それは突然
3月に入った。
寒さが和らいで来た、今日この頃。
東京第二支社の企画・営業部は、桜祭りのイベント準備や、GWの企画が本格的に進むなど、慌ただしくなっていた。
「さてとっ。」
川野も、新しい仕事に取り掛かろうとしていた。
以前、代理デートで行った、吉祥寺にあるミニシアターの企画コンペだ。
今回のバディは、営業なにぬね男子のメンバー、仲間君だ。
仲間君とは初めてバディを組むが、彼とは年が近く、ユーモアのある人間のため、どんな企画が出来上がるのか、川野はとてもワクワクしていた。
パソコンに向かいながら、自分が思いつく案を、次々と箇条書きで入力していく川野。
以前、現場を訪れた事で、イメージが非常に浮かびやすいようだ。
「川野っ、ちょっと良いか?面談したいんだけど。」
しばらくして、増岡が声を掛けてきた。
「えっ?あっ、すみません。はいっ。」
気分が乗っていた川野は、もう少し後にして欲しかったのだが、増岡は同期でも上司だ。
素直に従い、2人は倉庫に入って行った。
ガチャン、カチャッ―
増岡は、そっと倉庫の鍵を掛け、デスクの椅子に腰を掛けた。
「失礼しますっ。」
川野も頃合いを見計らい、近くのパイプ椅子を増岡の方に向け、座った。
両腕を組み、とても渋い顔をして、なかなか話を切り出さない増岡。
いつもの川野なら、早く話せと催促するのだが、今日の増岡の顔は、声を掛けづらいくらい真剣だ。
「川野っ、ちょっとごめんっ!」
ガッ!―
増岡は、いきなり川野の両肩を掴み、勢い良く川野の顔に、自身の顔を近付けて来た。
あまりの急な出来事に、ビックリする川野。
「うわっ!」
チュッ―
「うぇ〜っ!」
増岡と唇が触れそうになり、慌てて自分の右手でガードした川野。
見事に、手のひらにキスをされてしまった。
「何やってるの!?馬鹿じゃないの!?」
怒り出す川野。
「うん⋯。やっぱり違ったわ。」
そう言って、増岡は白い歯を出しながら、ニコッと笑った。
「はっ!?」
「ってか、俺は寸止めしようと思ったのに、お前が手を挟むからっ!⋯いや、悪い悪いっ。ちょっと試したかったんだよ。でも、やっぱりお前は友達だなっ。全然ドキドキしないっ!」
「何言ってんのよ。ずっと友達じゃんっ!しかも、なんで勝手に私がフラれてんのよっ。それとも、キスの練習?もうさ、勘弁してよっ!ふふふっ。」
突発的な彼の行動に呆れつつも、笑い出してしまった川野。
増岡は小林と本格的に、お付き合いをスタートさせた。
デートを何度か重ね、手は握った(握られた)らしい。
「あまり笑ってくれるなよっ。⋯⋯川野〜。いっそうの事、俺に無理矢理キスされそうになったって、セクハラで訴えてもいいぞっ。」
増岡が、微笑みながら俯いた。
「えっ?ふふふっ、何言ってるの。こんなん別に、なんてこと無いよ。」
笑いが止まらない川野。
「川野〜、⋯⋯ごめんなっ。俺の力不足で。」
増岡の声が震えている。
「だから、何の事?はっきり言わないと分からないよ?」
「そうだな、分かったっ!⋯⋯川野主任。来月から横浜支社へ異動だ。役職は課長。栄転だよ。」
「えっ⋯⋯?」
横浜支社へ戻るって事⋯?
あまりにも急な事で、川野の頭が追いつかない。
「本当に?だって堀田は?堀田課長はどうするの?」
「堀田が、とうとう失脚したんだよ。あいつ、本社の人事部長とズブズブで、やりたいようにやってただろ?自分の起こしたセクハラやパワハラも、揉み消してもらったりして。でも、その人事部長との、私的な飲み会を接待費として、不正計上してたのがバレたらしい。キャバクラだぜ?キャバクラ!結果、人事部長は逃げるように自主退社、堀田は役職を全て外されたよ。」
「へぇ〜、会社のお金でキャバクラ。どこまでもクズだね。」
「本当だよなっ。俺達が一生懸命働いた金を、下らないことに使いやがって。⋯⋯でな、堀田は平社員として、ここに来るんだよ。辞めるかと思ったが、しがみつくみたいだ。」
「どの面下げてっ!⋯でも、何で私が横浜支社の課長に?私だって、パワハラで左遷されたのに。」
「お天道様は見てるんだよっ。まぁ、詳しくは言えないが、社長はずっと、お前を気にかけてくれててな。そんな事する奴じゃないって言って、間接的に様子を伺ってくれてたんだよ。」
「そうなんだ⋯。嬉しいっ。」
川野は、社長とは面接以降、あまり接点は無かったが、横浜支社に来られた時は、必ず一緒に横須賀トークをする仲だった。
社長は戦艦三笠が本当に好きで、休みの日には横須賀ドライブを楽しむらしい。
オススメの店や穴場スポットを、会う度に川野は、紹介していた。
それだけではない。
川野が今まで積み上げてきた成果は、ちゃんと社長にも届いていた。
東京第二支社に左遷されても、挫けずに真面目に取り組んだ事で、堀田の失脚も相まって、課長に抜擢されたのだ。
川野は、自分を信じてくれた社長に、とても感謝をした。
でも、横浜支社への栄転は、以前の仕事一筋の自分の時ように、手放しでは喜べない。
この約半年間で、与えられて来た幸せが、あまりにも多過ぎるからだ。
東京第二支社の皆との思い出が、一気に頭の中を駆け巡り、川野の目から涙がホロホロと零れ出した。
「嫌だ⋯⋯ッ。皆と離れたくないっ⋯⋯。」
川野の泣く姿を見て、増岡も瞳を潤ませている。
「川野っ、ごめんなっ。俺はこの人事、止めたかったんだよ。お前がここで、ちゃんと幸せそうにしてるから⋯。俺をセクハラで訴えれば、ワンチャン、お前がここに残れるかも知れない。俺は冗談で言ってないぞ。」
真剣な眼差しで、川野に向き合う増岡。
「ふふふっ、⋯ッ馬鹿っ!あんたは、あんたで幸せなんだから、そんな事言わないでよっ。私だって、あんたの幸せ願ってるんだよ?⋯いつも、私の事考えてくれて、ありがとねっ!最高の同期だなっ!」
涙を流しながら、耳と鼻を赤くした川野がニコッと笑った。
「へへっ、本当。俺とお前は最高の同期だっ!寂しくなるよっ⋯。山本にも、辛い事になると思うけど⋯。アイツ、大丈夫かなっ。」
「うん⋯。どうなるか分からないけど、ちゃんと話し合おうと思う。」
川野は涙を拭い、山本とのこの先を、考え始めるのであった。




