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王の血統  作者: ノニ
5/13

5

王城北棟――監視区画。

そこはもう、王弟の私室などではなかった。

窓には鉄格子。

扉の外には常に騎士。

廊下へ出るだけで許可が必要。

食事の時間、入浴、睡眠時間まで管理される。

護衛――などという言葉は、もはや建前ですらない。

看守だった。


カルヴェスは日に日に壊れていった。


母に会いたい。

研究を進めなければ。

早くしなければ、間に合わない。


その焦燥だけが脳を焼き続ける。

だが現実は、何も出来ない。

禁書は没収。

研究器具もない。

魔術使用すら制限された。

部屋の中を歩き回り、 爪を噛む。

壁へ術式を書く。 消す。 また書く。

何日間眠っていないだろうか。

目を瞑れば、母の顔が浮かぶ。

痩せ細った指。

黒く侵食された腕。

それでも微笑み、自分の名を呼んだ声。


「カルヴェス……」


耳の奥で幻聴のように響く。


「……っ、母上……」


机へ突っ伏し、カルヴェスは頭を抱えた。

紅い髪は手入れされず、ぼさぼさに乱れていた。

そこへ白髪が混じり始めている。

紅い髭が伸び、目の下の隈は黒く沈み、金の瞳は濁っていた。

かつて王妃に似て美しいと言われた王弟の姿は、もうどこにもない。

イラつきは魔力へ直結していた。


ピシッ――


足元の床へ霜が走る。

冷気が滲み出し、周囲の空気を凍らせる。

髪先には白い霜がつく。

監視役の騎士達は、カルヴェスを恐れ始めていた。


「……近づくな」


低い声で呟くだけで、空気が凍る。

それでも彼らは監視をやめない。

王命だからだ。


ある夜。

カルヴェスは窓辺へ座り込み、虚ろな目で外を眺めていた。

遠くに見える王都の灯り。


母は今どうしているのだろう。

侵食はどこまで進んだ。

苦しんでいないだろうか。

自分が研究を完成させていれば。

兄が邪魔さえしなければ。


ギリ、と歯が鳴る。

その時だった。


コンコン――


扉が叩かれる。


「……何だ」


返事をすると、騎士がゆっくり扉を開けた。

だが様子がおかしい。

顔色が青い。

視線を合わせようとしない。

カルヴェスは眉をひそめた。


「……何があった」


しばらく沈黙した後、騎士は躊躇い、小さく口を開いた。


「……本日未明――」


嫌な予感がした。

心臓が止まりそうになる。


「王妃アーヴェレッヘ様が……」


やめろ。

言うな。


「崩御されました」


世界が止まった。

カルヴェスの瞳から光が消える。


「……あ……」


掠れた声。

騎士は俯いたまま続けた。


「陛下より、葬儀は――」


最後まで聞こえなかった。

鼓動と耳鳴りがうるさい。

呼吸が出来ない。


「……う、ぁ……」


喉が震える。

次の瞬間


――バァンッ!!


凄まじい魔力爆発。

部屋中の家具が吹き飛び、窓ガラスが砕け散った。 騎士達が悲鳴を上げる。

カルヴェスは膝から崩れ落ちた。


「ぁ……あぁ……」


涙が落ちる。

止まらない。

床へ爪を立てる。

石床が割れる。


「……母上……」


ボタボタと血が落ちた。

唇を噛み切っていた。

肩が震え、息が乱れる。


「……嫌だ……嫌だ……」


子供のような声だった。


「まだ……まだ間に合った……!俺が完成させれば!! 俺が研究を!!」


ドンッ!!と拳を床へ叩きつける。


凍気が爆発的に広がり、床一面が白く凍りついた。

騎士達は誰も近づけない。

カルヴェスは血を吐くように泣いた。


「兄上が……兄上が邪魔したからだ……!」


憎悪。

後悔。

喪失。


全てが混ざり合う。

母を救えなかった。

いや違う。

救わせてもらえなかった。


カルヴェスは床へ爪を立てたまま、しばらく動かなかった。

肩が震えている。

喉の奥から漏れる嗚咽は、獣の唸り声にも似ていた。


「……ぁ……はっ……」


涙が止まらない。

視界が滲む。

それでも―― カルヴェスはゆっくりと立ち上がった。

ギシ……と骨が軋む。

血走った金の瞳。

唇は噛み裂かれ、赤黒い血が髭を伝っていた。

その姿を見た騎士達が息を呑む。


「……カルヴェス様」


誰かが震える声で名を呼んだ。

カルヴェスは答えない。

ただ、ゆっくり騎士達を睨みつけた。

その視線には理性がなかった。

ただ怒りと、喪失感だけ。

床が凍る。

冷気が這うように広がり、騎士達は思わず後ずさった。

一歩、カルヴェスが踏み出す。

騎士達が下がる。

また一歩。

白い霜が壁を覆っていく。

誰も剣を抜けなかった。

抜けば死ぬと、本能で理解していた。

カルヴェスはそのまま扉へ向かう。

母の元へ行かなければ。

兄を問い質さなければ――


コツ。 コツ。 コツ。


規則正しい足音。

静かな廊下へ響くその音に、騎士達が一斉に道を開けた。

カルヴェスの瞳が揺れる。

そこに現れたのは、一人の男。

黒髪、金眼、 漆黒の外套。

そして―― 頭上に輝く王冠。


アルヴェインだった。


王としての正装を纏った兄は、凍りつく廊下を静かに歩いてくる。

だがカルヴェスの脳裏で、その姿は別の意味へ変わる。


――母が死んだ。 ――そして兄は王になった。


「……アルヴェイン……」


喉から漏れた声は掠れていた。

アルヴェインは弟を静かに見下ろす。

その表情に悲しみは見えない。

それがカルヴェスには耐えられなかった。


「お前が……っ!!」


凄まじい魔力が吹き荒れる。

バキバキバキと、廊下の窓ガラスが一斉に砕け散った。

騎士達は狼狽えた。

カルヴェスの翼のような魔力が背後で荒れ狂う。

涙で濡れた顔が怒りに歪んだ。


「母上が死んだ直後に……王冠を被ったのか!!」


絶叫だった。


「そんなに玉座が欲しかったか!?」


凍気が爆発的に広がる。

騎士の一人の腕が凍り付き、悲鳴を上げたがアルヴェインは動かない。

王冠を戴いたまま、 ただ静かに弟を見下ろしている。

その姿が、 カルヴェスには何より傲慢に見えた。

アルヴェインは低い声で呟く。


「……堕ちたな、愚弟」


カルヴェスは唸るような嗚咽を漏らした。

涙と血で濡れた顔を歪め、兄を睨み上げる。


その姿を見下ろしながら、アルヴェインは冷たく告げる。


「王妃アーヴェレッヘの葬儀だが――お前は参列を禁ずる」


世界が止まる。

カルヴェスの瞳が大きく見開かれた。

数秒遅れて、意味が脳へ届く。


「……母上に……別れも……」


喉が震える。


「母上に別れの言葉も言わせてもらえないのか!!」


叫びだった。

アルヴェインは一切表情を変えない。


「そうだ」


ただその一言だけ。

カルヴェスの中で、怒りが爆発した。


「貴様ァッ!!」


凄まじい魔力が膨れ上がる。

凍気が廊下を埋め尽くし、壁が軋む。


だが――アルヴェインの金眼が光った瞬間、重圧のような魔力がカルヴェスへ叩きつけられた。


「が……っ!?」


膝が砕けるように折れる。

次の瞬間には、アルヴェインの手がカルヴェスの頭を掴み、そのまま石床へ叩きつけていた。


「……っ、ぁ……!」


カルヴェスは息を詰まらせる。

魔力が封じられる感覚。

全身を鎖で縛られたような圧迫感。

アルヴェインは片手だけで弟を押さえ込んでいた。

疲弊し切ったカルヴェスの身体など、 あまりにも軽かった。


「離せ……!」


床へ頬を押し付けられながら、カルヴェスは震える。


「離せよ!!」


爪が石床を引っ掻き、指先には血が滲む。

だがアルヴェインは動じない。


「……外道が!!」


血を吐くような叫び。


「母上を殺したくせに!!」


アルヴェインの瞳が僅かに揺れる。

だが、それだけだった。

弟を解放すると、ゆっくり立ち上がる。


「葬儀が終わるまで地下監視牢へ移送しろ」


騎士達が動く。

カルヴェスは床へ爪を立てながら叫んだ。


「兄上ぇぇぇぇぇぇッ!!」


絶叫は廊下へ響き渡った。

だがアルヴェインは振り返らなかった。


その後―― 王妃アーヴェレッヘの葬儀は盛大に執り行われた。

純白の花々。

王都中から集められた祈祷師。

鐘の音が空へ響く。

民衆は涙を流し、 貴族達は黒衣を纏い、 誰もが王妃の死を悼んだ。


彼女は愛されていた。

慈悲深く、 美しく、 聡明な王妃だった。

棺へ花が供えられていく。


「王妃様…陛下と仲良く…」

「どうか安らかに……」


祈りの声が絶えない。

だが、その場にいるはずの一人だけが、 そこにはいなかった。


王城地下監視牢。


薄暗い石牢の中、 カルヴェスは鉄格子の向こうを見上げていた。

遠く、 小さく見える空。

そこへ鐘の音だけが届く。


ゴォン…… ゴォン……


葬送の鐘。

カルヴェスは虚ろな瞳で、それを聞いていた。


「……母上……」


声が震える。

冷たい石壁へ額を預ける。

花も見れなかった。

顔も見れなかった。

別れの言葉すら言えなかった。

兄が奪った。


母を。

研究を。

最後の時間すら。


カルヴェスは鉄格子を掴む。

ギリ……と音が鳴る。

濁った金眼に、 静かな憎悪が宿っていた。

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