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Requiem  作者: みなと劉


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6/22

第六話「館の奥の音と、アーティが話したこと」


◇◇◇◇


 音は続いていた。

 規則的で、低く、一定のリズムだ。

 叩く、というより、何かが振動しているような音だ。

 壁を通して伝わってくる。

 ホームズが音の方角へ歩いた。

 廊下に出た。

 左右を確認して、奥へ進む。

 ロンが後に続いた。

 ポワロも続いた。

 廊下は暗い。

 昼間でも光が入りにくい構造で、夜はなおさらだ。

 ホームズがランタンを持ってきていた。

 行きと帰りを繰り返す黄色い光が、三人の足元を照らした。

「どこから聞こえる」とロンが小声で言った。

「地下だ」とホームズが答えた。

「地下」

「この館に地下があることは知っていた。入口を探していた」

「知っていたなら言えよ」

「言う機会がなかった」

「作れ」


◇◇◇◇


 廊下の突き当たりに、扉があった。

 古い木の扉で、取っ手が鉄製だ。

 鍵はかかっていない。

 押すと、軋んだ音を立てて開いた。

 向こうに、下り階段があった。

 石の段が、暗い下へ続いている。

 音は、そこから聞こえていた。

 三人が顔を見合わせた。

「行くのか」とロンが言った。

「行く」とホームズが言った。

「また」

「また、だ」

「慣れてきたな、俺も」

 ロンが先に階段を下り始めた。

 ホームズが続いた。

 ポワロが最後尾に入った。


◇◇◇◇


 地下は、思ったより広かった。

 天井が低く、空気が冷たい。

 石の床で、壁も石だ。

 川が近いせいか、どこかしら湿気がある。

 音は、部屋の中央から聞こえていた。

 中央に、古い機械がある。

 正確には機械と呼んでいいのかわからないが、金属と木を組み合わせた、見たことのない構造物だ。

 高さは腰ほど、横幅は両腕を広げたくらい。

 表面に細い管が走っていて、その管のどこかが振動して、音を出している。

 一定のリズムで。

 規則的に。

「何だこれは」とロンが言った。

「わからない」とホームズが言った。

「今回はそう答えると思っていた」

 ホームズが機械に近づいた。

 ランタンを近づけて、表面を確認する。

 管の構造を目で追う。

 底の部分を覗き込む。

「動いている」

「見ればわかる」

「自力で動いている。動力源が見当たらない」

 ロンが機械の周りを一周した。

「止める方法は」

「探している」

「急いで」

「なぜ」

「なんとなく」

 ポワロが機械の横面を確認しながら言った。

「止めない方がいいかもしれない」

 二人が振り返った。

「音を聞け、と書いてあった。止めるとは書いていなかった」

 ホームズが少し考えた。

「そうだな」

「つまり聞けばいい」

「何を聞くんだ」とロンが言った。

 三人は黙って、音を聞いた。

 規則的な振動音。

 一定のリズム。

 変化はない。

 しばらく聞いていた。

「……何も聞こえない」とロンが言った。

「聞こえているのに聞こえない、ということかもしれない」とポワロが言った。

「わかりにくいな」

「そういうことってある」


◇◇◇◇


「それは暗号だ」

 上から声がした。

 三人が振り返った。

 階段の入口に、アーティが立っていた。

 黒い耳が、地下の空気の中でわずかに動いている。

 いつからそこにいたのか、今回も誰も気づかなかった。

「暗号」とホームズが繰り返した。

「音のリズムが、文字に対応している」

 アーティが階段を下りてきた。

 機械の前に立って、音を聞いた。

 少しの間、目を閉じた。

「短い、長い、短い短い」

「……モールス符号に近いものか」とポワロが言った。

「近いが、違う。この町で独自に使われていた方式だ」

「知っているのか」とホームズが訊いた。

「知っている」

「どこで覚えた」

 アーティは少しの間黙った。

 目を開けて、機械を見た。

「教わった」


◇◇◇◇


 誰も次の言葉を急かさなかった。

 アーティが自分から話すのは珍しい。

 急かすと止まることを、全員が知っていた。

 ロンが壁に寄りかかった。

 ポワロが静かに立った。

 ホームズは機械から視線を外さなかった。

 アーティが口を開いた。

「十五年前の話だ」

「聞く」とホームズが言った。

「この町に、四人の人間がいた。名前は知らない。知ろうとしなかった。ただ、その中の一人と、少しの間、話をした」

「どんな人物だった」

「字が綺麗な人だった」

 ホームズの手が、僅かに止まった。

「記録の中で、一番字が綺麗な筆跡の人物か」

「そうだと思う」

「名前は」

「教えてもらえなかった。教えたくないのではなく、教えない方がいいと言っていた」

「なぜ」

「知っている人間が多いほど、面倒なことになる、と」


◇◇◇◇


 アーティが続けた。

「その人物は、この館のことを知っていた。地下のこの機械のことも。この音の意味も」

「何を教えてもらった」

「音の読み方だ。それから、この機械がいつ動き始めるかを」

「いつ動き始める」

「この館に、然るべき者が来たとき」

 部屋が静かになった。

 機械の音だけが続いている。

「俺たちが来たから動き始めた、ということか」とロンが言った。

「おそらく」

「どういう仕組みだ」

「わからない。教えてもらえなかった」

「何のために動く」

「メッセージを伝えるために」

 ホームズが機械に向き直った。

「今、何と言っている」

 アーティは音を聞いた。

 目を閉じて、リズムを数えた。

 長く、静かに聞いた。

 それから目を開けた。

「『遅くなったが、よく来た。記録を読んだなら、一つだけ教える。消えた者は、死んでいない』」


◇◇◇◇


 沈黙が落ちた。

 長い沈黙だった。

 最初に口を開いたのはロンだった。

「消えた者、というのは」

「八日前の記録に書いてあった人物だ」とホームズが答えた。

「死んでいない」

「そう言っている」

「じゃあどこにいる」

 アーティがもう一度、音を聞いた。

 しばらく待った。

 機械のリズムが、少し変わった。

 アーティが聞いた。

 訳した。

「『それを調べるのが、然るべき者の仕事だ』」

 ロンが盛大にため息をついた。

「仕事を押し付けられた」

「依頼ではないが」とホームズが言った。

「どう違うんだ」

「誰も頼んでいない」

「結果は同じだろうが」

 ポワロが二人の間で、静かに微笑んだ。

「まあ、でも」

 彼は機械を見た。

「三十年以上前から誰かが記録をつけて、機械を用意して、鍵を残して。それだけのことをして、俺たちに辿り着いてほしかった。そう思うと」

「思うと」

「断れないね」

 ロンが天井を仰いだ。

 アーティが机に手をついて、静かに立っていた。

 ホームズのオッドアイが、機械の振動に合わせるように、ゆっくりと瞬いた。


◇◇◇◇


 機械がまた鳴った。

 アーティが聞いた。

「最後のメッセージだ」

「なんと言っている」

 アーティは少しの間、音を聞いた。

 それから静かに、訳した。

「『彼女に、まだ諦めていないと伝えてくれ』」

 全員が黙った。

 彼女。

 一人しか思い当たらない。

 昨日、この家を訪ねてきた、くすんだ茶色のコートを着た、小柄な来訪者。

 古びた封筒を胸に抱えていた、あの人物。

「……あの子は」とロンが言った。

「知り合いだったんだ」とポワロが静かに言った。

 機械の音が、ゆっくりと小さくなっていった。

 一定のリズムが、だんだん遠くなって。

 やがて、止まった。

 地下に、静寂が落ちた。


◇◇◇◇


 四人は地下から戻った。

 廊下を歩いて、居間に戻った。

 誰も喋らなかった。

 喋らなくても、今は十分だった。

 エーテル教授が図書室から顔を出した。

「終わったのか」

「一段落した」とポワロが答えた。

「音は」

「止まった」

「そうか」

 教授は少し考えた。

「明日、あの子が来るかもしれない」

「なぜそう思う」とホームズが訊いた。

「来そうな顔をしていた」

 それだけ言って、教授は図書室に戻った。

 ロンが椅子に座った。

 ポワロがまた紅茶を淹れ始めた。

 ホームズが煤棚の二本の鍵を見た。

 アーティは階段を上がりかけて、一度だけ振り返った。

「ホームズ」

「なんだ」

「字が綺麗な人物は、お前に似ていた」

 ホームズは少しの間、アーティを見た。

「どういう意味だ」

「気になるから調べる、と言っていた。理由はそれだけだ、と」

 アーティは階段を上がっていった。

 足音が遠くなって、消えた。

 ホームズは長い間、鍵を見ていた。

 金と緑の瞳が、暗い部屋の中で静かに光っている。

 誰かが、三十年前からここへ向けて、何かを送り続けていた。

 それが何なのかは、まだ全部はわからない。

 ただ。

 輪郭だけが、少しずつ、見え始めていた。


◇◇◇◇


 第六話 了

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