第28話 松明持ちの騎士
「――――『炬火』」
それは、松明だった。
――ボウッ。
松脂は要らず、灯る明かりは刀身に。
風と踊れど吹き消えず。
握るは剣の如く。
「! ウソだろ、あんたまさか!?」
それは火であり、剣だった。
「……こいつは『らいとせいばあ』じゃない」
夕焼け空がふたをする乾いた谷底を、長杖に灯した黄昏色の炎が照らす。
周囲を染める、もうひとつの夕陽。収束する輝き。揺らぐ火の穂が研ぎ澄まされ、揺らがぬ光の刃に。
「だから『ジェ◯イの騎士』でもない」
ウソだ、信じられない。記憶の空白が叫ぶ。リアは己が己ではないような感覚に陥り、内心で激しく動揺した。
しかし、答えはすぐそばにあった。
「……ジェマルイの、騎士?」
「伏せ字だそうだ」
「いやなおさら意味わかんないから」
居座るキングサイズの黒いベッドは大きなカラスの背中。だから、目の前にあるのは記憶の翼。その肩口の羽根が一枚、こちらを誘うように白く輝き、思わず手を伸ばす。
「それよりあんた、どうしてさっさと言わなかったのさ!」
咎めずに、ただそばで見守るメスのカラスがいたことにも気付けぬまま触れると、羽根は引き抜く必要さえなく手のひらに落ち、光の粒子となって消えた。
思い出した。全部。
「何をだ?」
「な、何をってあんた、そのー……」
昨夜、屋根の上でお姫様抱っこをされ、どうして懐かしかったのか。
どうして彼に惹かれたのか。
「……本物、なのかい?」
だけど、思い出したではない。取り戻しただ。
「比較対象がわからないので答えられない」
「この期に及んでとぼけんじゃないよ! だから、あんたが――」
「松明持ちの騎士なの?」
四つん這いになって身を乗り出す。
三角帽子のずれた魔女は、目に入らなかった。
「フェオが……松明持ちの騎士、なんだよね?」
歓喜よりも悲哀の色濃い瞳に映るはただ一人。
やっと会えた。でも、どうして黙っていたのか。このまま明かさないつもりだったのか。
なんで、記憶を奪ったのか。
「……名乗ったことはない」
ガルドにしたように。
「だが、そう呼ばれているのは知っている」
だけど、どうでもいい。そんな事実を確信している自らの奇妙さも。
今はただすがりつきたい。フードを目深に引っ張り、背後を守るように横へ伸ばしていた火の剣の切っ先を下げ、肩越しにのぞかせる口元すら見えなくなった彼の背中へ。たとえ何も、言ってくれずとも。
そしてリアは衝動に駆られるがままムニンの背中から飛び降りたが、着地したところで固まってしまった。
『松明持ちの騎士……?』
足に絡まるは畏怖。
柄頭に馬首、鍔に羽が生えた片手剣と、角のある跳ね馬が描かれた逆三角形の盾。天馬の剣と一角獣の盾だ。女神の守護聖獣を表した武装で、白き鎧の胸部に刻む女神の横顔を守る構え。聞きしに勝る聖騎士の勇姿だった。
その消え入りそうな不死性、ザザッと乱れる砂塵の頭部を除いて。
『松明持ちの騎士、ガルド……抹殺』
歪む幽かな髑髏から砂嵐混じりの声が聞こえる。
『使命、正義……松明持ちの騎士』
そして、殺気がよみがえる。
ただし今度は、人違いではなかった。
『……フェオ。フェオ、フェオ、フェオオオオオオッ!』
どんな因縁かよりも、状況が変わっていないことに気付く。
松明持ちの騎士――――フェオ。記憶の中のガルドにもその認識はあった。つまりフェオにとって、あの気が狂ったように突撃してくるものは変わらず天敵なのだ。伝説上の騎士であろうとなかろうと。
逃げてフェオ、と再び叫ぼうとしたが。
「気安くその名を口にするな」
んぐっ、と喉が詰まる。
高く舞う影。
――ヒュンッ。
右手には火の剣。その軌跡を、蠢く砂で形作った仄暗い眼窩が追うも、頭上を越えられた辺りでピタリ。すぐさまこちらへ向き直る。
怖気。
「ク、クァーッ!?」
元のサイズに戻ったムニンが上げる悲鳴にやや同調。かばってくれる背中が消えて敵と対峙し、隣の魔女と後ずさり。
しかし、遠く離れたところへ降り立った彼が言う。
「優先順位は俺が上だろう?」
火の剣を右手で振るい、空いた左手でクイッ。
「来い、哀れなる『正義』の果てよ」
それが、引き金となった。
振り返る亡霊。こちらはもう眼中になし。肩すかしを食う間もなく、激突する両者。
『フェオオオオオオッ!』
「気安く呼ぶなと言っている」
先制の盾殴りをヒラリ。被ったフードも乱れぬ余裕っぷり。片手剣による追撃の刺突も体を横へ開き、紙一重でしっかりと見極めていた。かすめたローブの切れ端が宙を舞う。
『抹殺――――正義ッ!』
止まらぬ猛攻。再び盾殴り。だが打撃でなく、今度は目くらまし。遮る視線の陰で構える剣。
「バカのひとつ覚えめ」
応じて、盾への横蹴り。吹き飛ばせずも勢いは止め、間合いを詰めさせない。
『ガアアアアアアッ!』
それでも遮二無二剣を横振り。しゃがんでよけ、地を這う回し蹴り。足払いに崩れる体勢。
しかしそのまま盾で押し潰そうとする攻撃に対し、フェオが獣のように四肢を使って離脱するも、片手剣が届く位置。灰銀の足へ薙ぎ払い。
――ブンッ!
それをクルリ。具足の重さを感じさせぬ身軽さで跳び、前転からの踵落とし。受ける盾。弾き返され、バク宙でクルクル後方へ。
仕切り直すも似たような展開。盾、回避、剣、空振り。蹴りで後退、また突進。
――ガンッ、ザザッ……ガツンッ!
決定打なしで続く異種格闘技戦に特等席の二人も呼吸を忘れていたが、先に大きく息を吐いたのはドナだった。
「な、なんだいあれは……」
「ええ、絶対おかしいですよね」
そして続きは二人同時に。
「なんて強さだよ、あの死霊系」
「なんか弱いような、あの死霊系」
戦いの音がしばし入り、あれ、と顔を見合わせる。
「……今あんた、弱いっつった?」
「いや弱いというか、普通?」
「剣聖や撃鉄王を基準に考えんじゃないよ!」
それもそうなのだが、何せ相手はフェオに「食い止めるので精一杯」と言わしめる存在。
しかし強さは普通で、特殊な攻撃をする気配もない。なんならフェオも本気を出していないような。全然使ってないし、火の剣。
(天敵だから警戒して? でも、天敵って感じはまったく……)
無視されてご立腹な魔女が「あーもーどいつもこいつもーっ!」と髪をかきむしる隣で戦況を見守っていると、剣を鼻先でかわしたフードの奥がこちらを向いた。
あっ、よそ見――
――パシッ。
神速。一瞬で近付いてきたフェオが、ドナの頭から脱げ落ちた三角帽子をキャッチ。だが速さだけでは説明がつかない。よほどこちらに気を配っていなければ今のは間に合わなかっただろう。
ストン、とリアは腑に落ちた。
「ドナ、大丈夫か?」
「? いや、大丈夫だけど……何が?」
戸惑うドナに帽子を返し、ジッと観察するフェオ。
様子見も警戒も、敵に対してではない。自分とドナに対して。なぜかはわからないが、きっとそう。
(じゃあ、もしかして)
付随する閃き。
跳んで場所を移したのも戦闘に巻き込まないためではなく、自分たちに背中を向けたくなかったから。
って、それはさすがに考えすぎ――
「にしてもあんた、やっぱイイ男だねぇ。もしこの子で物足りなかったらあたしが相手しよっか?」
「物足りないってなんですか!? おっぱいですかおっぱいのこと言ってるんですか!?」
「別にんなこた言ってないよ。女としての完成度の話さね」
「全部足りないってこと!?」
「アホー」
閃きは何処へ。
鳴いたフギンを見ながらフェオが頷く。
「どうやら安全らしいな」
「なんですって!?」
ドナを肯定したように聞こえて目を剥くも、そこには一撃必倒の気合で剣を振り上げる亡霊の聖騎士が。フェオは、背を向けたまま。
「後ろっ! 危な――」
――ピッ。
「――い?」
閃きは此処に。
『ッ!?』
「皮肉だな」
振り向きざま、振るった火の剣。鋭い軌跡が描く半円。
ぶつかり合うはずだった片手剣がバターのように切り裂かれ、砂となって消える。
「『聖なる狂気』を失って得た『魔王種』の力が、まさか不死性とは」
『ガッ、ガアアアアアアッ!』
動揺は一瞬。すぐに盾殴り。
火の剣が両手持ちに。
「この火は標」
――ピシュッ。
「不死を送り、不死を還す剣」
その剣閃は、身を返す燕が如く。
上から盾を切り裂くと同時に下から腕を切り飛ばせば、血は流れずも舞い散る砂。盾ごと腕が消滅し、初めて敵が後ろへと飛び退く。
フェオは今度こそこちらを背にしながら、ゆっくりと歩を進めた。
「かつての天敵よ」
退がる敵へ、一歩。また一歩。
「今は、俺が天敵だ」
そして――――ジャリッ。
「四百年前の借り、まとめて返してやろう」
足を肩幅に開く、見慣れた半身の姿勢。軽く突き出す左の拳。しかし控える右手には、逆手持ちとなった火の剣が。さらに独特な構えに。
砂嵐混じりの声が響く。
『ガルド、 松明持ちの騎士、抹殺……使命』
――ガシャンッ!
『正義ッ!』
片腕を失くし、武装の顕現もままならず。
それでも亡霊の聖騎士は、砂塵の髑髏頭をはっきりと形作って特攻した。
『我コソガァ! 正義ナリィィィッ!』
「ガルドが渡した引導も忘れたか」
グッと沈む足、よじる半身。逆手に握る火の剣が背中へ。最後の邂逅。
それは、あまりにもあっけなく、鮮やかだった。
「己が正義は貫けばいい。だが――」
――ピシュ――――ッ。
交錯、残光。正中で交わる六つの剣筋。
両断四散、八裂十二分割。
「正義が自己は、ただの小僧だ」
フードが取れて露わとなる灰髪の後ろで、バラバラになる白き鎧と青い衣服、豪奢なマント。すべてがサラサラと消えていく。
最後まで残った砂の髑髏が消える瞬間。
『フェ、オ……』
「迷わず逝け」
灯る火を消し、残身を解いた彼の背中は。
「……ガルドにも、また会える」
少し、さみしそうだった。
――サァァァ――――……。
乾いた風、さらわれる砂。茜差す荒涼の谷。寂寞感。
肩の力が抜ける。
「今度こそ、終わり?」
「さすがにね」
そう返したドナもきっと、長杖を腰に戻して悠然と歩いてくる人影に感じたのだろう。再三に渡る執念の末、やっと迎えた終焉を。思わず深い安堵のため息。
そのまま見惚れるていると、先ほどの熱病がぶり返した。愛しさと切なさが込み上げて、胸が苦しい。狂おしい。
「フェオッ!」
そしてリアはたまらず、小走りで駆け出した。
「おやまぁ」
「クァ?」
「アホー」
後方腕組み保護者面魔女と、空気の読めないカラスを羽で止めるカラス。整えられる、二人きりの状況。だが恋心に衝き動かされる少女にとって、最初から世界は二人きり。
彼が止まる。自分も止まる。飛びつきたいけどさすがに無理。
それでも、伝えなきゃいけないことがある。熱に浮かされ頬が上気するも、リアはフワフワする足元だけはしっかりと踏みしめて言った。
「ありがとう、フェオ」
十年越しの言葉。
「私を、助けてくれて……ありがとうございました」
それを伝えるためにここまで来たのは、真実だから。
が、しかし。
「なんのことだ?」
平気で雰囲気ぶち壊し。
「この状況でまだ白を切れるとでも!?」
「違う。覚えがないという意味じゃない」
フェオが首を振り、なぜか指折り数え始める。片手を終えてもう片方も。計十本。
それでも足りなかったのか、しばらく考えてから。
「助けた回数が多くて、どれについてのことかわからない」
何も言えずに口をあんぐり。グゥの音も――
「ちなみに礼は一度もない」
「グゥッ……!」
渋めに出た。痛いとこ突きやがって。
「それはその、ただ言う機会を逸してただけというかー……」
「ふむ」
「……すみませんでしたっ! 全部ありがとうございます! これでいいですか!?」
「別に責めていない」
リアは顔をしかめた。イジワルだ、この人。十年前もそうだった。
何を聞いても答えてくれなくて、そして――
「やっぱり、変わらないな」
――今みたいに、小さく笑ったんだ。
「あの時もそんな顔をしていた」
フードを被るも口元は隠せず。
あの時なんで笑われたのかを、ふと思い出す。
――リアの、王子様になってくれる?
もう絶対言えない。子どもって怖い。リアはときめきと慄きでうるさい心臓の音を聞かれぬよう、胸の上からギュッと押さえつけた。




