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Requiem  作者: みなと劉


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15/22

第十五話「倉庫の記録と、最後の手」


◇◇◇◇


 倉庫に戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。

 表の引き戸は、出かけるときのままだった。

 開いている。

 誰かが入った形跡があるかどうか、ホームズが確認した。

「足跡が増えている」

「何人分だ」とロンが訊いた。

「二人か三人だ。俺たちが出てから、入った者がいる」

「中にいるか」

「わからない。でも」

 ホームズが引き戸の端を見た。

「まだ出た形跡がない」

 ロンが静かに息を吐いた。

「中にいるな」

「そうなる」

 ロンがノーマンを見た。

「古い関係者の残党が、動いたということか」

「そう思います。予想より早かった」

「何人いる」

「三人か、四人だと思います。私の情報では」

「こちらは四人だ」

 ロンが全員を見た。

「ポワロ、ライラ、お前たちは外で待て」

「嫌だ」とポワロが言った。

「嫌、とは」

「入る」

「危ない」

「ロンも危ない」

「俺は」

「俺も、が同じように成立する」

 ロンが口をつぐんだ。

 ポワロが静かに続けた。

「記録を運び出すには、人手がいる。中の状況もわからない。全員で入った方がいい」

「ライラは」

「私も入ります」とライラが言った。

「お前まで」

「父の話です」

 ロンはしばらく黙った。

 それから、深く息を吐いた。

「わかった。全員で入る。ただし」

「ただし」

「俺の後ろから離れるな。勝手に動くな。何かあったらすぐ声をかけろ」

「わかった」とポワロが答えた。

「はい」とライラが答えた。

 ノーマンが頷いた。

 ホームズは何も言わなかった。

「ホームズ」

「わかっている」

「言葉で言え」

「わかった」

「よし」


◇◇◇◇


 中に入った。

 一階は、出かけるときと変わらない。

 がらんとした広い空間に、柱が並んでいる。

 でも、においが変わっていた。

「煙のにおいがする」とホームズが低く言った。

 全員が止まった。

「火をつけるつもりか」とロンが言った。

「記録を燃やすつもりだ」とホームズが答えた。

「急ぐぞ」

 階段へ向かった。

 今度は音を気にしなかった。

 速く動くことの方が、大事だった。

 二階に上がった。

 棚が並んでいる空間に、二人の人物がいた。

 棚から箱を引き出して、中の書類を床に積んでいる。

 油のにおいがした。

 燃やす準備をしていた。

 二人がこちらを見た。

「止まれ」とロンが言った。

 二人が動いた。


◇◇◇◇


 ロンが前に出た。

 一人と向き合った。

 相手は体が大きい。

 ロンより頭一つ分高い。

「退けと言っている」

 相手が返事をしなかった。

 そのまま動こうとした。

 ロンが動いた。

 ロンの動き方は速い。

 体が大きい相手に対して、正面から当たらない。

 脇から入って、重心を崩す。

 相手がよろめいた。

「ロン」とポワロが声をかけた。

「もう一人を頼む」

 ポワロがもう一人の前に立った。

 ポワロの動き方は、ロンとは違う。

 正面に立って、動かない。

 相手が動こうとするたびに、少しだけ位置を変える。

 相手の動きを読んで、合わせる。

 ホームズがライラとノーマンを二階の奥へ誘導した。

「記録を確認する。燃やされていないものを優先して出せ」

「わかりました」とノーマンが答えた。

 三人で棚を確認し始めた。


◇◇◇◇


 三階から、足音がした。

 ホームズが顔を上げた。

「まだいる」

「三階に一人か二人だ」とノーマンが言った。

「上へ行く必要がある」

「記録は」

「二人に任せる。ノーマン、続けてくれ」

「わかりました」

 ホームズが階段へ向かった。

「ホームズ」とライラが言った。

「一人で行くな」

「来るか」

「来ます」

「危ない」

「それは全員同じです」

 ホームズは少し間を置いた。

「来い」

 二人で三階へ上がった。


◇◇◇◇


 三階の扉の前に立った。

 光が漏れている。

 ホームズが扉を開けた。

 部屋の中に、一人の人物がいた。

 年のころは七十前後だろうか。

 小柄で、白髪で、片手に書類の束を持っている。

 もう片方の手に、小さな火種を持っていた。

「動くな」とホームズが言った。

 老人がこちらを見た。

 目が、ノーマンに似ていた。

 いや、違う。

 ノーマンの目は穏やかだ。

 この老人の目は、鋭い。

 何十年も、鋭くあり続けた目だ。

「ノーマン家の」とホームズが言った。

「古い関係者だ」

 老人が笑った。

「来るのが早かった」

「少し早かったか」

「もう少し遅ければ、全部終わっていた」

「終わらなかった」

「まだ終わっていない」

 老人が手の中の火種を、書類に近づけた。

「止めろ」

「止めない」

 ライラが前に出た。

「お願いします」

 老人がライラを見た。

「止めてください。あの記録は、追い出された人たちの、存在の証明です。燃やしていいものじゃない」

 老人が少し黙った。

「存在の証明、か」

「そうです」

「それを守って、どうする」

「元に戻すんです。記録を。土地を。消された人たちの、歴史を」

 老人がライラをじっと見た。

「誰だ、お前は」

「セノの娘です」

 老人の目が、わずかに動いた。


◇◇◇◇


「セノの娘」

 老人が繰り返した。

「そうです」

「セノが、娘を使うようになったか」

「使ったんじゃないです。父は私に、関わるなと言い続けた」

「では、なぜいる」

「気になったから来ました」

 老人が、少しの間、ライラを見た。

 それから、視線をホームズへ移した。

「お前は誰だ」

「霧の家の住人だ」

「霧の家」

 老人が眉を動かした。

「あの館に、今も人が住んでいるのか」

「住んでいる」

「何人だ」

「五人だ」

 老人が天井を見た。

 それから、静かに息を吐いた。

「あの館は、しぶといな」

「建てた人間がしぶとかったんだろう」

 老人が、少し表情を変えた。

 笑みではなかった。

 苦笑でもなかった。

 何か、長い時間をかけて作り上げた硬さが、少しだけ緩んだような顔だった。

「建てた人間を、知っていた」

「そうか」

「追い出した側の人間だから、よく覚えている」

 老人の手が、わずかに下がった。

「しぶとい人間だった。何度押しても、消えなかった」

「消えなかった」

「消えなかったから、こうなった」

 老人が書類を見た。

 手の中の火種を見た。

 それから、ゆっくりと火種を消した。


◇◇◇◇


 床に、書類を置いた。

 老人が椅子に腰を下ろした。

「疲れた」

 ホームズが老人を見た。

「記録を燃やすのをやめるのか」

「やめる」

「なぜ」

 老人が窓の外を見た。

「もういい、と思った」

「それだけか」

「それだけだ。長くやりすぎた。父の代から数えれば、三十年以上だ。疲れた」

 ホームズは少し黙った。

「後悔しないか」

「するかもしれない。でも、今はしていない」

 老人がライラを見た。

「セノは元気か」

「足を痛めていますが、元気です」

「そうか。あいつも、しぶといな」

「似た者同士じゃないですか」とライラが静かに言った。

 老人が、少し目を丸くした。

 それから、低く笑った。

「そうかもしれない」


◇◇◇◇


 二階からロンの声がした。

「ホームズ、三階は大丈夫か」

「大丈夫だ」とホームズが返した。

「下の二人は止めた。そっちは」

「止まった」

「記録は」

「無事だ。燃やされていない」

 しばらく間があった。

「全部か」

「全部だ」

 また間があった。

 それから、

「よかった」

 という声がした。

 珍しく、ロンがそういう言い方をした。

 ポワロが隣で、小さく笑ったのが聞こえた気がした。


◇◇◇◇


 記録を運び出すのに、一時間ほどかかった。

 二階の棚にあった書類を、全部箱に詰めた。

 重い箱を、何度も往復して運んだ。

 ロンが一番重い箱を担いだ。

 ノーマンが次に重い箱を担いだ。

 ホームズとポワロとライラが残りを分けた。

 老人は三階に座ったままだった。

 逃げなかった。

 逃げる気もないらしかった。

「あの老人はどうする」とロンがノーマンに小声で訊いた。

「然るべきところへ引き渡します。私が対処します」

「任せていいか」

「任せてください。これは、私が決着をつけるべき話です」

 ロンが頷いた。

「頼んだ」


◇◇◇◇


 記録を、ノーマンが用意した安全な場所へ運んだ。

 古い公文書の保管施設の、一角だった。

 鍵のかかった部屋に、書類を収めた。

 最後の箱を棚に入れたとき、全員がしばらく黙っていた。

「終わったのか」とロンが言った。

「一段落した」とホームズが答えた。

「まだ続くか」

「記録を元の所有者に戻す手続きがある。法的な整理がある。時間がかかる」

「俺たちがやることか」

「俺たちにできることと、できないことがある。法的な部分は、専門の人間に任せた方がいい」

「ノーマンが対処するか」

「セノ氏とノーマンが、二十年かけて準備してきた。あとはその準備を使う段階だ」

「俺たちの役目は終わった、ということか」

 ホームズが少し間を置いた。

「大きな役目は、終わった」

 ロンが息を吐いた。

「疲れたな」

「そうか」

「お前は疲れないのか」

「疲れた」

「珍しい」

「人間だから疲れる」

「人間、というのは」

「なんでもない」


◇◇◇◇


 外に出た。

 空が、少し明るくなっていた。

 雲が薄くなって、どこかに光の筋が見えた。

「晴れるかもしれない」とポワロが言った。

「珍しいな、この町では」とロンが言った。

「でも晴れるときはある」

「そうだな」

 ライラが空を見上げた。

「父に報告したい」

「行こう」とロンが言った。

「霧の家に、全員で戻ってからでいいですか」

「なぜ」

「エーテル教授と、アーティも一緒に連れていきたい」

 ロンが少し考えた。

「そうだな。全員で行く」

 ホームズが空を見た。

 光の筋が、少しずつ広がっている。

 霧は出ていない。

 晴れるかもしれない。

 あるいは、また曇るかもしれない。

 どちらでも構わなかった。

 霧の家は、霧の中でも、晴れていても、変わらずそこにある。

 それで十分だった。


◇◇◇◇


 第十五話 了

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