Mon Amour
増岡の話によると、第二支社の企画・営業部には来月から新入社員が一人入り、沼田さんが主任に昇格するようだ。
沼田さんには、主任としての引き継ぎは、ほとんど無いのだが、途中で川野が抜けるため、ミニシアターの企画コンペのメンバーに、新たに加わってもらった。
まだ内示の段階なので、増岡と本人達以外は、この人事を知らない。
「チッ!加藤さん、支度が遅いですよっ!三浦君と、先に車に行ってますからね。」
荷物を抱え、苛立つ佐渡。
これから本格的にスタートする、GWのイベント企画を、この3人で取り組むため、今日はその打ち合わせに向かう。
第二支社が取り組むにしては、規模が大きいイベントで、やり甲斐が大いにありそうだ。
普段なら、課長の増岡がメインで取り組むような案件だが、若手の教育を兼ねて、今回は佐渡が指揮を執る。
「もうっ!いちいち舌打ちしないで下さいよっ!女子を置いて行くなんて、モテませんよ?」
睨み合う、佐渡と加藤。
佐渡の隣で、苦笑いをする三浦君。
険悪に見えるが、実は最近、加藤は佐渡のツンデレな魅力にハマりつつある。
辛辣でキチッとした男と、物腰柔らかく陽気なギャル。
一見、交わらそうなタイプだが、お互い言いたい事を、言い合えるようで、佐渡も悪い気はしていない。
まぁ、相変わらず、佐渡は川野の事が好きなようだが。
誰かを好きになる気持ちは、自身でさえも、どうする事も出来ないくらい自由奔放で、誰にもコントロールする事が出来ないものだ。
自分の席で、パソコンを眺める川野。
何食わぬ顔で、マウスをカチッ、カチッと操作し、ネット上で情報を収集している。
いや、収集しているようで、本当は頭で別の事をグルグルと考えている。
第二支社の、同僚達との別れも惜しいのだが、まず一番の難関、山本へ人事異動の事をどう切り出そうか、とても悩んでいる。
話をしたところで、その先どうなってしまうのか⋯。
せっかく復縁して、幸せな日々が戻って来たというのに、何でこうなってしまうのか?
以前、横浜支社へ異動して行った、本島の気持ちが、今なら痛いほど分かる川野。
栄転とはいえ、彼女は、ただでさえ慣れない環境に放り込まれた上に、好きな人と離れ離れになってしまったのだから。
そしてその本島とは、来月から上司・部下という関係になる。
上手くやっていけるだろうか⋯。
パソコンを眺めるフリをして、色々と考えては、渋い顔をする川野であった。
結局、仕事に身が入らず、その日、川野は定時で上がった。
その足で、会社の最寄り駅から2駅隣にある、リカーショップに向かい、山本のお気に入りのウイスキーボトルを購入した。
そこから珍しく、地下鉄に乗り換えた川野。
東麻布のアムールに足を運び、奮発して一番リッチな、チョコレートアソートを購入した。
これから、山本の家を訪ねる約束をしている。
夕飯は、彼が喜んで、腕を振るってくれるそうだ。
大変、気が重い。
帰りの電車で、うなだれていたら、とうとう最寄り駅に着いてしまった。
改札を出て、川野は山本の家への帰路を、とぼとぼと歩き出した。
もしかしたら、この道を歩くのも、今日が最後になってしまうかも知れない。
今の幸せを失うかも知れないという、恐怖が込み上げてくる。
不安そうな顔をしながら、重い足取りで、山本のマンションまで向った。
ピンポーン―
「はーいっ。光っ、お帰りなさい!今日は早かったねっ!」
何も知らない山本は、そう言って川野を抱き寄せながら、部屋に招き入れた。
「お邪魔します。」
「今日はね、光の好きそうなビーフシチュー作ってみたよっ!いい匂いでしょ?」
「うん⋯。美味しそう。」
ギュッ―
川野は荷物を持ったまま、思わず山本に正面から抱き付いた。
「ふふふっ、どうしたの?疲れたの?」
微笑みながら、川野の頭を撫でる山本。
「哲也君。⋯⋯大好きだよ。⋯お腹空いたっ。」
川野は、人事異動の話を持ち出そうと思ったが、ぐっと堪えた。
せっかく山本が作ってくれた料理を、しっかりと味わいたかったからだ。
「そっか。じゃぁ、食べようか。」
山本は何かを察したが、それ以上、何も言わずに食事の支度を始めた。
テーブルに並ぶ、生ハムの乗ったサラダと、湯気が立ち上がっているビーフシチュー。
それにフランスパンを使った、ガーリックトーストも添えてあり、とても香ばしい匂いが漂っている。
「ねぇねぇ、哲也君にプレゼント。これ好きな銘柄だよね?」
川野は、リカーショップで購入した、ウイスキーボトルを山本に差し出した。
「えっ?ありがとう!覚えててくれたんだ。」
「あとね、アムールのチョコレート!企画でお世話になったんだけど、実はまだ、私も食べたことないんだよね。デザートに食べよっ。お酒と一緒に口にすると、またひと味違って、美味しいって藤田さんが言ってた。」
「そうなんだっ!ありがとう。⋯⋯でも何で?今日はなんか特別の日だっけ?」
「えへへっ。たまにはね☆哲也君、私に合わせて泡盛ばかり買ってきてくれるし。いつものお礼だよ。さぁ~、山本シェフ。早速、ディナーを楽しみたいのですが。」
「お飲み物はいかがいたしましょう?」
「今日はウイスキーロック、タブルで!」
「かしこまりましたっ。」
ウイスキーで乾杯をした2人。
山本の作った料理は、簡単そうにみえて手が込んでいる。
隠し味も入れているのか、絶妙にあとを引く美味しさだ。
「美味しい〜っ!哲也君って、本当に天才☆」
いつもなら、これほど美味しいものを口にした途端、瞬殺してしまうであろう川野だが、今日は山本との他愛ない会話を楽しみながら、一口、一口と、ゆっくり噛み締めている。
食事を終え、デザートのチョコレートを開封した。
様々な形の、ツヤツヤのチョコレート達。
中にはプラリネやナッツが入っていて、フレーバーもそれぞれ違うため、どれから手を付けようか迷ってしまう。
ジャンケンポンッ!―
「イェーイ!勝った!じゃぁ、俺はこれにしよっ☆」
こういう時は、ジャンケンで決めるのが2人のルールだ。
山本がジャンケンに強いのか、川野が弱いのか、たいていの勝負はこうなる。
「哲也君って、お酒も好きだけど、甘い物好きだよねっ。」
チョコレートを、幸せそうに噛みしめる山本を見つめ、川野が微笑んだ。
「うんっ、美味しい!(グビッ)⋯ん〜っ。光も早く食べてごらんよ。ウイスキーとめちゃくちゃ合う。」
目を閉じながら、その余韻を味わう山本。
「そっか。じゃあ、私も♪⋯⋯んっ!美味しい!(グビッ)⋯ん〜っ、幸せっ。」
川野も、山本と同じように目を閉じて、チョコレートとウイスキーの、マリアージュに浸っている。
「ふふふっ、美味しいねっ!光っ。」
「うんっ!」
川野は微笑み、そっと山本の肩にもたれかかった。
そして、山本の肩に自身の顔を埋め、話し始めた。
「哲也君⋯⋯⋯。私ね、来月から横浜支社に異動になるの⋯。ゴメンねっ。」
「ふぅ~っ。」
山本は天井を見上げ、深い溜息をついた。
「そっか⋯。光が会社から、いなくなっちゃうのか⋯。想像つかないな⋯。」
そう言って川野の方を向き、ぎゅっと抱きしめた。
「光はこの先、俺とどうしたい?一緒にいたい?まさか、別れたい?⋯⋯って言っても、そこまで考える余裕、今は無いかっ⋯。」
川野は、山本の背中をグッと抱きしめ返した。
「哲也君⋯⋯私と結婚して下さいっ。」
「えっ!?」
川野からの、あまりにも急なプロポーズに、戸惑う山本。
思わず、抱き締めていた両腕を解いた。
「⋯⋯考えさせて。」




