第十三章 樹に帰るリサ
ショッピングモールを出ると、夕暮れの空はすっかり群青色に染まっていた。
街灯がぽつぽつと灯り、風は少し冷たい。
リサは深く息を吸い込んだ。
(……帰ろう。“樹”に)
足取りは軽くはない。
でも、逃げるような歩き方でもない。
胸の奥にあるのは、
ワンダーランドでの冒険で育った“覚悟”だった。
(ちゃんと謝る。
ちゃんと話す。
もう、あんなふうに飛び出したりしない)
そう決めて、リサは喫茶店「樹」の扉を押した。
カラン――。
ベルの音が、いつもより優しく響いた。
◆ 翔子の表情
店内には、コーヒーの香りがふわりと漂っていた。
シャロンがカウンターで片付けをしていて、
その横で翔子が椅子に座っていた。
扉の音に気づいた翔子が、ぱっと顔を上げる。
「……リサ」
その声は驚きと安堵が混ざっていた。
リサは胸がぎゅっとなった。
「……ただいま」
翔子は立ち上がり、少しだけ歩み寄る。
でも、すぐには言葉が出てこないようだった。
リサは深呼吸して、まっすぐ翔子を見た。
「ごめん。
あのとき、言いすぎた。
翔子が困ってるのに、怒ったみたいになって……ほんとにごめん」
翔子は目を伏せ、そして小さく首を振った。
「……ううん。
私も、ちゃんと説明できなかった。
本を借りすぎるの、悪い癖だってわかってるのに……
リサに迷惑かけてるって思ったら、返す言葉がなくて……」
顔を上げた翔子の目は、少し赤かった。
「だから……私も、ごめん」
リサは思わず笑ってしまった。
「なんか……お互い様だね」
翔子も、ふっと笑った。
その笑顔を見た瞬間、リサの胸の痛みがすっと消えていった。
◆ シャロンの紅茶
シャロンが二人の前にそっとカップを置いた。
「仲直りできてよかった。
はい、温かい紅茶よ。落ち着くわ」
リサはカップを両手で包み込む。
「ありがとう、シャロンさん」
「リサちゃん、今日はずいぶん遅かったわね。どこに行っていたの?」
リサは一瞬だけ迷ったが、すぐに笑った。
「ちょっと……不思議の国に行ってきたの」
翔子が目を瞬かせる。
「……映画?」
「ううん。もっと……すごいところ」
シャロンはくすっと笑った。
「リサちゃんらしいわね。
でも、無事に帰ってきてくれて本当によかったわ」
リサは紅茶を一口飲んだ。
温かさが喉を通り、胸の奥まで染み渡る。
(あぁ……帰ってきたんだ)
ワンダーランドの鮮やかな景色も、
帽子屋たちの笑顔も、
全部が夢のように遠く感じる。
でも――
(ここが、私の帰る場所)
その確信だけは、はっきりと胸に残っていた。
◆ 夜の「樹」で
店内は静かで、外の喧騒が嘘のようだった。
シャロンが片付けを続け、翔子は本を閉じてリサの隣に座る。
「リサ、明日……一緒にどこか行く?」
翔子がそっと尋ねた。
リサは目を丸くした。
「えっ、いいの?」
「うん。
本は……借りすぎないようにするから」
リサは吹き出した。
「それ、翔子にしてはすごい決意じゃん!」
「……がんばる」
二人の笑い声が、静かな店内に優しく響いた。
シャロンはその様子を見て、満足そうに微笑む。
「じゃあ明日は、三人でどこか行こうか。
リサちゃんの冒険話も、ゆっくり聞きたいしね」
リサは照れくさそうに頷いた。
「うん……話すよ。
帽子屋のことも、白ウサギのことも、女王様のことも……
全部、ちゃんと」
翔子が小さく笑った。
「楽しみにしてる」
リサはカップを見つめながら、そっと呟いた。
「あたしも図書館で本を借りようかな…」
「え?」
「不思議の国のアリス…アニメとか絵本は見たけど、原作をちゃんと読んだことないんだよね」
「そっか、原作のすべてがアニメになっている訳じゃないものね」
「うん、だから興味が湧いてきたっていうか…」
「リサ、それすっごく良いことだと思うよ!」
翔子が嬉しそうに笑った。
翔子の笑顔を見てリサも嬉しくなった
そして「……ただいま」と呟いた
その言葉は、誰に向けたものでもなく、
でも確かに“ここ”に届いていた。




