楽しい夢でした
ここ最近、川野は疲れている。
スタミナはある方なのだが、休日返上と深夜残業が続き、さすがに限界が来ている。
幸い、例のバレンタイン企画は、藤田さんと沼田さんのお陰で出店の交渉が成立したので、一旦落ち着いた。
それでも川野は、他企画を掛け持ちで数件抱えているので、次から次へと進めなくてはならない。
「チッ!もう20時か。まだまだ終わらない⋯。定時なんて帰れたものじゃないな。」
向かいの席の、佐渡がピリついている。
彼も川野同様、数件の企画を抱えているので、終わりが見えず疲弊している。
「あぁ、ビール飲みたい⋯。」
疲れ過ぎて、デスクに頬杖をつき、遠い目をして現実逃避をする増岡。
彼も同様だ。自身のチームで取り組んでいる企画の、山場を迎えている。締め切りが間近にせまっているのだ。
部下達の疲れ具合も考慮し、役職組の3名は、今日も残業を請け負っているのであった。
「川野〜。ちょっと、来て。⋯これなんだけどさぁ。なんかここにバチッとハマるモチーフとか無い?」
増岡が、川野に意見を求めて来た。
川野が差し出された資料を見ると、以前、山本と川野がデートをした、遊園地のイルミネーションの案件だった。
「あぁ、⋯えっ?私も提案して良いの?」
疲れで青白かった川野の顔が、パッと明るくなった。
「うん。何か思い付く?バレンタインだから、ピンクや赤のイルミネーションライトで、ハート型を作って散りばめさせるのが、メインになるんだけど⋯。それだけじゃ面白くないんだよなぁ。予算は少ないから、あまり大がかりなことは出来ないし⋯。」
行き詰まっている増岡。
「う〜ん。何だろう?⋯⋯職権乱用にならなきゃ良いんだけどっ。」
そう言いながら、川野は自分の席に戻り、紙とペンで思い付いたデザインを描き出した。
「⋯こういうのはどう?⋯駄目かな?」
「えっ?お前、ハート上手く描けるようになったの?」
増岡は正直者なので、うっかり口を滑らせてしまった。
「やっぱり!私、佐渡係長に指摘されるまで、自分の絵の下手さ加減を自覚してなかったんだよっ!」
ムッとしだす川野。
「そうですよ?仕事に支障が出る事は、ちゃんと言ってあげないと駄目ですよ増岡課長。」
今まで不機嫌だった佐渡が、話に入って来た。
「佐渡係長は辛辣ですが、お陰様で成長しました。てかっ、問題はそこではなくて⋯。」
「⋯⋯お前、ロマンチストだなっ。めちゃくちゃ良いじゃん!この案、俺が考えた事にして、明日皆に発表しちゃおっかなぁ☆」
増岡は川野の案を、とても気に入ったらしい。
耳を真っ赤にして、照れる川野。
「ふ〜ん。これは明らかに職権乱用ですね。川野さんはここで相当、良い思いをしたんでしょうねぇ〜。」
デザインを覗き込んで、皮肉を言う佐渡。
「ある意味、佐渡係長のお陰でもありますからっ。その節は、ありがとうございますっ!」
佐渡の皮肉に、皮肉で言い返す川野であった。
「ヤバっ!もうこんな時間!私は、そろそろ上がらせてもらいますよっ。増岡課長、佐渡係長、今日も1日お疲れ様ですっ。お先に失礼しますっ!」
川野は慌てて会社を後にした。
今日は、山本と何日かぶりに、外で会う約束をしていたのだ。
待ち合わせは、会社の最寄り駅前の広場だ。
今から歩いて行けば、ギリギリ遅刻をせずに済みそうだ。
12月半ばを過ぎていて、当然外は寒い。
こんな寒い中で、山本を待たせてしまうのは申し訳ない。
近くの店にでも入っててと、連絡を入れたが返信が無い。
川野の歩調が、速くなる。
(哲也君に、早く会いたい⋯)
山本への思いが溢れて来て、とうとう走り出した。
白い息を吐きながら、どんどんスピードを上げていく。
「ハァ⋯、ハァ⋯⋯嘘でしょ⋯。」
川野の足が止まった。
その目線の先には、山本が自分の知らない若い女性と、仲睦まじく笑い合いながら、立ち話をしている姿があった。
「⋯帰ろう。」
そう呟き、川野は山本へ声も掛けず、駅の方へ向かった。
「光っ!待って!どこ行くのっ!?」
川野に気付いた山本が、追いかけて来る。
山本を無視して、歩調を速める川野。
今すぐ電車に乗って、家へ帰って、布団の中に潜りたいっ。
ガッ!―
「⋯何で逃げるの?」
追いかけて来た山本に、腕を掴まれた。
「ずっと待ってたんだよ?何で無視するの?さっき話してた子の事?あの子は⋯」
「聞きたくないっ!!」
川野が、山本の話を遮った。
「⋯聞きたくないよ。疲れたから、もう帰る。」
山本の手を振り解こうとする川野。
でも、山本は離してくれない。
「ねぇ、俺の話聞いてよ⋯。何で聞いてくれないの?ただの知り合いだよ?偶然さっき、そこで会ったんだよ。浮気してるとでも思った?」
「⋯⋯でも笑ってたっ⋯。」
一筋の涙を零し、山本を睨む川野。
「⋯⋯笑ってたってだけ?⋯俺は光以外の子とは、誰とも笑い合っちゃいけないのかよ!光だって、いつも他の男と楽しそうに笑ってるじゃないかっ!人の気も知らないで、いつもヘラヘラと愛想振りまいてっ!俺の事は、放ったらかして⋯君はずっと、倉庫の中に1人でいれば良かったんだよっ!」
山本が、初めて川野に怒りをぶつけた。
それは凄い剣幕だった。
「そうだね⋯⋯あぁ、駄目だっ⋯⋯ッ。私は心が狭い。散々、哲也君の優しさに甘えといて⋯ッ。本当に、自分勝手でごめん⋯ッ。」
川野はボロボロ涙を零した。
「⋯⋯別れよう。結局、私は自分を変えられない。」
「⋯ふふっ、最後まで自分勝手な女。⋯二度とゴメンだわ。」
山本は、川野の腕を冷たく振り離し、去って行った。
ガチャッ―
その後、川野はどうやって帰宅したのだろう。
本人も分からないくらい、疲れと悲しみに囚われている。
きっと電車内でも、人目をはばからず、涙を流していたのだろう。
暗い帰り道を、虚ろな目をして歩いて来たのだろう。
「⋯ック⋯グスン⋯ック⋯ウグッ⋯」
布団に潜り込み、声をころして泣き続ける川野。
胸が刺さるように苦しい。
取り返しのつかない事をしてしまった。
仕事がこれ程、忙しくなければ⋯
こんなに疲れていなければ⋯
ちゃんと心に余裕があれば⋯
もっと、山本の気持ちを考えていれば⋯
いつもだったら流せそうな事を、今日は流せなかった。
そんなに怒る事ではなかったはずだ。
それでも、他の女とあんな笑顔を浮かべる山本の姿を一目見て、虚しさが一気に押し寄せてしまったのだ。
散々、後悔をして涙する川野。
それでも山本にすがる事は出来ない。
それで例え許してもらっても、自分勝手な女は結局、また同じ事を繰り返すだろうから。
山本との、1ヶ月も満たない夢のような楽しいひと時は、こうして幕を閉じた。




