第29話 剣聖
「――――ちゅーかウチとライアンの出番少なすぎひん!?」
夕日沈む薄暗い草原の中、舗装された一本道。王都への帰路だ。リアはガバッと振り返ったセシルを避け、馬車の跡が目立つ均された地面の上を歩いていた。
隣にはフェオと、雨雲の上であくびをするドナ。並んでザッザッ、テクテク、プカプカ。
「って地の文でサラッと流すなコラァ! こいつなんてゴブリン相手にイキっとっただけなんやぞ!?」
「き、君も似たようなものだろうが!」
過剰反応したライアンもまとめて無視し、道の果てに灯る明かりを目指して黙々と行進。
ここまで、会話らしい会話はなかった。せいぜい先に避難していたセシルとライアンに、フェオが松明持ちの騎士だったと軽く事情説明――信じてはくれなかったが――した程度。
リアは切り出せずにいたのだ。
「……あの、フェオ」
「なんだ」
開いた彼の口からすぐ、別れの言葉が出てくる気がして。
それでも、意を決して切り出す。
「これから、どうするんですか?」
肩を縮こませて盗み見るも、ドナが口を挟んだ。
「行き先は決まってるよ。クルス邸さ」
「へ? 家?」
「そうさね」
目がまん丸に。
しかし、すぐ浮足立つ。
「なんだ、早く言ってくださいよもうっ! そうですね、フェオにはちゃんとお礼――」
「礼ならもらった。行く必要はない」
「え? でも……」
ぬか喜びに萎れるアホ毛。だけど、これはいったい。
「あのー、こう言ってますけど?」
二人は決して目を合わせようとしなかった。
「あんたの意思なんて聞いちゃいないよ」
「連行するとでも言いたげだな」
「そう取ってくれてかまわないけど?」
「今のお前で、俺をどうにかできるとでも?」
なのに、頭上で火花がバッチバチ。
「言ってくれるねぇ。今度こそ試してやろうか」
「やめておけ。魔力も残りわずかだろ」
「十分だよクソッタレ」
「二人とも、ちょっと落ち着きましょ? ね?」
人を挟んでケンカしないでほしいが、かといって抜け出しづらい。割って入る審判の気分だ。
「あんた逃げる気かい? あんな中途半端にべらべらしゃべっといて」
「逃げる気はない。用がないだけだ」
「こっちにはあるっつってんだよ」
後ろへ救いを求めるも、騒がしかったはずの二人は沈黙。距離を置いていた。逃げやがったなあいつら。
なんて、恨みがましい目を向けていると。
「逃がしゃしないよ。やっと見つけた、リアの呪いを解く手がかりなんだ」
「? 私?」
小首を傾げた次の瞬間、リアはハッとして右手の人差し指に視線を落とした。
はめられた、赤いルビーの指輪。提灯騎士から奪った今回唯一の戦利品。呪われているらしく外せなかった。
「こ、これって、そんなにまずい呪いなんですか?」
声を上擦らせながら抜けない指輪をグイグイしていると、ドナがくわえた煙管を外して告げる。
「いや。フェオが持ち主を浄化しちまったから呪いの効果は消えてるよ」
「でも外れませんよ?」
「残りかすみたいなもんさね。そのうち自然と外れる」
「はぁ、そんなものですか」
いまいち納得しかねるが、今はそれよりも。
「じゃあ、呪いってなんの話ですか?」
「それは、そうだね……」
ゆったり燻る紫煙。甘い匂い、迷いの色。
だがそれも、フェオが割り込むまで。
「十年間もクルス家の敷地内から出られず、不思議に思わなかったか?」
ドナはとたんに血相を変えた。
「ちょっとあんた!」
「中途半端はどっちだ。どうせ伝えるつもりだったんだろう?」
不穏なやり取り。
キュッ、と縮む心臓。
「不思議も何も、私が誘拐されたからじゃ……?」
「確かに、犯人も目的もわからずじまい。再犯を恐れても不思議じゃない」
「せやけど正直どんだけ親バカやねんとはおもたな」
「僕は納得したけどね。なんせ、傾国の美少女と名高いクルス家の一人娘だ。良からぬ考えを抱く輩は腐るほどいる」
後ろで聞き耳を立てていたセシルとライアンが会話に参加――
「――え、待って。なんですか今の冗談」
「冗談?」
「いやだって、傾国の美少女とかなんとか」
「何を言う、もっぱらの噂だぞ」
「よその国でも聞いたことあんで」
「なんで!?」
「……それは、まぁ、レニの娘ってのもあるんだろうねぇ」
レニ――――ヘレーネ・クルス。母のことだろう。
聞いたことがある。母は祖国で『胡蝶の佳人』と呼ばれており、そんな母を巡って国が傾きかけたとかなんとか。それを解決したのが武者修行中の父で、そのまま駆け落ちしたという武勇伝。
(つまり、傾国の美女の娘だからってことか……あれ?)
素敵な話だが、周囲は猛反対。なんなら国際問題にまで発展。
そんな二人の結婚を後押ししたのが四大魔術師の一人、『風織りの魔女』だ。古来より続く偉大な存在の、いわゆる鶴の一声に、誰もが黙って頷くしかなかったらしい。
(そうだ、確かあの時)
なんでそんな人が、と当時を語ってくれたゲンドゥルに尋ねると「あやつは先代団長の愛人……ゲフンゲフンッ! いや、姫様にはまだ早かったかのう」などと供述。後に意味はわかったが、聞かなかったことにした。祖父を軽蔑しそうだったので。
しかし、思い返してみると。
(ドナのこと、フェオが『風織り』って……)
それに、母を愛称呼び。まるで知己のような。え、まさか。
「レニとやらは知らないが、クルス家の影響力はそれほどということだ」
ドナをまじまじと見つめるリアの隣で、フェオが続ける。
「対外的ならいざ知らず、国内でさえ公の場に一切姿を見せないとなると、噂が噂を呼ぶこととなる。そして中にはライアンが言ったように、思わぬ害意を抱く者も出てくるだろう。それでも、二代目がリアを敷地外に出さなかったのは……」
だが、中途半端なところでストップ。
視線を滑らせると、彼は宵の空を見上げていた。その先で羽ばたく雌雄のカラス。
「……そうか。なら、あとは当事者たちで話し合うべきだな」
たぶんフギンと会話しているのだろうが、いかんせん脈絡がなくて困る。
「もう、またそうやってはぐらかして。それによくわかんないけど、聞く限りフェオだって当事者――」
「ちょい待ち!」
「ヒャッ!? な、何してるんですかセシル、汚れちゃいますよ?」
前方へ飛び出して這いつくばるセシルに、リアは動揺した。
ドナとライアンは警戒態勢。
「魔物かい?」
「いや、騎馬がニ……三か? 道なりにまっすぐ来よるで」
「野盗では?」
「重さは正規兵やな。姐さんが派手にやった雷の被害調査ちゃう?」
「うっ……」
うめくドナ。解ける緊張、弛緩する空気。
静かな水面に一雫。
「――――お別れだ、リア」
風にさらわれる髪を押さえながら振り返ると、いつの間にか離れてたたずむ黒ローブの青年がいた。深まる宵に落ちる帳。その向こう側へ、今にも消えてしまいそう。
遅れて反芻する言葉。一番聞きたくなかったセリフ。
お別れ。
(待っ……!?)
こちらへ掲げられた右手を見て、足が止まる。すぐに理解した。
焦りが恐怖に。焦がれる想いが絶望に。
彼は何度も言っていたではないか。
――俺のことなど、すぐに忘れる。
記憶を、奪うつもりだ。
「やめてぇ――――っ!」
帯びる夜気を震わす甲高い悲鳴に、三人が何事かと振り返る。
しかし状況すら把握させず、少女は雨雲に座る魔女の腰へとすがりついた。
「? リア?」
「ドナ、なんとかして! お願い!」
「なんとかって……フェオ?」
「記憶を奪う気なんです!」
顔を真っ青にして言い募る。
「ドナ、風織りの魔女なんですよね!? 魔法を防ぐのなんて簡単でしょ!?」
「いやいきなり言われても……記憶を?」
「は、どういうこっちゃ!? あいつはともかく姐さんが風織りの魔女!?」
「あんたはちょっと黙って――」
「めっちゃババァやん!」
――ドゴブシャッ!
「……僕も理解が追いつかないが、とりあえず、だ」
ギュッと目をつむり、雨雲から降りたドナにしがみつく。怖い、ヤダ。忘れたくない。
だけど今、この瞬間。まだ覚えている。フェオ。
なんで。
「どうやら取り込み中らしいぞ」
「……みたい、だね」
わずかな魔力を使い果たしたのか。ドナの荒い息遣いを耳元で聞きながら、リアはおそるおそる目を開けた。
めり込む地面へさらにめり込む推定圧殺猫耳死体を通り過ぎ。
「クァッ!?」
着地に失敗したまん丸カラスの、そのまたさらに向こう。
「……なんの真似だ」
長い首を伸ばして胸を張る美しいカラスが、羽も広げず小さな体で、フェオの前に立ちふさがっていた。
「どういうつもりだ。なぜ邪魔をする」
沈黙するフギン。
意思を飛ばしているのかと思いきや、そういうわけでもないらしい。
「答えろ、思考」
険の混じる声。身じろぎせぬカラス。膠着状態、詰まる息。
――パカラッ、パカラッ……。
「ん?」
ライアンが反応したように、遠くから蹄の音さえ聞こえてくるほど静かで――
――バガラッバガラッ……!
「なっ……!?」
「おや――――ゲゲッ!?」
――ズドドドドドド――――ッ!
というか、なんか地響きが。
「クァ――――ッ!?」
草むらに逃げ込む二人と一匹に遅ればせながら振り返ると、砂煙を上げて駆ける巨馬が一頭。
「あの体躯でなんて速度だ! このままではセシルが……いや、それはいいか」
「何ボサッとしてんだいリア、早くこっち来な! 轢かれちまうよ!」
「クァッ! クァッ!」
しかしリアは、そのまま道の真ん中で呆然とした。
(バラン?)
遠く、薄闇の中でも艶めく赤褐色の毛並み。派手に振り乱す黒いたてがみ。額の白斑は大きな星。間違いない。剣聖の愛馬、アルデバランだ。
「じゃあ、あれは……」
ジッと目を凝らしていると、馬上で膝立ちした人影から重低音が炸裂。
「飛ばせ、アルデバランッ!」
聞き慣れぬ、聞き慣れた声。優しさではなく厳しい鞭。
巨馬は命令どおり加速――
――ヒヒィ――――ンッ!
――せずに、跳ねた前足で急制動。
「! ウソッ!?」
反動で後ろ足が上がり、騎手が前方へと吹き飛ばされる。
いや、違う。飛んだ。空に弧を描き、夜を切り裂くは白コート。
――ジャ――――ッ!
そして人影が遥か頭上を通過する時、腰元の鞘からひとりでに父の愛剣が飛び出したが、リアはかまわずに叫んだ。
「お父様!?」
――パシッ!
「双炎隻流『山』の火剣――」
リリアーナ・クルスの父。双炎十字騎士団団長にして王都守護伯グラニート・クルス。またの名を剣聖グラン。
彼の標的は、フェオだった。
「――雷火十字!」
垣間見る刹那。空からの奇襲に遅れを取るフェオ。
同時に、取り出す呪符。
「――――『神の手』」
――ドゴォ――――ッ!
鳴りし火神は燎原の父。
その鳴神は地を砕き、左右の草むらまでも根こそぎ払った。周囲がまるで焼け野原に。そして左の細剣を逆手で地面に突き刺し、右の両手剣を地中へと食い込ませた人物が、静かに立ち上がる。
揺らぐ白銀の板金外套。背に負う双炎十字。
「……妙な魔法を使うな、魔術師よ」
引き抜かれた剣は白く、刃は火のように揺らぎ、対して幅広い肩に担いだ大剣は真っ黒な炎。雌雄一対なる白き雌火の細剣と黒き雄炎の両手剣。
そして、大きな背中とたくましい腕、太い首。
「直撃のはずが、まるで見えぬ手に剣筋を変えられたようだ」
リアとは似ても似つかぬ、赤銅色の肌をした偉丈夫。しかしその刈り上げた短髪と瞳の色だけは同じ、闇でも輝く金髪碧眼。
まさに、二代目剣聖グランその人。
「神の悪戯、というやつだ」
爆風で腰を抜かしていたリアの耳に、無事だったフェオの声が届く。
「さすがに意表を突かれたからな。双炎騎士の長は皆、どうも派手な挨拶が好きらしい」
「……挨拶、だと?」
大気が震える。
――ガシャッ……!
羽織るコートの内の鎧が、敵へと警鐘を鳴らす。
「私は良い父親ではない」
短い髭が囲う口からは歯ぎしり。竜眼たる、一重の大きな上がり目は剣呑に。縦じわを刻む秀眉。
彫りの深い精悍な顔立ちにたたえる、怒りの形相。
「しかし、娘の悲鳴が聞こえ、挨拶程度で済ませられるほど……!」
そしてグランは、距離を開けて膝をつくフェオへとまっすぐ剣を突きつけた。
「この父が愛、一片たりとも欠けてはおらぬぞっ!」




