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第4話 台無し

 灰銀の髪と手足。そしてその身に黒いローブをまとう、美しい青年。いったい何者なのか。

 名は。職業は。セシルがテーブルごとひっくり返して割った皿の弁償代はいくらなのかはともかく、()ってなんだ。


『……もしかして、この子のお迎えかい?』


 それらの疑問も一足飛びにドナがそう尋ねると、目深に被ったフードの端をつまみながらコクンと頷く美青年。迷う気配なし。

 だからリアも、迷いはなかった。


『そうかい。わざわざこんな迎えを寄越すなんて、あいつも酔狂————っ!? ちょっと、待ちなリア!』


 一目散に酒場から逃げ出し、夜の王都を爆走。それが逃走劇の始まり。

 途中、出会う男性がことごとく急に眠ってしまうというアクシデント——疲れてたのかなぁ——に見舞われながらも、リアはその自慢の逃げ足で見事にドナたちを振り切った。

 だが問題は、例の黒ローブを着た青年だった。





「————ハァッ、ハァッ、ハァッ……」


 家屋の隙間の細い路地に逃げ込み、膝に手をついてひと休憩。追ってくる気配はない。いたか。


(ううん、油断できない)


 サッと上を向けば、両隣の屋根が狭める夜空。飛び降りてくる影はなし。続いて前方、出口には満月が照らす石橋。

 浅い水路に掛かる欄干もない短い橋だった。その先には同じ、建物に挟まれた暗い細道。水路ギリギリに家屋がズラリと並び、通れる隙間はない。

 つまり、逃げ場のない一本道。リアはやや臆しながらも石橋へと歩を進めた。


(でも、前からは来ない。あっちの通りから遠回りしなきゃなんだから。来るなら後ろからのはず、だけど……)


 などと怯えつつ、チラチラ振り返りながらたどり着いた橋の真ん中。小さく描かれたアーチの頂上で、リアは何かが出口をふさいでいることに気付いた。足を止めて目を凝らす。


(……カラス?)


 月明かりの下でしかわからない、夜に溶け込む真っ黒なカラス。特に違和感はない。

 しかし突然、前方ではなく後方から羽音が。



——バサバサァッ!



「キャッ!?」


 反射的に頭をかばい、おそるおそる振り返る。別のカラスが三角屋根の上に舞い降りていた。


(ビ、ビックリしたー……ん?)


 胸を撫でおろすと、視界に何かがチラつく。上からヒラヒラ、横へユラユラ。黒い一枚羽根だ。今のカラスが落としたのかな。

 目の前へ舞い落ちるそれに思わず手を伸ばしかけた、その瞬間。


「どこへ行く気だリリアーナ・クルス」


 出かけた悲鳴で喉を詰まらせ、視線をゆっくり石橋の先へと戻す。

 出口をふさぐカラスは消えていた。


「この道は、お前の家には通じていない」


 その代わり、カラスのように黒いローブ姿の青年が立っていた。


「な、なんで……?」

「それはこっちが聞きたい。なぜ、屋敷とは反対方向へ行く。迷子か?」


 ひと言余計だ、とすぐさま返せぬほどにリアは混乱した。

 どこへ逃げても先回り。時には影から現れ、時には空から降ってきたとしか考えられぬほどの神出鬼没さ。声をかけてきた男たちが道端で寝始めた時も決まって現れる黒い影。

 そして今も、まるでカラスが変身でもしたかのように。


「まさか、カラスに変身する魔物……!?」

「? コウモリなら聞いたことはあるが——」

「来ないでっ!」


 鋭く告げると、灰銀の手足がピタッ。そのままにらみつけ、ジリジリ後ずさる。手はゆっくりと腰に下げる細剣レイピアの柄へ。

 しかしそこで、リアは困ることとなった。


(私、この剣抜いたことないんだけど!?)


 それはクルス家に伝わる宝剣。お守り代わりとして騎士団の白コートといっしょに渡されたのだが、決して抜くなと言われている。

 だがこの状況で、そんなこと言ってらんない。


(だ、大丈夫、いつもどおりやればいいだけなんだから!)


 自分だってクルスの娘。才能はさておき、剣の修業は積んでいるのだ。全部自己流だけど。でも本番に強いタイプだから、たぶん。

 などと自己暗示したは良いものの、欄干のない橋はその短さもさることながら、幅も非常に狭かった。



——ズルッ。



「へっ?」


 後ずさる足が地面を失い、背中はエビ反り。


「わっ、と、と……!」


 手をバタつかせるも、所詮は悪あがき。

 哀れ、背中からバッシャーン。



——パシッ。



 かと思いきや、一陣の風が吹いた。


「浅いとはいえ、夜は冷える」


 月明かりを遮る影に手を引かれ、腰の後ろへ回された腕に体を預ける格好。まるでダンスの決めポーズ。

 そして、リード役の青年が続ける。


「水浴びは控えたほうがいい」


 フードで隠れる顔が間近に。リアは落ちる寸前だったことも忘れ、出会った時と同じくつい見惚れてしまった。


(……きれい)


 切れ長の目と長いまつ毛。吸い込まれそうな瞳は、額を隠す前髪と同じ灰色。筋の通った高い鼻。薄い口元とほっそりしたあごにかけて、汚れひとつない白皙はくせきの肌。そしてまったくの無表情。


(本当に、お人形さんみたい)


 その無機質な美貌は一種の完成された芸術品のようで、それを鑑賞できることに多幸感さえ覚えた。つまりはボンヤリしていた。

 だが、真一文字に結ばれていた口が小さく動き、一気に現実へ。


「立てないのか、自分で」

「! ご、ごめんなさい、すぐに——」

「暴れるな。また落ちる」

「は、はい……」


 自分の背が高いほうだからか、立てば自然と耳に近付く青年の口元。より近くで耳をくすぐる美声。なんだこれ、腰が砕けそう。

 それでもリアがなんとか石橋を踏みしめると、青年の手がこちらを支えようと腰の横と肩へ添えられ、抱きしめられる寸前の状態に。今なら恥ずかしさで死ねる。


「……立てるか?」


 コクン、と頷く。優しい。こんな人を魔物だなんて。リアはさらに恥ずかしくなり、いよいよ顔を上げられなくなった。

 それに、家族以外の男性がこんな近くに。限界を超えた羞恥心で頭から煙が上がり、無意識に黒いローブの胸元をギュッと掴む。

 それから、そうだ。二度も水難から助けてもらっておいて、まだお礼を言えていない。


「あ、あの、私……」


 言い淀んでいると、彼の手が離れた。籠手ガントレットの重みが肩から消える。お礼すら言えない自分に怒ってしまったのだろうか。

 不安になって顔を上げるとそこには、無表情ながらに両手を上げて困っている様子の彼がいた。


「とりあえず、放してくれると助かる」

「! ごめんなさい、私ったら!」


 パッ、とすがりつく胸元から手を離した、とたんのことだった。



——バサァ————ッ!



「……え」



——ズザザザァッ!



「……えーっと?」


 その光景をなんと言おう。

 例えるなら、強敵からの思わぬ攻撃に吹き飛ばされながらも着地して地面を滑る主人公、みたいな。いや別に見たことないけど。ていうか急になんなの。

 リアが混乱して何も言えずにいると、橋の上から元の場所へと後ろ向きで一気に飛んだ青年がフードを引っ張り、顔を隠しながらローブの砂ぼこりを払った。


「今のは緊急事態だ。俺が助けなければ、お前は落ちていた」

「はぁ……」


 ついつい気のない返事。だって、それはそう。

 芳しくないリアの反応に気を悪くした様子もなく、青年が続ける。


「だから許せ」

「? いや、むしろお礼を——」

「礼はいい。許してくれさえすれば」


 何を許せばいいのか全然わからなかったので、素直に聞いてみた。


「許すって、何を?」

「もちろん接触したことを。リリアーナ・クルス、お前は確かまだ十六になったばかりのはずだ」


 はて、と首を傾げる。年上に見られがちな自分の年齢に詳しいのは父の使いだからとしても、いまいち腑に落ちない。十六歳だからなんなのか。

 さらに混乱するリアへ、美声が平坦な調子で告げる。


「十八歳未満の女性との接触は法律で固く禁じられている」

「はい?」

「十八歳未満の女性との接触は法律で固く——」

「い、いや、聞こえなかったわけじゃないですから!」

「そうか」


 縦に揺れるフード。ちょっと満足げ。なんなんだ、この人。先ほどまでうっとりと見つめていた事実などすっかり忘れて、リアは胡乱げな眼差しを向けた。


「そんな法律ありましたっけ?」


 なんだかすごく限定的。なぜ十八なのだろう。

 すると彼は、どこか、過去にでも想いを馳せるかのように夜空を見上げた。フードの影に隠れていた美しい顔を照らし出すのは、青白い月のスポットライト。まるで幻想を美化した一枚絵が現実になったかのよう。

 そんな光景の中で、絵画から抜け出した美しい青年は静かに目を閉じ、とても大切なことのようにそっとつぶやいた。


「いえすろりーた、のーたっち」

「……はい?」

「いえすろりーた、のーたっちだ」


 全部台無しだった。

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