上司の命令
2月14日
今日は午後から、スーパーのイベント会場の撤収作業を行う。
佐渡と初めて取り組んだ企画が、とうとう終わろうとしていた。
倉庫の中で彼と泣き合って、お互いの気持ちを、改めて理解してしまった。
それは、甘い両想いではなく、交わらない、悲しい一方通行の想い。
今後の関係は、上手くいくか分からないが…。
仕事では、最高の相棒ということは間違いないので、時間に解決してもらえることを、祈るばかりだ。
午後3時
撤収作業で皆が出払う前に、藤田さんが、男性陣にバレンタインチョコを配り出した。
それに同調して、喜多見と加藤も配り出したので、川野も、この波に乗るしかない!と、大きい紙袋を手に持ち、藤田さん達の後に続いた。
今まで登場して来なかったが、企画・営業部にはもう3人、男性社員がいる。
仲間くん34歳、西澤くん27歳、根本くん27歳。
彼らの、詳しい紹介は別の機会にするとして、彼らは事務所の中で時々、そこに沼田さんを含めて”営業なにぬね男子”と呼ばれる事がある。
一人一人、呼ぶのが大変な時に、省略するために喜多見と加藤が考案した。
仲間君と沼田さんは、2人よりだいぶ年上なのだが、若いギャル達からそう呼ばれ、悪い気はしていないようだ。
最近は、度々、勇ましい顔を披露する川野が、その”野”をこじ付けられ、名前改め”営業なにぬねの男子”として、そのメンバーになったとか、ならないとか。
なにぬね男子と三浦君に、チョコレートを配り終え、次は佐渡の番だ。
どんな言葉を掛けて渡せばいいのか…。
散々、頭の中で悩む川野だったが、出てきた言葉は、意外とシンプルだった。
「佐渡係長、いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いしますっ!」
川野は、その言葉に精一杯の誠意を込めて、義理チョコを渡した。
だが、佐渡の眉間に皺が寄ってしまった。
怯む川野。
「チッ!やっぱり義理チョコか…。川野さんの気が変わってくれてたらと、ワンチャン期待していましたが、仕方ないですね。…ありがとうございますっ。」
そう言って頬を赤らめ、髪を搔き上げた。
何ともストレートな男だ。
周りがザワめくのが目に見えているのに。
でも川野には分かっている。
佐渡は、敢てそういう事を言い放ち、川野に余計な気負いをさせないようにしているのだ。
優しくて良い男だ。
川野はそっと両手を合わせ、佐渡に”ごめん”と会釈した。
「えっ、ヤバっ。佐渡係長って、クールに見えて、意外とそんなこと言うんですね…。メロいかも…。」
彼氏絶賛募集中の加藤が反応した。これは、新しい恋の始まりか?
さて、川野にはもう一人、義理チョコを渡すのが億劫な相手が残っている。冷戦状態の増岡だ。
休み明けから今まで、ろくに会話をしていない。
チョコを配り始めた頃は、席を外していたのだが、タイミング悪く、戻って来てしまっている。
「増岡課長、いつもありがとございます。」
とりあえず、最低限の言葉をかけ、義理チョコを渡した川野。
「おうっ。サンキュー。」
藤田さん達からもらう時は、白い歯を出し、ニコニコと笑顔を振りまいていた増岡だったが、川野が渡した時は、視線すら合わせなかった。
いつもなら、今年はチョコを何個もらったとか、本命は無かったとか、嬉しそうに自分から報告して来るクセにっ。スカしてやがる。
川野は増岡の態度に、あからさまにムスッとした顔をしながら、自分の席に戻ろうとした。
「川野、待て。」
増岡がスカしたまま、川野を呼び止めた。
「お前のその態度、上司に対してする態度じゃないぞ。気を付けろっ。それとイルミネーション、まだ見に行ってないよな。自分の考えたものの完成形を見ないなんて、それは業務怠慢だ。撤収作業は、お前がいなくても回るから、今からちゃんと見に行って、反省点や改善点をまとめて来い。」
何という事だ。
いくら冷戦状態になっているとはいえ、増岡のあまりにも突き放した言い方に、さすがに衝撃を受ける川野。
「申し訳ございませんでした…。以後、気を付けます…。でも、私は原案を出しただけで、設置などは行ってませんので。」
「口答えするな。これは、上司の命令だ。社用車は、うちが2台と経理が1台使うから、お前は電車で行けっ。」
川野が、つらつらと行きたくない言い訳を並べる前に、増岡が上司の権限を振りかざして来た。
これをされたら、従うしかない。
「はいっ、行ってきます…。」
少し泣きそうな顔をしながら身支度をし、川野はその場から逃げる様に、事務所を出て行った。
重くなった事務所の雰囲気。
「あらっ!そろそろ皆さん、スーパーのお片付けに行かなきゃねっ。」
藤田さんが機転を利かして、皆に声を掛けた。
各々、出かける準備をし出す同僚達。
「増岡課長、あれはないですよ。川野さん、忙しい中、ずっと頑張ってたの知ってますよね?それを、業務怠慢なんて。だいたい、あなたが時間の合間を縫って、連れて行ってあげればよかったのに。それこそ関係のない経理の奴らを連れて行ったりして。日曜日、誰かさんの仕業で、泣いてましたよ?彼女。」
佐渡は、我慢出来なかった。
川野が泣いたこと、秘密にしておきたかったが、黙っているのが我慢出来なかったのだ。
「そうかっ…。」
そう呟き、増岡は深い溜め息をついた。




