6
地下監視牢――
光の届かぬ石牢で、カルヴェスは静かに座っていた。
鉄格子。
封魔拘束具。
幾重にも刻まれた魔力封印術式。
普通の魔術師なら、一生抜け出せない。
王族ですら例外ではない。
それほどまでに厳重な牢だった。
だが――
「……浅い」
カルヴェスは虚ろな瞳で、自らの手首へ嵌められた封魔枷を見つめる。
アルヴェインは優秀だ。
術式も完璧に近い。
「俺に血の魔術を見せたのが間違いだったな……兄上」
掠れた笑みが漏れる。
カルヴェスはもう何日も眠っていない。
食事にも手を付けず、 ただ延々と術式を見続けていた。
封印術式の流れ。
魔力循環。
拘束構造。
最初は感情に呑まれていた。
だが憎悪はやがて冷えていく。
残ったのは執念だけだった。
――母を救えなかった。
その現実だけが、 カルヴェスの精神を研ぎ澄ませていく。
指先を噛み切り、血が滲む。
その血を、床へ描かれた封魔陣へ垂らした瞬間――
ジジッと術式が微かに軋んだ。
カルヴェスの濁った金眼が細められる。
「やはり……術式は魔力だけを見ている」
血は違う。
生命情報。
魂の波長。
存在そのもの。
血の魔術は、 通常魔術の理屈の外側にある。
だから封じ切れない。
カルヴェスは震える指で、 自らの腕へ爪を立てた。
肉が裂け、血が流れる。
だが止まらない。
「……もう少しだ……」
黒い紋様が腕を侵食していく。
激痛。 吐き気。 視界が歪む。
それでもカルヴェスは笑った。
「見ていてください……母上」
その瞬間だった。
――バキンッと音を立て、封魔枷へ亀裂が走る。
監視騎士達が顔色を変えた。
「なっ――!?」
次の瞬間、轟音が鳴り響く。
凄まじい魔力が地下牢を吹き飛ばした。
氷が爆ぜ、石壁が砕ける。
悲鳴が響く。
カルヴェスは崩れ落ちる瓦礫の中を歩く。
紅髪は半分白く変色し始めていた。
瞳は濁り、 肌には侵食紋様が浮かんでいる。
もう王弟の姿ではない。
騎士達が剣を抜く。
「止まれ!!」
「王命だ!!」
カルヴェスは立ち止まらない。
ただ一度だけ、 静かに視線を向けた。
その瞬間、騎士達の足元から氷柱が突き上がる。
絶叫。血飛沫。
カルヴェスは無言でその横を通り過ぎた。
もう何も感じなかった。
王城を出た時、 夜空には雨が降っていた。
カルヴェスの周りだけは、小さな雪の結晶と化していく。
カルヴェスは一度だけ振り返る。
王城。
母がいた場所。
兄がいる場所。
自分が生まれた国。
だがそこに、 もう帰る気はなかった。
「……終わった」
小さく呟く。
カルヴェスはこの夜死んだ。
王弟は消えた。
残ったのは、 禁術だけを抱えた亡霊。
彼は北へ向かう。
雪嵐の果て。 誰も寄り付かぬ極寒の地。
孤独の中で、 研究を完成させるために。
母の遺した記憶。
母の術式。
そして―― 自分自身を媒体にして。
兄への憎悪を燃料に。
吹雪の中、 男は静かに歩き続ける。
そして北の地で、 彼は己の名を捨てた。
"カルヴェス・リヴァセリア"ではない。
全て捨てた男は雪の中で、 静かに名乗る。
「……カリス」
白い吐息が夜へ溶ける。
「私は……カリス・ネヴァリエルだ」




