表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王の血統  作者: ノニ
7/13

1a

雷鳴が王城を震わせていた。

窓を叩く豪雨。

空を裂くような白い閃光。

幼いアルヴェインは、厚い毛布に包まりながら、遠くで響く雷の音に怯えていた。

そんな彼の髪を、優しい手が撫でる。


「大丈夫よ、アル」


穏やかな声。

振り向けば、そこには母――アーヴェレッヘがいた。


長い赤黒い髪を揺らし、 柔らかな微笑む。

まるで聖母画から抜け出してきたような、美しく慈悲深い王妃そして、国一番の魔術師。


「母上……」


「すぐ戻るわ。研究に必要なお薬を取りに行くだけ」


アーヴェレッヘはそう言って微笑み、額へ口づけを落とした。


「嵐が怖いなら、父上のところへ行っていなさい」


その言葉通り、アルヴェインは執務室へ向かった。

王ユリウスは厳格な男だった。

笑うことは少ない。

常に国を優先し、弱さを見せない王。

だが、そんな父が母を見る時だけは違った。


「また庭へ出るのか」


「ええ。今摘まないと駄目なの」


「使用人に任せろ」


「魔力草は摘む者の魔力に反応するの。私じゃないと意味がないわ」


困ったように笑う母に、ユリウスは深くため息をつく。


「……すぐ戻れ」


「はい、あなた」


母は嬉しそうに笑った。

アルヴェインは知っていた。

父は母を愛していた。

そして母もまた、父を深く愛していたことを。

だから――あの日の出来事は、あまりにも突然だった。


城全体を揺らすほどの雷鳴。 直後、庭の方角から悲鳴が響いた。


「王妃様!!」


ユリウスが立ち上がる。

アルヴェインも反射的に後を追った。

豪雨の庭。

稲妻によって裂かれた大木が、轟音と共に倒れていく。

その先には―― 呆然と立ち尽くすアーヴェレッヘ。

魔術詠唱は、間に合わない。

アルヴェインの脳裏に焼き付いたのは、その瞬間だった。

ユリウスが迷いなく飛び出した。

王冠も、威厳も、何もかも捨てるように。


「――ッ!!」


アーヴェレッヘを突き飛ばし、 自らが倒木の下へ入る。

鈍い音。

大量の血。

崩れ落ちる父。


「……あなた?」


母の声が震える。

ユリウスは答えない。

頭部への直撃。

当たり所が悪すぎた。


――即死だった。


雨が降り続いていた。

アーヴェレッヘは夫の亡骸を抱き締めたまま、動かなかった。

泣き叫びもしない。

ただ、壊れたように呟き続ける。


「嫌……嫌よ……起きて……ねぇ、起きて……ユリウス……」


アルヴェインは初めて見た。

絶対に取り乱さない母が、 人間のように泣き崩れる姿を。

その日を境に――母は変わった。

いや、壊れたんだ。

王妃アーヴェレッヘは、王と国を支えた大魔術師だった。

慈悲深く、民を愛し、弱者へ手を差し伸べる女だった。

だが今の彼女の瞳に映るのは、ただ一つ。


“死者蘇生”


誰もが不可能だと知る神への冒涜。

それでも彼女は研究をやめなかった。

食事も取らず、 眠りも忘れ、 地下研究室へ籠り続ける。

机に積み上がる魔導書。

床一面の魔法陣。 増えていく失敗作と傷。

アルヴェインが扉を開いても、母は振り返らない。


「母上……」


返事はない。


「母上!」


ようやく、ゆっくり顔を向ける。

その目の下には深い隈。

頬は痩け、 かつての聖母の面影は消えかけていた。

それでも彼女は微笑む。


「アル……大丈夫よ」


壊れた笑顔だった。


「もう少しで……もう少しで父上を――」


その瞬間、アルヴェインは理解した。

母は父の死を受け入れていない。

受け入れられなかったのだ。

だから、 母は禁忌へ堕ちた。


父が死んでからしばらくして――

母の腹に、新しい命が宿っていることがわかった。

母は、その子をまるで壊れ物のように大切に抱いていた。

父が遺した最後の欠片。

忘れ形見として、涙を浮かべながら腹を撫でていた姿を、アルヴェインは今でも覚えている。


やがて生まれたのは、小さな男の子だった。


カルヴェス。


泣き虫で、身体が弱く、いつも母の腕の中にいた。

母はそんな弟を慈しみながらも、アルヴェインの頭も優しく撫でてくれた。

研究漬けだった母は、カルヴェスが生まれてから少し変わった。

夜通し魔術式を書き続けることも減り、二人の息子と食卓を囲む時間が増えた。

父が遺した宝物だと、何度も抱きしめてくれた。

あの頃は幸せだったのだと思う。


だが――


歳を重ねるごとに、アルヴェインは違和感を覚え始めた。

母が自分を見る目。

優しい。

確かに優しい。

けれど、その奥にある感情は、カルヴェスへ向けるものとは違っていた。

まるで、過去を見ているような目。


懐かしむような。

苦しむような。

喪失を抱えたまま微笑むような瞳。

アルヴェインは理解してしまった。


――自分を見る時、母は父を思い出しているのだと。


研究室で書物を閉じた母が、ふと小さく呟いた。


「……アルヴェインは、ユリウスによく似ているわ」


静かな声だった。

だが、その言葉は鋭い刃のように胸へ突き刺さった。

母は微笑んでいた。

けれど、その瞳には涙が滲んでいた。

アルヴェインは何も言えなかった。

嬉しいと思うべきなのか。

悲しむべきなのか。

わからなかった。

ただ一つだけ理解した。


自分の存在は、母に父の死を思い出させるのだと。


カルヴェスを見る時の母は、穏やかだった。

未来を見る母の顔だった。

だが、自分を見る時だけ――母は過去に囚われる。

その違いに気づいてしまった日から、アルヴェインは少しずつ母から距離を取るようになった。


代わりに、母の大切なカルヴェスを抱き上げる。

泣けばあやし、熱を出せば背負って医師の元へ走った。


「にぃさま……」


小さな弟は、いつも自分の後ろをついてきた。

その無垢な声を聞くたび、アルヴェインは静かに思う。


――せめて、お前だけは……母にとって、救いでいてくれ。


俺では駄目だったから。

だからカルヴェス。

ずっと母上のそばにいてやってくれ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ