第四話「通路の先と、誰かがいた痕跡」
◇◇◇◇
通路は、思ったより長かった。
十歩、二十歩、三十歩。
壁は石で、床は土で、天井は低い。
光源はホームズが持ってきた小さなランタン一つだけだ。
オレンジ色の光が、五人の影を壁に伸ばしている。
「……どこまで続くんだ」
ロンが低い声で言った。
「わからない」
「わからないって言うな」
「本当にわからないんだ」
「それが怖いんだよ」
ポワロが二人の間で、小声で「静かに」と言った。
全員が黙った。
音がする。
遠くで、水が流れている音だ。
川が近いからかもしれない。
そうでないかもしれない。
◇◇◇◇
通路が終わったのは、五十歩を数えたあたりだった。
急に開けた。
部屋だ。
石造りの、円形に近い部屋。
天井が高く、中央に古い木のテーブルが一つ。
テーブルの周りに椅子が四脚。
壁に沿って棚が並んでいて、棚には本と、瓶と、正体のわからない道具が並んでいる。
埃をかぶっているが、崩れてはいない。
天井の一部に細い隙間があって、そこから薄い光が落ちている。
「……部屋だ」
ロンが言った。
「部屋だな」とホームズが言った。
「部屋ね」とポワロが言った。
「ほう」とエーテル教授が言った。
アーティは何も言わなかった。
部屋の中央に進んで、ゆっくりと一周、周囲を見回した。
◇◇◇◇
ホームズが棚に近づいた。
瓶を一つ手に取って、光にかざす。
中に液体が残っている。
色は琥珀色で、揺らすと粘度がある。
「においは」とポワロが訊いた。
「植物性だ」
ホームズが静かに答えた。
「足跡と同じ成分が含まれている」
全員が足元を見た。
土の床に、うっすらと跡がある。
複数の足跡が、テーブルの周りをぐるりと囲むように残っていた。
「誰かが、ここを使っていた」
ポワロが椅子の一つを引いた。
埃が舞う。
座面を手で払って、慎重に腰を下ろした。
「最近まで」
「最近というのは」
ホームズが床の跡を観察しながら言う。
「埃の積もり方が均一じゃない。一番新しい足跡は、おそらく一週間以内のものだ」
「一週間以内に、ここに人が来ていた」
「四人分の足跡がある」
ロンが腕を組んだ。
「俺たちの前に、四人」
「そうなる」
◇◇◇◇
テーブルの上に、何かが置かれていた。
全員がそれに気づいたのに、誰も最初に触れなかった。
四角い、木の箱だ。
蓋に細工が施されていて、縁に沿って小さな文字が刻まれている。
言語は……この町で使われているものだが、字体が古い。
「読めるか」とロンがホームズに訊いた。
「少し待て」
ホームズがランタンを近づけた。
文字を指でなぞりながら、ゆっくりと読む。
「『音が鳴り止むとき、扉は開く。音が鳴り続けるとき、扉は閉じたまま眠る』」
沈黙が落ちた。
「……意味がわかるか」とロンが言った。
「わからない」とホームズが言った。
「正直だね」とポワロが言った。
「箱を開けてみたらどうだ」
エーテル教授が言った。
全員が教授を見た。
彼はテーブルの端に腰を預けて、箱を見ていた。
「鍵穴がある」
確かに、箱の正面に小さな鍵穴があった。
全員の視線がホームズに集まった。
ホームズはコートのポケットを確認した。
「鍵は一つしかない」
「試してみないとわからない」
ホームズは箱の前に立った。
鍵を取り出した。
穴に近づけた。
合わなかった。
形が違う。
この箱の鍵穴は、もっと小さい。
「別の鍵がある」とポワロが言った。
「そうなる」とホームズが言った。
「どこに」
「わからない」
「また」
「仕方がない」
◇◇◇◇
ロンが棚を調べ始めた。
本を一冊ずつ引き出して、中を確認する。
瓶を動かして、後ろを覗く。
道具を一つ一つ手に取る。
ポワロが椅子に座ったまま、部屋全体を眺めていた。
こういうとき、彼は動かない。
動かずに、全体を見る。
「ホームズ」
「なんだ」
「椅子が四脚あるね」
「そうだな」
「テーブルは一つ。椅子は四脚。でも足跡は四人分」
「つまり」
「ここに来ていた四人は、このテーブルを囲んで座っていた」
ホームズが顔を上げた。
ポワロの視線と交差する。
「集まっていた」
「定期的に、おそらく」
「何のために」
「それはまだわからないけれど」
ポワロは箱を見た。
「この箱を中心に、何かをしていた。それは言えると思う」
◇◇◇◇
アーティが、ずっと黙っていた。
部屋の壁に沿って歩きながら、石の一枚一枚を手で確かめている。
誰も声をかけなかった。
アーティが黙って何かをしているとき、声をかけても返事が来ないことを、全員が経験で知っていた。
彼は壁の一点で、足を止めた。
腰の高さほどの位置にある石。
他と同じように見えるが、指で押すと、わずかに動いた。
「ここだ」
全員が振り返った。
アーティが石を少し押すと、石が内側に傾いて、小さな窪みが現れた。
窪みの中に、何かあった。
小さな鍵だ。
さっきの錆びた鍵より、ずっと小さい。
銀色で、先端が細い。
アーティはそれを取り出して、光にかざした。
錆びていない。
まるで、最近誰かが磨いたように、鈍い光を放っていた。
「どうしてわかった」とロンが訊いた。
「においがした」
「鍵のにおいか」
アーティは少し考えた。
「違う」
「じゃあ何のにおいだ」
「人のにおいだ」
アーティは鍵をホームズに渡した。
ホームズが受け取って、箱の鍵穴に近づける。
今度は、合った。
◇◇◇◇
箱が開いた。
中に入っていたのは、紙だった。
何枚もの紙が、丁寧に折り畳まれて、重ねて入っている。
一番上の紙を、ホームズが広げた。
文字が書かれていた。
几帳面な、細い字だ。
日付が書かれていた。
一番古い日付は、三十年以上前のものだった。
「記録だ」
ホームズが静かに言った。
「何の記録」とロンが訊いた。
ホームズはしばらく黙って、紙を読んだ。
二枚目を広げた。
三枚目を広げた。
それから顔を上げた。
金と緑の瞳が、今まで見たことのない色をしていた。
「この町で起きた、未解決の出来事の記録だ」
「未解決の」
「誰も解かなかった、あるいは、解かせてもらえなかった案件が、三十年分、記録されている」
部屋が静かになった。
天井の隙間から落ちる薄い光が、テーブルの上の紙を照らしている。
「そして」
ホームズが一枚の紙を持ち上げた。
「一番新しい記録の日付は、八日前だ」
◇◇◇◇
誰かが、つい最近まで、この部屋を使っていた。
記録をつけていた。
鍵を磨いていた。
テーブルを囲んでいた。
そして。
その誰かが、霧の家に鍵を置いていった。
「俺たちに、これを見つけさせたかった」
ロンが、低い声で言った。
「おそらく」とホームズが答えた。
「なぜ俺たちに」
「わからない」
「……聞き飽きたぞその言葉」
「本当のことしか言えない」
ロンは天井を仰いだ。
薄い光が、彼の斑模様の髪に落ちた。
「厄介なことになってきたな」
「なってきた」
「楽しいか」
ホームズは少しの間黙った。
「少し」
ロンはため息をついた。
長い、深い、ため息だった。
「……俺も、少しだけ、そう思っている」
◇◇◇◇
エーテル教授が箱の中の紙を一枚取り上げて、静かに読んでいた。
「教授」とポワロが声をかけた。
「なんだ」
「何か気になるものがありましたか」
「ある」
「どれですか」
エーテル教授は紙をポワロに渡した。
ポワロが受け取って、読んだ。
目が、静かに見開かれた。
「ホームズ」
「なんだ」
「これを見て」
ホームズが紙を受け取った。
読んだ。
紙に書かれていたのは、一件の記録だった。
日付は二十二年前。
内容は、この町の東端で起きた、ある出来事の記録だ。
そして記録の末尾に、場所が書かれていた。
霧の家、という文字が。
◇◇◇◇
アーティだけが、驚いていなかった。
壁に背を預けて、静かに目を閉じていた。
知っていたのかどうか、それは誰にもわからない。
ただ。
彼の黒い耳が、ゆっくりと動いた。
まるで、ずっと待っていた何かが、ようやく動き始めたことを、確かめるように。
◇◇◇◇
第四話 了




