第18話 七難八苦
「――――『星振りまかれたるもの』」
それは、魔女の放つ魔法だった。
――バシュ――――ッ!
キラリ降り注ぐ昼下がりの流星。
日差しでなく閃き、雨でなく槍。空より打たれる光の杭。
――バシュッ、ズガッ、ズシャ――――ッ!
その連なりが、岩肌ギリギリで滑空する巨大カラスを激しく追い立てる。崖が削れ土砂は崩れ、舞い散る羽根がいくつも塵へ。
だが、その長い尾羽にはかすりもせず。それほどの猛スピードだった。くわえられたままの餌にかかる重圧も暴走トロッコの比ではない。
というのに光がやんだとたん、いきなりの急ブレーキ。
――バサァッ!
前へと空撃つ風切り羽根に、ガクンと大きく揺れるリア。もはや失神寸前。だから気付けなかったのだがその時、目前で小さな竜巻が生じた。
自然にして不自然。羽ばたきだけで巻き起こる、超自然現象。
「――――『我は問う。静かなるあの凪の名を』」
それが、雨雲に乗って回りこんでいたドナへと唸りを上げて襲いかかるも、彼女はよけもせずに杖代わりの煙管を一振りした。
「――――『無風』」
フッ、と消失する風の唸り。静かな峡谷、響く羽音。
対峙する魔女とメスのカラス。
「まさか、精霊魔法とはね。どうやらかなり高位の魔物みたいだけど――」
そして再開される、女同士の空中決戦。
「――その子は返してもらうよっ!」
しかし、ブクブク泡吐く哀れな餌はギリギリ保つ意識の中で確信した。このままでは解放の前に嘔吐だ、と。
お食事中かもしれないお茶の間のみなさんにそんな姿は見せられない、という謎の使命感――よほど意識が朦朧としていたのだろう――に衝き動かされ、白目をカッ。くちばしの間でぐったりする体を、ファイト一発エビ反りに。
そして、大声で宣言。
「友達なのっ!」
「はあ?」
キキィッ、と雨雲から謎の空中ブレーキ音。
「友達って、その巨大カラスが?」
「そうなの! だからもう戦わないでというか揺らさないで!」
「いや、そりゃ別にいいけどね」
バッサバッサと空中浮揚するフギンをドナが見上げる。至近距離でも攻撃してこない相手に、張り詰める緊張の糸が解けていくのが見えた。しかしどうにもまだ訝しげ。
原因は、ピキッと立てるカラスの青筋にあった。
「……友達じゃないって言いたそうだけど?」
「え、そんなことないよねフーちゃん? というかあなた、本当にフーちゃんよね?」
ピキピキッ、と増える青筋。
「……なんか、呼び方も気に食わなそうだけど?」
「ならやっぱりフーちゃんだ」
「たまに思うけどいい性格してるわ、あんた。とにかくこっち移ったらどうだい? 今のあんたパッと見、芋虫さね」
「言うに事欠いて芋虫!? と言いたいところですけど、お願いします……。じゃあ、助けてくれてありがとうフーちゃん」
ピキピキピキッ、と青筋三つ。
そしてリアはやはり、いい性格をしていた。
「でも、できれば背中に乗せてほしかったかな? なーんて、アハハ――」
――ペッ。
「――はっ?」
と驚く浮遊感。吐いた唾は呑めず、吐かれた唾が真っ逆さま。
二度と助けないわ、と言いたげな冷たいカラスの横顔が高速で遠ざかる。
「なっ、なんでぇぇぇ――――っ!?」
そして自業自得な少女はそのまま、暗い谷底へと落ちていった――――かに見えた。
――ポスッ。
崖の中腹。トンネルの出口で難なく受け止めてくれたのは、未確定想い人の両腕。
吊り橋効果でときめき増し増しのお姫様抱っこ。
「大丈夫か?」
しかし実際は、吊り橋どころか紐なしバンジー。
リアは恐怖によるドキドキを一切勘違いすることなく「大丈夫そうに見えるかこちとら死ぬとこだったんだぞ」と浅い呼吸を繰り返しながら必死に目で訴えた。
すると、まあいつもどおり。
「涙目で草」
「くぁwせdrftgyふじこlp!?」
「……なんか、あたしのより複雑な詠唱が聞こえたんだけど」
ドナが雨雲のソファーで舞い降りると同時に、リアも地面へと下ろされる。だが人心地にはつけぬまま、すぐに四つん這いでゲホゲホゲホッ。複雑な詠唱の代償だった。
そしてせきが止まり、ようやく無事に生還したことを実感するも、安心するのは大早計。
「やっと来たかドナ!」
「遅いで姐さん! 何をもたもたしとんねん!」
緊迫感。出口の光に背を向けたまま糾弾するライアンとセシルに、文句を返そうとしたドナが息を呑む。理由は、一目瞭然。バササッと通常サイズに戻りながらフェオの肩へ止まる不可思議なカラスに、リアも一瞥すらできぬまま凍りつく。
一難去ってまた一難も、切り抜けた先。
「とりあえず、ドナの魔法さえあればなんとかなりそうだが……」
長剣を構えた先に一難。
「それでもこれは、さすがに多いんとちゃう?」
短剣を向けた先に一難。
「……団体様で苦情におなりか。よっぽどうるさかったみたいだねぇ」
一難、一難、また一難。
二難至りて群れなす五難が、所狭しと四苦八苦。
「どっ、どうするんですかこれー!?」
舞い戻ったトンネルの先は、まさに七難八苦だった。
「どうもうこうも全部お前がトロッコ暴走させたせいやないかこの疫病神が! 菓子折り持参で詫び入れてこんかい!」
「だからあれはセシルが……!」
「ケンカしている場合じゃない! 来るぞっ!」
――キャギャグァガァ――――ッ!
不協和音のコンサートが始まり、押し寄せてくる魔物たち。
隣でドナが短く指示を飛ばす。
「セシル、後続を分断! ライアンは戦線維持!」
意図も聞かず即座に反応。素早く駆け出すセシルと、力強く踏み留まるライアン。
最初にぶつかるは、一番数の多い小鬼の群れ。
「親戚の相手は任せたで!」
「誰がゴブゲス……あ」
と自分で言ってしまって後悔するライアンを尻目に、セシルが突撃する。
暗澹たる緑。毛の生えぬ頭から尖った耳の先、そして腰蓑を除いた足の先までその一色に染まる醜悪な小人たちの中、溶け込む若草色の外套。浮いて目につく栗色ボブが流れに逆らい、すいすいと緑の合間を縫っていく。
しかし同程度の背丈、突き出る高さは猫耳分だけということもあってか、すぐに見えなくなってしまった。
「セシルッ!」
駆け出そうとしたリアの行く手を、フェオの灰銀の手がふさぐ。
「やめておけ。邪魔になる」
「そんなこと……っ!」
食い下がろうとするも、体は正直だった。
抜き放つ長剣。背中を向け、仁王立ちする剣士。
「持ちこたえなよライアン!」
彼へ襲いかかる下卑た牙と粗暴な凶器に、足がすくんでしまったのだ。
「ライアンッ!」
声をかけるので精一杯。赤毛頭へと振り下ろされる棍棒、石斧、どこかで拾ったのであろうツルハシ。思わず目をつむる。
そして聞こえてきたのは、彼の悲鳴と頭の割れる音――
――ガキィンッ!
――ではなかった。
「ハアアアッ!」
すがめた目に映るのは、クルクル回るツルハシ。それが落ちる前に三連斬り。
棍棒もろとも頭を砕き、石斧を持つ歪に節くれだった手を斬り飛ばし、無手で飛びかかる緑の小人のよだれを避けながら身体を上下に両断。
転がったゴブリンに遅れ、ツルハシが地面へと突き刺さる。
――ザスッ。
狭い道幅。敵はすべて真正面から。とは言え相手は小人サイズで、同時に三体。
なのに、秒殺。
「……ライアンって、本当に強かったんだ」
こぼれた本音。
ピクッ、とライアンが巨大耳に。
「フッ、ようやく僕に惚れたかリリアーナ嬢。今からでも遅くはってうお!? こ、このゴブリンども、いいところで……!」
「よそ見すんじゃないよ三枚目!」
絶え間ない緑の波状攻撃に、二枚目気取りが慌てて対応。勘違いを訂正もせずにリアは顔を背けた。バッタバッタと切り伏せるのは良いのだが、箱入り娘にとってその惨状は少しばかり刺激が強かったのだ。たとえそれらが魔物だとしても。
そして視線を逸らした先には、雨雲に乗った魔女。「あんたもよそ見すんな!」と怒られる、かと思いきや。
「? ドナ?」
丸くした目をスッと細め、食い縛る口元をフッ。掲げた煙管を下ろしてニヤリ。悪だくみ思いついちゃった、みたいな顔。
その視線の先は、どうやら自分ではなく――
(――フェオ?)
嫉妬混じりの嫌な予感。こんな状況で何を、と揺れる思考。
揺れる足元。
――ズシィンッ!
魔物の群れの奥。地響きを立てて崩れ落ちたのは豚頭と大鬼だった。豚の頭をした巨人と、小鬼をそのまま巨大化させた見た目の怪物。
ただでさえ狭い道をふさいでいたそれぞれの巨体が、汚い悲鳴を上げながら派手に転げ回る。どうやら足を負傷したらしい。
――グガァァァッ!?
あえては仕留めず、暴れるに任せて。あれでしばらく通れないはず。つまり、後続を分断。
指示を忠実に実行した『飛剣のザリ』の妹はすでに次の行動へと移り、狐頭蝙蝠の背中に飛び乗っていた。
――ザクッ、シュッ――――ザクッ。
気付かれる前に刺しては落とし、短剣に付いた血を空中にまき散らしながら次の標的へ。その身軽さと素早さは兄の二つ名よろしく、まさに飛ぶが剣の如し。あっという間に五匹を撃墜。ライアン含め、心配などしたのがおこがましく感じるほどの強さだった。
そして空中の足場を失ったセシルが、今度はひしめく緑のはげ頭を足蹴にピョンピョン戻ってくる。
(って、いつの間にかゴブリンだらけ!?)
大行軍。ずらり居並ぶ暗澹たる緑。でも、ドナなら蹴散らしてくれるだろう。さっきすごそうな魔法使ってたしイケるよねうんうん。
なんて、気楽に構えてはみたものの。
「……おい、魔法はまだか!?」
気持ちを代弁してくれたライアンがゴブリンの口から剣を引き抜き、またひとつその骸を増やしたところで地面を強く蹴る。
飛び散る粘液。移動速度の遅い粘液生物たちまで最前線にもう来ているらしい。
「魔法? んー、今日は店じまいさね」
なのに当の彼女は、枝毛イジってた。
「ちょっとドナ!?」
「ふざけている場合か! このままだと押し切られるぞ!」
言葉どおり、ライアンは無傷だったが後ろへと下がっていた。戦線後退。同じ距離を保とうとリアも下がったが後ろは崖。このままでは確かにまずい。
だというのに、今度はやすりで爪のお手入れ。
「ふざけちゃいないよ。さっきでかいの連続で使っちまったから、魔力がすっからかんなのさ」
「そんな……じゃあ、魔法は使えないってことですか?」
リアが打ちひしがれていると、寸前で前情報を聞き逃したセシルが戻ってくるや否や。
「魔法の使い方忘れでもしたんか姐さんほんま時間かけるのは化粧だけにしといてや! 最近ノリ悪い言うて化粧の時間も伸びとるけどもしかして物忘れ始まる年齢のせいニャブベラッ!?」
「あ、セシル……って魔法使えてません!?」
「今ので本当にすかんぴんさね」
白を切るドナ。それが真実かどうかはわからない。
わかっているのは、ひとりでに浮いた岩を頭へ落とされて舌を噛んだ猫耳族の死体が『なんかウチの扱い雑になってへん?』と血文字のダイイングメッセージを残したことと――
「冗談はよせ! 魔法なしで切り抜けられる局面じゃないぞ!」
――マジでヤバい、ということ。
「なんとかならないんですか!? 魔法がなくても、何か代わりのものとか!」
「代わりも何も、魔法ならあるじゃないか」
「え?」
紫煙を燻らせ、ドナがこちらへ流し目を送る。
いや、さっきと同じだ。自分じゃない。
「ねぇ、魔力ゼロの魔術師さん?」
既視感に従い、リアが後ろを振り返ると――
「……ん?」
「アホー」
――キョロキョロするフェオへと、フギンのくちばしが突き刺さった。




