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王の血統  作者: ノニ
8/13

2a

王城、執務室――。


夜はとっくに更けていた。

机の上には、山のように積み上がった書類。

封も切られていない報告書、各地から届く嘆願書、軍備の確認、税収の報告――。

だがアルヴェインの手は、ほとんど止まっていた。

窓の外では雨が降っている。

静かな雨音だけが、広い執務室を満たしていた。


母が倒れた。

その事実が、ずっと頭から離れない。

いつもなら今頃、母は地下研究室に籠もり、狂気じみた熱量で魔術式を書き続けていたはずだった。

けれど今は違う。


血の魔術による侵食。

肉体も精神も、少しずつ蝕まれている。


それでも母は研究を止めなかった。

止まれなかった。

だからこそ、アルヴェインはここに座っている。

父の遺した国を守るために。

王家を崩さないために。

母の代わりに、国を背負うために。


「……カルヴェスが付いているなら、大丈夫だ」


誰に言うでもなく、小さく呟いた。

弟は優秀だった。

母に似て、恐ろしいほど魔術の才がある。

きっと母の支えになっている。

そう思わなければ、やっていられなかった。

ふう、と息を吐いたその時だった。


コンコン――


静かなノック音。

アルヴェインは顔を上げる。


「入れ」


扉が開き、現れたのはカルヴェスだった。


紅い髪。

疲労の滲んだ瞳。

黒衣には薄く血のシミがついている。

その姿を見た瞬間、アルヴェインの胸に嫌な予感が走った。


「……母上は」


問いかけるが、カルヴェスは答えない。

数秒、沈黙した。

その沈黙だけで、十分だった。


ああ――良くないんだな。


アルヴェインはゆっくり目を伏せる。


「……正直に言え」


カルヴェスは視線を逸らし、小さく息を吐いた。


「侵食率は三割を超えた」


その瞬間、部屋の空気が凍りついた。

アルヴェインの指先がぴくりと震える。


「……早すぎる」


掠れた声だった。

カルヴェスは淡々と続ける。


「血の魔術への適応が異常なんだ。常人なら、とっくに精神が崩壊してる」


静かな声。

だが、わずかな震えが混じっていた。

アルヴェインはそれを聞き逃さなかった。


――辛いよな。

お前だって。

母を一番近くで見ているのはカルヴェスなのだから。


アルヴェインは目を閉じた。

沈黙。

雨音だけが響く。

やがて彼は、疲れ切ったように椅子へ身体を預けた。


「……止められないのか」


「止まるなら、とっくに止まってる」


カルヴェスは兄を見る。


「兄上だって分かってるだろ」


分かっている。

もう母は普通には戻れない。

あの研究に呑まれている。

だが、それでも。

希望があるとすれば――カルヴェス。

お前だ。


「俺は……国を守らなければならない。王家が崩れれば民が死ぬ。貴族は腐り、他国は侵略してくる。だから俺は、父上の残した国を守るしかない」


その声は、自分自身へ言い聞かせているようだった。

カルヴェスは静かに兄を見つめる。


「……兄上は昔からそうだ」


「何がだ」


「全部、一人で背負う」


アルヴェインは鼻で笑った。


――お前も背負わされているじゃないか。

俺が託した、母への想いを。


カルヴェスは机へ歩み寄る。

積み上がった書類へ視線を落とした。


「兄上は王に向いてるよ」


突然の言葉だった。

アルヴェインが眉をひそめる。


「嫌味か?」


「いや」


カルヴェスは静かに首を振る。


「俺には無理だ」


紅い髪が揺れる。


「俺は母上に似た」


その声音は、どこか自嘲めいていた。


「知識を追い求めることしか出来ない」


アルヴェインは弟の視線を追う。

カルヴェスの指先。

そこには薄く、魔力侵食の痕が浮かんでいた。

アルヴェインの瞳が鋭く揺れる。


「……お前」


胸の奥が冷たくなる。


やめろ。カルヴェス。

お前まで、そちら側へ堕ちるな――頼む。

母と同じ道を歩かないでくれ。


カルヴェスはしばらく黙っていた。

指先を見つめたまま、静かに息を吐く。


やがて――決意したように口を開いた。


「……兄上」


アルヴェインは不安げな視線を向ける。

カルヴェスは一瞬だけ躊躇した。

珍しいことだった。


そして――


「……母上を助ける方法なら、ある」


ギィッ――!!


椅子を激しく軋ませアルヴェインは勢いよく立ち上がった。


「……何だと?」


空気が震える。

カルヴェスは兄を真っ直ぐ見返した。


「母上の研究を、俺が完成させる」


沈黙――アルヴェインの表情から感情が消える。

カルヴェスは続けた。


「血の魔術を、俺が引き継ぐ」


――バンッ!!!


凄まじい音が響いた。

机へ叩きつけられた拳。

書類が宙へ舞い、床へ散らばる。


「馬鹿なことを言うな!!」


怒声が執務室を揺らした。

その後のことは、アルヴェイン自身もよく覚えていなかった。

頭に血が上っていた。

王たる者、冷静でなければならない。

父の遺志を継ぎ、国を守らなければならない。

なのに――カルヴェスまで失ったら――

俺は、何のために生きればいい。

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