川野光という女
増岡と別れ、川野はフラフラと良い気分で帰宅した。
「うわっ、蒸し蒸しする。」
そう言って、エアコンのスイッチを付け、ベランダの窓を開けた。
川野の新居は、赤い電車が通る、海の近くのマンションだ。
駅からは徒歩10分くらい、商店街を抜けた、閑静な住宅街の中にある。
ベランダから海は見えないが、磯の香りがほのかに舞い込んで来る。
「ふぅーっ。お疲れお疲れ自分!長い一日だったけど、よく頑張ったわ。」
そう呟き、浴室へ向かった。
「良い人ねぇ⋯。」
シャワーで今日一日の汗を流しながら、川野は過去の恋愛を思い出していた。
今までの川野の言動で、薄々お気づきの方もいらっしゃると思うが、川野ははっきり言って気が強く、男勝りだ。
気さくで明るいのだが、プライベートな悩みを誰かに相談したり、甘えたりしない。自分の弱さを、周りに見せないのだ。
最初からそうだった訳では無い。器用な方では無いので、入社当初は社会の洗礼を受け、度々泣いてしまう程、繊細だった。
それでも、自分の関わった企画で依頼人が喜んでくれると、この上ない幸せな気持ちになることを実感し、必死にしがみついてきた。
そうして、仕事に前のめりになり、キャリアを築き上げてきた。
当然、年も重ねて来たので、見た目も貫禄がある。
人前で泣くこともなくなった。
年下が多くなって来た横浜の職場では、面倒見の良さもあり、周りから“姉さん”や“兄貴”と呼ばれ、親しまれていた。
その川野の勇ましさに憧れて、2度ほどアプローチを受け、社内恋愛をした事がある。
しかし、実際に付き合ってみたら、想像以上に川野が可愛げや弱さを出さないため、結局どれも長続きしなかった。
ある時は
「光ちゃんなら1人で生きていけるよ⋯」
「僕がそばにいなくても、きっと光ちゃんは寂しくならないでしょ⋯一緒にいても意味ないよ⋯別れよう⋯」
ある時は
「俺のこと、どう思ってるの?光の考えてることがよく分からないよ⋯」
「もっと俺に甘えて欲しかったよ⋯さようなら⋯」
別れを切り出されても、川野は泣いて縋ったりしなかった。
好きと言ってくれて嬉しかったし、デートも楽しかったし。相手に対して愛情が無いわけではなかった。
ただ、恋愛に対して非常に受け身で、告白されるがまま付き合うので、自分が相手を恋愛対象として見ているのか分からないまま、愛が育たず関係が終わってしまったのだ。
好きと言ってくれたら、とりあえず付き合ってみる。
幻滅されたら悲しいけど、私のスタンスは変えられないので、他の人と幸せを見つけてね。
来る者拒まず、去る者追わず。
包容力があり、基本的に誰にでも優しい川野に憧れ、勇気を振り絞って告白した相手からしたら、そのドライ過ぎる姿は、不器用では済まされない、自分勝手で冷酷な女に見えただろう。
(うわぁぁぁ〜!!思い出したら辛くなってきた。)
過去の思い出を洗い流すようにシャワーの水量を上げ、頭から一気に泡を洗い流した。
「はぁ⋯。もう一杯飲むか。」
風呂上がり、まだほとんど空っぽの冷蔵庫から缶ビールを1つ取り出し、シュパッと開けた。
「くぅ〜〜っ。⋯私の恋人は、仕事と酒だけだね。仕事ともおさらばになるところだったけど。」
そう言って、ソファーにもたれかかり、肩下まで伸びた、うねった髪の毛をタオルで拭きながら、1人ビールを堪能するのだった。




