第27話 風を織るもの
彼は言った。
――すぐに飛んでいく。リアがピンチの時には、必ず。
だから宙翔ける少女は、黒い雲がふたをする谷間の真ん中で、身の毛もよだつ谷底の深淵に負けじと大きく息を吸った。
――だから、俺の名を呼べ。
そして、彼の名を呼んだ。
「フェオオオオオ――――ッ!」
反響する断崖絶壁。熱い気持ちと、熱くなる右手の甲。走った彼の指の痕跡が光となって浮かび上がり、傷のような文字がドクンと脈打つ。
だけど、彼は飛んでこなかった。
――シュンッ、ポス。
というかいつの間にかいた。しかも気付けば腕の中。
ポカンと呆気に取られ、加速度増す落下の姿勢もそこそこに、めくれるスカートを慌てて押さえてバタバタモジモジ。突如現れた恋する相手に恥じらう乙女の空中遊泳。
そんな少女へ開口一番。
「顔真っ赤で草」
拳が出るとこだった。
「落ち着け。ふざけている暇はない」
「こっちのセリフですけど!? なんであなたはそうわぷっ!?」
胸元へ引き寄せられ、宙へ投げ出す互いの身が離れぬよう肩をガッチリ。
そしてフェオは黒ローブの胸元へと手を差し込み、細長い四角の紙を取り出した。人差し指と中指でピシッ。なんだこれ。
(縦長のトランプ?)
ではなさそう。数字も絵柄もなく、模様っぽく連なる変な文字。ホント、なんだこれ。
深まる疑問は、上へ流れる景色といっしょに吹き飛んだ。
――我は問う。全を裁きし天の名を。
響く呪歌。聞き覚えのある旋律。反応するリアに合わせ、フェオもクルリ。二人で地面に背を向ける。
目に飛び込んできたのは果てなき執念。
『ガァァァルゥゥゥドォォォ――――ッ!』
落下してまで追いすがる提灯騎士に、崖の向こうへと去りゆく二羽のカラス。空一面を覆う雷雲。
それを背に、神々しく浮かぶ女性がいた。
――賢者の石は記さん。人々の間では天。
遠くとも聞こえ、離れども見ゆる。
意思なき意志を示す白眼。風の慟哭に吹き飛ぶ三角帽子と、波打ち広がる豊かな黒髪。
――石の賢者は答えん。光り輝く者たちの間では……。
呪歌が続くと、煙管の両端が弾けて砕けた。吸い口と煙の出る金属部分。残るは木の棒――――魔杖。
すかさずフェオが唱える。
「――――『大鹿』」
紙が燃えて灰となり、現れる光の枝角。上空に対して左右へ分かれ、こちらを包み込むように半球状の淡い緑の膜が張られる。まるで光の障壁。
その直前、リアは確かに見た。世にも恐ろしい魔女の口角が片方だけ吊り上がるのを。
ううん、やっぱり違う。
――さあ、痺れてイッちまいな。
あれはきっと、刺激的な女神様だ。
「――――『風を織るもの』!」
はっきり耳に届いた肉声が途中、ガバリと頭ごと抱えてきた腕に防がれる。
「来るぞ」
そして、あ、と思った刹那。
――ピカッ――――。
光の狂奔。音の狂騒。烈光、轟音、万雷一矢。
死の狂宴の最中、生にすがって掴んだ黒ローブの胸元へ顔を埋めるも、閉じたまぶたの裏には焼け付く光。鼓膜が破れて自らの絶叫すら聞こえない。
だけど、聞こえた気がする。
『ガァァァルゥゥゥ――――』
途絶える人違いの妄執。
何かが割れる音。
――パリィンッ!
「……余波で『大鹿』を破るか。さすが風織りの魔女、代替わりしても厄介だな」
ただ、その嘆息は聞こえなかった。
五体無事だが千々に砕ける意識。一時的なショック状態だ。胎児のように丸まり、真っ逆さまに落ちていく。
しかしリアは無意識の中で安寧を感じていた。母の胎内をたゆたうでなく、知らない男の胸に抱かれて堕ちているというのに。
――ううん、知ってる……。
男のことも、ここが安全な場所だということも。危機は去り、助かった。パパとママのところへ帰れるんだ。
だけど、やっぱり知らない。あどけない寝顔で眉をひそめる。冷たい金属の手。
あなたは、誰――
――クァ――――ッ!
―― 松明持ちの騎士。
(ん……フカフカ……)
自室の羽毛ベッドに似た感触が記憶を入力する。
夜の森、ざわめく木々。お姫様抱っこ。ぼんやり開いた目には星がキラキラ。そして自分が起きたのに気付き、静かに見下ろしてくる人。すごくカッコいい。王子様みたい。
――あなた、だぁれ?
幼い自分が尋ねる。沈黙。王子様なの、と続けて尋ねても無視。イジワルだ。
でも、知っている。松明持ちの騎士だ。まるで王子様みたいに、自分を助けてくれた人。
だから、寝ぼけ眼でこう言った。
――リアの、王子様になってくれる?
初恋の記憶。そう、だから自分はこんなに執着して。十年も。
相手は少し驚いて、フ、と笑った。あ、優しい人だ、と思った。眠っていろと言われて素直に目を閉じる。だってここは安全地帯。パパの腕の中と同じくらい。
そして、その人はこう言った。
――俺のことなど、すぐに忘れる。
忘れないよ、とは言えなかった。すぐ眠りに落ちてしまったから。
今なら言えるのに。忘れてなんかやらないし、忘れさせてやるもんかって――――違う。
(これは、フェオに言って……)
だけど、違わない気もする。
――ツンッ。
十年間。記憶を失っても、初恋は消えなかった人。
最近できた初恋の人。
――ツンツンッ。
重なる理由は、それだけなのかな。
――ツンツンツンッ。
それにしても痛いなぁさっきから。
「んー、やめ……あれ? フーちゃん?」
「おや、起きたかいねぼすけ」
「……と、ドナ?」
「こんな美貌の持ち主がほかにいるとでも?」
夕焼け空を背景に、軽口を叩く魔女の横顔。シュッと長い首を伸ばしてこちらをのぞき込むカラス。妙におでこが痛いのはたぶんこのくちばしのせい。
(って、あれ? 私、外で寝て……?)
ここはおうちのフカフカ羽毛ベッドのはず、と思ったが、身を起こそうと突っ張った手にフサフサ羽毛がダイレクト。それに、真っ白なシーツも真っ黒。大きなカラスの背中だ。フギンは、隣にいる。
ということは。
「……ムーくん?」
呼びかけると、たくましい首がグルリ。
静かに見据える瞳の上には、雌雄でおそろいな額の傷。フギンと同じ、大きくなったムニンに間違いはなさそうなのだが、鳴き声も上げずに重々しい雰囲気。なんだかちょっと近寄りがたい。
だが、実際はそこまで変わっていなかった。
「ムーくん……その、すごく大きくわっ!?」
やや身を引くリアに対し、丸呑みサイズのくちばしでスリスリ。「大丈夫?」と言いたげ。
ホッとしながらそのくちばしを撫でる。
「大丈夫だよ、ありがとう。あ、もしかしてムーくんが助けてくれたの? だって私、崖から落ちて、それからえっと……」
だめだ、まだ寝ぼけている。リアは軽く頭を振って周囲を観察した。
凶々しい雷雲の去った、黄昏時の乾いた谷底。すぐ後ろは絶壁で、向かいの崖は巨人の槍でも降ってきたかのような惨状。崩れた土石流が小山となり、頂点の岩が大きな墓石に。
(そうだ、確か雷が落ちて……)
ドナの魔法で、あの廃坑の主を倒したんだ。およそ作戦どおりに。
そして、たどり着く結論。
「終わった、の?」
「これで再生されちゃ、あたしゃ商売上がったりさね」
ドナが紫煙を燻らせる。
あれ、と思った。
「その煙管、さっき壊れあうっ」
「この暴走ポンコツ娘」
まさかのデコピン。おかんむりのご様子。
だけど、あの雷を落とした戦戦慄慄さはもうない。
「二度とこんな真似すんじゃないよ。そのルビーの指輪も、戒めとしてしばらくはめてな。すぐには解呪できないみたいだしね」
三角帽子も戻り、そこにはいつもと変わらぬ世話焼き魔女の姿が。狐につままれたように目をパチパチ。
「コラ、返事は?」
「え? あ、はい」
「まったく。お願いだから、あんまり心配かけさせないどくれ」
夢だったのかな、全部。ふとそんな気に。だけどドナのため息で現実感を取り戻し、胸に達成感と安堵が広がる。ちょっぴり罪悪感も。
リアは横座りのままドナの隣へ移動し、肌むき出しの肩にコテンと頭を預けた。
「ごめんね、ドナ」
「……こんな時だけ甘え上手だこと。いいよ、もう。それによく頑張ったんじゃない? さすがは剣聖の娘さね」
その言葉は、望外の喜び。思わず「エヘヘ」が過呼吸気味に。頭をポンポンされアホ毛もブンブン。
魔女が慈愛の色を浮かべて瞳を細めるも。
「あまり調子に乗せないほうがいいのでは?」
リアはまだ、記憶の翼に触れていた。
だからだろうか。
「何さ、ずいぶん冷たいじゃないか」
「そんなつもりはない」
大きな翼に寄りかかって地面に立つその人の声が、さっきの夢と重なった。
「クールぶっちゃって。あんた、本当は拗ねてんだろ?」
「なぜそうなる」
同じ声色。同じ声音。
重なる初恋。
「『なぜ早く呼ばない』ってブツブツ文句たれてたじゃないか。うるさいったらなかったよ」
「文句じゃない。疑問だ」
知りたい。確かめたい。
この懐かしさと、もどかしさを。
「あっそ、からかい甲斐のないこと。しっかし瞬間移動とはねぇ。なんか呪符まで行使してるの見えたんだけど、あとどんだけ隠し玉うおっ!?」
「あの、フェオ! 私その、昔――」
身体ごと強引に割り込んだリアだったが、残念ながら真相はまたの機会に。
「! 待て」
まだ何も、終わってなどいないのだから。
――カランッ……。
「……え?」
転がり落ちる墓石。
――ガラッ、サァァァ……。
「! 冗談だろ!?」
乾いた風、巻き上がる土。砂で象るしゃれこうべ。
途絶えぬ妄執。
――ガ……ル、ドッ……。
「……ガルド、だと?」
平坦な声に生じる揺れ。
リアはムニンの上で恐怖に身をすくめたが、ドナは素早くフェオの後ろへと飛び降りた。
「魔法が効いてないってわけじゃなさそうだね。あれが核かい」
「? 核?」
「あの集合体スライムと同じだよ。寄り集まった魂はまとめて塵にしたけど、核となる魂だけ残っちまったみたいさね。だけど、力はもう残ってない」
気を抜いたその発言どおりだった。
不死性が弱まっているのか、再生が遅い。体の鎧は一向に現れず、砂の髑髏は火が灯るどころか風に吹かれて今にも消えそう。
しかし、妙だ。
「そうか、お前は……」
――ガシャン……!
フェオの様子も。
そして、敵の姿も。
『……ガルド、反乱』
顕現した鎧は黒でなく、サイズも普通の人型に。
だがその威容は、生前の栄華を誇るもの。
『……ガルド、英雄』
青い衣服と白い鎧。金の意匠と豪奢なマント。
胸部の板金に描かれるは、女神の横顔。
「あの姿……まさか、聖騎士?」
「? 聖騎士って、確かトール教の――」
その時リアは思い出した。
ガルドの記憶にあった、フェオの言葉と情報を。
――トール教の聖騎士隊と『聖なる狂気』が来た。
『ガルド、抹殺……!』
「……なるほど。よりによってやつらは、お前を核にしたわけか」
――『聖なる狂気』ならば、フェオを殺し得る。
「久しいな……『聖なる狂気』よ」
サッ、と血の気が引く。
聖なる狂気――――フェオの天敵。
「逃げてフェオ!」
リアの悲鳴に、ドナが怪訝な顔を向ける。
「なんだい急に。いくら生前に聖騎士だったからって、あんな消えかけ敵じゃないよ」
「ダメッ! 聖なる狂気はフェオの天敵でござる! フェオが殺されちゃう!」
「……ござる?」
「そこじゃないでござるーっ!」
錯乱する少女に対し、フードの奥から珍しくギロリ。
ただし視線はやや上方。
「なぜ知っている。リアに何をした」
「それは、話せば長く……ん? 私にってわわっ!? フ、フーちゃん?」
鋭い声もなんのその。リアの頭上に飛び乗った高飛車なカラスがふんぞり返り、いつもと変わらぬ鳴き声を上げる。
「アホー」
「どうでもいい? そんなわけ――」
「アホッ」
「――正気か? ここでやると『空白』がどうなるか……」
「アホーッ」
「……わかった。思考に従おう」
アホの二文字に込められた情報量が気になるリアの頭上から、カラスが隣へ軽く降り立つと。
――ヒュンッ。
彼は抜き放った。
「所詮、俺は投げられた『槍』だ」
短杖ではない。
腰に差した、もう一本の長杖を。
「――――『炬火』」
そして真相のまたの機会は、意外と早く訪れた。




