よそ見をしないで
先日のバレンタイン企画の提案は、ノリノリの店長から全て許可をもらえた。
チョコレート売り場に並べるレターセット類は、スーパー側が用意する事となったので、あとは洋菓子店と老舗和菓子店との、交渉を成立させることが出来れば、ほぼクリアとなる。
企画・営業部のオフィス
コンコンッ―
「失礼します。川野さん、今大丈夫ですか?」
「は、はいっ!大丈夫です。何でしょうっ?」
よーく聞き覚えのある声に、慌てて川野が振り返った。
いつも経理からの要件は、小林がまとめて持って来るのだが、今日は珍しく、係長の山本が出向いて来たのだ。
偵察に来たのだろうか?
川野に何枚かの書類を渡し、中腰になり川野と目線を合わせる山本。
ポーカーフェイスを保っているのだが、その顔もなかなかイケている。
「ここと、ここ。見積書と、請求書の金額が合わなくて。確認して欲しいです。あと、こっちなんですけど、押印もされてなくて⋯。」
書類を覗き込み、該当ヶ所を指差しながら、丁寧に説明していく山本。
山本の顔が近付き、川野の耳が赤くなって来ている。
「チッ!おいおい、山本。お前がそこにいると、デカ過ぎて他の人が通れないんだよっ。」
川野の向かいの席の佐渡が、啖呵を切った。
山本と佐渡は、同期で仲の良い友人だったが、山本が川野と付き合い出した事で、冷戦状態になっているのだ。
「そうですかっ。じゃぁ川野さん、ここだと邪魔らしいので、続きはゆっくり倉庫で話しましょうか?」
負けじと応戦する山本。
「あの〜。⋯多分これ、佐渡係長が作成したものだと思うので、直接ご本人に言った方が良いかも知れません⋯。」
何となく申し訳ない気持ちの川野が、気まずそうに言った。
書類をまじまじと見ると⋯。佐渡が、川野と本島とのことで、色々あった時期に作成した、見積書と請求書であった。
シゴデキな佐渡も、さすがにミスってしまったか。
「そうですか⋯。ハンコ漏れもあったので、誰がやったのか分かりませんでした。まさかあの佐渡係長が、こんな初歩的なミスを何ヶ所もするとは。ねぇ、川野さん。」
わざとらしく驚く山本。
佐渡を煽りに煽っている。
「おぅっ!山本。俺がじっくり話を聞いてやるよ。来いよっ!」
「金額が1円でも合わないと大変なんですよ?経理部も忙しいので、苦労をかけないで下さいよ。」
そう言い合いながら、2人は競り合う様に倉庫に入って行った。
ここで話せば、すぐ済む話なのに⋯。
人は冷静でいられない時、おかしな事をしてしまうものだ。
「ふ〜ん。経理部の山本係長って、身長がおありだから、あまりお顔をちゃんと拝見したこと無かったけど、とてもハンサムな方なのねっ♪」
藤田さんがニコニコしながら、川野に話しかけて来た。
「そうですね、整ってますよね。」
川野は無難に返した。
実は、川野と山本が付き合っている事は、増岡と佐渡と小林以外、知らない。
「そうよね〜っ。それで?川野さんのお相手は、どの殿方かしら?私は、増岡課長と予想してたのだけど、佐渡係長とも息ぴったりだし。でも、さっきの山本係長の様子を見ていたら、本命はこの人かしらと、ひらめいたの。」
藤田さんが、火の玉ストレートを投げてきた。
さすがの洞察力。
川野は、どう答えようかと目が泳がせた。
藤田さんは信頼できる人で、普通に打ち明けても良いのだが⋯。
斜め前の三浦君と沼田さんが、まるで聞いてはいけない話題だと、大変、気まずそうにしているのだ。
「増岡課長は、ただの上司であり同期です。」
せめて、ここだけは確実に否定しておこうと、川野は思った。
「うふふっ。まぁ、焦りは禁物よ?ゆっくり楽しむと良いわ。若いって良いわねっ♪あら、そろそろ、佐渡係長とのドライブのお時間だから、倉庫の様子、見て来ますねっ。」
藤田さんは川野にそっとウインクをして、ニコッと微笑んだ。
残業を終え、川野は会社を後にした。
今日はこのまま、山本の家へ向かう。
1週間ぶりの訪問だ。
最近は、川野が忙しい日々を送っているため、なかなか2人きりで会えていなかった。
ピンポーン―
ガチャッ―
スウェット姿の山本が、家のドアを開けた。
「光!お帰りっ!寒かったでしょ?」
山本は川野を見た瞬間、とても嬉しそうな笑みを浮かべ、抱き寄せながら家に入れた。
川野は、山本から家の合鍵を渡されているのだが、彼氏とはいえ他所様の家なので、一応いつもインターホンを鳴らしている。
「遅くなってごめんね!約束してた時間より、だいぶ過ぎちゃった⋯。」
「平気だよっ!光は残業だったんだから。俺なんて、家で待ってるだけで、気楽なもんだよ。お腹空いた?俺、鍋作ったよ!食べる?今日なら泡盛も少しくらい飲もうよ!」
「はぁっ⋯。最高過ぎる彼氏ですね!好きっ!好きっ!大好きっ!!」
川野は山本の背中に両手を回し、ギュッと抱きしめた。
以前は、仕事終わりの一口目の酒が、最高の自分へのご褒美だと思っていたが、こうして疲れた時に山本に抱き付くのが、今の川野にとって、この上ないご褒美だ。
「乾杯〜、頂きます!(グビッ)くぅぅ〜!しゃぁっ!疲れが完全に吹き飛ぶわ。」
男前な渋い顔をしながら、泡盛を味わう川野。
「(グビグビッ)ふぅっ!美味しいね。香りが良くて、ロックでも飲みやすいね。鍋にも合いそう。」
ウイスキー派の山本も、最近は川野の影響で、泡盛を嗜むようになって来た。
「熱っ!(モグモグ)⋯ねぇっ!あなた天才ですか?料理あまりしないって言ってたけど。美味しすぎる☆」
山本の作ってくれた鍋は、野菜に肉や魚が入った醤油ベースの寄せ鍋だった。
スープベースを使ってない様だが、何とも良い塩梅のようだ。
「えっ?ふふっ、俺は“料理をあまりしない”って言ったけど、“料理が出来ない”とは言ってないよ?やれば結構色々作れるし。俺、器用なんで。」
そうだったのか⋯。
もしかしたら、川野より山本の方が、料理の腕は確かなのかも知れない。
仕事が落ち着いたら、もう少し手の込んだ料理でも覚えるか。
そう思う川野であった。
「ふぅ~っ。お腹いっぱい!ご馳走様でした。」
夕飯の片付けまで終え、ソファーに腰掛けた2人。
川野は自分のお腹をさすりながら、隣の山本の肩にゆっくりともたれかかった。
至福のひと時だ。
「ねぇ〜、次はいつ会える?」
頬を薄紅色に染めた山本が、川野の頭を片手で撫でながら尋ねた。
「う〜ん。クリスマスまで上手く仕事が進めば、1・2回は仕事終わりに会えるかな?」
「そっか⋯。なんか妬けちゃうな。仕事も大事だけど。光を取られたみたい。」
「えぇ?仕事に嫉妬してるの?⋯いやいや、違うね。仕事が忙しいのを言い訳に、私が哲也君の優しさに、甘えすぎてるんだね。ごめんっ!ごめんっ、ごめん!うふふっ。」
山本の不安を打ち消すように、山本の脇をくすぐり出す川野。
「ふはははっ!もうっ!ふふっ、ふざけないでよっ!仕事に嫉妬してないし。浮気したら嫌だって話っ!えいっ!」
「うわぁぁぁ〜!っはははっ!やめて!ごめんなさい!本当にごめんなさい!もうしません!あっ、浮気はしてないですっ!うわぁぁぁっ!」
「ヤバいっ!ふふっ、光っ!顔が!ちょっとブサイクになってるっ!」
山本に仕返しされ、悶える川野。
普段、温厚な山本だが、こういう時は容赦がない。
いつまでも、こういう他愛のない事が幸せと思える日々が続けば良い。
続けば良いと思っていた⋯。




