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第10話 悪魔との契り

「アホー」

「……()()()()? 俺が?」


 戸惑い。消える、小さな笑み。

 それでもリアはしばらくそこから視線を外せぬまま、ぼんやりと思った。


(笑うんだ、この人)


 ごくごく当たり前のこと。なのになぜか、感慨もひとしお。

 でも、物足りない。

 そんな不可思議な感情の揺れに囚われていると突然、後ろから声が。


「姫様っ!」


 解ける心緒しんちょの金縛り。

 ハッとして振り返ると、黒髪くるくるパーマの青年がハシゴで三角屋根の上に登ってきていた。


「デレク? え、どうしてここに?」

「そんなの、姫様を迎えに来たに決まって……まさか師匠がやられたんですか!?」

「やられとらんわいバカ弟子がー!」


 フェオを見たとたんに血相を変えたデレクへ、地上からゲンドゥルの罵声が飛ぶ。それに返答もせず、左手で細剣レイピアを抜く乳姉弟ちきょうだい。どうやら師匠が容疑者を引きつけている間に保護する算段だったらしい。

 その目論見が外れた今、この命を賭けてでも救い出さん。そんな気負いが見えた。まずい。


「やめてデレク! あなたが敵う人じゃないわ!」


 その言葉は弟のような存在を慮ってのものだったが、慎重に斜面を登って頂上へたどり着いた彼には逆効果となった。


「そんなの、やってみなければわかりませんよ!」

「デレク……」


 声からにじむ悔しさと羞恥。どうしよう、もっと言葉を選んで説得しなければ。

 と、人が心を砕いている最中に。


「顔真っ赤で草」

「ちょっと黙っててくださいもうっ! あなたそれ絶対に言わなきゃいけない決まりでも————あっ、ムーくん?」


 アホ毛を逆立たせて怒ると、フェオの肩から丸い影がピョンと飛び降りる。ムニンだ。

 三角屋根の奥行きをテッテッと歩き、つぶらな瞳をキョロキョロ。尾羽もフリフリ。


「カ、カラス?」


 デレクも思わず目を白黒。空気を読めないのはいいとして、さっき屋根から転げ落ちてしまったことを忘れているのだろうか。


「危ないよムーくん、こっちおいで」


 リアはそろりと近付いた。しかし背後から羽を打つ音がすぐに聞こえ、目の前へ舞い降りるスリムな影。額にムニンとおそろいの傷が刻まれているメスのカラス、フギンだ。

 そのまま彼女カラスが、カラスを後ろから————ゲシッ。


「クァッ!?」

「え。ちょっ……ムーくん!?」



——クァァァ————……。



 ゴロゴロ転がるまん丸ボディ。落ちた家屋の隙間をのぞき込むも、鳴き声は暗闇の向こうへ。飛ぼうよ鳥なんだからと思わないでもないが、リアは下手人ならぬ下手カラスをキッとにらんだ。


「もうっ! いきなり何するのフーちゃん——」



——ギヌロッ……!



「——()()、フーちゃん()()……」


 眼光ひとつで返り討ち。

 ビクビク怯えるリアへ「まあそれで許してあげるわ」と言わんばかりに胸を張る高飛車なカラスが、近付こうとしていたデレクへと翼を広げて威嚇する。


「な、なんだこのカラス? 姫様、早くこちらへ!」

「さて。もう一度問おう、リリアーナ・クルス」


 三角屋根のてっぺん。その奥行きの真ん中で挟み撃ち。

 片方の端には、カラスに足止めされて手だけを伸ばす弟のような人。

 もう片方には、被ったフードで目元を隠すちょっぴり変な人。


「このままそいつの手を取って家に帰るか。もしくは、俺と冒険を続けるか」


 そして、とても強い人。


()は立てた。少なくとも、双炎騎士ブレイズナイト三人分だ。お前の望む場所へ連れて行くことなど造作もない」


 仰るとおり、どころではないかも。隊長であるゲンドゥルさえもあしらった実力ならば、散歩を楽しむぐらいの気分で臨めそう。そんな皮算用を頭の中ではじき、デレクの「姫様!?」という驚愕の声を背中に受けながらも、ついフラフラ足を進めた。

 しかし、ピタッ。


「だがひとつ、言っておくべきことがある」


 縫いつけられる足。

 胸の隙間、冷たい夜風。


「今、お前が目にしている男は悪魔だ」

「あく、ま……?」

「そう。人の心を持たぬ、人ならざるもの。命を奪うことにためらいなどなく、人の死に涙ひとつこぼさぬもの」


 リアは恐怖を覚えた。目の前にいる、まだ得体の知れないその男に。

 だけど、フードを引っ張って目元を隠すその仕草に胸が締めつけられもした。なぜか、切なくなった。


「たとえ相手が、誰であろうとも」


 それがまるで、悲しい独白のようで。

 凪ぐ夜風。運ばれぬ、小さなささやき。


「……アホー」


 よく通るはずのカラスの罵声は少女の耳に届かない。

 そして青年はフードを少しだけ上げて、その灰銀に輝く瞳でこちらを射抜いた。


「お前も俺に殺されるかもしれない。その覚悟は……勇気はあるか?」

「姫様、お下がりください! やはりそいつは危険————くっ……!?」


 うめき声に振り返ると、たったひとつの羽ばたきで強い風を巻き起こしたフギンが、剣を手に迫るデレクを後退させていた。

 邪魔をするな。彼へそう言わんばかりにまっすぐと、美しく立ちふさがるカラス。ただ少しだけ、こちらへ尾羽をフリフリ。

 さっさと答えなさいよ、かな。


「……そんなの、最初から決まってるもん」

「? 姫様?」


 決意を新たにしたリアは、不安げなデレクへ告げた。


「ごめんねデレク。私、まだ帰れない」

「な、何を言って……帰りましょう、僕といっしょに!」

「ごめんなさい」


 重ねて謝れば、あどけないその顔に絶望の色が。胸が痛い。

 だけど、振り返らない。


「必ず帰るから、許してね」


 リアはそう言って、デレクに背を向けた。そしてずいっとフェオへ歩み寄る。彼は少し身を引いたが、相も変わらず無表情。何を考えているのやら。

 だけど、まあいいだろう。


「あまり、私を見くびらないでください」


 上等だ。


「私は、剣聖グランの娘。この国の守護神たる初代剣聖ガルドの末裔。たとえ非才の身なれど、鍛錬の日々を積み重ねてきた私の剣は決して折れません。もちろんこの剣は抜いちゃダメって言われてるし、ほかの普通の剣も持たせてくれなかったから披露する機会はないけど……で、でも足腰だったらお父様やゲンさんやルナにだってほめられて——」

「自分語り乙。で?」

「——もうっ!」


 リアは大きく憤慨し、差し出されていた灰銀の手へとぶつけるように己の手を重ねた。


「つまり、いつでもかかって来いってことですよ!」


 殺されそうになったら、地の果てまでも逃げてやる。そんな威勢が良いのか悪いのかわからない意気込みを胸に、握った手へギューッと力を込める。残念ながら蚊に刺されたほどにも効いた様子はないが。

 そしてムキになったリアが両手で握って唸り声を上げると、フェオがやっと口を開いた。


「了解した」

「それだけ!? もっとほかに何、か……」


 さっきは、一瞬で消えてしまって。しかも横顔だけだったから。

 だから、物足りなかったんだ。


「ほかには、そうだな……」


 リアは頭の片隅でそんな確信を抱きながら、思わず見惚れてしまった。

 無機質な人形では刻めない、優しい微笑みに。


「その勇気を、代価としよう」


 ゆっくり解かれる両手。そっと片手を取り、膝をつく彼。まるで騎士の誓いのように、口付けを落とそうと寄せる顔。

 頭の芯から甘く痺れ、全身フワフワしていたリアは、それが夢の中の出来事のように思えて——


「……これで、契約は成った」


——現実やんけ、と気がついたのは、手の甲に触れた熱が全身の血を燃えたぎらせた後だった。


「なっ、ななな、何してるんですかあなたはーっ!」


 リアが勢いよく手を振り払うと、フェオがすぐに立ち上がって再びフードを目深に被る。


「ほかに何かと求めたのはそっちだ」

「そういう意味で言ったんじゃありません!」

「なぜそんなに焦る? 慣れているだろ、お姫様」


 ぐ、と詰まる喉。そう、慣れているといえば慣れている。何せこちとら実家が騎士団、加えて呼び名が姫様なのだ。

 なのになぜこんなにも、この動悸は治まってくれないのか。


(お、落ち着け私、このままじゃまた……!)


 手の甲を隠し、胸にかき抱く。そうして押さえつけても胸の高鳴りがやまない。しかも今、絶対に顔が赤い。

 どうせまた「顔真っ赤で草」とかなんとか言うに決まって——


「退け」

「——へ?」



——バサァ————ッ!



 大きな羽音。

 鋭い風切り音。



——ヒュンッ……!



 飛び立つ鳥が影を落とし、剣を振る顔には陰り。消えるあどけなさ。

 灯る、暗い情念。


「渡さない……」

「デレク?」


 まるで月に狂わされたかのように人が変わった彼は、焦点の定まらぬ様子でつぶやいた。


「渡す、もんか……」

「? デレク、何を——」 

「近付くな。離れていろ」


 肩を引き寄せられ、有無も言わせずに横へ押し出される。

 それと、ほぼ同時だった。


「姫様に、触るなあああっ!」


 雄叫びとは言えぬ金切り声。怒号ではなく悲鳴。転げ落ちぬよう三角の斜面で足を踏ん張ったリアは、屋根の頂上を勢いよく駆ける白コートを見た。

 月明かりにきらめく細剣の刺突は、黒ローブを着た青年へ。


「やめっ——」

「やめんかデレクッ!」


 視界の端に、ハシゴを登って顔だけ出したゲンドゥルが映る。怒りでなく焦りの表情。敵わぬ相手に刃向かう弟子の身を案じているようにも見えた、次の瞬間。

 老兵が何を危惧して叫んだか、少女は身をもって知った。



——ズルッ。



 不安定な足場で滑る、未熟な踏み込み。止まらぬ刺突と必殺の意思。

 フェオから逸れたその行方が、こちらへ。


(あっ————)


 時が止まったような風景の中で目につく、慣れ親しんだ二つの顔。師弟そろって顔面蒼白。

 それについて何か思うでもなく、また自らも同じ顔をしていることにすら気付けぬまま、少女は身を強張らせて目をつむった。



——ズブッ。



 そして、闇の向こう。

 肉を喰らう刃の咀嚼音が聞こえた。

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