第21話 諦めたことなんてないでしょうが
王都守護伯。それが代々受け継がれし、クルス家の正式な地位と責務だった。
興国の担い手にして救国の英雄でもある、王都の絶対的守護神。
「いやーそれにしてもほんま強いな兄さん、驚いたで。よっ、世界一! ちゅーわけで、今までのことはどうかひとつ水に流してもろて……」
「セセセセセシル。さっきも言ったが、俺は兄弟じゃない」
「めっちゃこだわるやんそこ。あーはいはい、フェオな。そっちもいい加減、普通にセシルて呼べや」
「わかった、セシル」
誉は要らず、封土はなく。政から離れ、ただ剣として。
四百年前、鉱山の強制収容所から始まった小さな反乱を、国を勝ち取るまでに至らせた流浪の双剣使いはそれを条件に、一貴族として初代国王の膝元へと封じられた。それからも幾度となくこの国を救った最古の家門は、常に自らを鍛え、人を育て、王家に忠誠を尽くしてきた。
その歴史はこれからも続くだろう。双炎王国ある限り。
「それで、これからどうすんだい? とりあえず来た道を戻ってるわけだけど」
「おい、なんでこいつに聞く。僕はこんな怪しいやつに従うつもりは――」
「あたしが従うってんだからあんたも従うんだよ」
「うっ……わ、わかった」
そんな家に生まれた、剣の才なき一人娘が成すべきはただひとつ。血を絶やさぬこと。
頭ではわかっていた。納得も、しているつもりだった。
だけど本当は、全然そんなことなかった。
「まだ目的は果たせていない。リア次第だ」
騎士になどなれはせず。このままずっと屋敷の中、皆に守られるお姫様として、ただ跡継ぎを産むだけの人生。
嫌だった、そんなの。
「リリアーナ嬢の、目的……?」
「なんやったっけ?」
「二人して忘れてんじゃないさね。松明持ちの騎士だろ」
だから今にして思えば、目的もただの反抗心だった気さえする。前方の暗闇から届いた声にリアはふと立ち止まり、黙って俯いた。左手に持つランタンがかすかに揺れる。
出遅れる光源に文句も言わず、ドナが唱えた。
「――――『光』」
それは、夜道を歩くには十分なほどの月明かり。
広い主要坑道でそばを歩くフェオが、そして先行するセシルとライアンが怪訝そうにこちらを振り返る姿が、闇の中から浮かび上がる。魔女は中心で雨雲のソファーに乗り、掲げた煙管からは小さな光球。なんてことだろう。
(ランタン係、最初から要らなかったんだ)
いわゆる役立たず。気分がますます落ち込むも、思わず自嘲。今さらか、そんなの。
そのまま笑顔を貼りつけて言う。
「帰りましょう、もう」
「! それは……本当にいいのかい、リア」
疑いつつも安堵した様子のドナに首を振り、リアは長い金髪をわずかに揺らした。
「いいんです。セシルとライアンも疲れてるみたいだし、お父様たちも心配してるだろうし」
「ウチはこいつと違ってまだ余裕やけどな」
「僕も、ドナに回復してもらったからまだまだ余裕だが?」
「無駄に張り合ってんじゃないよ、あたしゃ苦手な魔法使わされてヘトヘトさね。とにかく、善は急げだ! さっさと脱出するよ!」
「テンションたっか。めっちゃ元気やん」
「どこがヘトヘトなんだか……」
小さな月をお供にスイスイと先陣を切る雨雲の上の魔女。それに続く、猫耳幼女と赤毛の剣士。
遅れて歩き出すと、フードを目深に被る黒ローブの青年がつかず離れずの距離で肩を並べた。
「少しいいか、リア」
全然良くない。
だけど、平然としなきゃ。
「いいですよ。なんですか?」
これ以上、惨めになってしまわぬように。
「……よくわからないが、何か気に障ったのなら謝る」
「どうしたんですか、突然。フェオは何も……」
詰まる言葉、俯く顔。サラリと落ちる金糸の束。
暖色光が照らす灰銀の足を視界の端に捉えると、決意が瞬く間に崩れた。
「言ってくれれば良かったのに」
「何をだ?」
いっしょだと思った。
どれだけ大事にされようと、騎士にはなれないお姫様。どれほど強くても、魔術師にはなれない魔力ゼロの青年。
望んだものにはなれない二人。
「魔法が使えることです」
「? 魔術師だと言ったはずだが」
言ってほしかった。
最初から、いっしょにするなと。
「……そうですね。別に、フェオは悪くありません。私もちょっと疲れてるだけだから気にしないでください」
「そうか、なら良かっ……待て。どうやらまったく良くないらしい」
「意味わかんないです。いいから少し放っておいて――」
「ケンカ中なん?」
歩くペースをのんびり落としたセシルが、肩越しにチラリと振り返って会話に割り込む。
リアは目だけを逸らした。
「そんなのじゃありません。ただ、フェオが私を心配してくれただけですよ」
「ふーん……それよりフェオ、ひとつ聞いてええか?」
「なんだ」
「さっきからずっと気になってんけど、そいつどうしたん?」
セシルがあごでしゃくったのは、フェオの肩に止まるフギンだった。そういえば説明してなかったかも。
しかし、そういうことではなかったらしい。
「こいつは、使い魔と思ってくれてかまわない」
「いやそうやなくて、さっきからその使い魔めっちゃキレてへん? 威圧感ビシバシなんやけど」
「? キレて……?」
つまり、怒ってる。
セシルの猫耳がやや伏せていることに気付き、その元凶をたどろうとランタンを掲げれば。
「……俺も少し、困っているところだ」
そこには、空中に十字の怒筋を幻視させるメスのカラスがいた。
「えっと……何か、フーちゃんを怒らせるようなことを?」
「わからない。思考を言語化せずに、ずっとこの調子だ」
「アホー」
「だが『フーちゃんはやめろ』だそうだ」
「そんな……いったいどうしたのフーちゃん?」
「カラスとしゃべれる驚きより、人の話まったく聞かへんお前にビックリやでウチは」
そんな呆れた声もやはり聞こえず、捻った頭から答えを絞り出す。
「もしかして、ムーくんがいなくて寂しかったり?」
――ビキッ……!
青筋がもはやフェオの頭サイズに。
「ち、違うんだ、ごめんね? あの、じゃあいったい……?」
おどおど尋ねるとフギンが黙って飛び立ち、なぜか目の前で空中浮遊。なんだか怒られる予感。リアは思わず足を止めて背筋を正したが、肩の力はすぐに抜けた。
「……フーちゃん?」
不思議な目だった。無垢な動物より物を言うが、人ほどに感情は湛えず。
けれどその目には、歴史があった。まるでその瞳にずっと映り続けてきたかのような、説得力のある優しさがあった。そんなわけないのに。戸惑うリアの前髪を、はためく翼から吹いた風がかき分ける。
その時だった。
――ガスゥッ!
「うわっ、死んだんちゃうそれ?」
油断から、会心の一突き。額はパックリ割れずとも、揺れる頭に星が舞う。白目を剥いてクラリ倒れる少女。
灰銀の手で受け止められると同時に、そろそろ聞き慣れた鳴き声が耳につく。
「アホー」
そしてフギンはそのままバサッと離れ、ちょこんと雨雲の上に落ち着いた。
「おや? あんた……まあそりゃそうか。それよりあんたたち、さっさと来な! 置いてっちまうよ!」
「へいへい」
「な、なんだったんですか、今の……」
痛む額を押さえ、恨みがましい涙目をフギンへ向ける。
すると、セシルに続くフェオがぼそり。
「『諦めたことなんてないでしょうが』だそうだ」
「え?」
リアは慌てて黒ローブの後を追った。
「今の、どういう意味ですか?」
「思考の言ったことだ。俺は知らない」
重みから解放された肩をグルリ。これ以上聞いても無駄のようだ。
歩みを止めず、己の手に持つランタンの明かりをぼんやりと眺める。
(諦めたこと、なんて……? いったいなんの話?)
遅れがちな足並み。
無言で寄り添う灰銀の足。
(私のこと? でも、昨日今日会ったばかりの人のセリフとは……あ、いや、カラスか)
淀まぬ歩み、つまずく思考。
どうでもいいことのはず、なのだが。
(カラスといえば、そうだ)
その続きを、リアはつい口にした。
「ムーくんも、最初から異様に懐いてくれてた気が……」
「なぁ、そのムーくんって誰なん? さっきも言うとったけど」
ハッとして前を見れば、両手を頭の後ろで組んだセシルが仰け反るようにして振り返っていた。
「まさか、もう一匹あんなんがおるとか言わへんやろな」
何やら辟易している様子。ドナとは相性が良さそうだけど、セシルとはいまいちらしい。確かにあの高飛車なカラスは、お得意のシャレがあまり通じないタイプかも。
「ムーくんもカラスですけど、タイプは全然違いますよ」
「カラスにタイプとかあるん?」
「同じなのは額の傷だけです。見た目も違いますし。それにムーくんは愛嬌があって、鳴き声なんかもかわいい――」
「クァ――――ッ!」
「そうそう、ちょうどこんな……えっ!?」
幻聴かと思った。
しかし、鳴き声は確かに後方から。反射的に振り返る。
聞き間違いじゃない。
「クァッ! クァッ! クァァァッ!」
それに、見間違いでもない。
「ムーくん!? どうして――――わわっ!?」
「……それ、球か?」
バサバサ羽ばたくもヨレヨレ力尽き、水をすくうようにそろえた両手の上へと着地するまん丸ボディ。黒い謎の球体改め、記憶力の良いオスのカラスことムニンだ。ゼーゼーと、萎んでは膨らむ黒い風船に目をパチパチしてからフェオへと視線を向ける。彼が呼んだのだろうか。
と思ったが、呆然とするかのようにフードは動かず。どうやら違うらしい。振り返るとフギンも同じ感じ。
そんな中、真っ先に血相を変えたのは赤毛の剣士だった。
「! 何か来るぞ!」
抜き放たれる剣。帯びる緊迫感。
――ガシャン……。
「っ!?」
足音。
――ガシャン……。
「って、骸骨兵やと!? おいおい、死霊系が出るとか聞いてへんぞ!」
リアは振り返ることができなかった。
ただ漫然と、短剣を構えたセシルがライアンの隣に並び立つのを視界に入れ、血の気の引いた顔をするドナを見ながら思う。
「僕だって知るか! それに、あの黒い鎧と剣……ただの骸骨兵じゃないぞ!」
「確かにな。兵士っちゅーより騎士……髑髏の騎士?」
――ガシャン……。
自分も今、あんな顔をしているのかも。
だってその足音は、『死』そのものだったから。
「まさか、あれが――」
――ガシャン……。
「――松明持ちの騎士……!」
ドナの言葉が頬を叩く。
恐怖も忘れ、弾かれたように振り返った先には、やはり――
――ガシャンッ!
――恐怖しかなかった。
「僕も詳しくないが、確かにああいう姿絵を見たことはある。まさか本物だったのか?」
神々しくも禍々しい、黒の全身鎧。分厚く長い無骨な大剣。そして、闇に浮かぶ白骨。
髑髏頭。
「アホぬかせ! だいたいあれのどこに火の要素が――」
――ボウッ!
応えるように灯る明かり。
眼球なき両目の仄暗い穴から。そして、わずかに開いた口から。隠す皮膚なき歯並びの隙間から。
ランタンと化すしゃれこうべからユラユラと炎がもれ、チリチリと火の粉が舞う。
「……要素はバッチリやけど、提灯騎士とでも改名したほうがええんちゃう? なーんて……」
動かぬ脅威に対し、ジリ、と後ずさったのは誰か。リアは自らの足を動かしながらも、そんなことすらわからなくなっていた。
だが、ピクリと耳が拾った。
「――――やはり、『魔王種』か」
隣でつぶやく、彼の言葉を。




