第5話 あなたは、誰?
いえすろりーた、のーたっち。リアは深く尋ねてはいけない気がして口をつぐみ、問題の人物へ背を向けて引き返すことにした。
ただし今度は、走らず徒歩で。
「……おい、見たか今の女」
「? 今すれ違った女か?」
「あぁ、とんでもねえ高値で売れそうな若い娘だった。さらっちまえばいい買い手がつくだろうよ」
「おい、いくらなんでも無計画が過ぎるぞ。それに見たところ、あっちは剣を下げているじゃないか」
「なぁに、見ろよあの細い体を。どうせたいした腕前じゃあるまい。腰なんてそら、下手すりゃ俺の二の腕ぐらいしか……うーん、ちょいと肉付きが足んねえか?」
「……いや、需要はあるだろうさ」
「ハッ、お前の好みだったか? 生娘だったらお手付きはなしだぜ。変態どもに倍の値段で吹っかけられっからな」
「心得ている。良し、そうと決まれば早速——」
——トトンッ。
自分を迎えに来たという謎の青年はまた消えてしまった。首根っこを掴むなどの無理強いはしないらしい。だからこうして夜道をキョロキョロ歩いているわけだが、ここがどこだかわからない。
道を尋ねたくても、人々はもう寝静まっているようだった。
「————ボス、大変でやんす!」
「どうした手下、そんな血相を変えて」
「双炎十字の白コートを着たやつが、外を嗅ぎまわってるでやんす!」
「何!? バカな、この場所がバレるなんて……」
「ど、どうするでやんす? すぐにここから逃げて——」
「フッ、それには及ばないな。そうだろうボス?」
「! お前は、四天王の一人……風のイッチ!」
「ワイもおるで! おい手下、外の敵は何人や!?」
「炎のワイさんまで! 敵は女一人でやんす!」
「女一人? それはどうも妙ですね……」
「確かに、水のオレシの言うとおりだ。我ら暗殺者ギルドの本部へ女騎士一人だけ送りこむなど、何かの罠——」
「カンケイナイ。モレ、ゼンブクウ」
「——そうだな、土のモレよ。我らは喰らわれる側ではない、喰らう側だ! 女一人とて油断するな! 今こそ憎き双炎騎士の連中に、暗殺者ギルドの恐ろしさを思い知らせて——」
——トトトトトトンッ。
それにしても、どれぐらい歩いただろう。リアはため息をついた。疲労感に襲われ、軒先に置かれた椅子をちょこんと拝借。辺りを見回す。
(……静かだなぁ)
月明かりが照らす王都の街並み。三角屋根の家屋が左右に建ち並ぶ、石畳の大通り。二階や三階にはまだ蝋燭の明かりがもれていたが、昼間は賑わっている商店の地階部分はどこも暗かった。人々は家の中で安らぎの夜を過ごしているのだろう。
なのに自分は、ここで一人。胸にさみしさが去来し、リアは思わずコートの襟を手繰り寄せた。
(……帰りたくなってきちゃった)
優しい父と母、共に暮らす家族たちの元へ。あと焼きたてのパンも食べたい。
ホームシックの患いが食の点にまで至ると、おなかの虫が小さく鳴いた。
(そういえば、夕飯食べ損ねちゃってたな)
疲労に重なる空腹感。さみしさ。
うごめく弱気の虫。
(……やめちゃおっかな、もう)
だがすぐに、リアはその弱気の虫を潰す勢いで両頬を叩いた。
——パンッ!
加減を間違えて赤くヒリヒリ。ちょっぴり涙目。
それでも、こぼれる決意。
「これが、最後かもしれないもん……」
声が闇に消える。
少女を取り囲む建物は巨大で冷たく、見下ろす月は遥か空高く。
「絶対に、会ってみせるんだから……!」
だからその己への誓いは、誰にも聞き届けられないはずだった。
「————松明持ちの騎士か」
「っ!?」
「俺にはわからない。どうしてそんなにこだわるのか」
驚いたのは一瞬だけ。つけられているのは予想済みだ。リアは椅子から腰を浮かすこともなく、闇の中に浮かんだ影の輪郭をジロリとにらんだ。
(松明持ちの騎士についてはお父様にも秘密だったのに……)
きっと、酒場での会話を盗み聞きしていたに違いない。まったく無作法な。
そう腹を立てたのも、暗闇に慣れた目が灰銀の手足と黒ローブを捉え、またその背後にある塊を見通すまでだった。
「? あの、何か後ろに……っ!?」
——ドテーッ!
リアはズッコケた。猫耳族のお株を奪う、ベタな反応で。
「……なぜこけた?」
「こ、こけもしますよ! なんですかそれ!?」
「あぁ、これか」
そして彼が振り向いた先には大きな塊———否、倒れた人間が折り重なり、高く積まれた山があった。
「これかって、そんな軽く……だって、さっきまでどこにも……?」
ますます混乱していると、青年がなぜかローブの裾をつまんで持ち上げる。
「口に合わなかったらしい」
「食べちゃったうえに吐いちゃった!?」
んなわけあるかい、とツッコミを入れる人影などない真夜中の通りで、月明かりの影がこちらへ這い寄る。
離れた指。パサリ落ち、揺らめく裾。
カツカツと鳴る石畳。
「安心しろ、全員眠らせただけだ」
目と鼻の先で止まる灰銀の手足。何をする気だ。
リアが尻もちをついたまま後ずさると、彼は告げた。
「それよりも、悪いが三秒ルールを適用させてもらう」
「? 三秒ルールって————キャッ!?」
膝の裏へと手を差し込まれて軽く悲鳴を上げるも、止まってはくれず。もう片方の手も背中へと回され、肩を抱きながらそのままガバリ。
横抱きの体勢。この間一秒。
「少し揺れる」
「え、えっ!?」
——ダンッ、ダンッ、ダンッ!
右へ左へ。軽く上下。
揺れる恐怖に強張る体、つかえる喉。
(なっ、なにっ、なんなのーっ!?)
ギュッとまぶたを閉じ、相手の首へと抱きつく。頭突きになったのは事故。二秒オーバー。
すると、揺れが収まった。代わりに背筋がゾワリ。お尻から。
まさか、これ、落ちて——
——トッ。
「三秒……は、無理だったな」
衝撃の予感が肩透かし。
リアはうっすら片目を開くと、感嘆の声をもらした。
「わぁ……!」
遮るものなく広がる夜空。手が届きそうなほどに近い、まん丸お月様。地平線まで埋め尽くしそうなほど広がるレンガの赤味に、荘厳な王城。ポツポツと咲く夜の花は地上の明かり。
そんな、三角屋根のてっぺんから見渡す王都の夜景があまりにも美しく、リアは身を切る夜風の冷たさも忘れて目を輝かせた。
だけど、それよりも。
「ここならある程度、影響は抑えられるはず」
間近で見上げるその顔のほうが、やっぱりきれいで。
「……空から星でも降らなければ、だが」
リアはお姫様抱っこをされている恥ずかしさも忘れ、彼の肩に顔を寄せながらつい見惚れてしまった。
そして思わず、口をついて出る。
「ねぇ」
「? なんだ?」
「あなたは、誰?」
不思議な人。
些細なことだけど二度も助けてくれた、まるでお伽話に出てきそうな美しい人。闇から現れ空を飛び、たまに突拍子もないことを言う変な人。
こうしていると、なぜだろう。
「……変わらないな」
なんだかとても、懐かしくなる人。
「変わらないって、やっぱりどこかで——」
「フェオ」
「——? ふぇお?」
「名前だ。誰だと尋ねただろう」
ごまかされた感はあったが、改めて「フェオ」と口の中で転がしてみる。意外としっくり。
けれど、その名に覚えはない。父の使いだから会ったことがあるかもしれないのに。自分が忘れているだけの可能性が強まり、リアは気まずさに視線を下げた。
そこで、遅ればせながらアホ毛がピンッ。
「……とりあえず、もう十秒は超えている」
お姫様抱っこの体勢で、首をがっちりホールド。抱きつかれ、下ろすに下ろせない様子の彼。フェオ。
声にも表情にも焦りの色はまったくないが、雰囲気でわかった。
「そろそろ離してくれ」
めちゃくちゃ困ってる。
「……そ、そんなこと言ったって、そっちが急になんの断りもなく——」
「顔真っ赤で草」
「バカにしてます!? だいたいなんで屋根の上に……え、というかどうやって!?」
「少し落ち着け。バカにしたつもりは……ないのか?」
「なんで私に聞くんですかもうっ! いいから下ろしてください!」
「わかった。斜面が急だから落ちるぞ、気をつけろ」
フェオがゆっくりと膝を曲げる。あまりにも慎重なので、リアも癇癪を鎮めながらゆっくりと足をつけた。三角屋根の傾斜に気をつけ、腰を下ろしてからホッとひと息。
隣で彼がすぐに立ち上がり、どこかを指差した。
「屋敷はあっちだ」
「え?」
「屋根伝いで帰れ。夜道は誰しも危険だが、お前は特に危険だ」
こてん、と小首を傾げる。変な言い方。屋根伝いのほうが危ないと思うけど。
いずれにせよ、自分の答えは変わらない。
「私、帰りません。松明持ちの騎士に会うまでは」
具体的な案は何もなかったが、決意だけを頑固に伝える。
すると、彼は言った。
「お前の物見遊山にたくさんの人間が気を揉んでいる」
実力行使には出ない。声の調子も変わらない。
きっと、怒っても責めてもいない。
「ましてや、教会の敵である松明持ちの騎士に会いたいなど、お前を送り出した者たちが知れば青ざめるはずだ」
淡々と、事実を述べているだけ。
「あまり信心深くない冒険者たちとは訳が違う。もちろん、それがわかっているからこそ事前には黙っていたのだろうが」
それでも冷たさを感じるのはたぶん、胸の内にグサリと刺さるとげのせい。
「……ただの怖いもの見たさに命を懸けるな」
それはまるで、氷柱のようで。
けれど、心の奥で燻る熱が、一瞬でそれを溶かした。
「そんなに見たいなら、教典でも開けばいい。たとえ出来の悪い写本でも、邪悪な姿が挿絵で——」
「違うもん!」
リアは泣きじゃくりながら叫んだ。
無意識に、素の口調となっていた。
「松明持ちの騎士はいい人だもん! 魔物でも、悪い魔物じゃないもん! だって、だって……!」
だからそれは、少女の剥き出しの本心だった。
「だって、私のこと助けてくれたもん!」
「……何?」
「だから私が、証明して、お礼も言って、それでっ……!」
募る想いに詰まる言葉。リアは立てた両膝の上で腕を組み、ガバッと顔を伏せた。ポタポタとスカートを濡らすその涙は少女の十年分の熱。
ずっと、抱え込んでいた秘密。
「……どういうことだ?」
困らせるだけと知っていた。どうせ信じてもらえない。リアはさらに悲しくなり、涙がとめどなくあふれてきた。自らの浅い呼吸音が連なり、耳の中でこだまし始める。
だから、残念ながら聞こえなかった。
「痕跡など、残さなかったはずだ……」
フェオのその、不用意すぎるつぶやきに。
代わりに耳を打ったのは、夜空をはためく翼の音。
——バサバサァッ!
驚きに顔を上げると、涙でにじむ視界へ珍しい光景が飛び込んできた。目をゴシゴシ拭っても変わらない。
フェオの肩の上に、なんとカラスが。
「……わかった。なら、ここで待ったほうが得策か」
「アホー」
「ごもっともだが、こちらも用事ができた」
しかもなんか会話してるような。リアは目を白黒させた。
すると、手をツンツン。痛くないけど尖った刺激。反射的に手を引っ込めると——
——ビクゥッ!?
跳び上がって驚く真っ黒なカラスが、そこにはいた。
「え? あ、あれ?」
尾羽をフリフリ。翼を広げず、テテテーッと逃亡。そしてフェオの足元からビクビクこちらを観察するつぶらな瞳。愛嬌を感じる臆病なカラス。
転じて見上げれば、フェオの肩から胸を張ってこちらを見下ろす居丈高なカラス。なんと、二羽いたのか。
「聞かせてくれ、リリアーナ・クルス」
そして灰銀の手足をした三羽目のカラスが青く満ちた月を背にして、少し高い澄んだ声を夜風に乗せる。
「少しだけ、お前の物語を」
端を引っ張り、深く被り直すフード。隠れる美しい顔。今どんな表情をしているのか、リアはふと気になった。
だがそれよりも、足を滑らせて「クァーッ!?」と屋根から転げ落ちる臆病なカラスが、偉そうなカラスから「アホー」と鳴かれたことに、なんだか親近感を覚えた。




