第8話 撃鉄王
フェオの不敵な発言に怒り、リアの素っ頓狂な発言にポカンとする中。
「……お主ら、わしと代われ」
ただ一人、静けさをまとう白き老兵。フェオの構えを見て様子が一変したゲンドゥルだ。そんな彼に、デレクたちが目を丸くする。
しかし三角屋根の上にいたリアだけは、その姿に既視感を覚えた。
(ゲンさん……?)
いつも大口を開けて豪快に笑うおじいちゃんの、死地へと赴くような切迫した表情。遠い過去なれど、ひどく脳裏に焼きつく姿。
あれは、そう。
「師匠、急にどうしたんですか?」
「これしきのこと、ゲンドゥル様の手を煩わせるまでもありません」
「ここは我らにお任せを」
「……そうか」
剣聖へと上り詰める父に、双炎隻流の奥義のひとつを会得させるため死合った、かくも名高き撃鉄王の姿。
「ならば、一斉にかかれ」
「……は?」
「な、なんと……!」
「我らにそんな、恥知らずな真似をしろと仰るのですか!?」
短髪、長髪、坊主頭の騎士たちが一斉に驚く。隙だらけだったがフェオは不意を突くわけでもなく、その場で軽く跳び始めた。
手足の鎧の重みを感じさせないステップワーク。静かに刻むリズム。
「騎士道を語るのは、相手が人間の時だけにせい」
「? 師匠は、あの者が人間でないと?」
「……少なくとも、ただ者では——」
「そんなに心配なら条件を追加しよう、白きドワーフよ」
左の拳を軽く突き出し、右の拳はあごに添えたまま。トントンと軽く上下に。
まるで、踊りながらの挑発。
「そいつらには、かすり傷ひとつ負わせない」
それに当事者たる三人の騎士が真っ先に反応する。
「舐めてんじゃねえぞこの野郎!」
「ゲンドゥル様の言うとおり、三人がかりでボコボコに……」
「待て。トッド、トロワ」
「なんで止めんだアインッ!」
アインと呼ばれた坊主頭の騎士は冷静に、トッドと呼んだやや直情型に見える短髪の騎士と、トロワと呼んだ陰鬱そうな長髪の騎士を、左手の細剣で制した。
「三人がかりはやはり騎士道に反する。ここはまず、俺から行こう」
一番冷静そうに見えて、一番怒っているらしい。証拠に、月明かりの下で坊主頭が茹でだこのように赤く染まっておもしろ——
「顔真っ赤で草」
リアは「私じゃないよ!?」とつい言ってしまうところだった。
「……草がなんなのかは知らんが、侮辱されたことだけはわかった。ゲンドゥル様、お許し願えますか?」
「かまわん。もう好きにせい」
「やったれアイン! 俺にまで回さなくていいぜ!」
「油断してやられるなよ」
「あと、殺しちゃダメですからね先輩」
「えぇっ!? ちょ、ちょっと待ってよみんな!」
高まる戦いの気運。
アインが右手の雄炎の両手剣を肩に担ぎ、縦に構えた雌火の細剣の切っ先をフェオへと向ける。
「心得ているさ、デレク。ただ、姫様には申し訳ないが……」
腰を落とした半身の姿勢。細剣による突きと、両手剣による振り下ろしをいつでも繰り出せる、独特な構え。
響き渡るは裂帛の声。
「手足の一、二本は覚悟してもらおうっ!」
——ダンッ!
担ぐ大剣の重さなどまったく意に介さず、白コートが駆ける。
詰められる間合い。消える距離。剣が届く、死の範囲。
「拳だろうと杖だろうと使わせん!」
そしてリアは、初めて彼の名を呼んだ。
「フェオ!」
危険を告げる知らせ。
それは、繰り出される刺突と同時で。
——ヒュッ!
また、決着の瞬間だった。
——トンッ。
「へ?」
「あん?」
「……っ!」
間抜けな声と不審げな声。そして白い髭の奥からは、声ならぬ声。
ユラリと崩れ落ちたのは、アインだった。
——カランカランッ……。
「おっと」
こぼれ落ちた双剣を無視し、フェオが自らよりも大きな体を抱きとめる。いったい何が起きたのか。ただ、突きが彼の体を素通りしたようにしか見えなかった。むしろ串刺しにされたはず。
しかし気がつけばそこには、細身の男が坊主頭の大男をお姫様抱っこするという不思議な絵図が展開されていた。
「……こいつは、参ったのう」
騒がしさに声を潜める住人たちと、唖然とする渦中の者たち。静けさ加速する宵闇。
その中で、ため息混じりの野太い声。
「素早さは、ザリやルナマリア並か」
それはリアにとってわかりやすい指標だった。
ゲンドゥルと同じ隊長格にして、騎士団最速の二人。『飛剣のザリ』と呼ばれる猫耳族の騎士と、『女狼騎士』として世に知られる天才女剣士ルナマリア・ルー。
「————これで良し、かすり傷ひとつないぞ」
剣聖に次ぐ実力者である彼らと、慎重にアインを道端へ寝かせてから手をパンパン払う謎の黒ローブ男が、肩を並べるなんて。リアは思わず食い入るようにフェオを見つめた。
すると、月明かりの届かぬ建物の影で灰髪が揺れる。こちらを見上げているらしい。
「どうだ?」
「え? ど、どうだって言われても……」
「? わかりづらかったか?」
あなたとの会話は全部わかりづらいです、とは言わないでおいた。
「今の立ち合いのこと、ですよね? わかるも何も、速すぎて私にはさっぱり……」
「そうか、その点は考慮していなかった。やはり『思考』がいないとダメだな」
そう言いつつ、スタスタと通りの真ん中へ戻るフェオ。そして再び半身の体勢。
ローブの裾を軽く払い、肩幅程度に足元の鎧をズサリ。
「次はもう少し手加減しよう」
焼き直しのような無手の構え。ただ、軽く突き出した左の拳から、人差し指で軽くチョイチョイ。手加減してやるからかかって来いよ、と。リアは内心で悲鳴を上げた。
「ちょっ、調子こいてんじゃねぇぞテメェ!」
「殺す……!」
襲いかかる二つの白コート。
石畳が激しく鳴らすは、戦場の音。
「バカバカバカバカフェオのバカッ! どうしてあなたはそうやって人を怒らせるんですか!?」
「そんなつもりはないんだが」
「ほかにどういうつもり————前っ!」
いち早く間合に入った短髪の騎士、トッドの細剣が右から切り上げる。しかしフェオは鼻先でかわした。細剣のリーチを見切った最小限のバックステップ。
だがリアは、その太刀筋を知っていた。
——ギュッ……!
右手にこもる力。握るは担ぎし両手剣。
細剣を振り切った勢いそのままに、打ち下ろす。
「双炎隻流『鍛』の火剣——」
それは、鉄の邂逅、心の一撃。
「——鉄火十字!」
瞬間、リアは思わず目を逸らした。
——ズガァンッ!
石畳の破砕音に断末魔は紛れず。ただ、そんな生の猶予すら与えられなかったのやも。
細剣を切り上げ、肩に担いだ両手剣による追い打ち。単純で最も基本的な技だ。しかし威力は抜群で、全力の袈裟斬りは最初の剣閃と交差し、斜めに描かれた十字が敵の墓標となる剣技。
よく知っているからこそ、生きているとは思えなかった。
(どうしよう、私のせいだ……!)
顔を両手で覆い、身をガタガタと震わせる。ここから飛び降りてでも必死に止めていれば。熱くなる瞳の奥、込み上げる嗚咽。
変な人だけど悪い人ではなかった。嫌いじゃなかった。
それよりも、むしろ——
「——むしろ、おうぎだな」
そう、扇。暑い日にパタパタと風をそよがせる便利な————えっ。
「えぇっ!?」
アホ毛がピンッ。こぼれる涙も散り散りに、屋根からガバッと身を乗り出す。
晴れる砂煙の向こう。地を割る炎の刀身の上に、無傷なフェオの姿が。
「ハンマーには程遠い」
踏んではいない、乗っていた。まるで軽業師のように。その妙技に開いた口がふさがらないが、それはトッドも同じらしい。目の前の現実が受け入れられない模様。
だが、そこにはもう一人。
「死ねっ……!」
長髪の騎士、トロワによる刺突。
あまり騎士道を重んじない男の躊躇なき横槍は、しかしながら身を結ばなかった。
——タタンッ。
「なっ……!?」
「消え——」
——ていない。屋根からは丸見え、クルリと上に跳んだだけ。そして——
「——首を守れっ!」
ゲンドゥルのその鋭い指摘に反応できたのは、トロワだけだった。
——トンッ。
リアは見た。初めて、その瞬間を。トッドの背後に降り立ったフェオが、首の後ろへ素早く手刀を当てたのだ。
瞬きひとつでこぼれ落ちる騎士の象徴、雌雄火炎の双剣。ガクリと崩れ落ちる短髪騎士。それを後ろから、片手でガシリ。そのまま荷物のように肩へと担ぐ黒ローブの青年。
トロワの声は震えていた。
「貴様、いったい何者だ! トッドに何をした!?」
「……『首の後ろを叩いて気絶させるアレ』は、とても危険な技だ」
リアはふと、嫌な予感がした。
「むやみに人へ試せば、大きな障害が残るかもしれない」
アインの隣へ丁寧にトッドを寝かせ、フェオが続ける。
「だが俺は、長きに渡る修行の果て、ついにたどり着いた。滋養強壮、肩こり腰痛……」
「な、何を言って——」
「喉の痛みや頭痛に吐き気、風邪の引き初めにも良く効き、そして……」
「——黙れぇ!」
——ガキンッ!
構えはバラバラ。踏み込みも甘い両手剣の打ち下ろしに、石畳が火花だけを咲かせる。
そして黒ローブの変人は、影のように彼の背後へ。
「ぐっすり快適な安眠ライフを約束する」
——トンッ。
崩れ落ちるトロワをフェオが受け止め、お姫様抱っこ。長髪が流れてうかがいやすくなった表情からは不健康そうな面影が消え、ツヤツヤと血色の良い寝顔で鼻ちょうちんを浮かべていた。
「これが俺の必殺技『リアル首トン』だ」
決め台詞のように言って、よっこらしょ、といびきをかきながら爆睡するトッドの隣にトロワを寝かせる。そしてフェオは、腕と首を軽く回してから三角屋根を見上げた。
そこには、死んだ魚の目を向けるリアがいた。
「どうだ?」
「ふざけてます?」
「……ん?」
「ふざけてますよね?」
途中までなんかちょっとカッコ良かっただけに残念さがひどかった。
「……一日千回素振りしたんだが」
「知りませんよそんなこと! なんなんですかあなたは!」
「フェオだ」
「そ・れ・は・し・っ・て・ま・す!」
「そうか」
やや留飲を下げたところで、リアは胸に痛みを覚えた。
無表情は変わらず。だけどなんだろう、なんだかシュンとしているような。ちょっとカワイイ。
やっぱり、変な人。
(……ま、いっか)
リアは小さく笑った。
とにもかくにも、三人は無傷どころか日頃の疲れも癒されているみたいだし。疑いは晴れていないけれど、これで彼が悪人ではないとわかってくれたはず。
「本当に一日千回も素振りを?」
「あぁ」
「そんなに暇だったんですか?」
「あぁ……ん?」
後はデレクを説得すればいいだけだし、ゲンドゥルならきっとお願いすれば聞き入れてくれるだろう。
「フフッ、冗談です。それにしても、名前はともかくすごい技ですね。誰かに教わったんですか?」
「それは——」
なぜなら彼は、どんなワガママでも最後は聞いてくれる、両親よりも甘い本当のおじいちゃんのようで——
——鍛兵山竜、星月地天……。
「っ!」
「え?」
先に気付いたのはフェオだった。
——ヒュッ。
風を切る刺突。その刃が白い頬から赤い血を吹き出させ、灰銀の髪をパサリと舞わせる。
されどかすり傷。素早く間合いを取る黒い影。
それを追う、双炎十字の紋章。
「双炎隻流『鍛』の火剣——」
白いコートに白い髪、白い髭。樽のような体を機敏に、大きな口を開けて獰猛に笑う白き鬼。
撃鉄王ゲンドゥル。
「——鉄火十字」
その業は、撃鉄王がその人の、一なる撃鉄だった。




