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王城、執務塔最上階――
重厚な扉の向こうでは、夜だというのにまだ灯りが消えていなかった。
山積みの書類――
玉座に座る暇すらなく、机に向かい続ける青年。
アルヴェイン。
黒髪を無造作にかき上げながら、彼は深く息を吐いた。
「……まだ終わらないか」
疲労は濃い。
だが瞳だけは鋭さを失っていない。
父王亡き後研究に没頭する王妃、実質的に国を治めているのは彼だった。
崩れかけた政治。
混乱する貴族。
不安を抱える民。
それら全てを、二十代半ばの青年がたった一人で支えている。
コンコン――
ノック音。
「入れ」
扉が開き現れたのは、紅い髪の青年、カルヴェスだった。
黒を基調とした魔術師衣装。
金の瞳はどこか疲れていた。
アルヴェインは弟の姿を見るなり、ペンを置く。
「母上は」
単刀直入だった。
カルヴェスは数秒沈黙する。
その沈黙だけで、アルヴェインの眉間には深い皺が刻まれた。
「……正直に言え」
カルヴェスは視線を逸らし、小さく息を吐く。
「侵食率は三割を超えた」
部屋の空気が凍る。
アルヴェインの指先がぴくりと動いた。
「……早すぎる」
「血の魔術への適応が異常なんだ。常人ならとっくに精神が崩壊してる」
カルヴェスは淡々と言った。
だが、その声には僅かな震えが混じる。
「母上は、自分を魔術回路として作り替えてる」
アルヴェインが目を細める。
「そんなことを続ければ……」
「死ぬ」
カルヴェスは即答した。
沈黙――
窓の外の夜風の音だけが響く。
アルヴェインは椅子にもたれ、疲れたように目を閉じた。
「……止められないのか」
「止まるなら、とっくに止まってる」
カルヴェスは静かに兄を見る。
「兄上だって分かってるだろ」
母はもう、正常ではない。
父を失ったあの日から――もう。
アルヴェインは拳を握った。
「俺は……国を守らなければならない」
その声は、自分に言い聞かせるようだった。
「王家が崩れれば民が死ぬ。貴族は腐り、他国は侵略してくる。だから俺は父上の残した国を守るしかない」
カルヴェスは静かに兄を見つめる。
「……兄上は昔からそうだ」
「何がだ」
「全部、一人で背負う」
アルヴェインは鼻で笑った。
「背負わなければ、この国は終わる」
カルヴェスは机へ歩み寄る。
積み上がった書類へ視線を落とした。
「兄上は王に向いてるよ」
突然の言葉だった。
アルヴェインが眉をひそめる。
「嫌味か?」
「いや」
カルヴェスは静かに首を振る。
「俺には無理だ」
紅い髪が揺れる。
「俺は母上に似た」
その声音はどこか自嘲的だった。
「知識を追い求めることしか出来ない」
カルヴェスは、自分の指先を見る。
そこには薄く魔力侵食の痕が浮かんでいた。
アルヴェインの瞳が鋭く揺れる。
「……お前」
兄は知っている。
カルヴェスは優秀だ。
だからこそ危うい。
母アーヴェレッヘと同じように――
一線を越えられる者だった。
カルヴェスは指先に視線を落としたまま、しばらく口を開かなかった。
だがやがて、何かを決意したように静かに息を吐く。
「……兄上」
アルヴェインは机に肘をついたまま視線だけを向けた。
カルヴェスは口を開く前に一瞬躊躇した。
珍しいことだった。
普段の彼はもっと淡々としていた。
「……母上を助ける方法なら、ある」
ギィッと椅子が激しく音を立てた。
アルヴェインが勢いよく立ち上がり、金の瞳が見開かれていた。
「……何だと?」
空気が震えるほどの圧があった。
カルヴェスは兄を真っ直ぐ見返す。
「母上の研究を俺が完成させる」
沈黙。
アルヴェインの表情から感情が消えた。
カルヴェスは更に続ける。
「血の魔術を俺が引き継ぐ」
――バンッ!!
凄まじい音と共に机が揺れた。
アルヴェインの拳が叩きつけられていた。
積み上がった書類が床へ散らばる。
「馬鹿なことを言うな!!」
怒声。
しかし、カルヴェスは微動だにしない。
「本気だ」
「正気かお前!!」
アルヴェインが手を振り払った拍子に、インク瓶が床で砕け散った。
「母上が何故ああなったと思っている!!」
「理解してる」
「理解していない!」
アルヴェインは弟の胸倉を掴み、そのまま壁へ叩きつけた。
「あんなもの……呪いだ」
アルヴェインの呼吸は荒かった。
「魂を冒涜し、死を捻じ曲げる魔術だ!!人の手で触れていい領域じゃない!!術者と対象の負担も大きすぎる!!」
カルヴェスは苦しそうに眉を寄せながらも、静かに兄を見る。
「でも、母上は助かる!」
その一言だった。
アルヴェインの瞳が揺れる。
カルヴェスは続けた。
「侵食を止める術式も八割方解析した」
「カルヴェス」
カルヴェスが珍しく声を荒げた。
「侵食を逆流させればいい!血を媒介に生命情報を書き換えれば――」
「黙れ」
アルヴェインの一言で空気が凍る。
カルヴェスは息を呑んだ。
兄の金の瞳は、王の目だった。
アルヴェインはゆっくりと弟へ歩み寄る。
そして静かに告げた。
「地下の研究施設を封鎖する」
カルヴェスの目が見開かれる。
「……?」
「全ての研究資料は焼却。関係者は監視下に置く」
淡々とした宣告。
カルヴェスは信じられないものを見るように兄を見つめた。
「な……何を言って――」
「血の魔術は禁術とする」
アルヴェインは冷たく言い放つ。
「今後一切――関わるな」
その瞬間。
「ふざけるな!!」
カルヴェスが兄へ掴みかかった。
胸倉を掴み、激しく睨み上げる。
「あと少しなんだ!!あと少しで母上は助かるのに、なんで止める!!」
アルヴェインは微動だにしなかった。
「これは母上だけの話じゃない!」
カルヴェスの叫びが響く。
「死を覆せるんだぞ!? この研究が完成すれば、病も、寿命も、戦争で死んだ人間すら――」
「だからだ」
アルヴェインの声は冷たかった。
カルヴェスの身体が止まる。
アルヴェインは弟の手をゆっくり掴み、自分の胸元から引き剥がす。
「血の魔術は、国を滅ぼす。人は必ず欲に呑まれる。死者蘇生など完成すれば、王族も貴族も他国も黙っていない」
カルヴェスは唇を噛み締める。
「国の治安と存続に関わる」
「……っ」
「お願いしているのではない。王の命令だ」
宣告だった。
カルヴェスは震える拳を握る。
目の前にいるのは、もう兄ではない。
王だった。




