深夜残業
パッ―
「わぁっ!!」
暗闇に、佐渡の驚く声が響き渡った。
パッ―
「佐渡係長、そろそろ慣れて下さい。」
左手を大きく振りながら、川野が言った。
バレンタインデーの企画コンペの期限が、1週間後に迫っていた。
川野と佐渡は、連日この倉庫で残業をしていたが、パソコンにじっと向かっていると、途中で照明が消えてしまうのだ。
「チッ!手動に戻せばいいのに。」
「増岡課長が、経理部に掛け合ってくれたらしいですけど、社員一人のためにわざわざ、余計なコストはかけられないと言われたそうです。まぁ、私は卓上の蛍光灯があるので、それほど気にならなくなりましたが。」
「チッ!ケチだな。」
イラつく佐渡を横に、川野は淡々と作業を進めていた。
「係長。全体のイメージなんですけど…私のイメージだと、ここがこうで…ここにハートのオブジェを置いて…。」
川野が、急に思い付いたように絵を描き始めた。
特設会場のイメージがまとまったようだ。
「こんな感じです!」
川野は得意げに、完成したデザインを佐渡の方へ掲げた。
佐渡の眉間に皺が寄った。
「川野主任…。これはないです。絵が下手過ぎて、全然伝わって来ないです。」
「えっ!?」
川野には苦手な事がいくつかある。
恋愛、運動、高い所、そして無自覚だが、圧倒的に画力がない!
横浜時代には、同僚から”画伯””個性的”など、オブラートに包まれて言われていたため、本人は絵が下手だと思ったことがなかった。
(ぐはぁっっっ!辛辣~ッ!)
川野は傷付いた。そして落ち込んだ。
「貸して下さい。僕が描きます。」
そう言って、佐渡は新しい紙と、川野の描いたデザインを交互に見ながら、鉛筆で書き始めた。
「川野主任、これは何ですか?」
「これはハート!大きいハートと、小さいハートを少し重ねてる感じ。」
「ハート…ねぇ。ハートぐらい描けた方が良いですよ?学生時代、ラブレターとかファンレターとか、書かなかったんですか?まぁ、描いたら描いたで、このハートマークで成就は無いと思いますが。」
佐渡は、川野の傷付いた心を容赦なくえぐって来た。
ちょうど、この川野の描いた歪んだ丸の様に、もう川野の心はボコボコだ。
「はい…練習します……。それにしても…。佐渡係長、絵上手すぎませんか?」
「ここは、こんな感じですか?」
「そうそう!」
佐渡は、どんどん筆を進めていく。
口が悪く、すぐ不機嫌な態度を取るが、こうして黙っている横顔を見ると、色白で儚げな青年だ。
見た目と中身のギャップが激しいタイプだ。
「こんなもんですかね。」
「すっ、凄い!」
短時間で描き上げた佐渡の絵は、川野の描いた絵とは、それはもう比べ物にならないくらい芸術的なものだった。
「僕、美大出身なんです。水彩画とか色鉛筆画が特に好きで、デザイン関係やりたくてここに来ました。」
初めて、佐渡が自分の事を話した。
「へぇ~!佐渡係長、美大出身なんですね!営業トークも上手だから、無双じゃないですか!」
「だからこの歳で、係長まで上り詰めてるんですよ。」
佐渡は謙遜する事無く、そう言った。
しかし、謙遜する必要が無いくらい、この男は仕事が出来る男なのだ。
「川野主任は、何歳で係長になりましたか?」
「私は32の時です。」
「僕は28です。2年前、本社からここへ配属された時に係長になりました。」
「えっ!?」
急にマウントですか?
という事より、川野は佐渡が自分より5歳も年下だという事に驚いた。
あんた、だいぶ年下じゃないか!
今までよく、年上の私にそんな横柄な態度を取れたな!
川野のいつもの調子が戻って来た。
「敬語使うのやめようかな…。」
「いえ、僕は上司なので敬語使って下さい。」
「もう23時ですね…遅くなっちゃったな。ところで、ここ…気配とか感じることないですか?」
急に、佐渡が怖い事を言い出した。
「川野主任は一人でここにいる時、自分は動いてないはずなのに、消えてた照明がいきなり点いたりしたら、気にならないですか?…僕は無理ですね。幽霊とか信じてるんで。」
「えっ…?今までここで深夜残業とかした事無いから、気にしたこともなかった…。」
「今日はこのぐらいにしておきましょう。では僕、上がりますね。荷物あっちなんで。お疲れ様です。」
佐渡は、怖い事を言うだけ言って、容赦なく去って行った。
(え?えぇぇぇぇっ~!?それは無いですよ佐渡係長!私、明日からどうすれば良いのー!!)
いくら鈍感な川野でも、見えないなにかを意識し出すと、気になって仕方ないだろう。
青ざめた顔で急いで荷物をまとめ、キョロキョロ周りを見渡しながら、後退りで倉庫を去って行く川野であった。




