3a
――深夜
静まり返った廊下を、アルヴェインは今日も一人歩いていた。
毎日、三度。
カルヴェスが母の元へ通う姿を、彼は遠くから見送っていた。
弟が、母の支えになっていることは誰の目にも明らかだった。
毎回欠かさず持っていく花。
母の好きだった白い花束を胸に抱え、静かに母の部屋へ向かう姿は、幼い頃のカルヴェスを思い出させる。
泣き虫で。
母のローブを掴みながら後ろを歩いていた、小さな背中。
アルヴェインはカルヴェスにつける護衛を、自ら選別した。
誠実な者。
口の軽くない者。
そして何より――禁術へ近づけない者。
カルヴェスに余計な思想を吹き込ませないために。
弟を、あの“底”へ落とさないために。
そして自分は国に尽くす。
それしか出来なかった。
母の侵食を止めることもできない。
弟の言う“完成”を代わることもできない。
だからせめて――
カルヴェスだけは守りたかった。
それが、自分にできる唯一の償いだった。
その夜も、アルヴェインは寝静まった母の部屋を訪れた。
薄暗い室内。
薬草と血の混じった匂い。
蝋燭の火が揺れ、ベッドに横たわるアーヴェレッヘの頬を淡く照らしている。
アルヴェインは静かに歩み寄ると、そっと母の手を取った。
侵食を少しでも遅らせるために。
痛みを、少しでも和らげるために。
掌から静かに魔力を流し込む。
その時だった――
「あら……? どうしたの? こんな夜更けに……」
アルヴェインの指先が止まる。
母が、起きていた。
「……お見舞いですよ。母上」
努めて穏やかに。
感情を隠し、静かな声で告げる。
「あら、母上だなんて……ふふ」
アーヴェレッヘは小さく笑った。
その笑みは、どこか少女のように柔らかかった。
だが次の瞬間――
「……ユリウス」
アルヴェインの瞳が、見開かれる。
「アルはもう寝たかしら? あの子、夜になると一人じゃ眠れないって言うのよ」
幼い日の話だった。
まだ父が生きていた頃。
小さかった自分。
それを――今、母は“ユリウス”に向かって話している。
アルヴェインは理解した。
ああ。
母は、記憶まで侵されてしまったのだ。
血の魔術は、肉体だけでは終わらない。
心を侵し、記憶を喰い、時間さえ壊していく。
アルヴェインは溢れそうになる涙を必死に押し殺した。
震える指で、母の手を握る。
「アルヴェインは眠ったよ。アーヴェレッヘも……おやすみ……」
その言葉に、アーヴェレッヘは安心したように微笑む。
「ええ……今日は、とても疲れているみたい……」
ゆっくりと瞼が閉じていく。
やがて静かな寝息が部屋に戻った。
アルヴェインはその横顔を見つめ続ける。
父が愛した人。
自分たちを愛してくれた人。
もう、自分のことすら分からなくなってしまった母。
――唯一の光だったカルヴェスが、まだいなかった頃へ。
母の時間は、戻ってしまった。
アルヴェインは俯き、声を殺して泣いた。
王ではなく。
ただ、母を失っていく息子として――




