が図書室の入口から言った。

「記録がそれだ」

 全員が教授を見た。

「あの部屋にあった記録が、この町の記憶だ。誰かが消そうとして、消せなかったもの。残そうとして、残し続けたもの」

「消そうとしたのは誰だ」とロンが言った。

「手帳に書いてある」とホームズが答えた。

「誰だ」

 ホームズはポケットに入れた手帳を押さえた。

「この町で、今も動いている人物だ」


◇◇◇◇


 静寂が落ちた。

 今も動いている。

 それはつまり、今もこの町のどこかにいる、ということだ。

「危ないのか」とロンが訊いた。

「ライラのお父上が隠れているなら、危ないと判断したからだろう」

「俺たちも危ないか」

「可能性はある」

「やっかいだな」

「やっかいだ」

 ロンは天井を仰いだ。

 それから、ライラを見た。

「お前はどうする」

 ライラが顔を上げた。

「どうする、というのは」

「ここに関わり続けるかどうか、ということだ。お父上を探したいのはわかる。でも危険かもしれない」

 ライラは少しの間、膝の上の指を見た。

 それから顔を上げた。

「探します」

 迷いのない声だった。

「父が三十年かけて調べてきたことです。私も知りたい」

 ロンが小さく頷いた。

「そうか」

 それだけ言った。

 ポワロが微笑んだ。

 ホームズが手帳を取り出して、もう一度開いた。


◇◇◇◇


 階段の上で、アーティが聞いていた。

 ライラ・セノ。

 その名前を、彼は知っていた。

 父親の名前も、知っていた。

 字が綺麗な人物が、十五年前にアーティに話した内容の中に、娘がいる、と書いてあった。

 いつか会うかもしれない。

 もし会ったら、よろしく頼む、と。

 アーティは手すりに指をかけた。

 黒い耳が、静かに動く。

 よろしく頼む。

 その言葉の意味を、アーティはまだ測りかねていた。

 ただ、一つだけわかることがある。

 この話は、まだ始まったばかりだ。


◇◇◇◇


 第七話 了

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