↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Requiem  作者: みなと劉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/22

第二十話「祖母の手紙」


◇◇◇◇


 手紙は、全部で七枚あった。

 日付が書いてあった。

 一番古いものは、五十年以上前だ。

 一番新しいものは、アーティが子どもの頃の日付だった。

 アーティは一枚目から順番に読んだ。

 急がなかった。

 一行ずつ、丁寧に読んだ。

 祖母の字は細かったが、読みにくくはなかった。

 几帳面に書かれた字は、何十年経っても、きちんと読めた。

 一枚目を読み終えた。

 しばらく、机の上に置いたまま、動かなかった。

 それから、二枚目を手に取った。


◇◇◇◇


 一枚目には、こう書かれていた。

『ルカへ。ヴェルトへ。

 お父さんに言われた通り、港町に来た。

 思ったより遠かった。

 船のにおいがする町だ。

 二人はどこにいるんだろう。

 元気でいるといい。

 私はここで、働き口を見つけた。

 小さな商店だ。

 毎日忙しい。

 忙しい方が、余計なことを考えなくて済む。

 霧の家のことを、たまに思い出す。

 あの館は、まだあるだろうか。

 お父さんは、まだあそこにいるだろうか。

 手紙を書いても、送る場所がわからない。

 だから書くだけにする。

 元気でいてほしい。

 イン』


◇◇◇◇


 二枚目には、こう書かれていた。

『ルカへ。ヴェルトへ。

 港町に来て、三年が経った。

 所帯を持った。

 相手は、この町で生まれた人間だ。

 名前は言わない。

 でも、いい人間だ。

 子どもが生まれるかもしれない。

 生まれたら、何と名付けようか、まだ決めていない。

 お父さんの名前を使いたい気もする。

 でも、目立ちたくない。

 名前を消された人間が、また名前を使い始めると、どうなるか、怖い。

 だから、別の名前にすると思う。

 二人のことを、子どもに話してやりたい。

 でも、どこにいるかわからないから、話しようがない。

 どこかで元気にしていると信じる。

 イン』


◇◇◇◇


 三枚目を広げた。

 日付が飛んでいた。

 二枚目から十年後の日付だ。

『ルカへ。ヴェルトへ。

 子どもが二人いる。

 一人は男の子で、一人は女の子だ。

 二人とも、元気だ。

 男の子の方が、よく喋る。

 女の子の方が、よく動く。

 面白い子どもたちだ。

 この町から、少し離れた場所に引っ越した。

 港の喧噪から離れたくなった。

 静かな場所を選んだ。

 子どもたちに、霧の家の話をした。

 川沿いに、面白い館がある、と。

 詳しくは話せなかったけれど、そういう場所があると、知っていてほしかった。

 なぜかはわからない。

 でも、知っていてほしかった。

 元気でいてほしい。

 イン』


◇◇◇◇


 アーティは三枚目を置いた。

 しばらく、手を膝の上に置いたまま、動かなかった。

 霧の家の話を、子どもたちに話した。

 祖母が話した子どものうち、一人が、アーティの親だ。

 だから、アーティも霧の家のことを知っていた。

 そして霧の家に来た。

 繋がっていた。

 アーティが四枚目を手に取った。


◇◇◇◇


 四枚目には、こう書かれていた。

『ルカへ。ヴェルトへ。

 久しぶりに書く。

 書けない時期があった。

 いろいろあったから。

 子どもたちは大きくなった。

 男の子は、いつも外を走り回っている。

 女の子は、本を読むのが好きだ。

 二人とも、私に似ていない。

 似ていない方が、生きやすいかもしれない、と思う。

 ルカが、今どこにいるか、たまに考える。

 長子だから、お父さんの一番近くにいたはずだ。

 霧の家の周りにいたかもしれない。

 あの館を、守っているかもしれない。

ヴェルトは、絵を描いているだろう。

 北へ行った、とお父さんが言っていた。

 北で、絵を描いて生きているといい。

 私は、絵が描けない。

 でも、字を書くことは好きだ。

 届かない手紙を、書き続けている。

 おかしいかもしれない。

 でも、やめられない。

 イン』


◇◇◇◇


「ルカが、霧の家の周りにいたかもしれない」

 アーティが小声で繰り返した。

 長子のルカ・セノ。

 セノ氏の祖父が、記録を始めた。

 祖父の名前は、ヴェルナ・セノだった。

 でも。

 アーティが五枚目を広げる前に、少し止まった。

 考えた。

ヴェルナ・セノという名前を、祖父の代から引き継いだ。

 追い出された後で、名前を受け継いだ。

 もし、ルカが霧の家の近くに残ったなら。

 曾祖父の名前を、引き継いだなら。

 ルカ・セノが、ヴェルナ・セノを名乗ったなら。

 つまり。

 アーティが、静かに息を吐いた。

 明日、セノ氏に聞く必要がある。


◇◇◇◇


 五枚目を広げた。

『ルカへ。ヴェルトへ。

 孫が生まれた。

 男の子だ。

 変わった子だ。

 生まれたときから、目が落ち着いている。

 赤ちゃんなのに、ものを考えているような目をしている。

 名前は、まだ決まっていない。

 でも、この子はいつか、霧の家に行くと思う。

 理由は言えない。

 ただ、そう思う。

 目を見ていると、そう思う。

 この子に、届かない手紙のことを、話すかどうか、まだ決めていない。

 話した方がいいのか、話さない方がいいのか、わからない。

 でも、いつか話す気がする。

 ルカ、ヴェルト、元気でいるといい。

 孫の顔を、見せてやれないのが、残念だ。

 イン』


◇◇◇◇


 アーティは五枚目を置いた。

「変わった子だ。この子はいつか、霧の家に行くと思う」

 祖母が書いた言葉だった。

 アーティのことだ。

 間違いなく、アーティのことだ。

 目を見ていると、そう思う、と書いてあった。

 セノ氏が言っていた言葉を、アーティは思い出した。

 霧の家に住み続ける者は、そういう目をしている。

 祖母も、同じことを感じていた。

 孫の目を見て、感じていた。

 アーティが六枚目を手に取った。

 手が、わずかに動いた。

 普段、手が動くことはない。

 アーティ自身も、気づかなかったかもしれない。

 でも、動いた。


◇◇◇◇


 六枚目には、こう書かれていた。

『ルカへ。ヴェルトへ。

 孫が、もう歩いている。

 早い子だ。

 どこへでも行こうとする。

 目に入ったものに、全部近づこうとする。

 昨日、川のそばに連れていった。

 孫が川を見て、何かを考えているような顔をした。

 川が、何か話しかけているみたいだった。

 そのとき、お父さんのことを思い出した。

 川沿いに館を建てた人間のことを。

 この子は、いつか、あの川のそばに行く。

 あの館に、行く。

 そんな気がした。

 気だけだ。

 でも、そう思った。

 ルカへ。ヴェルトへ。

 もし二人の子孫と、私の孫が、どこかで会うことがあれば、よろしくと伝えてほしい。

 どこかで読んでくれているといい。

 いつか会えると、信じている。

 イン』


◇◇◇◇


 アーティは六枚目を、ゆっくりと置いた。

『もし二人の子孫と、私の孫が、どこかで会うことがあれば、よろしくと伝えてほしい』

 セノ氏と、アーティは、会った。

 霧の家で。

 曾祖父が建てた場所で。

 祖母が夢見ていた通りに。

 アーティが天井を見た。

 しばらく、動かなかった。

 それから、七枚目を手に取った。

 最後の手紙だった。

 日付は、アーティが子どもの頃のものだ。


◇◇◇◇


『ルカへ。ヴェルトへ。

 これが最後の手紙になるかもしれない。

 体が弱くなってきた。

 字を書くのが、少し難しくなった。

 孫は、もう大きくなった。

 変わらず、変わった子だ。

 どこへ行っても、静かに、でも確かに、そこにいる。

 そういう人間に育った。

 霧の家のことを、孫に話した。

 川沿いに、古い館がある。

 面白い人間が集まる場所だ、と。

 それだけ話した。

 孫が、どんな顔をするか、見ていた。

 何も言わなかった。

 でも、目が動いた。

 それでいい、と思った。

 ルカ、ヴェルト、私はもうすぐ届かない場所へ行く。

 でも、孫がいる。

 孫が、いつか、あの場所に行く。

 そして二人の子孫に会う。

 私の代わりに、よろしく、と言ってくれる。

 そう信じている。

 長い間、届かない手紙を書き続けた。

 おかしな人間だったかもしれない。

 でも、書かずにはいられなかった。

 届かなくても、書くことに意味があると思っていた。

 霧の家の記録と、同じかもしれない。

 消えても、消えても、書き続けた人間がいた。

 私も、届かなくても、書き続けた。

 人間というのは、そういうものかもしれない。

 最後に一つだけ。

 孫へ。

 あの館に行ったら、居心地がいいと思う。

 それでいい。

 それだけでいい。

 イン・セノ』


◇◇◇◇


 アーティは最後の手紙を、長い間持っていた。

 置けなかったわけではない。

 ただ、もう少し、手の中にあってほしかった。

 居心地がいいと思う。

 それでいい。

 それだけでいい。

 霧の家に来た最初の日を、アーティは覚えていない。

 いつ来たか、なぜ来たか、正確には覚えていない。

 ただ、来た。

 居心地がよかった。

 だから居ついた。

 それだけだと思っていた。

 でも、祖母が知っていた。

 孫が来ることを、信じていた。

 アーティが手紙を、丁寧に折り畳んだ。

 封筒に戻した。

 机の引き出しに、しまった。

 立ち上がった。

 部屋の扉を開けた。

 廊下に出た。


◇◇◇◇


 階段を下りた。

 居間に全員がいた。

 夕食が終わって、それぞれがゆったりとしていた。

 ポワロが紅茶を飲んでいた。

 ロンが窓の外を見ていた。

 ホームズが手帳を読んでいた。

 ライラがセノ氏と話していた。

 エーテル教授が本を持ったまま、暖炉の前に座っていた。

 アーティが居間に入ったとき、何人かが顔を上げた。

「アーティ」とロンが言った。

「なんだ」

「手紙は」

「読んだ」

「どうだった」

 アーティは少し間を置いた。

「長い手紙だった」

「そうか」

「届かなかった手紙だ。でも」

 アーティがセノ氏を見た。

 セノ氏がアーティを見た。

「届いた、と思う」

 セノ氏が静かに目を細めた。

「そうですね」

「一つだけ、明日聞かせてほしいことがある」

「なんでしょう」

「セノ氏の祖父が、ヴェルナ・セノという名前を引き継いだ、という話だ。その前の名前を、知っているか」

 セノ氏が少し考えた。

「知っています。祖父の元の名前は、ルカ、と言いました」

 部屋が静かになった。

「ルカ・セノ」とアーティが静かに言った。

「はい」

「長子の」

「そうです。なぜ」

 アーティが少し間を置いた。

「祖母の手紙に、ルカへ、と書いてあった」

 セノ氏の表情が、静かに変わった。

 固かったものが、少しずつ溶けるように、変わった。

「……そうですか」

「届かなかった手紙が、七枚ある。全部、ルカへ、から始まっている」

「祖父に、届いていなかった」

「届いていなかった。でも」

 アーティが言った。

「今夜、届いた」


◇◇◇◇


 部屋が静かになった。

 ランタンの光が、全員の顔を照らしていた。

 ロンが窓から視線を外した。

 ポワロが紅茶のカップを置いた。

 ホームズが手帳を閉じた。

 ライラが少し目を赤くした。

 エーテル教授が本を膝の上に置いた。

 セノ氏が、静かに息を吐いた。

「祖父は、妹に会えなかった」

「会えなかった」

「でも」

 セノ氏が、アーティを見た。

「曾孫が、来てくれた」

 アーティが少し間を置いた。

「来た」

「霧の家に」

「来た」

「それが、曾祖父の望んでいたことだったのかもしれない」

「そうかもしれない」

 二人が、しばらく、黙って向き合っていた。


◇◇◇◇


「ヴェルトの話は、また別の日にしよう」とロンが静かに言った。

「そうだな」とホームズが答えた。

「今夜はここまでだ」

「わかった」

「アーティ」

「なんだ」

「よく読んだ」

 アーティが少し間を置いた。

「読まないといけない気がした」

「そうだな」

「読んでよかった」

「そうか」

「珍しいことを言うな、と思っているか」

「思っていない」とロンが言った。

「正直に言うな」

「お前が正直に言ったから、こちらも正直に言った」

 アーティが、ほんのわずかに、表情を動かした。

 笑ったとは言えない。

 でも、何かが緩んだ。

 それを見ていた人間が、何人かいた。

 誰も、指摘しなかった。


◇◇◇◇


 夜が深くなった。

 一人ずつ、部屋に戻っていった。

 最後に居間に残ったのは、ホームズだった。

 いつも通りだった。

 ランタンの前に座って、何かを考えていた。

 七枚の手紙。

 届かなかった言葉が、五十年以上後に届いた。

 記録を残すことの意味を、セノ氏が言っていた。

 消えても、消えても、書き続けた人間がいた。

 届かなくても、書き続けた人間がいた。

 それが今夜、繋がった。

 ホームズが窓の外を見た。

 霧が出ていた。

 薄い霧が、川の方から流れてきて、館の周りを包んでいる。

 霧の家という名前が、今夜もよく似合っていた。

 ホームズが目を閉じた。

 金と緑の瞳が、静かに暗くなった。

 霧の家の夜が、深く、静かに、続いていく。

 終わらない場所で、終わらない話が、今夜も息をしている。


◇◇◇◇


 第二十話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。