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王城の地下深く――
陽の光すら届かぬ冷たい石造りの研究室に、女の声だけが響いていた。
「あと少し……あと少しで完成する……」
机一面に広がる魔術式。
床には幾重にも重なった巨大な陣。
青白い魔力光が地下室を不気味に照らし、空気には焦げた薬品と血の匂いが混じる。
中央に立つ女――アーヴェレッヘは、指で血を滴らせ震えながら術式を書き足していた。
赤黒い長い髪は乱れ、唇は乾き切っている。
それでもその瞳だけは異様な熱を宿していた。
「これが完成すれば……死は……覆る……」
掠れた声。
しかし次の瞬間。
ふらり――
アーヴェレッヘの身体が傾く。
「あ……」
支える者は誰もいない。
そのまま力尽きるように床へ倒れ込んだ。
パタリ、と乾いた音が地下室に響く。
「アーヴェレッヘ様!!」
周囲にいた魔術師たちが一斉に駆け寄った。
ローブを翻し、顔色を変えながら彼女を抱き起こす。
「脈が弱い……!」
「魔力消耗が限界を超えている!」
「回復術式を!」
慌ただしい怒号が飛び交う。
しかし、アーヴェレッヘは虚ろな瞳のまま、震える指を魔術陣へ伸ばした。
「まだ……終わって……いない……」
その指先は血で赤く染まっている。
爪は割れ、皮膚は焼け爛れていた。
それでも彼女は止まらない。
狂気にも似た執念。
「完成……させなければ……」
地下室の巨大な魔法陣が、まるで彼女の執念に呼応するように、不気味な脈動を始めていた。
彼女が目を覚ました時、視界に映ったのは見慣れた天井だった。
重厚な彫刻が施された白い天蓋。
微かに香る薬草と消毒用の香。
王族の私室――。
「……また、失敗してしまった……」
掠れた声で呟き、アーヴェレッヘはゆっくり身体を起こそうとする。
だが、まるで全身に鉛を流し込まれたように重い。
「っ……」
かろうじて持ち上げた右腕を見て、彼女は小さく息を呑んだ。
細く白かったはずの腕は、赤黒く変色していた。
皮膚の下を這うように黒い紋様が浮き出ている。
まるで呪いが血管を侵食しているかのようだった。
その時――カツ、カツ、カツ。
静かな部屋に、硬いブーツ音が響く。
バンッ!!と激しく扉が開かれた。
「母上!!」
鋭い声が部屋に響く。
アーヴェレッヘがゆっくり視線を向ける。
そこに立っていたのは、二人の青年だった。
一人は、艶やかな黒髪を後ろへ流した青年。
鋭い金の瞳。
張り詰めた空気を纏い、立っているだけで周囲を支配するような威圧感がある。
そしてもう一人。
紅の髪に金の瞳を持つ青年。
冷たい美貌と、静かに燃えるような瞳。
兄とは違う気配を持ちながらも、こちらもまた威圧を放っていた。
二人は母の変色した腕を見た瞬間、表情を強張らせる。
黒髪の青年が怒りを押し殺した声で言った。
「……いい加減にして下さい……」
対して紅の髪の青年は、ベッド脇へ歩み寄り、そっとアーヴェレッヘの腕へ触れる。
「……魔力侵食が進んでいる」
その声には焦りが滲んでいた。
アーヴェレッヘは二人を見上げ、小さく微笑む。
「大丈夫よ……もう少しで完成するの……」
その言葉に、黒髪の青年は眉を歪めた。
「まだ、その研究を続けるつもりですか」
空気が張り詰める。
しかしアーヴェレッヘの瞳は狂気じみた熱を宿したまま、静かに微笑み返す。
「私の命と引き換えても完成させるわ……」
それは、静かな声だった。
黒髪の青年の金の瞳が鋭く揺れた。
「……母上は、自分が何を言っているのか理解しているのですか」
低く抑えられた声。
だが、それが逆に激情を際立たせていた。
アーヴェレッヘはそんな息子を見つめ、ふっと儚く笑う。
「理解しているわ、アルヴェイン……」
その名を呼ばれた青年は唇を噛み締めた。
一方、ベッド脇にいた紅の髪の青年は、母の腕を撫でるように触れながら静かに呟く。
「侵食速度が早すぎる……」
指先に触れる皮膚は熱を帯び、黒い紋様は脈打つように広がっていた。
まるで生きている呪い。
「カルヴェス……」
アーヴェレッヘが優しく息子の名を呼ぶ。
しかしカルヴェスは顔を上げずに問いかける。
「……どうして、ここまでして――父上のためですか」
その瞬間、部屋の空気が変わった。
アルヴェインがゆっくり顔を伏せる。
カルヴェスもまた、母の腕を掴む指に力を込めた。
アーヴェレッヘは数秒沈黙したあと、小さく目を細める。
「ええ……そうよ……」
その答えに、アルヴェインが堪えていた感情を吐き出すように声を荒げた。
「父上はもう死んだ!!」
怒声が部屋に響く。
窓辺の燭台の火が震えた。
「何年経ったと思っているんです!!国政は混乱し、貴族たちは不安を隠しきれていない! それなのに貴方は地下に籠もり、魔術の研究に没頭!死者を蘇らせようとまでしている!!」
「兄上」
カルヴェスが低く制止する。
だが兄は止まらなかった。
「母上は王妃だ!一人の女ではない!!」
怒鳴った直後、沈黙――
アーヴェレッヘは静かに息子を見つめていた。
怒りもない。
悲しみもない。
ただ――どこか壊れたような瞳。
「……私は王妃になりたかったわけじゃないの……」
アルヴェインの呼吸が止まる。
「ただ、あの人と生きたかっただけ……」
そう呟いた瞬間、アーヴェレッヘの瞳から、一筋だけ涙が零れ落ちた。
「死さえ越えて――必ず……」




