第26話 陽炎稲妻
※
洞窟の奥深く。岩を椅子や台座とし、石で作った炉の赤々とした火が照らす天然の鍛冶場にて。
男は、自らが鍛えし剣に銘を入れていた。
――カッカッカッ……。
平たい岩の上で眠る剣。その刀身の下、柄の中に隠れる部位へと鏨――先端が平たい刃となった釘のようなもの―――を当てて、小槌を打ちつける。掘るではなく押し開き、鉄を左右へ盛り上がらせて出来た溝が文字の一画と成す。
それを一打、また一打。
――カッカッカッ……。
微妙に刃先をずらしつつ、二打三打。打ちつける音が途切れず響き、短い点と美しい曲線を刻む。緻密な作業だった。
しかも、一発勝負。失敗は許されない。狭い空間にこもる熱気も加わり、赤銅色の肌を晒す屈強な上半身から汗が滝のように流れ落ちる。
――カッカッカッ……。
それでも男は集中していた。一糸乱れず淡々と、淀みなく進める。
当てる、打つ。刻む。
当てる、打つ。押し開く。
当てる、打つ。すなわち切る。
最初の二文字が完成し、残り半分。しかし画数は多いか。そう確認してひと息つくと突然、気配がした。
「終わったのか」
静かな水面に一雫。聞き慣れたフェオの声。
だが、あまりにも不躾。
「終わっておらぬわ」
刺々しくなる声に「そうか」とあっさり返したフェオが背後の岩壁へ寄りかかるも、男は振り返らなかった。今はこの乱れた心を落ち着かせるのが先決。額の汗をぬぐい、ゆっくりと目をつむる。
深い呼吸。力はへその下。繰り返し、二度三度。すると開眼せし時には、もはや悟りの領域へ。
当てる、打つ。刻むは呪。
「……出直すか?」
「かまわん。あと少しだ」
当てる、打つ。押し開くは肉。
「戦況はどうなっている」
「しゃべっていいのか?」
「これしきでは乱れぬ」
当てる、打つ。すなわち切り結ぶ。
「口じゃない。耳に入れていいのかと聞いている」
銘は呪。鉄は肉。
結びし呪肉が、受肉とならん。
「……話せ」
降ろせしは是、神霊也。
「トール教の聖騎士隊と『聖なる狂気』が来た」
――ピタッ。
「……聖なる狂気。例の『正義』か」
解脱しかけていた精神が、血生臭い人の世に戻る。
止めた手が震える。
「被害は?」
「本隊は逃げ切れたが、殿部隊が全滅。鉱山の……お前がいた、強制収容所の生き残りたちだ」
最古参。この長きに渡る反乱において最も長く、共に戦場を駆け抜けた仲間たち。
誰も、いなくなってしまったのか。
「なぜあやつらが殿を?」
「お前の代わりを務めようとしたらしい。遺言も受け取った。邪魔にならないなら伝える、なるならまた今度だ」
無感情に言い切るフェオに、男は奥歯を噛みしめた。
「指をくわえて見ておったのか? おぬし、いったい何をしておった」
「『聖なる狂気』を食い止めるだけで精一杯だった」
「魔王種すら屠れるおぬしに限って、そんなわけ、が……」
押し黙ったのは、かつてのフェオの言葉を思い出したから。
魔物の排除、人類の保護、自己防衛。この三原則で縛られる自分に『聖なる狂気』は絶対の天敵。やつらならば自分を殺し得る。そう言っていた。精一杯どころか、死線を越えてきたのやも。
とたんに申し訳なくなるも先んじられ、謝罪を背中で受ける。
「……すまない」
男は自嘲した。甘えすぎだ、こやつに。
「わしこそすまぬ。こんな山奥へ引っ込んでいる男に、おぬしを責める資格などあるはずなかろうて」
「そのことなんだが、どうする?」
「? 何がだ?」
「遺言だ。聞くのか?」
会話が噛み合っていないが、いつものことか。
「聞こう」
「即決だな」
「戦友の、最期の言葉だ。恨み言でもかまわん」
「心構えはどうでもいいが、そうか、トモダチか……」
ふと、訪れる沈黙。
思わず振り返ろうとしたとたん、背中に冷や水が。
「『勝てよ』だそうだ」
震える背筋に汗が流れる。
「それから……早く帰ってやれよ、と」
頬に一筋、涙がこぼれる。
間に合わなかったのに。
「……恨み言では、ないのか?」
「お前に助けを求める者はいなかった。皆、お前の代わりを務めようと懸命に戦い、最後は誇りをもって逝った。本隊を逃がせたことと……」
助けられたかも、しれないのに。
「……英雄が帰還する、時間を稼いだんだ、と」
恨み言のほうがましだったなどとは口が裂けても言えない。
「――――委細、承知した」
だけど胸が、張り裂けそうだった。
「……やはり、儀式を終えてからのほうが良かったか」
「そんなにやわではないわ」
「声が震えている」
手拭いで涙をごまかしたところでの、容赦ない指摘。
「気を遣えるのか遣えんのか、いまいちわからんなぁおぬしは」
笑みをこぼす。涙もこぼれる。どちらも、人間らしく。悟りの境地になど至れるはずもなし。
血で染まる人の世の悲しみに浸りつつ、それでも男は再び傷だらけの手を動かした。
裏面に自らの名――ガルディン・クルス――も刻み終えると、剣が輝き出した。形も変化している。
さながら、サナギから蝶の如く。
「礼を言っている。レーヴェンやほか同様、ヴァグドラシルも気に入ったようだ。お前の刻んだ固有文字……いや、お前が元いた世界のルーンが」
「だからただの漢字だと何べんも言うておろうに……」
鍛造ではなく鋳造。ゆえに同型の雌火の細剣。
しかし、炉の明かりを反射するだけの刀身は自ら白く発光し、刃の粗さが美しく滑らかなものに。模しただけの炎の揺らぎが真に揺らいでさえ見える。
男はまるで赤子を高く抱き上げるように、まだ柄も鍔も取りつけていない裸の剣をそっと掲げた。
「とにかく、名付けの儀は成功だ」
そして、刻まれた四文字の銘を見つめながら告げる。
「今これより、剣の名は――――」
※
「――――どいてフーちゃん!」
白昼夢ではない。言うなればそれは、降ってから湧いたもの。意識が飛んだのも一瞬。
大剣を振りかぶる提灯騎士の前に飛び出したフギンへ鋭く命じ、リアは記憶の羽根を手放した。必要な知識はすでにこの身へ展開済み。いつでも実行可能。
賢いカラスが横へ退き、そろえた二指で敵を差す。
「七霊が主、ガルディン・クルスの名において命じる」
開く瞳孔、身にまとう鬼気。ザワリ浮き立つ長い金髪。
何かに取り憑かれたかのように人が変わった少女はそして、呪を紡いだ。
「勝利せよ――」
それは、託された願い。
剣の名前。
「――『陽炎稲妻』!」
その呼び声は、背後をふさぐ岩の小さな隙間を縫い、埋もれて眠る剣へと確かに届いた。
――カッ、ドゴォ――――ッ!
目で見えようと稲妻に手は届かず。
だから、積み上がる落石を吹き飛ばして現れた稲妻が如き素早さの剣も、人の手に収まること能わず。
すなわち、自動剣戟。
――ガキィンッ!
白い閃光が大剣を地へ落とすと、青火の目がよそ見に。
すかさずリアは駆け出した。
「ムーくん走って!」
「ク、クァーッ!」
黒い巨体の脇を白コートが突破し、そのたなびく裾をバタバタ追う丸いカラス。「飛べばいいのに」はもう言いっこなし。
そこへ、黒い魔の手が伸びる。大剣を拾うより捕まえることを優先し、後ろへ流れる金髪に指先が届く寸前。
再び走る白い閃光。
――ガツンッ!
ひとりでに動く剣が刺突で割り込み、そのまま黒い全身鎧へと襲いかかる。
目にも止まらぬ三段突きに、光を置き去る横一文字。一刀両断唐竹割り。袈裟に逆袈裟は罰の斬撃。まさに、達人技の数々。超一流の剣士が振るう姿を陽炎が如く立ち上らせ、幻視させるほど。
これこそが、陽炎稲妻の能力だった。
「予め、父上は呪を結んでくれておったようだが……」
フギンも思わず「アホッ?」と振り返る様子のおかしいリアは置いといて。
術者の技量を完全再現する自動剣戟。簡単に説明するならばそうなる。だから本来、剣聖グランの剣さばきを模倣するはずなのだが。
「……悪いが、上書きさせてもらった」
肩越しに振り返り、自らの呪で躍動する剣を見ながらニヤリ。
そんな少女へ言葉が返る。
「激動の時代を生きた初代剣聖ガルドが太刀筋、とくと味わうでござる!」
「……アホー?」
「……クァー?」
「……ござ?」
なんかキャラも上書きされてた。
「く、口が勝手に……ござるって何!? しかも、え、ご先祖様とフェオ!? それになんで私が十六歳の小娘に!? 私は上半身裸のマッチョなおじさまのはずでって違う違う逆でござる逆でござイタァ――――ッ!?」
記憶移植による精神の軽い混濁。だがこれしきならご愛嬌。子孫であり、知人しか登場しないことから成功はほぼ確信していたが、万が一もあったのだから。上手くいって良かったけどうるさいわねこいつ、ガスッ。
という具合にフギンがくちばしでリアをつつくと、腕をブンブン振り回していたせいでランタンが後方へと飛んだ。
「あっ!」
痛む額を押さえつつ立ち止まり、後ろを振り返る。
パリンッと割れて消える灯火。短いようで長い付き合いだった相棒との別れに、暗くなったトンネル内でちょっとしんみり。
なんて、している余裕はなかった。
――ボッ。
不死なる魂。その顕現を阻んでいた暖かな光の結界は、失われたのだから。
『……ガル、ド』
すぐ後ろ。
一人と二羽が仲良く首をギギギと鳴らして振り返る。
『ガルド……』
そこにはやはり無傷の提灯騎士がいたが、ルビーの指輪はもう眼中にないようだった。
『――――ガルドォォォッ!』
絞め殺す気満々で手を伸ばしてくる相手に「お知り合いでした?」とは気軽に尋ねられず、慌ててバックステップ。そろえた二指をまっすぐ、空振りしてなお執念を燃やす敵へ。
そして、やや簡略化。
「陽炎稲妻!」
――ゴッ――――!
まさかのちゃん付け有効だった。
『ガルド……! 抹殺――』
と名前以外の単語を口にしたところで、飛来した剣がグシャッ。蒼い炎が散り散りに。頭の髑髏も粉々。
だが、すぐに再生。それでもなんとかその隙に脇をすり抜けると、また追いかけっこが始まった。活劇遊戯の第二面は頼りになるお供キャラ、空飛ぶ聖剣に背中を守られながらの低難易度。
『反乱、ガルド、英雄……!』
それにしてもおかしい。
『正義、ガルド、抹殺……!』
単語が増えても人名を挟み、空を掴んでいる。剣を握る幻影に執着しているようだ。
(生前どこかで? 覚えがないでござる……記憶もちょっとだから断言できないけど)
ござるもちょっと混じったが、走るのに必死で気がつかず。
ともかく好都合。
「そのまま連れてきてヴァグちゃん!」
考えるのをやめて前を向き、お供のムニンといっしょにピョイーンとダッシュジャンプ。飛び越えたのは魔物の死骸。
そこは、ライアンとセシルが踏ん張り、フェオが一掃した戦場跡。出口はもうすぐそこ。先導するフギンの影が外から差し込む光の中に浮かび、息切れで苦しい胸に希望が湧く。
しかし、暗雲。
(? 急に暗く……っ!)
視覚的にも。
そして、作戦的にも。
(ドナがいない!?)
目視で確認できた外が暗くなったのはともかく、問題は待ち伏せしているはずのドナの姿がないことだった。出口で魔法の準備をしているはずなのに。
(いや、見えない位置にいるだけかも。それか、先回りが……間に合わなかった?)
駆ける不安に、駆け足が減速。どうしよう。いくら陽炎稲妻でも物理攻撃の効かない相手では、そのうち限界が――
――飛びなさい、かわいい御主人様。
ハッとした。柔らかい声だった。
少し、母に似ていた。
――あの『槍』を信じて。
そしてふと、フェオの顔が浮かんだ。
「クアッ!?」
「! アホーッ!」
二羽に鳴かれど急加速。並走するカラスも、飛行速度を落としたカラスも、意思さえも置き去りに。
――それから……。
唯一追いついてきたのは、白き聖剣。
――ヴァグちゃんはやめてね?
やはり嫌だったらしい。
だがリアは謎の博愛主義精神を貫き、ちゃん付けは譲らなかった。
――ダンッ!
「わかった、ドラちゃん!」
暗い谷間へと身を躍り出す少女。その腰元の鞘へ、ガチン、と剣が戻る直前。
頬に手を添えた困り顔で微笑む、優しげな女の人が見えた気がした。




