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カルヴェスの生活は静かに変わっていった。
表向きは従順な王弟。
監視下に置かれた哀れな大魔術師。
誰もがそう思っていた。
だが実際は違う。
カルヴェスは諦めていなかった。
地下研究施設が封鎖されようと。
研究資料が焼却されようと。
監視を付けられようと。
そんなものでは止まれない。
夜。
王城図書塔最深部。
薄暗い禁書区画で、カルヴェスは黙々と書物を読み漁っていた。
古代魔術。
魂魄理論。
生命情報術式。
山のように積み上がる本。
濁った金の瞳は眠ることを忘れたように文字を追い続ける。
紙へ走らせる羽ペンの音だけが静寂に響いていた。
「……違う。これでも足りない……」
焼却された研究資料は多い。
だが、母の頭の中までは燃やせない。
カルヴェスは定期的にアーヴェレッヘの見舞いへ通った。
花を替え。
薬を飲ませ。
手を握る。
そして自然な会話の中で、少しずつ情報を引き出していく。
「母上、この前言っていた生命固定術式だけど……術者側と対象者の負荷は?」
「……魂の定着率によるわ……」
「侵食の根本原因は?」
「情報量の暴走……でも、媒体を変えれば……」
断片的な知識。
だがそれで十分だった。
カルヴェスはそれらを頭の中で繋ぎ合わせていく。
誰にも悟られないように。
監視の騎士達の前では疲弊したふりをした。
禁術研究から離れたように見せた。
時には兄の命令へ素直に従う姿すら演じた。
だがその裏で、禁術は静かに継承されていた。
深夜。
蝋燭の火だけが揺れる隠し部屋。
カルヴェスは自らの指先を短剣で切り裂く。
滴る血。
それを魔法陣へ落とした瞬間、赤黒い光が脈打った。
ズキリ、腕に痛みが走る。
黒い紋様が一瞬だけ浮かび上がった。
カルヴェスは息を呑む。
「……やはり、侵食するか」
だが恐怖はない。
むしろ確信だった。
母は間違っていない。
これは未完成だから危険なのだ。
不完全な術式だから術者を壊す。
制御出来ないから侵食される。
ならば――
完成させればいい。
カルヴェスは震える指で術式を書き足していく。
「禁術は母を壊した……」
ぽつりと呟く。
「だからこそ……完成させれば救うことが出来る」
それは狂気にも似た終着だった。
愛する母を救いたい。
その願いだけが、カルヴェスを突き動かしていた。
気づけば彼の目元には隈が刻まれ、指先にはインクと血が染み付いていた。
眠る時間すら惜しい。
兄に否定されようと。
世界に禁術と呼ばれようと。
関係ない。
母が笑ってくれるなら。
そのためなら、自分が壊れても構わなかった。
数日後――
カルヴェスは王城西棟の廊下を歩いていた。
窓から差し込む夕陽が、赤く床を染めている。
その後ろには、今日も監視役の騎士が二人。
カルヴェスは苛立ちを押し殺しながら歩みを進める。
その時だった。
「カルヴェス様」
振り返ると、黒衣の近衛騎士が立っていた。
「陛下がお呼びです」
カルヴェスは眉をひそめた。
玉座の間ではなく、呼ばれた先は王城北棟――旧尋問室だった。
重い鉄扉。
冷たい石壁。
湿った空気。
カルヴェスが足を踏み入れた瞬間、扉が背後で閉まる。
ギィン――
耳を突く嫌な音だった。
室内中央、長机に腰掛けるアルヴェイン。
黒髪を後ろへ流し、組んだ指へ顎を乗せている。
王冠はない。
だが、その瞳だけで十分だった。
王の目。
「……何の真似だ」
カルヴェスの声は低い。
アルヴェインは答えない。
代わりに視線だけを横へ向けた。
そこには――拘束された男がいた。
「……マグラ……」
「地下研究棟の元魔術師だ。お前の部下だった男だ」
アルヴェインが淡々と言う。
「昨夜、お前へ禁書を横流ししていたな」
カルヴェスの瞳が僅かに揺れた。
マグラはボロボロだった。
顔には痣。
身体には幾つもの焼印。
尋問されたのだと一目で分かる。
「……兄上」
カルヴェスが睨みつける。
アルヴェインは静かに立ち上がった。
「カルヴェス。俺は警告したはずだ」
「……」
「禁術へ関わるなと」
空気が張り詰める。
アルヴェインはゆっくりカルヴェスへ近づいた。
「だが、お前はやめなかった」
その瞬間だった。
――バキッ!!
鈍い音、その直後男の悲鳴。
アルヴェインの握ったマグラの指が不自然な方向を向いていた。
監視騎士達が息を呑む。
「兄上っ!!」
アルヴェインは感情のない目で弟を見下ろす。
「お前は母上を救いたいんじゃない」
アルヴェインは弟の髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「お前は、自分が正しいと証明したいだけだ」
「違う!」
「違わない」
被せるような冷酷な即答。
アルヴェインの金眼には一切の揺らぎがなかった。
「お前も父の血を引く者であるならば、国を思え」
カルヴェスの胸が激しく上下する。
怒り。
屈辱。
憎悪。
だが、それ以上に。
兄に理解されない痛み。
アルヴェインは弟を突き放すように手を離した。
「監視を増やす。図書塔への立ち入りも禁止だ」
カルヴェスの目が見開かれる。
「ふざけるな……!」
アルヴェインは、静かに振り返り言った。
「母上との面会も禁じる」
世界が止まった。
カルヴェスの瞳から感情が消える。
「……なっ!」
カルヴェスは声にならない。
アルヴェインは冷たい目で弟を見る。
「お前は母上を利用している」
「違う!!俺は母上を助けたいだけだ!!」
兄はゆっくり弟へ歩み寄る。
そして耳元で囁いた。
「これ以上続けるなら……次はお前を地下牢へ入れる」
その声音には、一切の揺らぎはなかった。




