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Requiem  作者: みなと劉


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19/22

第十九話「エーテル教授が見つけたもの」


◇◇◇◇


 朝になった。

 エーテル教授が図書室から出てきたのは、朝食の時間より少し早かった。

 珍しいことだった。

 教授はたいてい、食事の時間になっても図書室にいる。

 声をかけると出てくるが、自分から出てくることは少ない。

 居間にロンがいた。

 紅茶を飲みながら、窓の外を見ていた。

「早いな」とロンが言った。

「用がある」と教授が答えた。

「なんだ」

「全員を呼んでくれ」

 ロンが教授を見た。

「全員」

「全員だ。セノ氏も」

「何かあったか」

「あった」

「昨夜か」

「昨夜、見つけた」

 ロンが立ち上がった。

「わかった。呼んでくる」


◇◇◇◇


 全員が居間に集まった。

 いつもより時間がかかった。

 ライラがセノ氏の支度を手伝っていたからだ。

 セノ氏が杖をついて居間に来たとき、全員が揃った。

 アーティも来ていた。

 珍しく、朝から下りてきていた。

 エーテル教授がテーブルの上に、昨夜読んでいた冊子を置いた。

「昨夜、図書室でこれを読んでいた」

「この町の戸籍に関する資料だ」とホームズが言った。

「見たことがあるのか」とロンが訊いた。

「図書室にある資料は、一通り確認している」

「そうか」

「ただ、細かく読んだことはなかった。昨夜、教授が読んでいるのを見て、気になったが、先に休んだ」

「正解だ」とエーテル教授が言った。

「昨夜休まなければ、今朝使い物にならなかった」

「そうだな」

「だから先に教授が読んだ。結果として、見つけた」

「何を見つけたんだ」とロンが訊いた。


◇◇◇◇


 教授が冊子を開いた。

 該当のページを探して、全員に向けた。

「この町の、三十五年前の戸籍記録だ。この区画の、この名前を見てくれ」

 全員がページを覗き込んだ。

 細かい字で、名前と住所と、家族構成が記録されている。

「ヴェルナ・セノ」とホームズが静かに読んだ。

「そうだ」

「霧の家を建てた人物だ」

「見てほしいのは名前だけではない。家族構成を見ろ」

 ホームズが読んだ。

「子が三人。長子、次子、三子」

「名前を読め」

「長子、ルカ・セノ。次子」

 ホームズが止まった。

「次子、イン・セノ。三子、ヴェルト・セノ」

 部屋が静かになった。

「イン」とロンが繰り返した。

「イン・セノ」

 全員がアーティを見た。

 アーティが、冊子を見ていた。

 黒い耳が、静かに動いた。


◇◇◇◇


「アーティ」とホームズが静かに言った。

 アーティが顔を上げた。

「なんだ」

「イン・セノという名前に、心当たりがあるか」

 アーティは少し間を置いた。

「ある」

 部屋が静かになった。

「誰だ」とロンが低い声で訊いた。

「俺の、祖母の名前だ」

 誰も口を開かなかった。

 アーティが続けた。

「祖母は、この町の外で生まれた、と聞いていた。もともとどこにいたかは、教えてもらえなかった。あまり話したがらなかった」

「イン・セノが、曾祖父の逃がした子どもの一人だとしたら」とホームズが言った。

「アーティの祖母が、ヴェルナ・セノの子どもだということになる」

「そうなる」

 アーティが冊子を見た。

「次子、イン・セノ。これが祖母かどうかは、まだわからない」

「同じ名前だ」

「同じ名前の人間は、いないとは言えない」

「そうだが」

「でも」

 アーティが静かに言った。

「祖母は、霧の家のことを知っていた」


◇◇◇◇


「知っていた」とロンが繰り返した。

「たまに話していた。川沿いに、古い館がある。そこには面白い人間が集まる、と」

「面白い人間が集まる」

「それだけだった。名前も場所も、教えてもらえなかった。ただ、そういう場所があると」

「それが霧の家だと思ったか」とポワロが訊いた。

「思っていなかった。ここに来るまでは」

「ここに来てから」

「来てから、祖母の話を思い出した。でも、確信はなかった」

「今は」

 アーティが少し間を置いた。

「今も、確信はない。でも」

「でも」

「可能性が高いと思っている」

 セノ氏が静かに口を開いた。

「アーティさん」

 アーティがセノ氏を見た。

「祖母のお名前は、イン・セノ、でしたか」

「イン、という名前だった。セノかどうかは、知らなかった。祖母は名乗らなかった」

「名乗らなかった、というのは」

「人に名前を教えることを、嫌がっていた。理由は教えてくれなかった」

 セノ氏が頷いた。

「追い出された側の人間は、名前を消されることを恐れていました。だから逆に、自分から名乗ることを避ける人間もいた」

「名前を消されることを、恐れて」

「そうです。記録から消された経験がある。だから、名前を軽々しく出したくなかった。そういう人間が、当時はいた」


◇◇◇◇


「確かめる方法はあるか」とホームズが訊いた。

「あります」とセノ氏が答えた。

「どうやって」

「私の祖父が、曾祖父の話を詳しく記録しています。子どもたちをどこへ逃がしたか、何らかの手がかりを残しているかもしれない」

「その記録はどこにある」

「私の書斎に、まだ残っているはずです」

「ライラが書斎から資料を持ってきていたが」

「全部ではありません。私が特に重要だと思うものを中心に持ってきた。祖父の個人的な記録は、まだ書斎にあります」

「取りに行く必要があるな」とロンが言った。

「はい。でも」

 セノ氏が足を確認するように動かした。

「まだ一人では遠い」

「俺が行く」とロンが言った。

「ライラさんに、場所を教えてもらえれば」

「私も行きます」とライラが言った。

「場所を知っているなら、一人でいい」

「でも」

「でも、じゃない。お前は父上の側にいてくれ」

 ライラが少し口をつぐんだ。

 セノ氏が言った。

「行かせてやってください。書斎の中は、ライラの方が詳しい」

「……わかった。二人で行け」


◇◇◇◇


 ロンとライラが出かけた後、居間が少し静かになった。

 ホームズが冊子を読み直していた。

 ポワロが紅茶を淹れた。

 セノ氏が暖炉の近くに座った。

 アーティは、窓の外を見ていた。

「アーティさん」とセノ氏が呼んだ。

 アーティが振り返った。

「なんですか」

「祖母のことを、もう少し聞かせてもらえますか。もし話せるなら」

 アーティが少し考えた。

「何を聞きたいですか」

「どんな人でしたか」

 アーティが窓から離れて、椅子に座った。

「小柄な人だった。背が低くて、でも動きが速かった。老いても足が速かった」

「そうですか」

「字が綺麗だった」

 セノ氏が、少し表情を動かした。

「几帳面な字でしたか」

「细い、几帳面な字だった。手紙を書くのが好きで、よく書いていた。でも出さなかった」

「出さなかった」

「書いて、しまっていた。誰に宛てた手紙かは、教えてもらえなかった」

 セノ氏が静かに言った。

「書いても送れない相手がいたんだと思います」

「残してきた人間に、でしょうか」

「おそらく。父親に、あるいは兄弟に」

「兄弟が、ヴェルト・セノと」

「ルカ・セノです。長子です。三子のヴェルトも、どこかへ逃げた」

 アーティが少し間を置いた。

「祖母は、兄か弟に手紙を書き続けていた」

「そうかもしれません」

「会えなかったんですね」

「会えなかったんだと思います」


◇◇◇◇


 ホームズが口を開いた。

「ルカ・セノとヴェルト・セノの行方が、わかれば」

「三人が揃う」とポワロが静かに言った。

「揃う、というのは」

「長子、次子、三子。三人の子孫が今もどこかにいるとすれば、ヴェルナ・セノの話が、全部つながる」

「つながったとして、何が変わる」

「変わることと、変わらないことがある」とセノ氏が言った。

「どういう意味ですか」とポワロが訊いた。

「記録を返す手続き、土地の権利の話は、ルカやヴェルトの子孫が見つかっても見つからなくても、進めます。あの区画に住んでいた全員のために動いているので」

「でも、見つかった方がいい」

「見つかった方が、より正確に返せる。それだけです。ただ」

 セノ氏がアーティを見た。

「アーティさんにとっては、祖母の話がつながることに、別の意味があるかもしれない」

 アーティが少し間を置いた。

「別の意味」

「祖母がなぜ名前を言わなかったか。なぜ手紙を出さなかったか。なぜ霧の家のことを知っていたか。それがわかるかもしれない」

 アーティが窓の外を見た。

「わかれば、と思う部分はある」

「そうですよね」

「でも」

「でも」

「わかっても、祖母はもういない」

 セノ氏が静かに言った。

「それでも、知ることに意味があると思います」

「なぜ」

「消された記録を取り戻すために、何十年もかけてきた。消えた過去を、なかったことにしないために。それと同じことです」

 アーティが、セノ氏を見た。

 しばらく、黙っていた。

「そうかもしれない」


◇◇◇◇


 昼前に、ロンとライラが戻ってきた。

 ライラが鞄を抱えていた。

「あった」とライラが言った。

「祖父の記録か」とホームズが訊いた。

「はい。父の書斎の、一番奥の棚にありました」

「読んだか」

「少しだけ。帰りながら」

「何が書いてあった」

 ライラがテーブルに鞄を置いた。

 中から、古い手帳を取り出した。

 表紙が傷んでいて、字が薄くなっている。

「祖父の手帳です。几帳面な字で、いろいろと書いてあります」

「イン・セノのことは」

「あります」

 ライラが手帳を開いた。

 付箋の代わりに、細い紙を挟んでいた。

 帰り道で見つけたページだろう。

「ここです」

 ホームズが受け取って、読んだ。

「読んでくれ」とロンが言った。

 ホームズが声に出して読んだ。

「『曾祖父ヴェルナの次子、インは、町の東の方角へ逃げた。向かった先は、隣の県の港町だ。曾祖父から聞いた話では、インは港町で所帯を持ったという。その後の消息は不明』」

 部屋が静かになった。

「港町」とアーティが静かに言った。

「心当たりがあるか」とホームズが訊いた。

「祖母は、港町の出身だと言っていた」

「隣の県の」

「そう聞いていた」

 全員が少し黙った。

「ほぼ間違いない」とロンが言った。

「断定はできないが」とホームズが言った。

「でも」

「でも、可能性は高い」

 アーティが手帳を見た。

「ヴェルト・セノについては、書いてあるか」

 ライラがページをめくった。

「あります。少しだけ」

「読んでくれ」

 ライラが読んだ。

「『三子のヴェルトは、北の方角へ逃げた。行き先は聞けなかった。ただ、ヴェルトは絵を描くことが好きだったと、曾祖父が言っていた。どこへ行っても、絵を描いていると思う』」

「北の方角へ、絵を描く人物」

「それだけか」

「それだけです」

「手がかりとしては、少ない」とホームズが言った。

「少ない」とロンが同意した。

「でも、ないよりいい」とポワロが言った。

「そうだな」


◇◇◇◇


「今日わかったことを、整理する」とホームズが言った。

「アーティの祖母は、高い可能性でイン・セノだ。ヴェルナ・セノの次子であり、アーティはヴェルナ・セノの曾孫にあたる可能性がある」

 アーティが静かに聞いていた。

「ヴェルト・セノの行方は、まだわからない。北の方角、絵が好きという手がかりだけがある」

「三人のうち、一人がセノ氏の祖父、一人がアーティの祖母、一人がまだ不明だ」とロンが言った。

「そうなる」

「なんというか」

「なんだ」

「随分と、近いところにいたんだな、みんな」

 ロンが、アーティとセノ氏を交互に見た。

「一方は霧の家に来て、一方は霧の家を守り続けた。繋がっていたわけだ」

 セノ氏が静かに言った。

「曾祖父が、そうなるように作ったのかもしれません」

「霧の家が、人を引き寄せるように」

「子孫を引き寄せるように、も含めて」

「そこまで考えていたのか、曾祖父は」

「わかりません。でも」

 セノ氏が霧の家の壁を見た。

「結果的に、そうなった」

「結果的に、か」

「霧の家がそういう場所だから」

 ロンが小さく笑った。

「またその言葉か」

「何度でも正しい言葉というものがあります」

「そうかもしれないな」


◇◇◇◇


「ヴェルト・セノを探すか」とホームズが訊いた。

「探す」とロンが答えた。

「誰も頼んでいないが」

「頼んでいなくても、気になった」

「気になるから動くか」

「そうだ」

 ホームズが手帳を閉じた。

「手がかりが少ない。北の方角、絵が好き、それだけだ。時間がかかるかもしれない」

「かかってもいい」

「急ぎではないか」

「急ぎではない。ただ」

 ロンがアーティを見た。

「祖母の手紙が、残っているかもしれない。出さなかった手紙が」

 アーティが少し間を置いた。

「残っている」

「どこに」

「俺が持っている」

「持っているのか」

「祖母が亡くなったとき、受け取った。読んでいない」

 部屋が静かになった。

「読む気になったとき、読んでくれ」とロンが言った。

「手紙に、手がかりがあるかもしれないが、急かすつもりはない」

 アーティが少し間を置いた。

 それから、静かに言った。

「今夜、読む」

「そうか」

「読んだ方がいい気がした」

「そうか」

 ロンはそれ以上何も言わなかった。

 アーティも、それ以上は言わなかった。


◇◇◇◇


 夕方になった。

 ポワロが夕食の準備を始めた。

 ライラが手伝った。

 セノ氏が暖炉の前で、手帳を読んでいた。

 エーテル教授が図書室に戻った。

 ホームズが窓の外を見ていた。

 ロンが居間の椅子で、目を閉じていた。

 眠っているわけではないが、休んでいた。

 アーティは、自分の部屋にいた。

 部屋の中は静かだった。

 机の引き出しを開けた。

 一番奥に、古い封筒があった。

 何年もそこにあった封筒だ。

 封は閉じられたままだった。

 アーティが封筒を取り出した。

 手の中で、しばらく持っていた。

 祖母の字が、表に書いてある。

 宛名はなかった。

 誰に書いたかわからない手紙が、何十年も、封がされたまま残っていた。

 アーティが、封を開けた。

 静かに、丁寧に。

 中から、紙が出てきた。

 何枚もある。

 一枚目を広げた。

 祖母の字が、ページいっぱいに書かれていた。

 几帳面で、細い字だ。

 アーティが、読み始めた。


◇◇◇◇


 第十九話 了

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