山本の回想
あれは8年前でした。
まだまだ暑さが厳しい、9月。
三笠企画の本社に入社して、半年も満たない新入社員の俺は、周りからの冷たい視線に、耐えきれなくなっていました。
自分で言うのもなんですが、高身長で容姿が割りかし整っているため、学生時代からモテる奴として目立っていました。
チヤホヤされる事を、楽しんだ時期もありましたが、社会人になって一変、その容姿のせいで、他人から勘違いされたり、嫉妬されるようになりました。
器用な方なので、仕事は順調に覚えていきました。
周りの人間とも上手くやれるよう、笑顔を振りまき、信頼関係を築き上げようとしました。
ところが、それが逆効果だったのか、周りからの嫉妬心は大きくなり、陰口を叩かれるようになりました。
「あいつは顔だけで入社したんだぜ?お気楽なもんだよな。」
「あいつ、今日も、あの女上司に媚び売ってたぞ。」
「私、あの子に色目使われたんだけど、こっちが可愛がってあげようとしたら、迷惑そうな顔したのよっ!」
単に、人当たり良く接しただけなのに、身に覚えのない女性トラブルに巻き込まれたり、必死に仕事を頑張っていても、認められなかったりして、あの日、とうとう耐えきれなくなり、仕事中に事務所を抜け出しました。
「どいつもこいつも、面倒くせぇんだよっ⋯。」
昼下がり。
日差しが眩しく照らす、駐車場の端っこの死角で、俺はしゃがみ込みながら、うなだれていました。
汗がどんどん噴き出してきて、非常に不快だったのですが、それでも、あの事務所に戻る方がよっぽど嫌でしたので、ひたすら暑さに耐えていました。
カツッ、カツッ、カツッ―
そこへ、ワイシャツに黒いビジネススーツを着た、見慣れない一人の女性がやって来ました。
その人は、俺がしゃがみ込んでいた場所の奥にある、喫煙者用の灰皿の前に立ち止まりました。
イライラした様子で、鞄の中からポーチを取り出し、更にそこから1本の煙草とライターを出しました。
カチッ、カチッ、―
「スーッ⋯ふぅ~っ。あぁぁ〜!マジで、やってらんないっ。何で部下が、クソ上司の尻拭いをしなきゃいけないの?」
煙草の煙を吐きながら、その人は、上司の愚痴を零しました。
俺は少し興味が湧いて、思わず横目で、その人を見上げました。
暑さと湿気のせいでしょうか、その人の髪はフワッとしていて、少し乱れていました。
その人は、俺がいることを気にも留めず、煙草を前歯で噛みながら、その髪を、両手で大雑把にひとまとめにし、括り直しました。
そしてまた、ため息混じりにゆっくりと、煙草をふかすのでした。
「ねぇ、君、経理部の子?営業部にはいなかったような。」
しばくしてから、その人が、俺に話しかけてきました。
「はい⋯。」
なるべく他人と話したくないので、俺は、最低限の返事をしました。
「そっか⋯。色々あると思うけど、お互い、ほどほどに頑張ろうねっ。ほら、これっ、あげる。」
そう言って、その人は、ソーダ味の棒アイスを1つ、俺にくれました。
「えっ?⋯ありがとうございます。」
言われるがまま、受け取ったは良いのですが、初対面の相手にこんな事をされて、正直、俺は戸惑ってしまいました。
「このアイス、嫌いだった?」
「いえ⋯。でもなんで、俺にくれるんですか?」
「えぇっ?⋯ふっふっふ。それはね、アイスは暑い所で食べるのが、美味しいからに決まってるからだよっ☆」
さっきまで、イライラしながら煙草を吸っていた人が、そう言って俺に、無邪気に笑いかけました。
久しぶりだったんです。
俺の顔を見た女は、大抵、前髪を直したり、上目遣いをして作り笑いを浮かべるのですが、こんなに異性から、真っ直ぐ笑顔を向けられたのは、久しぶりだったんです。
「ほらほらっ!早く食べないと溶けちゃうよっ。」
煙草を吸い終えたその人は、そう言って、自分の分の棒アイスをシャリッ、シャリッと食べ始めました。
それが、とても美味しそうに食べるんです。
時々、険しい顔をしながら「歯に来るっ⋯。」とか呟いて、それでも幸せそうに、アイスを噛み締めるんです。
そんなに美味しいならと思い、俺も一緒に、アイスを食べ始めました。
至って普通のソーダ味のアイスでしたが、そのアイスは、何もかも嫌になっていた俺の心を、ひんやりと甘く、癒してくれました。
「お〜いっ!川野ー!また煙草でサボりやがって!アイスまで食ってやがるっ。もう、行くぞっ!⋯俺の分のアイスも買ってあるよな?」
「増岡っ!ごめんてばっ!後で買ってあげる。」
そうしてその人は、俺に軽く会釈をし、颯爽と車に乗り込み、去って行きました。
「川野さんって言うんだ⋯。」
もらったソーダ味の棒アイスのように、川野さんは爽やかで、スッキリとした、気持ちの良い人でした。
川野さんが、横浜支社の企画・営業部に所属している事は、なんとなく分かっていましたが、その後は特に、何も接点が無く、川野さんの記憶を、心の何処かに仕舞いかけていました。
そのうちに俺は、本社から東京第二支社への移動があり、そこで増岡課長と一緒に働く事になりました。
増岡課長は、飲み会の度に、横浜支社には川野さんという酒豪がいると、周りに話していました。
(川野さんか⋯懐かしい⋯。)
俺は、その話に聞き耳を立てては、川野さんがどんな人物なのか、密かにイメージして、楽しんでいました。
それが、何という事でしょうか。
川野さんが、第二支社に来たではないですか。
8年ぶりの、今の川野さんが、どんな風になっているのか、非常に興味が湧きました。
でも、部署は違うし、相手は閉鎖的な倉庫にいる⋯。
色々な手を考えながら、会議室から事務所へ戻ると、ちょうど、経理部のフロントのテーブルに“川野光”と名前が書いてあるメモ帳が置いてあるのを、偶然、見つけました。
話せる口実が出来た!
さっそく渡しに行こうと思い、経理部の事務所を出ると、廊下を歩く川野さんの後ろ姿がありました。
左遷されて来たのに、なぜか足取りが軽い様子なので、俺は思わず、すぐ話しかけたくなり、川野さんに近付いて行きました。
その瞬間、タイミングが悪かったのか、川野さんは急に振り返り、俺の片腕とぶつかりました。
すると、先程までの楽しそうな様子が一変、川野さんは申し訳なさそうな顔をして、俺の顔を一度も見ずに、ぶつかった先の、俺の二の腕に必死に謝り出しました。
こちらも悪かったので、ちゃんと謝りたいのですが、それでもずっと、二の腕を気にしながら、頭を下げているので、思わず吹き出してしまいました。
つい笑ってしまったことで、彼女は倉庫に逃げ込んでしまい、俺も慌てて後を追いました。
いい関係を築きたいと思い、平静を装ったのですが、彼女の行動にどうしても笑みがこぼれてしまい、ついには彼女を不機嫌にさせてしまいました。
また、その表情も面白くて⋯。
そして当然、彼女は、一度しか会ったことのない俺の事なんて、覚えていませんでした。
その日の昼休憩時、俺は煙草も吸わないのに、ビルの屋上の喫煙所に行きました。
喫煙所にいれば場所は違えど、思い出してくれるかも知れないと思ったからです。
でも、彼女は来ませんでした。
きっと、禁煙でもされたのでしょう。
しばらくして、今度はコンビニでソーダ味の棒アイスを2つ購入して来ました。
これを渡したら、思い出してくれるかも知れないと期待したのです。
倉庫のドアを開けると、サンドイッチを口いっぱいに頬張った、川野さんがいました。
暑さと湿気のせいで、相変わらず髪の毛がフワッとしていて、汗をかいていて⋯。
蒸し暑い倉庫の中で、一人で食事をとる彼女の姿に、純粋な同情心と、不純な独占欲が、同時に芽生えたような気がしました。
ソーダ味の棒アイスを渡しても、結局、彼女は俺を思い出してくれませんでした。
元々、記憶に残らない程度の、ほんの数分の出来事だったので、無理もないです。
それでも代わりに、アイスを食べて美味しそうに微笑む、彼女の顔が見れました。
その笑顔は、あの頃と変わらず、真っ直ぐでスッキリとした、爽やかな笑顔でした。
それから毎日、昼休憩時になると、倉庫にいる彼女の事を思い出すんです。
つい、あの笑顔に会いたくなってしまい、でも、それを悟られたくない自分もいて。
結局、彼女と会う口実が他に無いので、アイスを持って行く事しか、思い付きませんでした。
今思えば、もうこの頃から、彼女に恋をしていたのかも知れません。




