〜繰り糸付きの哀れな人形はそれでも君の夢を見る〜
魔王城内部、半壊する王の間。
崩れた列柱に灰となる緞帳、今なお燃え広がる真紅の絨毯。瓦礫と化した空の玉座。そして神々しい光を帯びながら、床より浮かび上がる帰還の魔法陣。魔王を倒した直後に現れたものだ。
その手前で、見つめ合う恋人たち。
「傷の手当てをする暇も、ないんですのね」
外套は丸焦げで、煤が頬を汚していたが、縦巻く金の髪の美しさだけは保つ聖女が言う。
そして黒髪頭から血を流し、ずっと着用しているがくらんも目に見えて切り裂かれ、怪我した片腕を抱える勇者が応えた。
「仕方ねえよ。それにこの城、崩壊オチっぽいし」
遠い地鳴りに震える床。カーテンに燃え移る火が赤々と広間を、そして城全体の火が暗く荒れ果てた荒野までをも照らす。
それでも人形は自らが破壊したステンドグラスの横、確保した撤退ルートのそばで壁に背を預けたまま動じず、腕を組んで待ち続けた。彼ら二人か、もしくは彼女だけを。そのどちらになるのかを。
「……悲しい別れのシーンにしては背景が情熱的すぎるわね」
脱出行の運搬役。割れた窓の外側から顔だけのぞかせる巨大カラスに、人形はすぐさま返した。まだ別れるとは決まっていない。
「この期に及んでまだ言ってんの? 伊達に聖女と呼ばれていないわ」
つぶらな瞳に揺らぐ火を映し、カラスは続けた。
「あの女は、そこまで愚かじゃないはずよ」
まるで、自分に言い聞かせるように。
人形は何も言い返さなかった。思考に口で勝てるわけがないし、二人の答えはもうすぐ出る。自分はただ見守るだけ。
そして炎が囲う舞台の幕が開き、恋人たちの声が上がった。
「やっと帰れますわね、元の世界へ。帰りたいと言ってましたものね、ずっと」
「そんなには言ってなくね?」
「言ってましたわ。最初の頃なんてそれはもう毎日」
「うーん、そうだっけ?」
「そうですわ。召喚した時はバカみたいにはしゃいでたくせに、翌日にはもう帰してくれ帰してくれって。やれアレがない、コレがいないと。『おっぱいの大きなエルフとでなきゃ旅には出ません』なんて言い出した日にはワタクシ、本気であなたを殺そうかと一晩中悩んだものですわ。再召喚の方法が見つからなくてやめましたけど」
「見つけてたら悩まず殺してた!?」
「どう苦しめようかと悩みましたわ、きっと。フフッ」
聖女は笑った。物騒なのはともかく、よくしゃべるなと人形は思った。いつもは勇者の役回りなのに。
「ったく冗談きついぜこんな火の中で……って、あれ? ほ、本当はまだ怒ってる?」
笑い声を収めて俯く彼女にいつもの剣呑さを感じたか、頭をかいてぼやいた彼が条件反射で平身低頭。
「サーセンっした! あの時は俺もほら、こっち来たばかりでまだ夢を捨てきれなかったと言いますか……」
「ごめんなさい」
「待って最後まで聞いて! 俺の言い訳ターンはこっから……ん? ごめんなさい?」
それは、懺悔だった。
「ごめんなさい、こんな世界に無理やり連れてきて。あなたが望むものなど何もないのに、あなたに望みばかり押しつけて。みんなも、ワタクシも……」
聖女がそっと、傷ついた彼の腕に触れる。
「本当は、こんなになってまであなたが救う価値など、この世界には――」
「お前らがいるじゃん!」
怪我をおして動いた両手にガバッと肩を掴まれ、聖女が目をパチパチ。
勇者が必死に言い募る。
「そりゃお前、暗殺者は寄越すわ教祖に担ぎ上げようとするわ、極端なやつばっかりだよここの連中は! 俺はちょっとチヤホヤしてくれるだけで良かったのにっ!」
「え、あ……ご、ごめんなさ――」
「でもさ、ここはスルーズとフェオの世界じゃん! だったら救うに決まってんだろ!」
単純明快な答えに聖女が驚く。人形も。
しかし、驚く箇所は違った。
「望むものがないなんて決めつけんなよ! 確かにここは、冒険者ギルドもなくて、エルフやドワーフもいないガッカリ異世界だったけど……二人はずっとそばにいてくれたじゃん!」
そこに含まれるのか、自分も。
「だから俺は、最初からっ……!」
彼がグッと言葉に詰まった、その時。
――グラッ……ガキンッ!
横に揺れるシャンデリアが限界を迎え、二人の元に落ちた。
「! 上っ!」
カラスの指摘は意味をなさない。彼らには鳴き声にしか聞こえず、人形は言われるまでもなかったからだ。
今すぐ助け――
――ズクン。
頭痛とともに止まる手足。糸を無理やり手繰り寄せられた、糸繰り人形のように。
人形は、そのシャンデリアを見送ることしかできなかった。
――ガッシャ――――ンッ!
しかし、真っ白な頭に勇者の声が響く。
「っぶねえ、ギリギリ……。来てくれフェオ!」
一も二もなく火中へと。見えない糸もそこまでの支配力はなかった。
燃える浅瀬を下敷きにする勇者のそばで膝をつくと、彼は抱きかかえる聖女をこちらへと突き飛ばした。
「もう限界だ! そいつ連れて逃げろ!」
シャンデリアのロウソクが火勢を強め、辺りはもう火の海。煙も目に見えて充満してきた。彼の判断は正しい。
だが人形は、勇者へすがりつく聖女を止めなかった。
「待って! まだ、まだ何も……!」
彼女はまだ、サヨナラさえ言えていないのだから。
「トール、ワタクシはっ……!」
身を起こし、服についた小火を手で払う勇者が、すっかり泣き出してしまった恋人に目を細める。
「最初から、手に入れてたんだ。一番望んだものは」
「え?」
「さっきの続き」
呆然とする彼女を、無事なほうの腕で優しく抱きしめる。
静かに、涙を流しながら。
「ありがとな、俺を喚んでくれて」
人形は知っていた。言葉にできぬほどの想いを、涙で、その身で、人間が伝え得ることを。その尊さを。
だが、人形は知らなかった。
――グイッ。
己がすでに、その尊さの内に在ることを。
傷だらけの腕で人形をも引き寄せた勇者は、二人まとめて抱きしめた。
「お前らがいたから、俺はこんな世界でも愛せたよ」
消える雑音。君の鼓動、彼女の嗚咽。込み上げる熱。
熱風。
――ドガァンッ! ガラガラガラ……。
屋根の片隅が崩落。
盛大に巻き上がった火の粉を背景に、勇者がゆっくりと立ち上がる。
「行くわ、もう」
取り巻く小さな光の粒はどこか儚く、今にも消えてしまいそう。
「ここまできて焼死エンドなんて、シャレになんねえし」
ニッ、と笑う彼はまだ、ここにいるのに。
離れゆく手が最後、名残惜しそうに聖女の縦巻く髪へと触れる。
「……元気でな、二人とも」
向けられる背中。去り行く後ろ姿。思わず手を伸ばしかける。
ただ、それよりも早く。
――グッ。
「うおっ!? ス、スルーズ?」
ペタンと座る聖女が、勇者のズボンの裾を掴んだ。
彼は驚いていた。だが、彼女のほうが驚いていた。おそらく自身の行動に。
だからその言葉も、ついこぼれてしまったのだろう。
「……行かないで」
「っ!?」
口はもう閉じず、動揺する彼にもう一度。
「行かないで」
呑み込んできた数の分だけ、何度も。
「行かないで、行かないで、行かないで」
積もり積もった胸の内を、すべて吐き出すように。
「行かないで、トール……行かないでっ……!」
「……なんでだよ」
勇者は膝から崩れ落ちた。
「それは、言わない約束だったじゃん……!」
そして彼は、彼女を強く抱きしめた。
同じく流す大粒の涙を混ざり合わせるように、胸の中の恋人へと頬を寄せる。
「俺だって、本当は……本当はっ……!」
帰らないはずだった。
勇者のその決断を翻させたのは、聖女が告げた真実。勇者がいる限り魔王は復活する、と。いずれ人の領域が魔に侵されてしまう、と。
あなたはこの世界にいてはならない存在だと告げたのは、彼女自身だった。
――ズクン。
彼女は愚かだ。
どうせこうなるなら、最初から言わなければ良かった。それに結局、自身を聖女と呼び慕う人間たちを裏切ることとなった。彼女はもはや聖女でなく、ただの愚かな一人の女だ。
だけど、一番愚かなのは誰だ。
――ズクン。
人形は立ち上がり、フードを後ろに払った。露見する灰髪と美貌。痛みはもう、障害にならない。
「ちょっと、このままじゃ全員焼け死ぬわよ!」
元のサイズに戻ったカラスが煙を突っ切り、肩に止まる。
「さっさとその女を止め……あんた、何する気? これ以上の深入りはやめなさい! じゃないとあんたが……!」
――ズクン。
頭に激痛。四肢には他の意思、見えぬ糸。
飛び立つカラスが目の前に。
「槍が英雄を、殺すことになるのよ!?」
――ズクン。
頭痛に従い、腰帯に差した長杖へと右手を掛けた糸繰り人形は、声を大にした。
――黙ってろ!
人形が叫んだ。あの人形が。
カラスは驚いていたが、苛立ち紛れにすぐ飛び去った。
「もう知らないわよ私は!」
そう言いつつ、脱出の用意をしてくれるらしい。煙の向こうからは巨大化する気配。
そして二人は、驚愕のあまり呆けていた。
「……お前、そんな大声出せたの?」
「ワタクシも、初めて聞いて……え?」
「お?」
頭痛は消えた。今ならやれる。人形は指先で、二組の丸い双眸から流れる涙をサッとすくった。それは勇者と聖女の涙。世にも稀有なる魔力の結晶。
文字を指で描き、唱える。
――水。
「おいフェオ、お前いったい何うおおおっ!?」
「水!? いや雨……ってここ室内ですわよ!?」
強力な触媒。天井に浮かべた涙を肥大化させ、広間の隅々まで満遍なく滝の雨を降らせる。冷える空気と頭の中。思い巡らす、三人での旅路。
己の結論。
――二人が答えを出すのを見守る。
間違っていた。一番愚かなのは、自分だった。
たとえ間違った答えでも。
「……火、あっさり消えたな。ハイメガスプリンクラーと名付けよう」
「まさか、こんな魔術まで……フェオ?」
この答えはもう、三人で出すべきものだ。
「? ど、どうした?」
座り込む勇者をジッと見下ろす。
雨は上がり、崩れた天井から日の光が差し込む。
――俺は、青いドラゴンじゃない。
「は?」
頭上に、虹がかかる。
――なんでも願いを叶えられるわけじゃない。
「……シェ〇ロンの話? あっ、お前まさかドラ〇もんのこと勘違イィッ!?」
「いちいち茶化さないでくださいまし!」
「フイワヘン」
その虹は、とても小さく、すぐ消える。
――だけど俺は『槍』だから。
それでも今、確かに此処に在るもの。
そして人形は、聖女の真摯な眼差しを受け、つねられた頬を押さえる勇者に誓った。
――俺が、二人の『槍』になるよ。
守ってみせる。
世界からも、神からも。
人形からも。
「? 俺らのって、それ……え?」
戸惑う瞳が、腕にしがみつく聖女と目の前に立つ人形の間で揺れる。三人ともずぶぬれだった。
それでも崩れぬ縦ロールを揺らし、グシャグシャな泣き顔が人形を見上げる。
「ありがとう、フェオ……」
感謝は要らない。ブンブンと首を振り、水しぶきを飛ばす。同じ愚か者同士だ。
なおも勇者がキョロキョロ戸惑う。
「ま、待てよ。だってお前、天使みたいなもんなんだろ? 美少女でもないのに。俺が帰らないの許しちゃダメなんじゃ……」
美少女である必要性は理解できなかったが、人形は黙って手を差し伸べた。とたんに彼が息を呑む。悟ったのだろう、その手を取るか否かが答えなのだと。
ギュッと腕から「離れない」聖女と、ジッと「手を差し伸べる」人形。二人の答えはもう出ていた。
やむ地鳴り。水音だけがこだまする静けさの中、定まる瞳。
「『槍』なんて、要らねえ」
それが、彼の答え。聖女とともに息を呑む。
しかし続いたのは、満面の笑み。
「お前は人形なんかじゃねえ」
まるで、いたずらが成功した子どもみたいに。
「トモダチ、だろ? つーことでまあ……」
そして彼はこちらの手を掴み、答えを告げた。
「よろしくな、これからも」
「――――トール! フェオ!」
「ちょ、スルーズさん!? 俺いちおう怪我人――」
――バッシャーンッ!
引っ張り上げられた勇者へと聖女が飛びつき、人形をも巻き込んで水浸しの床にダイブする。そんな三人の頭上から虹は消えていた。それに、窓の外からのぞくカラスだけが気付いていた。
良かった、とカラスは思った。
「いっ……てえええっ!? 誰か、ぼ、僕に治癒を! 美人で優しい女性治癒術師さんどこぉ!?」
「だからいませんってば、治癒術師」
「てめこんにゃろ何笑って……お前まで笑ってんじゃねえぞフェオッ!」
せめて、今だけは。
五色の虹はいつだって、不吉の前触れなのだから。




