第6話 思考と記憶
※
それは今から十年前、ちょうどアホ毛が生え始めた六歳の頃。
リアは、何者かに誘拐された。
語れることはそれほど多くない。なぜなら、ほとんど覚えていないから。
——見つけた……。
朝、アホ毛が直らないとぐずりながら、母と馬車に乗って教会へ行ったこと。耳長族の司祭様のお話の最中に眠ってしまい、叱られたこと。そして叱った当人が帰り道、馬車の中で急に眠ってしまい、自分もその膝の上で寝ちゃったこと。
——見つけた、見つけた、見つけたっ……!
そしたら、女の人の怖い声が聞こえてきたこと。
——ミィツケタァァァ……!
はっきりと覚えているのはそれぐらい。
そこからはまるで、悪夢を見ているようだった。
——アァ、ついに……!
暗い部屋。揺らめく蝋燭。光る床。
——ついについについにっ!
ずっと続く声。
体は動かなかった。意識は霞がかっていて、自分が立っているのか座っているのか、横になっているのかもわからなかった。
声にならぬ声で、狂おしいほどに父と母を呼んだ。
——ついに、我らの悲願が————っ!? 誰だ!?
だけど突然、その怖い声は消えた。
——外の者はどうした、ここをどこだと……ま、まさか貴様は!?
最後に、こう言い残して。
——松明持ちの騎士……!
※
「————なるほど、もういいぞ。自分語り乙」
「急にバカにされた!?」
「違う、これは労いの……ん?」
「自分でもわからない言葉をいちいち使わないでくださいっ!」
三角屋根の上。王都の夜景を眺めながら語っていたリアは、昔話を促してきた張本人にいきり立った。まったくもう。
そして癒しを求め、横座りした膝の上にちょこんと乗るカラスの羽を撫でる。臆病かと思いきや意外と人懐っこいカラスだった。つぶらな瞳を閉じて幸せそう、カワイイ。
(あれ? でもよく見ると、おでこに傷が……)
屋根から落ちた際に怪我をしたのだろうか。出血はしていないが心配だ。
というのはともかく。
「えーっと、とにかくその後、目が覚めたら自分の部屋のベッドの上で。なんでも、私を探していた父の前に突然現れたとか」
「走行中の馬車ごとかけられた高度な催眠魔法。しかも被害は娘を連れ去ったのみ。偶発的なものではなく計画的犯行だろうと思われたが、誘拐犯からの連絡はなし。そして痺れを切らして飛び出したクルス伯の前に突然、ぐっすり眠った状態の娘が現れた。五体無事で発見されたが何も覚えておらず、結局、犯人もその目的もわからず仕舞い」
「……よ、よくご存知で」
むしろ自分より詳しくないか。リアは背中を向けて座るフェオを横目で盗み見ながら、やや冷や汗をかいた。
「まあそんな感じで、それからは——」
「再び娘をさらわれることを恐れた剣聖が屋敷の守りを固め、カゴの中の鳥として十年間ぬくぬく育てられてきたわけだ」
「——そうですけど、とげのある言い方ですね」
「? 気を悪くしたなら謝ろう。そうだな、グラニート・クルスが剣聖の名を継いだのはその途中だったか」
「そこじゃありませんよもうっ!」
だが、間違いではなかった。
外の世界から隔絶された十年間。誰が一番怯えていたかというと、それは父だった。すでに最強の双炎騎士として名を馳せながらも、さらに血のにじむ鍛練を自らへと課すほどに。
結果として、初代剣聖ガルド以来、約四百年ぶりに双炎隻流すべての奥義を会得するという偉業を果たし、二代目剣聖グランは誕生した。
(だけど……)
リアは父親についぞ聞けたためしがなかった。
いったい何に、それほど怯えているの、と。
(……でもきっと、私のせいだもんね)
背中に流した絹のような金糸がひと束、俯いた視線の先へとこぼれ落ちる。
十年間、不満はなかった。父も母も、屋敷で働く人たちも、ともに暮らす騎士たちや時折訪れる客人もみんな優しくて。
だけど、外に行ってみたいと言い出せなかったのはやっぱり、父に対する引け目が大きかったから。仕事も大変なのに余計な心配事まで、という思いがあった。だからずっと、屋敷の中で暮らしてきた。これからもきっとそう。それで父の気が少しでも休まるなら。
そんな時だった。王都の近くのダンジョンに、松明持ちの騎士が現れたという噂を聞いたのは。
「それでお前は、外に出たがったわけだ。自由が欲しかったのではなく、かつて助けてもらったという松明持ちの騎士に会うため」
松明持ちの騎士。それは、伝説の存在。女神に仇なす反逆の騎士。世界最大の版図を誇る一大宗教『トール教』においては、神の子トールを殺した悪魔、またその復活を阻もうとする邪悪の化身とされている。
馬に乗る骸骨騎士だったり、黒い翼を生やした化け物だったりと様々な姿で描かれるているが、共通して見られるのはその手に持った松明。死へと誘うその明かりは、古い壁画や絵画ではそれ自体が剣の形を模して描かれているが、真偽は不明。誰も目にしたことなどないからだ。
そんなお伽話のような存在に助けられたと言っても、誰も信じてはくれなかった。
きっと、今回だってそう。
「どうせあなたも信じてくれないんでしょう? ただの子どもの戯れ言だとか、おかしな夢を見ただけだとか……」
さらには正気さえも疑われ、子ども心にとても傷ついたことを思い出し、リアは顔を深く俯かせた。
するとそこには、まん丸カラスのつぶらな瞳が。顔を傾け「大丈夫?」と問いたげ。カワイイ。思わず撫でまわした手にはツヤツヤな羽毛の感触。
そして、目からはウロコ。
「お前の十年は、今さら他人にとやかく言われたぐらいで揺らぐものなのか?」
ハッとして顔を上げる。
振り返らない背中が、言葉だけを続けて寄越す。
「誰かに頼るな。お前の真実は、お前が守れ」
厳しい語調。冷たい声音。突き放された感覚。
だけど、初めてだった。信じてくれないまでも、否定されなかったのは。
リアはその、羽を休めるカラスのような後ろ姿をした青年の言葉を自然と受け入れ、心の中でそらんじた。
(誰かに、頼るな……)
信じてもらえない。悔しい。悲しい。
それでも、会いたいと。ありがとうと言いたい気持ちは、消えなかった。ずっと自分の中の真実だった。それをウソにするのも、なかったことにできるのも自分だけ。
だから、守れるのもきっと——
「アホー」
「——えっ」
リアは罵倒気味に否定されたかと思い耳を疑ったが、すぐにそれが勘違いだと気付いた。
鳴いたのは、フェオの肩に止まる居丈高なカラス。
「……見当違いだ」
止まり木が応じた声に混じるのは、ほんの少しの苦味。
「俺にそんな資格はない。真実だってどうでもいい。ただ、使命さえ果たせれば……」
内容はまったく理解できなかったが、なんだか取り繕っているような。
「……約束さえ守れたら、俺はそれでいい」
というかやっぱり、カラスとしゃべっているのか。リアはその衝撃の事実で頭がいっぱいになり、誰と交わしたどんな約束かという興味に先立って尋ねた。
「その子の言葉、わかるんですか? 何かの魔法?」
「思考が勝手に流れてくるだけだ。呪いに近い」
その言い草が不満だったのか、肩に乗るカラスが鋭いくちばしで隣の側頭部をつつく。本当に会話してるんだ。
「すごーい! あ、じゃあこの子は? なんて言ってます?」
「この子?」
「この子ですよ! 私も会話してみたいです!」
膝で丸くなるカラスを指し示せば「クァッ」と鳴きながらこちらの指を頭でスリスリ。カワイイがカワイイ。
すっかり相好を崩したリアに対し、フェオはあっさり。
「無理だ」
「え? なんで?」
「そっちは記憶する役割だからだ」
意味がわからず、リアは眉をひそめた。
「役割って? それに、記憶?」
「つまりそいつは、複雑な思考ができない普通のカラスだ」
「でも、お利口さんですよ? なんだか羽もツヤツヤしてるし」
「そんなこと俺は知らない。きれい好きなだけ……いや、特にそいつは水浴びを、仕事を放っぽり出して一日三回はしているらしい」
「へー、そうなんですか」
でも仕事ってなんだろう。
不思議に思っていると、居丈高なカラスがまたひと鳴き。
「アホー」
「あっ、今のはなんて?」
「仕事しろアホ、と」
わりとそのまんまだったが、鳴いたカラスにジロリとにらまれ、臆病なカラスが膝からピョンッ。リアの後ろへあたふた。顔だけ出してビクビク。
隠れ蓑にされた少女は流れ弾の妙な威圧感を受け、ややたじろぎながら尋ねた。
「こ、この子たち、仲悪いんですか?」
「知らない」
「いやそんなことあります?」
「行動をあまり共にしない。せいぜいこっちがオスで、そっちがメスなことぐらいだ」
「アホーッ!」
「間違えた。こっちがメスで、そっちがオスだ」
ガスガスと、フードで覆われた側頭部へくちばしの連続攻撃。それをまったく微動だにせず受け止める青年。逆に怖い。
(だ、大丈夫かな? 容赦ないけど……)
リアは若干血の気が引きつつも、隠れるカラスをよしよしと撫でた。
短い首、丸っこい体。額の傷も痛がることなく、おめめパチパチつぶらな瞳。
「クァ?」
何、と聞かれた気がして思わずクスリ。
「ううん、なんでもないよ。ただ、君ってオスなんだーと思って」
こんなにカワイイのに、飼い主が興味ないなんて。メスのほうも美人さんなのに。リアはそう思いながら、フェオの肩から屋根へと降り立つスリムなカラスに目を向けた。
そして、ふと気付いた。
(あれ?)
黒い美を汚す一点。首を振り、丸っこいカラスと細身なカラスを見比べる。やっぱりだ。
額に、おそろいの傷が。
(メスのほうも屋根から落ちた?)
そしてたまたま、同じ箇所に同じ形状の傷を負った、なんてことあるはずない。もう一度確かめようとメスのほうへ目を向ける。
しかし、視線が合ってギラリッ。リアは慌ててごまかした。
「こ、この子たち、お名前は?」
とっさに口にしてから気付く。これ最初に聞くべきだったかも。
なんて、ばつが悪くなったところで。
「家畜だ」
バカにしてるのかな、と思った。
「それはあなたの名前でしょ!? まったく、私が聞いてるのは——」
「思考だ」
「へ?」
「そっちは記憶」
「あ、フギンちゃんとムニンくん……って、ちゃんと聞こえてるんじゃないですかもうっ!」
「名前じゃない。役割だ」
「はい?」
「……時間だ」
噛み合わぬ会話もそのままに、フェオが立ち上がる。
それに合わせてメスのカラス、フギンが「アホー」と鳴いた。
「わかっている。しかし、これは俺の落ち度だ」
フードを目深に被り、月から顔を隠す青年。
はためくローブ。手には二本の杖。
「だから、彼女に選ばせる」
その長い杖と短い杖がまるで剣のように腰へ差さったとたん、真夜中の通りから慌ただしい大声が聞こえてきた。
「なっ……なんじゃこりゃあああっ!?」




